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2006年8月28日 (月)

踊る阿呆に見る阿呆

昨日は、都内のお寺で法話をしてきました。
本来のお話の先生が都合で来られなくなったので、ピンチヒッターとして。
お話が終わってから、お寺のご住職に「高円寺阿波おどり」に連れて行ってもらいました。

  
    <第50回東京高円寺阿波おどり>

阿波おどりといえば徳島ですが、東京の高円寺でも町おこしの一環として昭和32年から開催されているそうです。午後6時から9時まで、約170の団体・約10,000人の方が踊られていたそうです。
初めて見ました。とても壮観です。お祭りっていいですね。沿道で見ていた子どもが一緒に踊りだした姿がとても可愛かったです。見てるのも楽しかったですが、踊っているほうはもっと楽しいだろうなぁって思いました。
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃそんそん♪」って言うのもうなづけます^^
先生、来られなくて残念でしたね。代わりに堪能させてもらいました。
   
        
法話ですが、「縁を生きる存在として『歎異抄』を読む」というような内容でお話をさせていただきました。
法話が終わって、質問を受けました。サラッとお話してしまったところを突かれてしまったのでドキッとしました。
自分なりに説明したのですが、なかなか伝わりません。伝わらないけど、真摯に尋ね返されるので、また応える。でも伝わらない。また応える。
その繰り返しだったのですが、最後に「うまく言えなくてごめんなさいね。こんな感じのことを言いたかったんだけど…」と言ったら、「あら、それなら分かるわぁ」って言っていただきました。表現したかったことが伝わったようです。自分で難しくしてしまったようです^^
話すことによって、学ばせてもらうことがたくさんあります。話し手こそ一番の聞法者ですね。
話す方と聞く方と、同じ聞法するなら話さなそんそん♪です
先生、やっぱり来られなくて残念でしたね。代わりに冷や汗かかせてもらいました。いや、学ばせていただきました。
   
   
(余談)
お酒を飲みながら 阿波おどりを見ていたのですが、ご住職がいい席を用意してくださったので、ついつい飲みすぎてしまいました。阿波おどり中も、終わってからも。
で、今日は二日酔い。飲む阿呆でした。深く反省。

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コメント

昨日と本日の内容から、「論註」の「阿弥陀如来を増上縁となす」を思い出しました。また、たまたま読んだ曽我量深先生の本に「われわれ衆生の存在は仏の本願によって証される」と書いてあり、このブログと本で同じことを「聞かせていただいた」ことにも「縁」を感じます。「私」が在って縁を感じるのではなく、「縁」のままが私に他ならないのですね。「縁」以外に「私」など無い。その「縁」に順逆の分別・妄念を起こしてしまうのも「困ったもんの私」です。

☆まつさん こんばんは
「たまたま」の「ご縁」によって生かされていますね。
「仏の本願によって証される」我ら。曽我先生良いこと言うなぁ…って傲慢ですね^^
みんな どこかで繋がっているんだなぁって思う今日この頃です。

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