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2006年7月27日 (木)

白骨の会

昨日、第1回 西蓮寺仏教青年会を開催しました。
名付けて「白骨(はっこつ)の会」

発題者を決めておいて、発題者の発題を基に参加者が自分の思うとことを語り合います。発題の内容は、発題者によって まったく異なります。発題者が今興味があること・学んでいること・疑問に思っていること・知りたいこと・聞いて欲しいことなどです。

昨日は私が発題者。 内容は、

「なぜ人を殺してはいけないのですか?」と高校生が問うたことをきっかけに、それについていろいろな方が自分の見解を語っているけれど(本を数冊提示)、みんな「自分は人を殺さない」という前提で語っているような気がする。自分は殺した、自分は殺すかもしれないというところに立って考えることが必要なのではないでしょうか。
文章で書くと、「?」「!」って感じかも知れないけれど、昨日は別の青年会で知り合った方が参加してくださったので、スムーズに話が流れていきました。

こうやってみんなで話すことを座談といいます。
座談の結果 結論を導こう、解決を見出そうというのでありません。
自分が頭の中で考えていることって、実は狭い狭いこと。でも、みんなの話を聞いていると、いろいろな考え方ができるんだなぁってことが実感できる。乾いた砂に水がしみこむように。
納得できること、目からウロコってこともあれば、「そうかなぁ?」ってこともあるけれど、そこから自分の好みで取捨選択するのではなく、引き出しが増えていく感じ。

話を聞く・論破しようとしない・嘘をつかないを最低限のルールに定めております。
仏教青年会と名乗ってますが、青年っていくつだろう? 年齢制限は特にないです。

次回は8月25日(金)午後6時~9時 西蓮寺にて
参加してみたいなぁって思った方、お待ちしております(昨日の発題内容を読んで、参加したいって思うかなぁ?)。
  
  
(ちなみに)
本願寺8代目の蓮如上人は「談合」を勧められました(参考)。
「談合」とは本来、今日紹介したような「座談」のこと。仏法を聞いて、自分の聞法理解を語り合う場。
こんにち「談合」って言ったら、悪だくみする場のように勘違いされてしまいますが。

ちなみに、その蓮如上人が越前の吉崎に聞法の道場(吉崎御坊)を建てられたのが
1471年7月27日だそうです。
2006年7月26日 「白骨の会」開催…なんて書くと恐れ多いですね。
 
  
(おまけ)
「白骨の会」という名前の由来は、
「髑髏会(どくろかい)」というよそのお寺の仏教青年会が休会することになったことをきっかけとして西蓮寺で仏教青年会を開くことになりました。
「白骨の御文」という蓮如上人が書かれた大切なお手紙があります。
で、山さんとこの髑髏会だから「白骨の会」と名づけてみました。
安易?


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コメント

なかなか興味深い「談合」ですね、
第一回のお題の内容も、簡単に答えが見つかりそうでいて、 しかし考えれば考えるほど 迷宮に入って悩みます・・自分の引き出しの数を増やす良い機会ですね、都合を合わせる事が出来たら是非参加してみたいです!

☆teruさん こんばんは
答はないし、問い続けていくことが答かもしれない。
でも、このような問いが出てくるのは、切迫感や緊張感がないから。
切迫感や緊張感…戦争など。つまり、相手を殺さなければならない状況に置かれた時は殺してしまうかもしれない。殺してないのは、そういう状況にないから。
状況と書いたけど、「縁」ということ。
出あう縁によって何をしてしまうか分からない私…すでに親鸞聖人が教えてくださっていました。

ご都合つきましたら、ぜひご参加ください。お待ちしております。
私もかなり引き出しが増えました。

「自分は殺した、自分は殺すかもしれないというところに立って考えることが必要なのではないでしょうか。」というコトバにとっても共感。。。
ひとって本当にあやうい場所にたって生きていると思う。どんなにいい人でさえも、ココロにはいつも、最善のものと最低のなにかがあって、なにかのはずみで、踏み外すこともあると思うのです。
だからこそ、そうならないように普段からココロや知性を磨きあげておかなければならないと思っています。いざ、というときそれはきっと発揮できるから。だから自分では、自分の生き方に責任を持っていきたい、と思ってます。でも、いろんな意見をきけて視野が広がるってステキですね。物事を多面的に見れるひとってステキだとおもいます。^^

☆月子さん こんにちは
「ひとって本当にあやうい場所にたって生きていると思う」
私もそう思います。そんなあやうい場所をフラフラ フラフラしながら立っている。次の一歩をどっちに踏み出してしまうか分からないものです。
で、踏み出した方を歩み続けるしかない。踏み出した足がどんな方向を向いていようと、それまでの歩みが、それからの歩みが私を成り立たせる。
なんて思うのです。

よその仏教青年会に顔を出すようになって、自分と違う考え方を聞けるようになって、自分の知ってることなんて ちっちゃい ちっちゃいことなんだなぁって思い知ることが出来ました^^

かつさん、仏青立ち上げおめでとうございます。どういういきさつがあったか聞きました。何はともあれご縁ですね。
遠いので参加することは難しいですが、機会があれば「白山さんの髑髏会」行ってみたいです。
うちの蝙蝠会にも良かったらきてくださいね。

☆蝙蝠さん こんにちは
ありがとうございます
ホント、ご縁だなぁと強く感じております。
髑髏会に参加してなければ、西蓮寺で仏青が開かれるご縁はなかったと思います。
髑髏会に出るまでに、私自身いろいろなことがあって…。でも、そのいろいろのおかげで髑髏会に参加できて、今の仲間にも出会って。人生、無駄なことはないんだなぁ。踏み出したまま歩むしかないんだなぁって思います。

「髑髏会」に「蝙蝠会」に「白骨の会」
何の集まり?!って感じですね^^

「仏青」の始動、おめでとうございます。「談合」の場を開くというのは素晴らしいことだと感じます。熟年層が殆どの「聞法会」でも(私は若いつもりなのですが?)、かつさんの法話の後で短時間でも談合を持つことができればいいなと感じます。
初回から「宿業」という仏法の根幹に切り込みましたね。私の答えは「南無阿弥陀仏だけ」です。

「青年」からは遥かに遠ざかった、白骨がまじかの「まつ」より。

☆まつさん こんばんは
ありがとうございます。

「聞法会」でも「談合」を…
法話の後のお茶の時間を利用して「談合」いたしましょうか。「談合タイム」って。

「聞法会」と「白骨の会」、楽しい時間が出来ました。


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