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2006年7月28日 (金)

蜘蛛の糸

午前中、境内の植木の剪定をしていました。70ℓのゴミ袋5袋分切りました。通路や庭がスッキリしました。
勢いよく木を切りまくっていたら、蜘蛛の巣に思いっきり突っ込んでしまいました。
蜘蛛の巣って、なかなか取れないものですね。いつまでもくっついてる感じがします。
せっかくの芸術作品なのに、蜘蛛さんごめんなさいね。

剪定を続けながら思い出したのが芥川龍之介の『蜘蛛の糸』

人殺しの罪で地獄に堕ちて苦しむ カンダタ。
彼は生前あらゆる罪を重ねてきましたが、一匹の蜘蛛を助けたことがある。その行いに免じて、お釈迦さまはカンダタを極楽へ導いてあげようとします。そして極楽に住む蜘蛛の糸を地獄に向けて垂らします。
彼の目の前に極楽から蜘蛛の糸が一筋垂れてきます。
カンダタは糸を握り締め、のぼり始めます。高いところまでのぼってきてふと下を見下ろすと、地獄で一緒だった罪人が我も我もとのぼってきます。
驚いたカンダタは叫びます。
「この糸は俺のためのものだ。誰にことわってのぼってきてんだ!!」
その瞬間、蜘蛛の糸はカンダタの手元からプツッと切れてしまい、カンダタや罪人たちはまた地獄へ堕ちてしまいました。
  
こんな内容でしたよね。私が小学生のときの国語の教科書に載っていました(今はどうなんだろう?)。
で、感想文を書かされると、ほとんどの生徒が「カンダタは自分だけ助かろうとするなんてひどい奴だ」って書くわけです。私もそのように書いたのを覚えています。
そこで先生は言います。
「でもね、自分がカンダタと同じ立場になったとき、みんなならどうする? 今にも切れそうな蜘蛛の糸を、みんなで一緒にのぼろうって言える? やっぱり、自分だけ助かろうって考えてしまうんじゃないかなぁ。自分がその立場になったとき、なにをしてしまうかわからないものですよ。カンダタだけを責められないですよ」
(授業のこの光景は よく覚えているのです。何ででしょう?)

出会う縁によって、人はなにをしてしまうか分からないもの。
よくないことと思っていても、そうせざるをえないときには してしまうもの。
いいことだと思ってはいても、縁がなければ しないもの。
自分の こころ が正しいから 悪いことをしないのではない。

昨日の「なぜ人を殺してはいけないのですか?」が頭の中に残っていたので、剪定・掃除をしながら、『蜘蛛の糸』を思い返していました。「なぜ?」に応えるものではないでしょうか。
 
 
『蜘蛛の糸』を読み返してみようと本棚を探したのですが見つからず、ネットで検索してたら「青空文庫」で読むことが出来ました。ありがとうございます。


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コメント

「出会う縁によって、人はなにをしてしまうか分からないもの。よくないことと思っていても、そうせざるをえないときには してしまうもの。いいことだと思ってはいても、縁がなければ しないもの。自分の こころ が正しいから 悪いことをしないのではない。」あたしはそういう考え方は嫌だなあ。もし、もし、そうだとしたら、あたしは憎しみによって今頃ひと道を踏みはずしていることでしょう。そうしていないのは、そうなりたくない、という強い信念があるからです。
縁でかたずけるけるのなら、運命という言葉に甘えた怠惰だと思うのです。ひとには知性と理性があるがある。どんな状況でも、周囲や自分いろんなことを総合して最善をつくせるからこそ人間だと思います。
そうなったら、そうしてしまう気持ちもわからなくもない、けれど、そうならないためにも常に最善策を考える、状況や運命というコトバにまどわされない芯の強さが必ず人間にはあると思います。それを常日ごろから磨くことが本当に真剣に生きるということのような気がします。

昨日、「白骨の会」のお題について考えていた時
私の頭の中にあったのは、在宅での高齢者介護(看護)の事でした。自分の、大切な身内の介護に精魂疲れ果てて、自らの手で人を殺めてしまった人達の心情は、どうだったのだろう 計り知れない程、どんなに苦しんだろう 自分だったらどうするだろう 自分だったら苦しみから逃れるために何を望むだろう 自分の為に苦労をしている介護者の姿を見て
何を考えるだろう。 今まで自分自身体験した事はないけれど、何を思うだろう・・   

☆月子さん こんばんは
コメントを読んで、「なるほどなぁ、そう思うよなぁ」って考えていました。
やっぱり、自分で考えて生きていますよね。
私は想いを抱え、自分で考え、決断して歩む道を進んでいます。
でも、それが良い方に進んだり、悪い方に転がって行ったりします。
それは、ひとりで生きていないから。たくさんの人との関わりの中を生きているから。たくさんの人・たくさんの出来事が幾重にも重なって、私の生きる道が成り立っている。
運命論やあきらめとして「縁」を語ったんじゃないんです。
私が出来ることは「想いを生きる」こと。想いを生きられるのは、縁を生きているから。

☆teruさん こんばんは
teruさんの悩み、私も同じようなことを考えたことがあります。いや、今も考えます。
達観してブログを書いて、みんなに「こうですよ!」「これが正しいんですよ!」って示してるんじゃなくて、迷い迷ってフラフラしています。
でも、悩む道を与えていただいてるんだろうなって思います。そうでなかったら、普段人の生き死にについて考えることもなかったでしょう。
答がない道。それが「生きる」ということなんだと思っています。

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