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2006年6月27日 (火)

諸行無常

新しいお念珠を出しました。
お念珠の箱に紙が一枚入ってました。
お念珠の意味について書いてありました。

その中に、
「年珠が切れても、縁起が悪いことではありません」
と、書いてありました。はい、縁起が悪いことではないので、一切気にしないでくださいね。
それに続いて、
「悪縁が切れたものと思ってください」
と書いてありました。
“縁起が悪い”ことではないのだから、“悪縁”云々言うのもおかしな話なのですが
(お念珠が切れた人のことを気遣っての表現なのでしょうね)。

「縁起」とは、縁って起こること。いろいろな縁が積み重なって、起こること。
お念珠も、使っているうちに切れることがあります。どんなに大事に使っていても。使わずにしまっていても、切れることがあります。あるいは、雑に扱っているのに、切れないことだってある。
切れる縁もあれば、切れない縁もあるわけです。ただそれだけのこと。
切れて縁が悪い、切れなくて縁が良いなんてことではないわけです。
そもそも、切れたときには「縁起悪い」とか言う人も、切れないときに「縁起が良い」なんて言わないでしょう。
自分の想いで、縁起を良いとか悪いとか言っているだけのこと。
私を振り回しているのは、身の回りに起きた出来事ではなく、私の想い。

切れた切れないを気にするならば、普段からお念珠の扱いに気をつけたいものです(お念珠だけではありませんが)。
床に置いたり、放ったりしないようにしましょう。

普段の自分の行いを棚に上げて、「不吉だ」とか、「縁起が悪い」とか言ってませんか?
    
    
『平家物語』より   
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。

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コメント

かつさん、こんにちは。
 かつさんの文章を読んでいて、全く関係ないことなんですが、「切ない」という言葉って、つながりを切りたくないのに切れそうで、切りたくても切れないような、そんな時に使うなぁって・・・。
 縁の中で揺れ動く、それが人間なのでしょうね。だから小さな、例えばお念珠が切れたときに、今まで平常心を装っていたのに、不安の堰が切れてしまうのかなぁ。
 生きるって、いつも怖いことばかりです。前に進むためには、縁起を担ぐことも一つの防衛本能なのでしょうか。

☆蝙蝠さん こんばんは
「縁起を担ぐことも一つの防衛本能なのでしょうか」
そうですね。だとしたら、今日の私は、ひどいことを言ってしまったかも。
教えではこうだけど、実際はそうありたいのに、なれない。
そういう悩みを持っている人もたくさんいるのかもしれない。
教えを押し付けてはいけませんですね。
  
私もむしょうに「切なく」なることがあります。
そんなとき、私はどうしてるかなぁ…。
飲んでごまかす。そんな時はまだ楽なんだなぁ。
時が経つのをひたすら待つ。待ってる間は苦しいけど、なんとなく「あっ抜けたかな」って思えるときがある。

私もね、いつか不安の堰が切れてしまうんじゃないかってビクビクしています。
でも、思いきって前に突き進んでいます(自虐的ですね)。

不器用な私です。

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