« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »

2006年7月

2006年7月31日 (月)

自己肯定=自我崩壊

前述の高浜虚子の俳句の こころ を受けて、種田山頭火は次のように詠います。

  クモは網張る私は私を肯定する

自分が生きるために網を張り、他の いのち を捕まえ、いただかなければならない。クモだけの話ではない。他の いのち を犠牲にして成り立っている私の話。

私は私を肯定する
そんな生き方を「仕方ないじゃないか」「みんな同じことをしている」「なにが悪いんだ」と肯定して生きるということではありません。
かといって、そんな生き方を否定しようというのでもない。「生き物の いのち を奪うのはかわいそう」「水と野菜だけで生きていきます」という傲慢。生態系の中を、食物連鎖の中を生きていることを無視して生きようとする私のせいで、すべての関係性を崩してしまう。

どれだけの哀しみを持っていても、避けられない生命の現実。
いや、生命の現実に哀しみを持って生きているだろうか。
この現実に対する哀しみが「私は私を肯定する」姿。
   

自己肯定=自我崩壊   
自己肯定とは、「私は正しい」ということではない。
私が「正しいこと」「悪いこと」と判断していることが、思い込んでいることが、足元からひっくり返されること。
「仕方ないじゃないか」「みんな同じことをしている」「なにが悪いんだ」「生き物の いのち を奪うのはかわいそう」「水と野菜だけで生きていきます」という我執が崩壊すること。
私が「正しいこと」「悪いこと」と判断し、思い込んだりするまでもなく、いのち の歴史の中を生かされている。いのち の歴史の中で、我執なんてちっぽけなこと。私の想い・自我に関係なく、いのち の歴史は流れている。その流れの中を生かされている。
自我が崩壊してこそ、私は私を肯定できる。

2006年7月29日 (土)

クモの網

クモに生まれ網をかけねばならぬかな
                  高浜 虚子

昨日は 芥川 龍之介の『蜘蛛の糸』を思い返し、蜘蛛の糸に自身をさらけ出してしまう
カンダタ(私)のことを思ってました。
今日は、高浜 虚子の俳句を思い返しています。

クモは糸を出し網を張り、他の昆虫を捕まえて、その いのち を ちょうだい しています。
「クモ」とは、私のことです。
人として生まれ、人として生きるために、さまざまな方法で 他の いのち を ちょうだい している。生きていくうえで避けることが出来ないことです。
   
   
クモ網を張るが如くに我もあるか
                   高浜 虚子

虚子は、このような人間の姿をクモになぞらえて俳句を詠んでいます。
クモが網を張って 他の いのち をいただくように、私も他の いのち をいただかずには生きられない存在なのだ、と。
でも、蜘蛛は必要以上に いのち を奪うでしょうか。他の生命体もそうです。自分が必要とする以上に食料を確保する、他の いのち をちょうだいすることはなかったと思います。
あまるほどに食料を確保する。そして、そのほとんどを無駄にしてしまう。
「もったいない」の記事でも書きましたが、ものが足りないときに有り難さを感じるのは簡単なこと。あまっているときに 有り難さを感じられますか?
少しでも多くの餌が捕れるように網を強くしたり、大きくしたり、そんなことに腐心してしまいそうですね。ヒトクモは。

それから、同種の いのち を奪う生き物が ヒトの他にいるのでしょうか?
網に引っかかって もがいているのは、実は私自身なのかもしれない。

2006年7月28日 (金)

蜘蛛の糸

午前中、境内の植木の剪定をしていました。70ℓのゴミ袋5袋分切りました。通路や庭がスッキリしました。
勢いよく木を切りまくっていたら、蜘蛛の巣に思いっきり突っ込んでしまいました。
蜘蛛の巣って、なかなか取れないものですね。いつまでもくっついてる感じがします。
せっかくの芸術作品なのに、蜘蛛さんごめんなさいね。

