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2006年8月

2006年8月31日 (木)

8月も終わりですねぇ

昼間はまだまだ蝉の元気な鳴き声が響き渡っていますが、夕方になると鈴虫の鳴き声が聞こえてきます。
残暑の厳しさは続きますが、日が暮れてくるとだいぶ過ごしやすくなりましたね。
この8月、どのように過ごされましたか?
私は、なんだかあっという間に過ぎたような気がします。

人生は退屈すれば長く、充実すれば短い。
                        シラー

う~む…退屈ではなかったけれど、充実していたのだろうか。
8月頭はいろいろあって落ち着かなくて、半ばはお盆で忙しく、後半は用足しに長崎に行っていた。
うん、充実はしてましたね。書いてしまうと単純だけど。

それに、毎月1日に寺報を発行していると、月末が毎度あわただしい。たとえ長く感じた月であっても、寺報執筆に手をつけはじめると、一ヶ月早いなぁと感じてしまう。早くから準備すればいいのだけれど、それがなかなか出来ない。今も寺報を書いています^^;
寺報に専念すればいいのに、ブログを書いてしまう。集中力がないのです。ブログならスラスラ書けてしまうのに、寺報の文章はなかなか書けない。どうしてでしょう?

人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、何事かをなすにはあまりにも短い。
                        中島 敦

何事もなしていないわけではないけれど、何事かをなしているだろうか…う~む。
でも、短いと感じて生きたいなぁ(往きたいなぁ)。

2006年8月30日 (水)

法に聞く

お釈迦さまは、自分が話をするときに「今日のテーマは○○です」なんて言わなかったことでしょう。
人にふれ、自分のさとりの内容をただ話されただけではないでしょうか。

お釈迦さまのお話を聞いた人が、自分の人生に引き当てて
 「お釈迦さまは こういうことを言おうとされたのではないだろうか」
 「私は自分の人生から逃げていたなぁ」
 「ほかにもこんな道があったんだ」
などと感じられたのではないだろうか。

テーマ設定なんてしなくても、お釈迦さまのお話は誰にでもリンクするもの、響くもの。
テーマを設定してしまうと、そのテーマに興味がある人は聴くけれど、興味が無い人は耳を傾けない。
興味があっても、納得できなければ「今日の話はダメだね」なんて言ってしまう。
聞法慣れした人はテーマだけ聞いて、「こういう話をするだろう」と勝手に想像してしまう。

自分の興味で聞くのではなく、
お話を聞いたら、その内容はなんと私のことを言い当てたものだった。
そういうのが聞法じゃないかな。
   
  
8月ももう終わりですね。8月になると反戦の訴えをよく耳にしますが、お釈迦さまの「兵戈無用(ひょうがむよう)」という ことば がよく例えに使われます。
「お釈迦さまは“兵戈無用”とおっしゃっている。だから武器を捨てよう!!」という感じで。

「兵戈無用」とは、「兵隊も武器も必要がない」という意味ですが、お釈迦さまは「仏教広まるところに、兵隊も武器も必要としない国が開かれる」と言われたのであって、「兵隊も武器も必要としない国を作ろう!!」と扇動されたのではありません。
お釈迦さまは「兵戈無用」としか言われてないんです。それを聞いて、自分のこころの中の“兵戈”がなくなっていく世界をイメージした人がいる。そうありたいと願った人がいる。そういう人がたくさんいただけの話だと思うんです。だからこそ、この ことば が大切にされてきた。でも頭から「お釈迦さまも兵隊や武器の無い世界を望まれました。“兵戈無用”と言われています」と言ってしまっては、「兵戈無用」がイメージさせる世界を狭めてしまうし、誤解されてしまうかもしれない。

受け手がいて初めて ことば って意味を持つんだなぁ。
ことば のみを掲げてしまっては、ただ拡散してしまうだけなんだなぁ。


2006年8月29日 (火)

三献の茶

豊臣秀吉が鷹狩りの最中、のどが渇いたので あるお寺に寄ります。

「のどが渇いた。茶をもて!!」(と言ったかどうか知りませんが)

寺の小姓がお茶を持ってきます。大きめの湯飲みにぬるめのお茶をいっぱいに入れて。

「おかわり!!」

その小姓は今度は少し小さめの湯飲みに、少し熱めのお茶を入れてきます。

「…。もう一杯いただけないであろうか」

秀吉が試しに尋ねると、小姓は、今度は小さい湯飲みに熱いお茶を入れて出しました。

秀吉は この細やかな心遣いに感心いたく感心します。自分の家来とするために、この小姓を連れて城に帰ります。生涯秀吉の力となって働いたこの小姓が石田三成です。
   
   
この秀吉と三成の出会いのエピソードは「三献の茶」として知られています
(秀吉と三成の実際の出会いは違うのではないかという説もありますが)。

暑い夏、ついつい冷たいお茶ばかり飲んでしまいますが、少量の熱いお茶がのどの渇きを潤してくれるものです。
    
  
(余談)
お客さんにお茶をお出しした際、先ず冷たい麦茶を出しました。次に熱い煎茶を出しました。

「あぁ美味しい。秀吉になった気分です^^」

「私も三成になった気分です^^」

ことばにしてないのに、意思が通じたときって嬉しくなりますよね。
連れて帰られなくてよかったです^^


2006年8月28日 (月)

踊る阿呆に見る阿呆

昨日は、都内のお寺で法話をしてきました。
本来のお話の先生が都合で来られなくなったので、ピンチヒッターとして。
お話が終わってから、お寺のご住職に「高円寺阿波おどり」に連れて行ってもらいました。

  
    <第50回東京高円寺阿波おどり>

阿波おどりといえば徳島ですが、東京の高円寺でも町おこしの一環として昭和32年から開催されているそうです。午後6時から9時まで、約170の団体・約10,000人の方が踊られていたそうです。
初めて見ました。とても壮観です。お祭りっていいですね。沿道で見ていた子どもが一緒に踊りだした姿がとても可愛かったです。見てるのも楽しかったですが、踊っているほうはもっと楽しいだろうなぁって思いました。
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃそんそん♪」って言うのもうなづけます^^
先生、来られなくて残念でしたね。代わりに堪能させてもらいました。
   
