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2006年7月 1日 (土)

2006年7月のことば

 Pict0120
気配を発すること
 気配を感じること
  気配りのはじめです

6月は雨の日が多かったですね。梅雨ですものね。傘には大変お世話になりました。集中豪雨がひどい地域もありました。ご無事でいらっしゃいますか?

雨の日、狭い道を、傘を差しながら歩いています。向こうからも傘を差した人が歩いてきます。さて、あなたならどうしますか?
どちらか一方が気を遣って、傘を高く掲げてくれたら、お互いが通れます。しかし、動かさなかった傘の雫が、気を遣った人の肩を濡らしてしまうこともあります。
すれ違うときに、お互いが自分の傘を外側に向けると、ぶつからずにお互いが通り抜けられます。
そのような仕草を「傘かしげ」といいます。
「気を遣う」という意識もなく、自然とそのように体が動く。そうなって初めてマナーと言えるのではないでしょうか。
今は「ああしましょう」「こうしましょう」。「あれはダメ」「これはダメ」。「人のためを思って」と、言われないと出来ない。いや、言われても出来ませんね。マナーの押し付けです。自分さえよければいいという想いの増長であり、他者に対する気配りの欠如ですね。
他者に対する気配り。実際に何かをしてあげることばかりが気配りではありません。

ひとりの視覚障害者が興味深い話をした。その人は駅のプラットホームで電車を待つとき、かならずだれかの背後につくようにしているのだという。それがもっとも安全だからだ。ところが最近、うまくいかないことがある。気配のない人が増えていて、なかなか後ろにつけないのだ。ならんでいたと思ったら、前にあったのは柱だったということもある。以前はなかったことだという。       藤原智美「消えゆく他者」より   〔『アンジャリ』(親鸞仏教センター発行)第11号〕
  「気配のない人」…存在感がないということではありません。存在感という意味では、今 誰もが公共の場で自己中心的な存在感を示しています。地べたに座る若者・抱きつくカップル・大声で携帯の通話する者・ヘッドフォンステレオをして外部を遮断する者・タバコのポイ捨てをする者などなど。

藤原さんは、「他者に対する配慮のない人」を「気配のない人」と表現しています。

自分の世界に籠るのは勝手だけれど、周りに人がいるという意識を捨ててはいけない。

他者への配慮がない者は、なにも見えていないということ。
他者への配慮を忘れて生きるということは、気配をなくすということ。つまり、自分で自分の存在を消してしまっているということ。
    
視覚障害を持つ方と話をしたときに、教えていただいたことがあります。
「『ここにいます』って思ってくれるだけで、私は安心するんです」
「ここにいます」という想いは、人に伝わります。感じることもできます。

想いの発信は、想いを感じることにつながる。想いを感じようとするこころは、想いを発信したいというこころを生みます。
私の発した想い・こころ・気配が、相手に伝わる。他者の想い・こころ・気配を感じ取ることが出来る。
そんなふうになれたら、誰に言われるでもなく、気配りが生まれます。
私が気配を発することも、他者の気配を感ずることも、気配りに通じます。

「気配のない人」に首をかしげてイライラするよりも、自ら傘をかしげて人生を歩みたいものです。きっと歩きやすいと思いますよ。

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