剪定を続けながら思い出したのが芥川龍之介の『蜘蛛の糸』

人殺しの罪で地獄に堕ちて苦しむ カンダタ。
彼は生前あらゆる罪を重ねてきましたが、一匹の蜘蛛を助けたことがある。その行いに免じて、お釈迦さまはカンダタを極楽へ導いてあげようとします。そして極楽に住む蜘蛛の糸を地獄に向けて垂らします。
彼の目の前に極楽から蜘蛛の糸が一筋垂れてきます。
カンダタは糸を握り締め、のぼり始めます。高いところまでのぼってきてふと下を見下ろすと、地獄で一緒だった罪人が我も我もとのぼってきます。
驚いたカンダタは叫びます。
「この糸は俺のためのものだ。誰にことわってのぼってきてんだ!!」
その瞬間、蜘蛛の糸はカンダタの手元からプツッと切れてしまい、カンダタや罪人たちはまた地獄へ堕ちてしまいました。
  
こんな内容でしたよね。私が小学生のときの国語の教科書に載っていました(今はどうなんだろう?)。
で、感想文を書かされると、ほとんどの生徒が「カンダタは自分だけ助かろうとするなんてひどい奴だ」って書くわけです。私もそのように書いたのを覚えています。
そこで先生は言います。
「でもね、自分がカンダタと同じ立場になったとき、みんなならどうする? 今にも切れそうな蜘蛛の糸を、みんなで一緒にのぼろうって言える? やっぱり、自分だけ助かろうって考えてしまうんじゃないかなぁ。自分がその立場になったとき、なにをしてしまうかわからないものですよ。カンダタだけを責められないですよ」
(授業のこの光景は よく覚えているのです。何ででしょう?)

出会う縁によって、人はなにをしてしまうか分からないもの。
よくないことと思っていても、そうせざるをえないときには してしまうもの。
いいことだと思ってはいても、縁がなければ しないもの。
自分の こころ が正しいから 悪いことをしないのではない。

昨日の「なぜ人を殺してはいけないのですか?」が頭の中に残っていたので、剪定・掃除をしながら、『蜘蛛の糸』を思い返していました。「なぜ?」に応えるものではないでしょうか。
 
 
『蜘蛛の糸』を読み返してみようと本棚を探したのですが見つからず、ネットで検索してたら「青空文庫」で読むことが出来ました。ありがとうございます。


2006年7月27日 (木)

白骨の会

昨日、第1回 西蓮寺仏教青年会を開催しました。
名付けて「白骨(はっこつ)の会」

発題者を決めておいて、発題者の発題を基に参加者が自分の思うとことを語り合います。発題の内容は、発題者によって まったく異なります。発題者が今興味があること・学んでいること・疑問に思っていること・知りたいこと・聞いて欲しいことなどです。

昨日は私が発題者。 内容は、

「なぜ人を殺してはいけないのですか?」と高校生が問うたことをきっかけに、それについていろいろな方が自分の見解を語っているけれど(本を数冊提示)、みんな「自分は人を殺さない」という前提で語っているような気がする。自分は殺した、自分は殺すかもしれないというところに立って考えることが必要なのではないでしょうか。
文章で書くと、「?」「!」って感じかも知れないけれど、昨日は別の青年会で知り合った方が参加してくださったので、スムーズに話が流れていきました。

こうやってみんなで話すことを座談といいます。
座談の結果 結論を導こう、解決を見出そうというのでありません。
自分が頭の中で考えていることって、実は狭い狭いこと。でも、みんなの話を聞いていると、いろいろな考え方ができるんだなぁってことが実感できる。乾いた砂に水がしみこむように。
納得できること、目からウロコってこともあれば、「そうかなぁ?」ってこともあるけれど、そこから自分の好みで取捨選択するのではなく、引き出しが増えていく感じ。

話を聞く・論破しようとしない・嘘をつかないを最低限のルールに定めております。
仏教青年会と名乗ってますが、青年っていくつだろう? 年齢制限は特にないです。

次回は8月25日(金)午後6時~9時 西蓮寺にて
参加してみたいなぁって思った方、お待ちしております(昨日の発題内容を読んで、参加したいって思うかなぁ?)。
  
  
(ちなみに)
本願寺8代目の蓮如上人は「談合」を勧められました(参考)。
「談合」とは本来、今日紹介したような「座談」のこと。仏法を聞いて、自分の聞法理解を語り合う場。
こんにち「談合」って言ったら、悪だくみする場のように勘違いされてしまいますが。

ちなみに、その蓮如上人が越前の吉崎に聞法の道場(吉崎御坊)を建てられたのが
1471年7月27日だそうです。
2006年7月26日 「白骨の会」開催…なんて書くと恐れ多いですね。
 
  
(おまけ)
「白骨の会」という名前の由来は、
「髑髏会(どくろかい)」というよそのお寺の仏教青年会が休会することになったことをきっかけとして西蓮寺で仏教青年会を開くことになりました。
「白骨の御文」という蓮如上人が書かれた大切なお手紙があります。
で、山さんとこの髑髏会だから「白骨の会」と名づけてみました。
安易?