        
法話ですが、「縁を生きる存在として『歎異抄』を読む」というような内容でお話をさせていただきました。
法話が終わって、質問を受けました。サラッとお話してしまったところを突かれてしまったのでドキッとしました。
自分なりに説明したのですが、なかなか伝わりません。伝わらないけど、真摯に尋ね返されるので、また応える。でも伝わらない。また応える。
その繰り返しだったのですが、最後に「うまく言えなくてごめんなさいね。こんな感じのことを言いたかったんだけど…」と言ったら、「あら、それなら分かるわぁ」って言っていただきました。表現したかったことが伝わったようです。自分で難しくしてしまったようです^^
話すことによって、学ばせてもらうことがたくさんあります。話し手こそ一番の聞法者ですね。
話す方と聞く方と、同じ聞法するなら話さなそんそん♪です
先生、やっぱり来られなくて残念でしたね。代わりに冷や汗かかせてもらいました。いや、学ばせていただきました。
   
   
(余談)
お酒を飲みながら 阿波おどりを見ていたのですが、ご住職がいい席を用意してくださったので、ついつい飲みすぎてしまいました。阿波おどり中も、終わってからも。
で、今日は二日酔い。飲む阿呆でした。深く反省。

2006年8月27日 (日)

縁あっての私

私あっての縁ではなく、縁あっての私

私が先にあって、その私に対して「縁」が降りかかってくるものと思っていた。
だから、「縁」が良いとか悪いとかいうことが問題となり、愚痴も出る。
そうではなく、さまざまな「縁」が積もり重なることによって今の私が存在するのではないか。
私が「縁」をいただくのではなく、「縁」によって私がある。

その「縁」を阿弥陀如来という。

2006年8月26日 (土)

平和ってなに?

昨日は「白骨の会」(西蓮寺仏教青年会)でした(こちら)。

お題は「平和ってなに?」です。

平和・平和というけれど、そもそも平和って、どんな状態なのでしょうね。
平和について語れるということが平和なのかもしれない。

平和にも二通りある。「武器で抑えつける平和」と「武器を持たない平和」。
武器や核兵器を持って、他者を抑えつけ、牽制しながら争いのない世の中を作れたとしても、それが果たして「平和」と言えるのでしょうか。また、武器を持たないで平和を叫べる私だろうか。
   
青年会での内容については、これ以上は書きません。この場だからこそ 話せることなのだから。   
「平和ってなに?」
皆さんも考えてみてください。

奇しくも今日から京都で 世界宗教者平和会議(WCRP)の「第8回世界大会」 が開催されます。どのような話し合いがされるのでしょうか。
      
昨日の白骨の会で、「平和ってなに?」という発題をいただいて すぐに「平和について話し合っていて、喧嘩になったりしてね」と言ったのですが、そうならないように願います。
志は同じなのに 仲間割れする人たちの姿をたくさん見てきました。哀しいです。
反面、想い・立場は違って、普段はいがみ合っているんだけど、お互いを認め合っている人たちもいます。

「みんなで平和を目指しましょう」という呼びかけも、実は危ういのかもしれません。

2006年8月25日 (金)

惑う星の民

遠い遠い星に住む民が、私が「惑星」かどうかで惑うているらしい。
「惑星」であろうがなかろうが、私は今も自分のはたらきを続ける。
今までも、これからも、私の成すことに変わりはない。
みだれることなく、一心に。
         
      
 【惑】①まどう。まよう。
     (ア)うたがいまよう。分別・判断がつかない。
     (イ)心がくらむ。みだれる。
     (ウ)さまよう。


2006年8月24日 (木)

長崎から


長崎から帰って来ました。
これから会議です。いきなり現実世界に戻ってしまいます。
ネジを締め直してガンバロッ♪

2006年8月23日 (水)

愛の人は 勇の人

闘争だの戦争だのという騒ぎは、おくびょう者がやるのである。「愛」の人は、すなわち「勇」の人であり、勇の人は武装しない。武装しない人は戦わない。つまり「平和」の人である。
                             永井 隆「平和搭」

愛の人は 勇の人
 永井 隆記念館にて


愛国心を持つということは、戦いをしない勇気を持つことだと思います。
戦争することを暗に含めた愛国心は、愛国心とは言わないのです。

平和祈念像

平和祈念像


右手は原爆を示し
左は平和を
顔は戦争犠牲者の冥福を祈る
      北村西望

2006年8月22日 (火)

遠藤周作文学館

人間はこんなに哀しいのに
主よ、海があまりにも碧いのです
            遠藤 周作 『沈黙』

遠藤秀作文学館

 『沈黙』の舞台に建つ遠藤周作文学館
 周りにはあまりにも碧い海が広がります。


2006年8月21日 (月)

こころ安らぐ場

こころ安らぐ場


羽田空港に来ています。

高校生の頃、しんどい時は羽田空港に行きました。
はっきりした理由はないのですが、空港の送迎デッキから飛行機を眺めているのが好きでした。

大学生の頃は、東本願寺に行き、親鸞聖人にご挨拶して、阿弥陀堂の柱に寄り掛かってボーッとしてました。しばらく阿弥陀さんを眺めてから「じゃ、行くわ」って出てきてました。

そういう場、お持ちですか?

ちなみに、空港に来たのはしんどくなったからではなく、用事が出来て長崎に行くご縁をいただいたからです^^
搭乗するまで、飛行機を眺めてました♪

2006年8月20日 (日)

われら春秋を識らず

病院って、たくさん“科”があるんですね。
 内科・外科・産婦人科・小児科・眼科・歯科etc
“科”の中にも“系”など細分化されている。
 内科だと消化器系・呼吸器系・循環器系etc
 外科にも消化器系・呼吸器系・循環器系があるんだ!!
 脳神経外科とか形成外科とか美容外科とか
細分化されて、研究されて、専門化されて、それぞれに詳しい人・第一人者と呼ばれる人がいて…。
それぞれのところで、かなり研究が進んでいるのでしょうね。

なんでこんなことを書いているのかというと、昨日の「ケイ蛄春秋を識らず」の文章を書いていて、ひとつの部分を見ていると、結局何も見えなくなってしまうんだなぁということを感じたのです。
医療でも、それぞれの分野での研究は進んでいるのに、他との連携が取れてないばかりに病気を見落としたということを聞くことがあります。「臓器は見えてるのに患者が見えてなかった」などと表現されます。

