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2006年4月17日 (月)

人の道を踏み外してる

4月8日、大江健三郎さんのお話を聞きに行ってきました
(ちょっと時間が経ってしまいましたね。でも、書きたかったことがあるので)。
講題:戦争しないことを根本におく

若い頃のお話からされました。
お家が貧しくて、学校に行けない。そこで お世話になっているお寺の住職が、寺の学校を紹介してくれることになった。
でも そのためには得度をしなくてはいけない。住職は大江少年に尋ねます。
「仏道を歩む者として、欲を捨てられますか?」
大江少年は一晩考えます。
「私は酒もタバコも呑まないし、女にも執着はない」(会場 笑)
「でも、学校を出て仕事を始めたら、自分の仕事を褒めてもらいたいと思うだろう。褒めてほしい・認めてほしいという欲望は捨てることはできない」
次の日、大江少年が住職にその気持ちを伝えると、ご住職は驚かれました。
「…そうですか、それではこの話はなかったということで」
住職としては、形だけでも「はい、捨てられます」と言ってくれればよかったのかもしれませんが、大江少年はそれを許さなかった。人柄がにじみ出たお話です。

でも、欲望は捨てられないですよね。欲望を捨てよう、捨てたいという思いが欲望ですから。
   
   
仏道に入れなかった大江少年は、キリスト教に入信しようと思います。
家出をして、歩いて一日半かけて教会にたどり着きます。
「入信して、牧師さんになりたいのですが」
その教会では 小さい子は受け入れてないからと断られますが、大きな町の教会に電話で取り次いでくれました。町の教会の牧師さんは「その少年を電話口に出してください」と言われ、大江少年は電話に出ます。
「今思えば、これが電話でお話した最初でした」と大江さん^^

「牧師さんになりたいと言った子はあなたですか?」
「はい」
「そんな小さなうちから、人の道を踏み外してはいけません。ちゃんと学校に通いなさい」(会場 笑)
と、怒られた(?)そうです。

大江少年は、家に連れて帰されました。
町の牧師さんは、家出してきた子どもを家に帰すためにそう言われたのかもしれませんが、
「人の道を踏み外してはいけません」は本心だろぉなと思いました。

寺や教会に入ってしまうと、社会の中で生きるということから隔絶してしまいます。
すると、社会の悩みや苦しみを身をもって感じるということが出来なくなってしまいます。
そういうことがあるから、「人の道を踏み外す」と言われたように感じました。

それを聞いて、私も「人の道を踏み外してる」なぁって思いました。
今日、寺は世襲制が定着しています。世襲制の問題点も指摘されています。自発的な仏道を歩む気持ちがないとか。はい、そういう問題点はハッキリとあります。でも、そこに生まれ育ったからこそ、檀家・門徒さんからお育ていただいて今の自分があるという想いを強くもてるという面もあります。
でも、社会が見えないというマイナス面は確かにあると思うわけです。悲しい想い・つらい想いをしている人の気持ちに身を添わせることは出来ても、限界はある。誰だって限界はあるけれど、寺に生まれ育った者は、なおさらだと思うわけです。
「人の道を踏み外してる」自分を感じながら、お話を聞いてきました。
    
   
大江さんは、
「私は仏からも神からも捨てられてしまいました」と話されました(もちろん会場爆笑)。
もっとお堅い方なのかと思ってました。ユーモアたっぷりの、やさしい人柄が話し方ににじみ出ている方でした。
自分勝手なイメージで見てましたね^^;

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