2006年7月26日 (水)

もったいない

ケニア副環境相のワンガリ・マータイさんは言われました。
「“もったいない”という素晴らしい ことば が日本にはある。この“もったいない”の精神こそ、地球環境を考えるのに大切な ことば である」

「もったいない」
「もったい(勿体)」とは、物の本質・あるべき姿。それが「ない」のだから、物事を生かしきっていないとか、本来のはたらきをしていないとかいう意味になります。そこから派生して「惜しむ」という意味も出てきました。

身の回りに「もったいない」使い方をしているものはありませんか?
身の回りの品物 水・電気・ガスなどの資源 それに…人
もったいないことをしていたなぁって思っていただけたら、大切にしてくださいね。

「もったいない」
数や量が少ないものを無駄遣いしているときや、
なかなか手に入らないものが手に入ったときに「もったいない」と思うことは簡単だけど、
身の回りに溢れているときや、
ある(いる)のが当たり前の状態になっているときに「もったいない」と思うことはかなり難しい。
減り始めてから、無くなってから、いなくなってから「もったいない」と思っても、そのときには遅すぎます。
日々「もったいない」の気持ちで生きていたいものです。


私のそばにいてくれて、もったいないことです。ありがとう^^


2006年7月25日 (火)

夏ほととぎす

先日、良寛さんの辞世の歌をご紹介いたしました(こちら)。

  形見とて 何残すらむ
  春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉

                      良寛

この歌が こころ に残っていたためか、次の歌が目に飛び込んできました。

  春は花 夏ほととぎす 秋は月
  冬雪さえて すずしかりけり

                      道元

「春の花・夏のほととぎすの声・秋の月・冬の雪、いずれもみなそれぞれにさわやかで美しい」

良寛さんは 1758~1831年の方
道元さんは 1200~1253年の方

道元さんが詠まれた歌に こころ 打たれ、良寛さんも辞世の歌に引用されたのでしょうね(あくまで私の想像ですが)。

良寛さんの歌をアップするときに、「冬」は何かな?と思っていました。
道元さんが「冬の雪」と詠まれている。 良寛さんも、「冬の雪」を想いながら詠まれたのでしょうね(俳句や和歌の世界では常識のことなのかもしれませんが)。
「秋」を、道元さんが「月」と詠まれたのに、良寛さんが「もみじ葉」と詠まれたのは、字数を揃えるためでしょうね。「月」も「もみじ」も光景が目に浮かびます。
   
   
日本の四季をあらわす素敵な二首に出会うことが出来ました。
で、この二首を紹介したかった想いもあるのですが、道元さんの歌に出会えたのは、良寛さんの歌が こころ に残っていたから。
なんの想いも考えもないところには、なにも響かないものです。こころ に何か想いがあるから、ことば が引っかかってくれる。
道元さんも良寛さんも、日々想いの中を生きていらっしゃった。だから、四季それぞれの美しさが こころ に写し込まれていた。
日々の想いは、感動を与えてくれる。人生に彩を添えてくれる。そう思うのです。

2006年7月24日 (月)

ご無事を念じております

全国的に、特に九州地方に大雨の被害が出ています。
こんなに梅雨らしく雨が降るということもここ数年なかったような気がします。
大雨の被害のニュースを聞くと、思い出すことがあります。

1982年7月23日 長崎で死者・行方不明者299人を出す大水害が起こりました。
当時小学5年生だった私は、夏休みを利用して ひとり 母の実家(長崎市内)に遊びに来ていました。
親戚と一緒に 浜の町アーケード街で買い物をし、夕飯を食べているときでした。
雨が降り始め、夕飯も早々に切り上げ、家に戻りました。家に着いてから雨足がひどくなってきました。家の前の道を、川のように水が流れていきます。
長崎の坂を滝のように雨が流れていきます。
観光名所の眼鏡橋がかかる中島川は あっという間に氾濫し、川にかかる石橋群も、川沿いに立つ家々もどんどん流されていきます。
昼間、買い物をしていた浜の町アーケード街のお店も、1階部分がまるまる水に浸かってしまいました。たしかアーケード街の柱に、最高水位を示した表示がしてあったと思います。
今考えると、夕飯を食べたお店で雨宿りをしていたらアウトでした。
      