真っ先に思いついたので、病院のことを書いてしまいましたが、医療だけじゃないですよね。
行政とかお役所とかも。ひとつのことをするのに いくつも窓口を回ったり、たらい回しにされたり、何人も相手にして話さなきゃいけなかったり、むこうも把握してなかったりすることも。
部署や窓口が分かれすぎていて、なかなか話が先に進みません。人によって言うことが違ったりすることもあります。

人のことばかり言ってちゃいけませんね。
いろいろな法座(法話を聞く場)があるけれど、サラリーマン向け・女性向け・子供向け・僧侶向けなどと対象を絞ったり、対象年齢がいくつまでとか いくつからとか設けてみたり…。
確かに必要だから対象を絞ったりするわけだけど、それはそうなんだけど、細かく分けることによって“衆生”が見えなくなってしまっているような気がする。

細分化するのは必要があってのことだけど、誰もがそのそれぞれの場所だけに身を置いてしまう。
横のつながりも無い、他の管轄のことが分からない、他の管轄の存在自体を知らない。

詳しく知りたいという欲求が、なにも知らないという結果を生み出している。

2006年8月19日 (土)

ケイ蛄春秋を識らず

夕方5時半頃、まだ日が暮れる前、本堂の裏でご本尊の正面に飾るお花を挿してました。窓を開けて、外の風を入れながら。蝉の鳴き声が聞こえてきます。

 ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ
   ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ
 ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ
  ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ
   ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ

う~ん、アブラゼミの大合唱。
普段、本堂のお花は住職が挿しているのですが、住職が不在のため久しぶりに私が挿してました。慣れないことをしてるものだから、時間がかかります。日が落ちてきました。

 ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ
  ミーン ミン ミン ミン ミン ミン ミーン
 ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ
  ミーン ミン ミン ミン ミン ミン ミーン
 ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ  
  ミーン ミン ミン ミン ミン ミン ミーン
  
ミンミンゼミの声も聞こえてきました。賑やかです。
一応挿せたけど、バランスが悪いなぁ。やり直し やり直し。全部抜いてもう一度挿し始めました。窓の外が薄暗~くなってきました。

 ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ
  ミーン ミン ミン ミン ミン ミン ミーン 
         カナカナカナカナカナカナカナカナ
 ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ
  ミーン ミン ミン ミン ミン ミン ミーン 
         カナカナカナカナカナカナカナカナ
 ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ ジ
  ミーン ミン ミン ミン ミン ミン ミーン 
         カナカナカナカナカナカナカナカナ

よく耳を澄ますと寂しげな鳴き声が…。ヒグラシです。
いろいろな蝉がいるものだなぁと感じていました(花を挿すことに集中していない…)。

蝉といえば、次のことばを思い出していました。

ケイ蛄春秋を識らず、伊虫あに朱陽の節を知らんや (ケイ:虫偏に惠)
     〔ケイコ シュンジュウをシらず、イチュウあにシュヨウのセツをシらんや〕

ケイ蛄とは蝉のことです。伊虫は「この虫」という意味で、ここでは蝉を指します。
夏に成虫となる蝉は、春や秋があることを知りません。春や秋を知らないこの虫が、どうして夏(朱陽の節)を知ることができるだろうか(いや、できない)。
というような意味になります。

残された時間が少ないことを知ってか、力の限り鳴き続ける蝉。その蝉は、毎年 計ったように夏に成虫となります。春や秋、もちろん冬がどういう季節か知らないわけです。
ということは、“夏”ということも分からないのです。比べることが出来て初めて夏だ秋だと知ることが出来るのですから。夏に成虫となり、いのち終えていく蝉は 春も秋も、そして夏も知らないのです。

このことばは、もちろん蝉の事実を語っただけではありません。

例えば…そう、私のこと。
自我という想いの中を生きている私は、他者の想いを知らない。
他者の想いを知らないということは、自分自身が見えなくなっているということ。
自分を正当化していると、他者の意見なんか受け付けません。自分とは違う想いを受け付けないでいると、まさに循環彷徨。どれだけ頑張っても、どれだけ経験を積んでも、どれだけ生きても、元の場所に戻ってきてしまいます。

例えば…今何か夢中になっていること、ありますか?
仕事でも趣味でもいいです。何かに夢中になっていると、のめりこみすぎると、周りが見えなくなってしまいます。そして、その夢中になっていること自体が見えなくなってしまいます。
もう終わってしまいましたが、NHKの「プロジェクトX」という番組がありましたよね。主人公が仕事で壁にぶつかる。今までの経験や知識を生かして解決策を探ってもまったく光が見えない。そんな時、まったく畑違いの仕事をしてる友人や、仕事についての知識が無い身内の一言が解決策を導くことがある。そんなこともあるものです。

   
   
いろいろと考えているうちに、日が暮れてしまいました。
花も挿し終えて、阿弥陀さまの前にお飾りして、夕方のお勤めをしました。ナムナム。
時間は…7時だ!!

2006年8月18日 (金)

循環彷徨

今、砂漠に立っています。
周りには山も丘も木も池も、目印になるものは何もありません。
どこを見ても一面砂漠です。
さぁ、まっすぐに歩き出してみましょう。
   
ザッ ザッ ザッ ザッ…
   
疲れましたねぇ。
どれくらい歩いたことでしょう。

まっすぐ歩いてきたつもりでしょうが、実はまっすぐじゃないんですよ。
利き足の方に流れていくらしいのです。
だから、もっともっと歩き続けると、円を描いてしまうので元の位置に戻って来てしまうのです。
これを「循環彷徨(じゅんかん ほうこう)」と言うそうです。

一生懸命に歩いてきて、「ずいぶん歩いたなぁ」って気付いたらスタート地点だった。
一生懸命に頑張ってきて、「頑張ったなぁ」って振り返ったら何も変わってなかった。

自分の感覚だけを頼りに歩いていると、自分が正しいと信じて頑張っていると、物事何も先に進まないものです。
「自分はいったい何をやってんだろう」と愚痴が出るのも、自分だけを頼りとしてきた結果なのかもしれません。

