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2006年3月30日 (木)

声なき声

数日前のこと、私よりかなり若い門徒さんとの会話です。

「副住職、聞いてほしいことがあるんですけど」

「うん、なぁに?」

「私は、“ナムアミダブツ”って口にすることに抵抗があったんです。だから、お仏壇の前でも、お墓の前でも、“ありがとう”って口ずさみながら手を合わせていたんです」

「うん」

「でもね、先日祖母が亡くなって、納骨が終わって、そしたら自然と“南無阿弥陀仏”って言えるようになったんですよ。不思議ですよね。なんででしょうね」

「そうか、不思議だね。
あのさ、お念仏を自分の意思で称えるものと思っていたんじゃないかなぁ。お念仏を称えるのも称えないのも自分の意思だって。
でもね、私にお念仏を称えさせるはたらきがあると思うんだ。それが、あなたにとっては亡くなられたお祖母さんなんじゃないかなぁ。
お祖母さんはさ、お念仏を称える機会を与えてくれたんだと思うんだ。
亡くなった人に対して、生きてる私が供養をしてあげるって思いがちだけど、亡くなった人が私に大事な何かを伝えてくれていると思うんだよね。そうでなかったら、納骨も済んで、もうなにもする必要がないじゃない。
亡くなった人が、私にメッセージを送ってくれている。それが、今のあなたにとっては“南無阿弥陀仏”だったんじゃないかな。
“南無阿弥陀仏”って称えられるようになったってことは、お祖母さんからの声なき声があなたにしっかりと届いているってことじゃないかな。
お祖母さん、喜んでいると思うよ。それこそ、本当の意味での供養っていうんじゃないかな」

「声なき声…。祖母からのメッセージが私に届いている?」

「うん、私はそう思うよ」
         
           
人は亡くなってからも、いや、亡くなったからこそ、何かを伝えようとしてくれている。私はそのように思っています。みなさんはどのように思われますか?

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コメント

亡くなったからこそ 生前のようなことばでは伝えられない分
強い思いを発信してくださっているような気がします

ときどきね ふと わたしのどうしようもない想いとか行動を 立ち止まらせるのは 天国にいるボスのお兄さんなんじゃないかな っておもうことがあるんです
ボスを守るため 本当にそんな気がすることがあります
そして わたしも それに応えなきゃ・・っていうか はっとさせられて
後から あぁ あのとき思いとどまってよかった とおもうことがよくあります

☆美雨さん こんばんは
私も、亡くなったじいちゃんから力をもらってるって感じるときがあります。
ここで踏ん張らなくちゃって思うことがあります。
墓参りしたときに、理由もわからず涙がポロポロ流れてきて、自分でも驚いたことがあります。
実際は、自分が亡き人を頼っているだけのことなのでしょう。
だけど、そこで頼りとされる対象として思い起こされる人というのは、やはり私にとって大事な人なわけで。
だからこそ、その想いが私にとって力となる。
声なき声に耳を澄ます。自然と手が合わさる気がします。

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