      
今降っている雨の被害もひどいものですが、降り続いてのもの。
長崎の水害は、一晩で降った雨による被害。どれだけの量が降ったんだろうと、今さらながら背筋がゾッとします(調べたら、一時間に187㎜降った地域があったそうです)。

増水している川のそばに行ったり、雨漏りを直すために屋根に上ることは謹みましょう(そう言ってる私こそ、そういうことをしてしまうので 危ないのですが)。
みなさまのご無事を念じております。
    
   
Pict0029
<眼鏡橋>
水害による傷跡も今では復興していますが、傷は忘れてはいけないと思うのです。 

2006年7月23日 (日)

責任を生きる

罪を犯したら、責任をとります。
責任の取り方は人それぞれ。

一生かけて償うつもりで責任を負う人もいる。
心の底から謝る人もいる。
謝って済まそうとする人もいる。
謝っている振りだけの人もいる。
謝らない人もいる。
みんなやっていること と自分だけが悪いんじゃないと言い逃れする人もいる。

責任の取り方は人それぞれ。
でも忘れてはいけないことは、どんなに謝っても、どんなに逃げても、犯した罪は消えないということ。
許してもらえる、風化する、笑い話に転化することはあっても、罪を犯したという事実は消えない。つまり、忘れてはいけない。

法を犯した罰ならば、刑に服するか、時効を待てば償ったことになる(なってしまう)。
たまたまバレなくて、たまたま捕まらなくて、罪を償わずに済んだ人がいたとする。
刑事罰を受けるほどではなくても、人には言えないことをした人がいたとする。
「もう時効だから言うけど…」
なんて自らご丁寧に断りながら、自分が しでかしたことをしゃべる人がいる。笑い話・昔話のように。でも、時効なんてないから。自分で決めることじゃないから。
もし“時効”という言葉を使いたいのならば、それは生きている間ずっと。いや、死んでもずっとかもしれない。

追い詰めるようなことを考えすぎだろうか。
「罪を犯したら、責任をとります」なんていうと、自分には関係ないことと考えてしまう。でも、特定の誰かの話ではない。私自身の話。
罪を犯すといっても、法的なことだけじゃない。
人の こころ を傷つけること。人の存在に気付かないこと。私がいること。なんてことも罪・罪・罪。

罪を犯しながら生きているのが私なら、責任を背負いながら生きるのが私。
生きるということに責任があるということ。

その責任の自覚において、ためらうことなく仏法・真理を求めることができる。
責任回避や滅罪のために仏法・真理を求めるものではない。

2006年7月21日 (金)

ものもらい

右目に「ものもらい」が出来てしまいました。
腫れは引きましたが、まだ少し鬱陶しいです。

小さいとき、ものもらいが出来ると、
「誰かにものをもらったんじゃないの?」
なんて言われませんでしたか?

もちろん、ものをもらって「ものもらい」が出来るわけはないけれど、
人からもらってうつるから(感染するから)「ものもらい」って言うようになったのかな なんて思ってました。

でも、逆のようです。
「ものもらい」が出来たら、それを治すためにご近所に物乞いをする習慣があったようで、
そこから「ものもらい」と名付けられたようです。
当然「ものもらい」という病名はなく、「麦粒腫(ばくりゅうしゅ)」と言うそうです。

ちなみに、京都に住んでいた時に「ものもらい」が出来たとき、
「あっ、メバチコだ!」
と言われたので、なんのことか分からなかったし、ビックリしました。
「メバチコって、なに!?」。
関西圏では「ものもらい」より「メバチコ」が一般的です。

それから、
「ものもらい」は感染しやすいと思われてますが、感染はしないそうです。

寝不足と、気候不順の折になりやすいそうなので、みなさん お気をつけください。

2006年7月20日 (木)