努力が無駄というわけではなく、人生何か目印が必要なのです。自分が間違った方に進んでいないかを教えてくれる目印が。
それが阿弥陀さまなわけです。「こっち こっち」って呼んでくださっているのに、それに気付かず自分の思いのままに突き進んでいく。だから、どれだけ進んでも元のままであったり、他の人とぶつかってしまったりするのです。

「自分の人生、自分の思うままに生きて勝手だろ!!」
「はい、勝手です。でも、グルグル同じところを歩くことがあなたの思いなんですか?」

「こっち こっち」と呼んでくださっている“阿弥陀”さんとは、“無量のいのち”ということ。
数限りない“無量のいのち”が、私の人生の目印になってくださっているのに、それを無視して生きている。“いのち”を自分だけのものと勘違いしながら。
   
   
戦争から61年後の夏、循環彷徨している私たちの姿が浮き彫りになりました。
目印なく歩んできた結果ですね。


2006年8月17日 (木)

なんで人間は聞法するのかねぇ

なんで人間は聞法するのかねぇ

安田 理深先生(1900~1982)という真宗の教学者がいらっしゃいました。
その安田先生が晩年に「なんで人間は聞法するのかねぇ」とお見舞いに来られた方に言われたそうです。

見舞いの人はびっくりします。仏教を、真宗を、親鸞聖人の教えを生涯聞き続けてこられた先生が言われたのですから。でも、見舞いの人に質問したのではなく、自身に問いかけるような言い方だったようです。
人生の晩年に、自分の聞法生活を自ら問われた。

聞法って、生涯聞法なのですね。
聞いて答が出る。聞いて悩みがなくなる。聞いて争いが解決するわけではない。
聞いても答えは出ない。聞いても悩みはなくならない。聞いても争いは解決しない。
では、何で人間は聞法するのか。
  
あっ!!
「聞いても答えは出ない。聞いても悩みはなくならない。聞いても争いは解決しない」
って当然のように書いたけれど、答が出る・悩みがなくなる・争いが解決するって、勝手に聞法の利益を決め付けてました。
聞いた結果を自分で予想・期待してはいけませんね。
たまたま「聞く」ご縁をいただいた。それだけでご利益なのに。

自分が聞法していたつもりだけど、そういう場が用意されてたんだなぁ。
それだけで喜ぶべきこと。
  
で、安田先生は「なんで人間は聞法するのかねぇ」と仰られた後に、
春になったら、木が芽吹くようなものかねぇ」と言われたそうです。

「木が芽吹く」ことを、答が出る・悩みがなくなる・争いが解決すると受け取ってしまっては、予想・結果を求めての聞法になってしまう。問題解決の聞法になってしまう。
聞法するということそのものが、「春になって、木が芽吹」いた状態なのではないだろうか。
すでに芽吹いているのですね。
私の中にある いのち が、芽吹いているんですね。

2006年8月16日 (水)

いつか きっと

 如来大悲の恩徳は
 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も
 ほねをくだきても謝すべし

     親鸞聖人「正像末法和讃」より

親鸞聖人の「恩徳讃」という和讃(仏を讃えるお歌)です。

「べし」の響きが「命令」の助動詞と勘違いされることがあります。
そうすると、
 阿弥陀如来の恩徳は身を粉にしてでも報いなさい。
 先輩先生方の恩徳も骨を砕いてでも感謝しなさい。
というような意味になってしまいます。

親鸞聖人は、
阿弥陀如来の慈悲に包まれて生かされている私であることを喜ばれた方です。
その阿弥陀如来の慈悲に気付く縁をくださった先輩や先生方との出会いに感謝された方です。
親鸞聖人の著作の根底には、如来・師主知識と出会えた喜びの気持ちが込められています。その気持ちを表わされたのであって、価値あるものだから報いなさい・感謝しなさいと命令されているのではないのです。

小賢しい言い方になってしまいますが、「べし」は「当然」や「推量」の助動詞で、「当然~する」「~するようになるだろう」といった意味になります。
 (教えをいただきながら生きていると、)
 阿弥陀如来の恩徳に、身を粉にしてでも報いる時がくるであろう。
 先輩先生方の恩徳にも、骨を砕いてでも感謝するときがくるであろう。
日々の生活の中で教えを聞いていれば、必ずいつか阿弥陀如来に、師主知識に出会えた喜びを感じられる日が来るに違いない。いや、当然来ます。(だから教えを聞き続けてほしい。)
そのような想いが込められた和讃です。

「身を粉にしても」「ほねをくだきても」とは、そうするほどに報いるようになるとか感謝するようになるという意味ではなく、私たちが生きている姿そのものを表わしているのだと思います。
楽しいこともうれしいことも、つらいことも哀しいこともある生活・人生。それぞれに一喜一憂して悩む苦しんできたけれど、それをどうにかしようと思うのではなく、一喜一憂のままに生きていけるようになる。そういう姿を「身を粉にしても」「ほねをくだきても」と表現されたのだと私はいただいています。
  
  
で、実はここからが本題。
昨日の文章で、聞き続けていくことの大切さを書きました。
でも、聞くということがなかなか難しい。
自分の思考に合ったものを受け入れていく、一時の慰めを求める、耳障りのいいものを良しとする…。そんな聞き方しかしてこなかったのではないだろうか。
それでは、いつまで経っても「報ずべし」「謝すべし」時はこない。
お話を 自身の一大事として聞き続けていかなければ、こころの底から喜びが湧いてくることはない。
お話を 自身の一大事として聞き続けていれば、そのときは頷けなくても、そのときは哀しくても、いつか生き方が変わる日が訪れるにちがいない。当然来る。

戦争の体験談も、
体験談を聞く会を催した主催者や、語り手に「戦争はこんなに悲惨なのだから、繰り返してはいけない。平和な世の中にするべきである」という想いが込められてしまうと、せっかくの話も伝わらないかもしれない。
「いつか平和な世の中がくるにちがいない。いや、きっとくる」 そういう想いのままに語り続けていけば、いつかきっと花開くときがくるにちがいない。いや、いつかきっとくる。

