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2006年3月 1日 (水)

2006年3月のことば

PICT0221
南無阿弥陀仏
合わせる私の手の中に
 どれだけの
  罪業があることだろう

南無阿弥陀仏
いつものように手を合わせ、阿弥陀如来を仰ぎ見る。
いつものように「正信偈(しょうしんげ)」をお勤めし、
いつものように頭を下げる。

「正信偈」お勤め中、いろいろな想いが頭の中を駆け巡る。私がしてきたこと、今の私の状況、これからの私…。
今までの私は、どれだけ人を傷付けてきたことだろう。許されるはずのない今を生きる私。
これからも罪を背負って生きていく。
これが私の生きる道。哀しい。だけど、こんな私でも生きていける。

南無阿弥陀仏
いつものように手を合わせ、阿弥陀如来を仰ぎ見る。
ふと、私の手を見つめる。手と手が合わさっている。合わさった手の中に、どれだけの罪業があるのだろう。私の罪業は、この手に納まるはずがない。納まるはずがないのに、私の手は合わさっている。
手に納まらない、腕を上げることも出来ない。それほど大きく、重く、深い罪業を抱えていながら、私の手は合わさっている。ここにどれほどの力が与えられているのだろう。どれほどの温もりが伝わっているのだろう。許されるはずのない私を許すために、どれほどの涙が流されているのだろう。

 いつものように
  いつものように
   いつものように…

習慣・惰性になってしまっている行為の中に、どれほどの許しが与えられていることか。
私の背中から、重くて持ち上がらないはずの私の腕を支え上げてくれているはたらきがある。
私の正面から、合わせた掌から零(こぼ)れるほどの罪業を持った私の手の外側を、大きな手が包んでくれている。
私の口から出る感謝のことば。
 「ありがとう」
 「おかげさま」

「ありがとう」…有り難いこと。有ることが難しいこと。私の身に、起きるはずもないことが起きたということ。
「おかげさま」…日照りから私を守ってくださる「陰」なるはたらきに「お」と「さま」をつけて、より丁寧に呼んだことば。「おかげさま」目に見えぬはたらきに出会えたことば。私を包んでくださる温もりに出会えた。陰にいるのに、なぜか温かい気持ちになる。
会えるはずのない出来事に出会い、気付くはずのない温もりを感じたから出てくることば。
 「ありがとう」
 「おかげさま」
私の口から出てくるから、私の心の作用のように思ってしまうけれど、私の心に響く何かがあったからこそ出てくることば。

こんな私でも、許してくださるのですね。
こんな私でも、生きていけるのですね。
こんな私でも、手を合わせていいのですね。

手を合わせることなど出来るはずもないこの私が、手を合わさせていただいている。
頭を下げることなど出来るはずもないこの私が、頭を下げさせていただいている。
お念仏申すことなど出来るはずもないこの私が、お念仏申させていただいている。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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