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2006年4月11日 (火)

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後輩(お寺の子 まだ学生さん)が言いました。
「メディアは、坊さんが事件や問題を起こすと『僧侶という立場でありながら、このような事件を犯すとは僧侶失格である』って取り上げるじゃないですか。僧侶だとなぜ このような取り上げられ方をするんでしょうね。僧侶って、どうあるべきなんでしょうね」

「坊さんは悪さをしないってイメージでもあるんじゃない? 言いたい人には言わせておけばいいじゃない。 自分がどうあるべきかをしっかり持ってれば」(つれない返事でした。ごめんね)
   
    
そんな会話をして後輩と別れた後、コンビニに立ち寄りました。日付が変わろうとしている時間でした。
コンビニには、幼稚園ぐらいのお子さん2人連れたお母さんがいました。
その光景を見て「あ~ぁ、こんな時間に子供を連れてコンビニに来ちゃだめだよ」と思いました。
そう思った瞬間、後輩の話が思い起こされました。

「そうか、イメージで物事を見てるなぁ。“僧侶はこうあるべき” “子を持つ親はこうあるべき”って。
今自分が子連れの母親を見た目も、メディアが僧侶を取り上げる目も質は同じだなぁ。
自分の中で勝手にイメージを作り上げて、それに合うと良しとして、それから外れるとダメとする」
そんな自分に気付かされました。

日付が変わろうとしている時間にコンビニに行く私自身だって、よく考えると「あなた なにやってんの!?」って話なんですよね。
自分が見えていませんでした。

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コメント

お久しぶりです。
小さい子供の事…。
本当にそうですね。
私も遅い時間までスーパーで仕事をしてるので、毎日のように目にする光景です。
でもそれとイメージとは、違うような気がしますけどね~。
親は子に教える義務があると思うんですよ。
今は核家族化が進んでいて、その親に教えるおじいさんやおばあさんが傍に居ないって事は問題だと思います。

今日の虐待のニュースみました?
人の命を守る筈の医師が、子供を虐待していたんですから。
今の時代、何が起こってもおかしくないのかもしれないのかもしれませんね。
一体何が『普通』なんでしょうか(-人ー)

☆pazuhさん お久しぶりです
毎晩お邪魔してましたよ。
結婚記念日おめでとうございます。

核家族化の問題点、町内の環境の問題もありますよね。
子供を守ろうという声は高らかに聞こえてきますが、
子供の姿が見えていないような気がします。
虐待のニュースも多いですね。こころが痛みます。

間違えて送ってしまいました。
確かに、核家族になったのも一理かもしれませんが、そうやって甘えている自分たちがいるんだとARIは思います。自分たちがどのように育ったか?自分の親は私たちにどのように教えてくれたんだろう?って思い出しながら子供を見るようにしています。
僧侶は職業として人の上に立つ(教える)ものだと思われてるからね。
でも、そういうイメージ付けって大事かもね。
じゃないと秩序みたいのがなくなっちゃうのかもね・・・。
 遅くなったけどお誕生日おめでとう!!

☆ARIさん こんばんは
「姿を見て学ぶ」ということが希薄なのかな。
教える側は、自分の身をもって教える。その意識があれば、自然と行いも正す。
教わる側は、親や目上の人の姿を見て育つ。学ぶべきこととやってはいけないことを自然と分別しながら。
自分の身をもって示す。自分で考える過程を通して身につける。
そういう作業が今抜け落ちているような気がします。だから「○○はこうあるべき」なんて言って、他人任せにしてしまうんですね。

青年会で会いましょう。お待ちしています。

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