われら春秋を識らず
病院って、たくさん“科”があるんですね。
内科・外科・産婦人科・小児科・眼科・歯科etc
“科”の中にも“系”など細分化されている。
内科だと消化器系・呼吸器系・循環器系etc
外科にも消化器系・呼吸器系・循環器系があるんだ!!
脳神経外科とか形成外科とか美容外科とか
細分化されて、研究されて、専門化されて、それぞれに詳しい人・第一人者と呼ばれる人がいて…。
それぞれのところで、かなり研究が進んでいるのでしょうね。
なんでこんなことを書いているのかというと、昨日の「ケイ蛄春秋を識らず」の文章を書いていて、ひとつの部分を見ていると、結局何も見えなくなってしまうんだなぁということを感じたのです。
医療でも、それぞれの分野での研究は進んでいるのに、他との連携が取れてないばかりに病気を見落としたということを聞くことがあります。「臓器は見えてるのに患者が見えてなかった」などと表現されます。
真っ先に思いついたので、病院のことを書いてしまいましたが、医療だけじゃないですよね。
行政とかお役所とかも。ひとつのことをするのに いくつも窓口を回ったり、たらい回しにされたり、何人も相手にして話さなきゃいけなかったり、むこうも把握してなかったりすることも。
部署や窓口が分かれすぎていて、なかなか話が先に進みません。人によって言うことが違ったりすることもあります。
人のことばかり言ってちゃいけませんね。
いろいろな法座(法話を聞く場)があるけれど、サラリーマン向け・女性向け・子供向け・僧侶向けなどと対象を絞ったり、対象年齢がいくつまでとか いくつからとか設けてみたり…。
確かに必要だから対象を絞ったりするわけだけど、それはそうなんだけど、細かく分けることによって“衆生”が見えなくなってしまっているような気がする。
細分化するのは必要があってのことだけど、誰もがそのそれぞれの場所だけに身を置いてしまう。
横のつながりも無い、他の管轄のことが分からない、他の管轄の存在自体を知らない。
詳しく知りたいという欲求が、なにも知らないという結果を生み出している。
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興味のある事や物を知れば知るほど、深くて広くて知らないことだらけ、解らなければさらに知りたくなって追い求めてしまう。入り口は狭く見えても実は奥深くて、底が見えない事、よくあったりして。
私は世の中にはいろんな専門家(マニアも?)がいるもんだとしょっちゅう感心させられています。いろんな専門家がいるのはいいけれど、他の人・事・物を思う、心を持っている人がどれくらいいるのかな?と想像すると、あらゆる事でちょっと怖い。
自分を含めて、自分を離れて見れる目、忘れては
いけない事の一つ、かな?
投稿: teru | 2006年8月20日 (日) 21:40
☆teruさん こんばんは
お返事コメントが遅くなってすみません。
あらゆることに専門家がいるのは、当然のことだと思う。でも、自分の学びを自己満足で終わらせるのか、他の人と共有しようとするのか。どちらを選ぶかでやりがいも変わってきますよね。
投稿: かつ | 2006年8月26日 (土) 02:05