聞く方も、「響かないんだよね」「ピンとこないや」「そんな恐い話聞きたくない」で止まらずに聞き続けてください。
「こういうことを伝えようとされていたのかな?」「こんな哀しい気持ちを経験されたのか!」「知らないで済むことじゃなかったんだ」ってふと思える日が来るから。いつかきっと来るから。

2006年8月15日 (火)

8月15日

戦争の悲惨さは語り継いでいかなければならない。
この時期、戦争を体験された方に、自身のお話をしていただく場があります。
そのお話を聞いて、“戦争は恐いんだ・いけないんだ・なくすんだ”と、心新たにする若者が大勢いる。
反面、“響かないんだよね・ピンとこないや・そんな恐い話聞きたくない”という感想を述べる者もいるという。

「そんなこと言うなよ!!」と思う方もいると思いますが、でも正直な気持ちなんだと思う。今や日本とアメリカが戦争をしたことを知らない人もかなりいるという。

戦争の悲惨さ・つらさ・恐さは、実際に体験しなければ分からないことです。
戦争に限らず、つらさや哀しさは体験した人にしか分からない。
分からないけれど、「分からないから、分かる必要ないや」って話ではない。
そのつらさ・哀しさに こころ を寄せる努力を惜しんではいけない。
分かろうとする、何かを感じ取ろうとする想いを失ってはいけない。

“響かないんだよね・ピンとこないや・そんな恐い話聞きたくない”
正直な気持ちを語ってくれて、ありがとう。
戦争の体験談を聞いた瞬間に「感動した!!」って言ってしまえるほうが、その場限りの想いになってしまうかもしれない。

こころ動かされた人も、なにも感じなかった人も、これからどう動くのか。

話を聞き続けること。そこから何かが動き出す。
話をし続ける。戦争の体験談を話すのは、実はとてもエネルギーを必要とすることだと思います。出来ることなら思い出したくないことだもの。
だから、口を閉ざしたままの人もいる。
だけど、語らずにはおれない人もいる。
そして、戦後61年(第二次大戦だけが戦争ではないけれど)、今まで語ることを避けていた人々が語り始めてもいる。

どうして今になって語るのか。61年も経っているのに。
どうして今になって語らなければいけないのか。61年も経っているのに。

果たして、自分の中でイメージを、想いを膨らませる作業をしてきただろうか。
話を聞いて、ただ感銘を受けるだけであったり、何も感じないだけであったり、そこにとどまっているのならば、
“戦争は恐いんだ・いけないんだ・なくすんだ” も
“響かないんだよね・ピンとこないや・そんな恐い話聞きたくない” も同じ事。

「戦争の悲惨さは語り継いでいかなければならない」と最初に書いたけど、
バトンのリレーでは、年月が経てリレーすべきバトンは壊れてしまう。
雪だるまのように、少しずつ少しずつ大きくしていかなければ、語り継いでいることにはならない(「雪だるまは溶けちゃうよ」なんて言わないでくださいね。たとえが下手くそでごめんなさい)。

人の話を聞くってことは、自分をその立場に置いてみることかな。
上の空で聞いたり、耳の右から左へスルーしていったり、自分勝手に解釈したり(自分をその立場に置くことと紙一重でむずかしいけれど)することを聞くとは言わない。
それでなくても聞いた話って、語り手が伝えたい想いの十分の一も伝わってないのだから。

つまりは、聞いてこなかったのかもしれない…

2006年8月14日 (月)

夏ですね

Pict0186_1
今日は(今日も?)暑かったですね。
でも、空がとってもきれいでした。

Pict0181 Pict0189

Pict0190 Pict0183
芙蓉が咲き始めました。
写真は蕾ではなく、閉じてしまった絵なのですが…。

青い空 白い雲 淡いピンクの芙蓉
色彩が鮮やかですね

写真を撮りながら、汗びっしょりかいてしまいました。

2006年8月13日 (日)

お盆ですね

東京は7月盆ですが、全国的には8月盆が多いです。
それに、お盆というと、夏の暑さが似合う感じがしますね。

「お盆(盂蘭盆…うらぼん)」とは、「ウランバーナ」というサンスクリット語(インドの言葉)の音訳で、「逆さ吊りの苦しみ」という意味です。

一般的には、このように「お盆」の説明がされていますが、私には分かりませんでした。どうして「逆さ吊りの苦しみ」が「お盆」なのか。さて、なぜでしょう?

「お盆」は、「仏説盂蘭盆経」というお経に由来します。そこには、お釈迦様のお弟子さんの目連さんと、亡くなられたお母様のお話が説かれています。

亡き母の身を案じた目連さんは、神通力という不思議な力でお母様を探し回ります。しかし、お浄土のどこにも母の姿は見当たりません。そこで、餓鬼道という、飢えに苦しむ地獄に行きました。すると、そこにお母さんの姿がありました。飢えに苦しむ地獄です。お母さんはゲッソリやせ細っています。見かねた目連さんは、食べ物 飲み物を母に手渡すのですが、それらはすべて炎に変わり、口にすることはできません。なんとか母を助けてあげたい。そう思った目連さんは、お釈迦さまに相談します。「母だけではなく、餓鬼道に堕ちたすべての人々のことを想い、供養なさい」と言われ、供養しました。母を助けたいと念ずる目連さんの目には、お浄土に行かれるお母様の姿が見えたということです。

このエピソードから、「お盆」には亡き人のためのご供養をする習慣が生まれたらしいです。
お盆には、迎え火送り火に代表されるように、亡くなられた方が、あの世とこの世を行き来するらしいですね。

通夜葬儀の際は「安らかにお眠りください」と見送り、身の回りに不幸が起これば、「亡き人が迷っているのでは」と気にする。さて、安らかでないのは誰でしょう? 迷っているのは誰でしょう?

