
四季があるように
人生の節目で 人はまた こころをあらたにする
春 桜が心を和ませる。新しい出会いが私を待っている。
夏 暑い陽射しが私を照りつける。生きている躍動感を感じさせる。
秋 落ち葉が舞い散る。感傷的な気持ちにさせる。
冬 身をさす寒さ。春への期待が耐え忍ぶ強さとなる。
四季それぞれ雰囲気がある。一年経つと また元に戻るのに、なにかが違う。年々新た。
生老病死も、人生の節目。
生もあれば、死もあって・・・。いや、生があるからこそ死がある。死があるからこそ、生が輝く。
一生の中にも節目がある。
一年の中にも節目がある。
一日の中にも節目がある。
節目は、四季の移り変わりや行事、生と死だけとは限らない。
日々の私の感情。
喜び・安心・楽しみ・・・
迷い・悩み・不安・苦しみ・・・
こころが落ち着いているときって、滅多にない。でも、こころが落ち着いているときだって、こころは動いている。こころの移り変わりという節目を、常に私は生きている。
楽しいときに、「なぜこんなに楽しいんだろう」とはあまり思わないけれど、苦しいときは、「どうして私だけこんな目に遭わなければいけないんだ」という想いが私を支配する。
物事には時期があるんだと思う。今、私の身に起こる苦しい出来事は、苦しさを体験する時期だから。楽しいときは、楽しさを享受する時期なのだろう。
人生にはプラスとマイナスがある。どちらかが多いわけではない。後で振り返ると、ちゃんとバランスが取れている。単に半々というわけではない。マイナスがプラスを生み、プラスがあるからマイナスを感じる。
もし、世界に喜びしかなかったら、勇敢になるとか、忍耐強くなるとか、学ぶことは決してなかったでしょう
(ヘレン・ケラー)
つらいことや哀しいことを経験すると、人に対する思いやりの気持ちが芽生えるという。確かにそういうことってあると思う。だけどそれって、つらさ哀しさを経験しなければ人が見えないということの裏返し。味わうべくして、経験しているのかもしれない。時期を与えられているのかもしれない。
苦しい出来事に直面するたびに、人生をリセットしていては、前へは進めない。
リセットするということは、
積み重ねてきた節目を無かったことにするということ。
経験したことを忘れてしまうということ。
人に対する思いやりのこころをも失うということ。
自分自身に対する思いやりも含めて。
だから、リセットしても、また同じ過ちを繰り返すことでしょう。
節目を重ねていくなかで、人は生きるヒントをつかんでいるのかもしれない。こころの動きひとつひとつが節目となる。感じるこころが感情を養い、私を成長させる。
同じような日々の繰り返し・・・
なにも変わらない私・・・
そんな気がしていたけれど、節目を重ね、私は成長している。人との出会いに支えられながら。
春、新しい歩みが始まる季節。人生にも季節と同じように節目があって、節目を重ねて、人は大きくなっていく。
(付記)
今月の掲示板のことば「四季があるように 人生の節目で人はまたこころをあらたにする」は、ブログで知り合った方のことばです。
「苦しいことにも楽しいことにも訪れる時期がある」そんなことを考えていたときに ことばに出会い、表現したいことを言い当てられているように感じました。
すぐにメールをして、ことば引用の了解をいただきました。ありがとうございます。