形見

私が死んだら、何が遺るだろう
…そんなことを ふと 思った

なんてことを考えているときに、目に飛び込んできた ことば

 形見とて 何残すらむ
 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉

                      良寛

私が亡くなった後に、形見として残せるものはなにもない。
しかし、春には梅や桜の花が咲き、
夏にはホトトギスの鳴き声が響き渡り、
秋には紅葉した葉がヒラヒラと散る。
私がこの世を去った後も、
自然は相変わらず美しくあり続けてくれる。
これ以上の形見はないことだろう。

良寛さんの時世の歌と言われています。素敵です。

地位・名誉・財産をどんなに築き上げたって、あの世には持って行けない。
遺された者にとっても、なんの意味もない。
争いを生むことはあっても、自然の美しさに心奪われる一瞬は生まれはしない。

何が遺るだろうか 何かを遺そう 
傲慢ですね。
亡き後、自然に返る。その自然が美しい風景を描いてくれる。
これ以上、何が遺せるというのだろう。


2006年7月19日 (水)

仏の顔も三度

7月15日に「枯れ木でも親族の木陰は涼しい 」という記事を書きました。

この、お釈迦さまとカーサラ国王のやり取りを由来として「仏の顔も三度」という諺ができたそうです。

今日、「仏の顔も三度」といったら、
「どんなに優しい人でも、失礼なことをしても笑って許してくれるのは3度までですよ」
という意味で使われますよね。

そのためか「仏の顔も三度まで」と間違って覚えている方もいるではないでしょうか。

でも、15日の記事を読んでいただければ分かると思うのですが、
お釈迦さまは3度まで許して、4度目に怒りが爆発したわけではありません。
カーサラ国4度目の出兵の折、お釈迦さまが
「テメエラ、これだけ言っても分からないのか!!」なんて怒って、弟子やカピラヴァスツの民衆を伴って兵を挙げたというのなら「仏の顔も三度」ですけど^^;

お釈迦さまは、母国滅亡を避けられぬ因縁であると悟っていたと思います。
だけど、黙って見ていることも出来ず、カーサラ国王を諭すわけです。
でも、カーサラ国3度目の出兵の折、逆らうことが出来ない因縁を受け入れたのではないでしょうか。

悟りとは、つらいものなのかもしれません。
私たち、「先のことが分かったらなぁ」なんて思うこともありますが、先のことが分かったら つまらないですし、知った内容が哀しい出来事だったらどうしますか? そこから避けられないんですよ!
私たち、先のことが分からないから 希望を持てるのだと思います。先のことが分からないから 一生懸命になれるのだと思います。先のことが分からないから 生きられるのだと思います。

お釈迦さまは、すべてを見通されていた。それ故に苦しまれた。
形あるものはいつか滅びる。
そんな分かりきったことを受け入れるのに、カーサラ国3度の出兵が必要だった。

悟りを得た人であっても、物事の道理を知った人であっても、すべてお見通しの人であっても、現実を受け入れるのは容易ではない。
生きるとは、悟ってもなお苦しみの連続。悟って楽になるのではない。
「仏の顔も三度」…受け容れ難い人生を受け容れて 生きていく。
そんなことを教えてくださっているように感じます。


(補足)
15日の記事では、
お釈迦さまは2度までカーサラ国の出兵を阻止して、3度目は阻止することをやめたと書きました。
だから、「仏の顔も二度」ですよね^^

参考にする文献によって、二度だったり、三度だったりするので、そこは気にしないでください。
この故事のサンスクリットを読む力があればいいのですが…^^;

2006年7月17日 (月)

滅亡の背景

お釈迦さまの生まれた国カピラヴァスツを滅ぼそうと企むカーサラ国王がいました。

国を滅ぼす…とても大変なことです。とてもパワーがいることです。
何が王を、お釈迦さまの母国滅亡に駆り立てたのでしょうか。

領土拡大?
いえ、そうではないようです。

お釈迦さまの母国を滅ぼしたカーサラ国王のお母さんは、実はお釈迦さまの母国 カピラヴァスツから嫁いできました。そんな大切な国を、どうして滅ぼしたのでしょうか。

カーサラ国は絶大な武力を背景に栄えていました。
ある時、隣国のカピラヴァスツに、王女を嫁がせるように遣いを出します。
カピラヴァスツの王や家臣たちは、その縁組を快く思いません。武力にものをいわせる国に、王女を嫁がせるわけにはいきません。かといって、断れば武力を盾に出兵してくるのは分かりきっています。
そこでカピラヴァスツの家臣は、国内で美しいと評判の娘をカーサラ国に嫁がせることにします。実は娘は、卑しい身分と蔑まれていました。身分を偽って、カーサラ国に差し出されたのです。