目連さんのお母さんは、生前、わが子に貧しい思いをさせないために、他者の食物や衣類を奪ったといわれています。目連さんのお母さんが、物が手に入らない地獄、餓鬼道に堕ちたのは、そのためです。どのような理由があっても、人の物を奪うことは許されません。許されませんが、目連さんのお母さんを責められる人は果たしているでしょうか。誰もいません。
縁あれば、人のものを奪い、殺してしまうこともある。人のものを奪っていない、人を殺したことがないのは、そうしてしまう縁に出遇ってないから。

自分の迷いに無自覚で、亡き人を迷わせている私。自分を良いものとして、他を責めてしまう私。
私自身のあり方がまったく「逆さま」なのです。しかも、その逆さまな状態に気付いていない。「逆さ吊りの苦しみ」に気付かずに生きているのです。
そのような私の姿に気付くということ。なかなかあることではありません。「お盆」は目覚めのきっかけを与えてくれる行事であり、もっと言えば、仏事全般が、私を映し出す鏡なのです。

「逆さま」な私を正しい姿に戻しましょうというのではありません。逆さまの苦しみを常に感じている私でいてほしい。苦しみ・痛みのないところに、人を想う気持ちは生まれません。

(7月号の寺報に載せた文章ですが、8月のお盆を迎えてブログにも掲載しておきます)

2006年8月12日 (土)

仏前結婚式

8月10日 つんく♂さんが京都の西本願寺で仏前結婚式を挙げられました。
おめでとうございます。

お寺って、お葬式やご法事だけをする所ではないんですよ。
結婚式も出来るのです。
玄関に仏前結婚式のポスターを貼ってあるのですが、若い門徒さんが何組か興味を示してくださいました。
 「私たちにもしてもらえるんですか?」
 「お寺で結婚式ができるんなら、すればよかった!」
西蓮寺ではまだご門徒の仏前結婚式を執行したことはありませんが、住職と私で式を執行させていただきます。
ご希望の方は、連絡ください。

子ども会を催しているお寺もあります。
西蓮寺では子ども会はやってませんが、近所に子ども会を開催されてるお寺もあります。
昨日も子ども会があったらしく、子どもたちが10名ほど仲良く散歩してました。
知った顔が何人かいたので、「あれ! 今日は子ども会?」と声をかけたら、「うん、そうだよ^^」って。
学年に関係なく、年長の子が年少の子の面倒を見ながら子ども会の活動をする。
子どもたちがとても楽しそうにしてました。

他にも聞法会とか青年会とか旅行会とか、お花やお茶を教えているお寺もあります。
菩提寺の活動を確認してみてください。楽しい会があるかもしれませんよ。

2006年8月10日 (木)

蝉の声

閑けさや岩にしみ入る蝉の声
                   松尾 芭蕉

台風が過ぎ、夏の暑さがぶり返して来ました。夏真っ盛りです。
蝉の鳴き声も真っ盛りです。
蝉の大合唱の中、境内の掃き掃除をしていました。

蝉は土の中で5~7年ほど幼虫時代を過ごし、地上に出て成虫となり、1~2週間過ごします。しかも、300個ほど産み付けられる卵の中から成虫になるのは、ほんの数匹だそうです。今泣いている蝉さんたちは、300近い兄弟のいのちも背負っているのですね。

「蝉のいのちは1~2週間。はかないですね」と言う方もいますが、なぜ成虫の時期だけを見ているのでしょう。幼虫時代も、立派に生きているのに。5~7年かけて成長しているのに。

見えない時期・部分って、「無いこと」にしてしまいがちですよね。
その見えない時期・部分があってこそ、今があるのに。

人間も同じ。
「とつきとおか」という時期を、お母さんのお腹の中で、一生懸命に生きているんですよね。成長を続けているんですよね。
それなのに、生まれたときは0歳。
「無いこと」にしているわけではないでしょうが、ほぼ一年のいのちを経て生まれてきたのだから、1歳から始まってもいいんじゃないかなぁ…なんて思うわけです。

0から育てる。
なにも無いところから育てるのは大変なこと。

1から育てる。
すでに土台は出来ている。1年の経験を大切にしてあげてください。
  
   
(おまけ)
現代の、生まれた時は0歳で、一年後の誕生日に1歳をカウントしていくのを「満年齢」と言います。
生まれた時を1歳と数えるのは「数え年」ですが、「数え年」は生まれた次の年の1月1日に1歳カウントされていきます。生まれた次の年の誕生日ではなくて。だから、みんな1月1日に歳を重ねていきます。
(もし私の理解違いでしたら、ご指摘ください)

生まれた時を1歳と数えて、次の歳の誕生日に歳を重ねていく数え方はないのかな? 自分の今の満年齢に1を足せばいいだけだけど。
  
<蝉の抜け殻です>  
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2006年8月 9日 (水)

私は殺した

平和運動は大事だ。平和運動は非常に大事だ。大事だけれども、平和運動をやる人間が忘れてはならないことばのひとつに、
「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。
 また害せじとおもうとも、百人千人を殺すこともあるべし」
                     (「歎異抄」第十三章)
ということばを肝に銘じて平和運動をやらなければ、
ほんとうの平和運動にならない。
 
                         武田 泰淳
      
1945年
 8月6日午前8時15分 広島に
 8月9日午前11時2分 長崎に原子爆弾が投下されました。

悪と善の対立は、大戦後61年経っても続く。収まるどころか、ますます拡大しながら。

「私のこころが正しくて殺さないのではない。
反対に、殺す気はなくても、100人1000人殺してしまうこともあるかもしれない」

あるかもしれないから「仕方がない」のではない。
殺さないように気をつけようというのでもない。
それは、自分を“善”に置いた発想。
戦いは、悪と善の対立ではない。善と善の対立。
自分は正しいという正義が、悪を設定する。悪を設定し、自分は善を気取る。そして、悪を叩く。
自分は人を傷つけないという善が、人を傷つける。
そして、自分をも傷つける。

すでに100人1000人殺されてきた歴史の上に立っている私であるという事実を忘れてはいけない。
事実に目を背け、事実に目を瞑った平和運動は、何も見えていないのだから。
  
   
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          <長崎平和公園 平和祈念像>


2006年8月 8日 (火)

オレンジ サイレンジ

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夕方6時半頃 窓いっぱいにオレンジが広がったので、外に出てみるとオレンジの空が広がっていました。
Ah ah なんかイイ感じ♪

