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2006年4月26日 (水)

ペルソナ(仮面)

人は誰もが“想い”を持っている。
“想い”を持った者どうしが出遇うのだから「衝突」が起こる。
「衝突」といっても、意見が合わないという意味だけでなく、手を取り合うという意味も含めて。

 真っ向から対立する
 部分的に認め合う
 すべて意見が合う
 対立してはいるけど、相手のことは認めている
 考えてることは似てるけど、相手のことは大嫌い
 自己を主張して 話し合う気すらない
 自分を殺して 相手に合わせる
 衝突から 新たな衝突が生まれることがある
 衝突から 新たな発想が生まれることもある
 目標を達成するまでの間 手を取り合うこともある
 いつまでも手を取り合えることもある


“想い”を持った者のどうしが出遇うのだから、「衝突」が起きて当たり前。
「正義と悪の対立」とか、「正義と正義だからこそ対立する」とか言うけれど、正義とか悪なんて定義付けするまでもなく、“想い”と“想い”が衝突しているということなんだなぁ。それが生きているということかもしれない。

目標が同じならば協力し、意見が合わなくなったら解消する。
それが自然の成り行きかも。
協力し合ううちに、いつまでも手を取り合えるようになることもある。
解消してベクトルが正反対を向いてしまっても、いや、正反対を向いてしまった方が引き合うということもある。

束ねられた矢だからこそ、その後も融通が利く。束ねられたままでもいいし、また別れることもできる。
完全に混ざり合ってしまったら、個が消えてしまう。混ぜ合わされたグレープフルーツは、二度とそれぞれの味には戻らない。グレープフルーツを混ぜ合わせて、一度不味くなってしまうと、その後どんなに美味しいグレープフルーツジュースを混ぜ合わせても、美味しくなることはない。
絵の具を混ぜ合わせたときも、何色も混ぜれば黒になる。黒になったら、もう戻れない。
手を取り合う、同じ方向を向く…いいことのようだけど、実は怖いことも。
間違っていると思っても、白を黒と言うヒトに、右を左と言うヒトにねってしまうことも。いや、「間違っているとは思うけど」と認識できるだけいいのかもしれない。なんの疑いも持たないヒトになってしまうかもしれない。
お手々つないで仲良くを望むということは、「衝突」を避けようとすることは、みんなが無表情の仮面をかぶるということかもしれない。

“想い”を持ったものどうしなのだから「衝突」して当たり前。だからこそ泣けるし、だからこそ笑える。表情が出てくる。
「衝突」から何が見えるか、何が生じるか、どんな表情が現われるか。
   
   
何を笑うかによって、その人の人柄がわかる
                        パニコル

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