やがて、娘とカーサラ国王との間に王子が生まれます(その王子がカピラヴァスツを滅ぼします)。
王子が8歳のとき、父王は言います。
「お前も王子として、射術を身に付けなくてはいけない。お母さんの生まれた国に行き、射術を習ってきなさい」
王子は、生まれて初めて 母の母国カピラヴァスツに行きます。

ところが、王子は軽蔑の眼で迎えられます。
「卑しい身分の娘から生まれた息子だ!!」
王子は、自分が生まれた経緯を知ることとなります。
このとき、王子はカピラヴァスツを滅ぼすことを誓い、王位を継いでから出兵したわけです。


武力を盾に縁組を迫った国
自国を守るために嘘をついた国
どちらが正しくて、どちらが悪いという話ではありません。
そんなことを論じても、お互いが自己の正当性を主張するだけのことです(現在の、どこかしらの国々と似てます)。

お釈迦さまは今から2500年ほど前の方。
その頃と今と、やっていることに違いはない。
でもこれって、国と国との問題だけではない。
私と誰々と言っても同じこと。

実際に 殺されてしまう(殺してしまう)ほどの争いには発展しなくても、このような争いで神経すり減らしていませんか? かけがえのない いのち を無駄にしていませんか? 滅亡への道を自ら歩んでいる私。

2006年7月15日 (土)

枯れ木でも親族の木陰は涼しい

暑い日が続きます。
電車に乗ったり、建物の中に入って クーラーの涼しい風にあたりますと、生き返ります。
で、外に出るときは 入る前以上に蒸し暑い空気を感じます。

東京では、涼む時には 乗り物や建物の中に入ります。
木陰で休むということはないですね。
  
  
枯れ木でも親族の木陰は涼しい
は、お釈迦さまの ことば です。

お釈迦さまがお生まれになった国カピラヴァスツは、隣国のコーサラ国に滅ぼされてしまいます。
夏の灼熱の盛りだったといわれています。

お釈迦さまは、自分の生まれた国が滅ぼされそうになっていることを知り、駆けつけます。
コーサラ国の兵士がカピラヴァスツに向かう 街道沿いに立つ枯れ木の下でお釈迦様は座されます。兵の行く手を阻むかのように。
兵士の先頭に立つコーサラ国の王は、お釈迦さまの姿を見つけると、声をかけます。

「世尊(お釈迦さま)よ、どうぞ日が当たらない森の中で座禅をなさってください」

と、暗にその場から去られることをすすめます。
しかしお釈迦さまは静かに応えます。

「王よ、枯れ木でも親族の木陰は涼しいものですよ」

その ことば を聞いた王は、兵をコーサラ国に返します。

枯れ木に、日陰を作り出す繁った葉はありません。
ありませんが、どんなに枯れてしまっていても、親族の木陰、世話になったものの作り出す木陰は涼しいものである。
お釈迦さまは母国の滅亡を感じられていたのだと思います。
今にも滅びてしまいそうな わが故郷。たとえ滅びてしまっても、故郷・親族・ご縁をいただいたものは、私を守り育ててくださった大切なものに変わりはない。それらの縁によって、今の私があるのだから。
そのような想いが「枯れ木でも親族の木陰は涼しいものですよ」の ことば には含まれていると思います。
王も、ことば の意味を汲み取り、兵を返したのだと思います。
   
   
その後、コーサラ国の王はカピラヴァスツ国に向けて 二度出兵します。
一度目は、またお釈迦さまと同じようなやりとりをして引き返します。
しかし、最後に出兵したときには、お釈迦さまも母国最期の因縁を悟り、兵を阻止することはしませんでした。
終にお釈迦さまのカピラヴァスツは滅びてしまいます。