あぁ無常

 今朝もまた覚めて目も見え手も動く
  あなありがたし今日の命よ

                     平沢 興

“無常”について語ると、“死”を連想させる。
 形あるものいつか壊れる
 栄えるものいつか滅びる
 生あるものいつか死ぬ
切ないですか? けれど、物事の道理であり、真実。
しかし、“無常”とは、形ある間も、栄えてる間も、生ある間も“無常”。
壊れ、滅び、死ぬことを“無常”というのではなくて、動くということも“無常”。
だからこそ目が覚め、目も見え、手が動くことに感動を覚える。

壊れ、滅び、死ぬことを指して“無常”というのなら、生と死がハッキリと分断されてしまう。
 形あるものが壊れたら役立たず
 勢いあるものが滅びたらお払い箱
 生は輝きあるもので、死は輝きを失うもの
 生はみずみずしいもので、死は枯れたもの
 生は清いもので、死は穢れたもの
分断した想いによって、態度をコロッと変えてしまう。
分断した想いによって、死を、亡き人をおとしめてしまう。
分断した想いによって、ありがたさを感じなくしてしまう。


 形あるものいつか壊れる
 栄えるものいつか滅びる
 生あるものいつか死ぬ
すべて延長線上のこと。
壊れるから、滅びるから、死ぬからこそ美しい。

2006年8月 6日 (日)

夏 長崎から

61年前の8月6日、広島に原爆が落とされました。
8月9日には長崎に原爆が落とされます。

戦争の哀しさ、平和への願いを込めて毎年8月6日に長崎でコンサートを開いている方がいます。
さだ まさしさんです。
今の時期、戦争や平和について考えます。本当なら「今の時期」だけだはなく、常に考え続けていなければいけないことなのですが、それでも何も考えないよりはましだとコンサートを開き続けてきました。

「広島では≪広島平和音楽祭≫というものが開催されているけれど、なぜ長崎には無いんだろうね?」と、さださんが友人に問うと、「お前がやらないからだ!!」と、長崎弁で言われたそうです。それがコンサートを開くきっかけになったとのこと。

坊守(母)が長崎出身という話は何度か書いてきましたが、そのせいかどうか、幼い頃から さださんの音楽に聞き馴染んできました。
コンサートは今年で20回目です。
まだ2回目か3回目の頃、夏休みで私が長崎に遊びに来てたので、親戚が整理券を手に入れてくれて、コンサートに行ったことがあります。
コンサート…無料なんです。ひとりでも多くの人と想いを共有したいということの表われなのかもしれません。
さださんの“無料”コンサートがまだ定着してなくて、そんなに広くない市営の広場で開催されてたと記憶しています。その後コンサートは定着し、広く知れ渡り、趣旨に賛同する歌手の方々が一緒に参加されるようになり、どんどん規模が大きくなっていきます。何回目からだろう、稲佐山という山の広い野外ステージで開催されるようになりました。

コンサートは今年で20回目です。そして、「FINAL」。最終回です。
「継続は力なり」と言いますが、継続していると それが当たり前のことになってしまい、当初の想いが薄れてしまう(なくなってしまう)ことがあります。やってる方も、参加している方も。
さださんもそういうことを感じられたのだと思います。
数日前の深夜、NHKでさださんの番組を放送してました。終わり頃に気付いたので、ほとんど見られませんでした(TT)
「コンサートが必要なのかどうか。当初の願いは達成できたのではないだろうか。
もし必要とされるのなら、また始めるし、役目を終えたのなら、ここで終わってもいい」
そのようなことを語られていました(もし受け取り違いでしたら、申し訳ありません)。
20年続けてきて、見直してみたくなったのでしょうね。あるいは、20年やってきたものがこれからどう動き出すのかを見てみたくなったのかもしれません。

継続してきたものを止めるのは、とても大変なこと。
でも、もっと大変なのことは、継続してきたものを一旦止めて、しばらくしてから さらに再開すること。
さださんはそんなこと百も承知だと思う。でも、とりあえず今年でコンサートを止める。
このことは、さださんの覚悟の表われでもあり、「次は君たちの番だよ」という想いのバトンリレーでもあると思う。
自分が出来る形で、戦争について、平和について考えていく、語り合っていく。
「君がやらないで誰がやるの?」 そういうメッセージだと想いました。

2006年8月 5日 (土)

現在を生きる

僕は「現在(いま)」を生きることに思いあがりたくないのです
 さだまさし「風に立つライオン」より

さださんのCDを聞いていて、耳の奥底に留まってしまいました。ということは、思いあがっているのかもしれない。

「現在を生きる」ことが当たり前のことになってないだろうか。

自分に正直に生きているだろうか。
自分に正直にというと、自分の欲求に正直にと勘違いしてしまうけど、そうではなくて、「いのち」に正直に生きているだろうか。
「いのち」を自分のものだと思っていると、「いのち」からの呼び掛けが聞こえない。

「いのち」からの呼び掛けに耳を澄ませて、現在を生きたい。

2006年8月 4日 (金)

夢を見ることが出来るのは

永遠に生きるがごとく夢を見ろ。
今日死んでしまうがごとく生きろ。

                 ジェームス・ディーン

夢は永遠。生は有限。
限りある いのち。
でも、悲観するもんじゃない。

時間をかけて紡いでいくものがたくさんある。
あなたにとって、人間関係? 仕事? 創作活動?
すぐに答を求めるものではない。あせらず、ゆっくりと。
夢は、期限をつくって見るものではない。

吸う息 吐く息の一瞬一瞬を生きている。それも真実。
だからといって、急いで結果を求めるものではない。
人生に遺したものなんて、後の人の判断に任せればいいこと。
なにを遺すかではない。どう生きるか。

永遠に生き続ける者に、夢を見ることはできない。
今日死んでしまうかもしれない いのち だから、夢を見続けることができる。

2006年8月 3日 (木)

明日ありと

明日ありと思う心のあだ桜
  夜半に嵐の吹かぬものかは

               親鸞聖人

8月の ことば の最後に親鸞聖人が詠まれた和歌を載せました(こちら)。
あえて直接の現代語訳は書きませんでした。そこまでの文章がすべて意味しているので。
でも、和歌を詠まれたときの状況を書いておきます。

親鸞聖人は、9歳のとき(1181年)に出家されます。出家の動機は明らかではありません。
親鸞9歳のある晩、京都 青蓮院の慈円和尚を訪ねます。
すでに夜も更けていたので、「得度の儀式は明日にしましょう」と慈円和尚は言います。
そのときに親鸞聖人は
明日ありと思う心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは
と詠まれました。