  
滅びる縁だと分かっていた母国だけど、
母国は滅んでしまったけれど、
私を育ててくれた恩に変わりはない。
受けた恩は計り知れない。

枯れ木でも親族の木陰は涼しい

この想いが続く限り、身は枯れ果ててしまっても、木陰はいつまでも私を涼しくしてくれている。守ってくれている。

2006年7月13日 (木)

あつはなついねぇ

今日は暑かったですねぇ。
お盆なので(東京は7月盆です)、外のお参りに歩いてました。
ジュバンと白衣がビショビショになってしまいました。2枚ずつ。

夏バテに気をつけましょうね。
サッカーW杯も終わったし、睡眠はキチンととりましょう。

2006年7月11日 (火)

素直になれる場

昨日、「素直になれない」という記事を書きました。書きながら考えていたのですが、素直になれる人・場所がありますか?
そのように尋ねられると、困ってしまう人もいるのではないでしょうか。
素直になれる人・場所がある人は、大事にしてくださいね。それだけで有り難いことですよ。

誰にも言えない、かといって同情なんてされたくない。
そういう人(私もです)、手を合わせる場をお持ちですか?
家の中だと、お仏壇(お内仏)です。想いを吐露する大切な場です。
私は、本堂の阿弥陀さんに話を聞いてもらってます。話してるとき、素直な気持ちになります。

以前、
「お仏壇は、一族に一個でいいんですよね」と尋ねられたので、
「一家(一世帯)にひとつですよ」と答えました。
質問主は驚いて尋ね返してきました。
「一族でいくつも仏壇があったら、亡くなった人がどこに行けばいいのか迷ってしまうじゃないですか!」
「お仏壇を、亡き人の落ち着き場とお考えですか。亡き人はお仏壇にはいませんよ。阿弥陀様に手を合わせ、ナムアミダブツとお念仏申してください。自身をかえりみる場ですよ。亡き人があっち行ったりこっち行ったりしませんよ」と私が言ったら、
「でも、一家に一個は常識ではないですよね」と言われてしまいました。常識か非常識かで計られたら、質問主の意に沿わない話は聞いてもらえるはずもありませんね。


話がそれました(失礼しました)。
私は浄土真宗の僧侶ですから、お内仏(お仏壇)をすすめていますが、家の中に手を合わせる場がありますか? 仏壇を置くスペースがなければ、ご本尊の軸を壁に掛けてもかまいません。一家に一カ所、素直になれる場としてお内仏はあるのだと思います。亡き人のためではありません、私のためです。

手を合わせる場、自分に素直になれる場があれば、人生そのものが 素直になれる場として輝いてきます。

2006年7月10日 (月)

素直になれない

 「なにも知らなかったもので」と言い訳し、
 「なにも知らないくせに」と他人を責める。

知らないことがあって当たり前。なんでも知っている人なんていないんだから。
でも、知らないが故に人を傷つけている、罪を犯していることがある。
そんな私を誤魔化してはいけない。
「なにも知らなかったもので」の前に「ごめんなさい」を付けられる私だろうか。

「ごめんなさい!?」
私の この悩み苦しみは、誰も分かりはしない。「なにも知らないくせに」、分かったフリして同情しないで。
「なにも知らないくせに」と言われた人の哀しみを、言った私は気付きはしない。
「なにも知らない」のは、この私でした。

でも、本当は知ってもらいたい。
素直になれない私。

2006年7月 8日 (土)

既に道の上

 道は近きにあり
 迷える人は それを遠くに求む

                   清沢 満之

暗闇の中、どちらに歩いていいのか分からない。
自分がどこにいるのかさえも分からない。
たとえ道の上にいたとしても、それさえも気付けない。

自分のいる場所を照らしてくれるのが、仏の慈悲。
既に道の上にいたんだ!
あっちに進めばいいんだ!

道は照らされた。
しかし、今までいた場所が変わったわけではない。
苦難の凸凹道が、平らな道になったわけではない。

道の凸凹に変わりはないけれど、
光に照らされていたら、一歩一歩前に進める。時には休みながら。
道が見えなければ、どっちへ行っていいのか分からない。分からないけれど、立ち止まっていることは、もっと不安だから、むやみに動いてしまい、ますます迷う。

どうすれば光に照らされるのか?
光は、既にすべての人を照らしている。
光を見えないようにしているサングラスを、自分で取り外せばいい。
見えなくしているのは、私自身。


2006年7月 7日 (金)

いとたのし

 同じような日々から
 私はいろいろなことを無尽蔵に学ぶ

「毎日おなじことの繰り返し」「面白味のない生活」などと言うけれど、
本当にそうかな?
日々変化してるし、いろいろなものが日常落っこちているのでは。
そう思いながら生活してると、今まで見えなかったものが見えてきます。
   
   
(補足)
「無尽蔵」…仏さまの功徳は尽きることがありません。
尽きることのない功徳を、財宝が入った蔵に譬えて「無尽蔵」と表現します。

「無尽蔵に学ぶ」というのですから、
学ぶ私の中に、仏さまの慈悲がどんどんどんどん注がれてくる。
それは尽きることがありません。

学びも、慈悲も、尽きることがありません。


2006年7月 5日 (水)

あめ

  うれしいときも
  かなしいときも
  自分の人生はそこにしかない

うれしいときも
かなしいときも
その人生を歩んでいるのは
私しかない

2006年7月 1日 (土)

2006年7月のことば

 Pict0120
気配を発すること
 気配を感じること
  気配りのはじめです

6月は雨の日が多かったですね。梅雨ですものね。傘には大変お世話になりました。集中豪雨がひどい地域もありました。ご無事でいらっしゃいますか?

雨の日、狭い道を、傘を差しながら歩いています。向こうからも傘を差した人が歩いてきます。さて、あなたならどうしますか?
どちらか一方が気を遣って、傘を高く掲げてくれたら、お互いが通れます。しかし、動かさなかった傘の雫が、気を遣った人の肩を濡らしてしまうこともあります。
すれ違うときに、お互いが自分の傘を外側に向けると、ぶつからずにお互いが通り抜けられます。
そのような仕草を「傘かしげ」といいます。
「気を遣う」という意識もなく、自然とそのように体が動く。そうなって初めてマナーと言えるのではないでしょうか。
今は「ああしましょう」「こうしましょう」。「あれはダメ」「これはダメ」。「人のためを思って」と、言われないと出来ない。いや、言われても出来ませんね。マナーの押し付けです。自分さえよければいいという想いの増長であり、他者に対する気配りの欠如ですね。
他者に対する気配り。実際に何かをしてあげることばかりが気配りではありません。

ひとりの視覚障害者が興味深い話をした。その人は駅のプラットホームで電車を待つとき、かならずだれかの背後につくようにしているのだという。それがもっとも安全だからだ。ところが最近、うまくいかないことがある。気配のない人が増えていて、なかなか後ろにつけないのだ。ならんでいたと思ったら、前にあったのは柱だったということもある。以前はなかったことだという。       藤原智美「消えゆく他者」より   〔『アンジャリ』(親鸞仏教センター発行)第11号〕
  「気配のない人」…存在感がないということではありません。存在感という意味では、今 誰もが公共の場で自己中心的な存在感を示しています。地べたに座る若者・抱きつくカップル・大声で携帯の通話する者・ヘッドフォンステレオをして外部を遮断する者・タバコのポイ捨てをする者などなど。

藤原さんは、「他者に対する配慮のない人」を「気配のない人」と表現しています。

自分の世界に籠るのは勝手だけれど、周りに人がいるという意識を捨ててはいけない。

他者への配慮がない者は、なにも見えていないということ。
他者への配慮を忘れて生きるということは、気配をなくすということ。つまり、自分で自分の存在を消してしまっているということ。
    
視覚障害を持つ方と話をしたときに、教えていただいたことがあります。
「『ここにいます』って思ってくれるだけで、私は安心するんです」
「ここにいます」という想いは、人に伝わります。感じることもできます。

想いの発信は、想いを感じることにつながる。想いを感じようとするこころは、想いを発信したいというこころを生みます。
私の発した想い・こころ・気配が、相手に伝わる。他者の想い・こころ・気配を感じ取ることが出来る。
そんなふうになれたら、誰に言われるでもなく、気配りが生まれます。
私が気配を発することも、他者の気配を感ずることも、気配りに通じます。

「気配のない人」に首をかしげてイライラするよりも、自ら傘をかしげて人生を歩みたいものです。きっと歩きやすいと思いますよ。

« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »

フォト
2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