「この世は無常です。明日があると思っていると、夜中に嵐が吹き、美しく咲き誇っていた桜も 瞬く間に散ってしまうかもしれません。私の いのち も同じです。いつ尽きるか分からぬ いのち です。どうか 今晩のうちに、得度させてください」

出家を急いでいたというわけではなく、今を大切にしてのお姿なのだと思います。
1181年は、源平合戦が始まった頃でしょうか。現代の私たちとは比べものにならないほど、いのち について考えていた時代ではないでしょうか。

(余談1)
親鸞の歌ではないとか、9歳の子供がこんな歌を詠めるはずがないという説もあるのですが、そんなことはどうでもいいことだと思います(乱暴?)。
そもそも伝説って、怪しいものが多いです。真偽を確かめたら、そのほとんどが“偽”だと思います。でも、そういう伝説が残るというところにリアリティやロマンを感じます。
伝説が残されるべき人物であったということです。形にならない何かを残したからこそ、何かを感じたからこそ、伝説が生まれるのだと思います。

(余談2)
たとえ明日 この世の終わりが来ようとも、今日わたしはリンゴの木を植える
                                    ルター

ルターと親鸞は似ていると言われることがあります。

「宗教改革者である」
キリスト教・仏教、宗教は違うけれど、それぞれに改革をもたらしたと言われることがあります。
ご本人が聞いたら「そんなことはしてないです。キリストのことば(仏のことば)に従ったまでです」と言われそうな気がします。

「境遇が似ている」
今でこそ改革者と言われ、大切なお仕事をされた方であると讃えられますが、
当時としては とんでもないことをしてくれた人という認識が教会や朝廷にはありました。
つまりは大罪人。いのち の危険にさらされたり、流罪に処せられたりします。
そのような経験を通して、さらに独自の宗教観が構築されていく。そのような経緯を似てると評されることもあります。

「ただひたすら」
宗教というと、神や仏に祈り願う方が多数だと思いますが、その見返りを期待していませんか?
祈る・願う・念じる・お金を払う。これだけのことをしたのだから、より良い生活を・よりよい世界を・死後の安住をなどなど。見返りを求める信仰。
ルターや親鸞は 信仰に見返りを求めるたりしません。神に祈る・南無阿弥陀仏と念仏申す、私たちはそういう功徳をいただいているのであって、ただひたすら祈る(念じる)しかないのだと言われます。
求めるのではない、すでにいただいているのです。
   
   
似てるか似てないかはどうでもいいのですが(乱暴?)、
「2006年8月のことば」は文章を書いていて、ルターの ことば を 親鸞の ことば で〆てみたいなぁという気持ちになりました。

2006年8月 1日 (火)

2006年8月のことば

  Pict0154
  たとえ明日
   この世の終わりが来ようとも、
    今日わたしはリンゴの木を植える

                       ルター

《この世の終わり》とは、何を指すのでしょう。世界の終わりかも知れない。地球消滅・人類滅亡・日本沈没。そんなこと有り得ないと感じるか、まだまだ先のことと捉えるか。つまり他人事と思ってしまうのか。《この世の終わり》とは、そんな大きな話ではなく、私の いのち 尽きることを指しているのではないだろうか。

「未来のことが分かったらいいなぁ」って思ったことありませんか? ハッキリ分かっていることがあります。それは、死ぬということ。いのち あるもの必ずいつかは“死”を迎えます。しかし、まだ先のこととして考えている。まだ来てくれるなと敬遠して生きている。私の身に起きる明白な事実なのに、見ない振りをして生きている。

では、“死はいつ来るのでしょう。明日かもしれない、一年後かもしれない、数十年先かもしれない。いつか分からないことのようだけれど、息を吸って吐いて、次に吸うことがなかったとき、いのち は尽きる。吐く息吸う息の一瞬一瞬を生きている私。“死”は、明日でも、一年後でも、数十年先でもない。この呼吸の先に待っている。私の いのち は、吸う息吐く息の積み重ね。数十年後が、一年後が、明日が徐々に迫ってくるのではない。
他人事でもない、先の話でもない、まさに《たとえ明日この世の終わりが来ようとも》の いのち を生きている私。
そのような いのち を生きているからといって、《リンゴの木を植える》ことが無駄なことだろうか。愚かなことだろうか。それとも希望を求めて木を植えるのか。

無駄だとか愚かだとか思うのならば、なぜ生きるのか。

希望を求めて木を植えるというならば、“死”は絶望の象徴なのだろうか。

たとえどのような状況であろうとも、私は、今私ができる限りのことを精一杯する。リンゴの木を植える者もいる。木を植えたくても植えられない者もいる。植えても無駄だと判断して、植えない者もいるだろう。それぞれが私の想いを尽くしてのこと。私は、私の想いを生きるしかない。精一杯想いを尽くして生きるしか、私にできることはない。
しかし、木を植えるも、植えられないも、植えないも、私の想いのようでいて、私の想いを超えた“縁”というはたらきによるもの。“縁”を生かされている真実。想いのみで生きているのではない。“縁”という土壌があるからこそ、私は想いを生きられる。私の身に起こることは、すべて“縁”による。運命論でも、諦めでもない。シッカリと立っていられる“縁”という土壌があるからこそ、私は想いを生きられる。
だからこそ、いつ訪れるか分からない“死”に向かって、絶望せずに生きていける。
敢えて希望を求めずとも、“死”を内包したまま生きていける。なにも心配はいらない。死ぬまで生きているのだから。

植えられたリンゴの木は、懸命に生きよう生きようとすることだろう。「どうせ明日でこの世は終わり。生きることに意味はないさ」なんてこれっぽっちも思うことなく。
植えた私にも大切な仕事がある。リンゴの木を育てるという仕事が。その仕事を、明日でもいいやと言って、先に延ばしますか?  吸う息吐く息の一瞬一瞬の いのち を生きている私なのに。次の瞬間には何が起こるか分からぬ生を歩んでいるのに。

 明日ありと思う心のあだ桜
  夜半に嵐の吹かぬものかは

               親鸞聖人

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