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2006年2月

2006年2月27日 (月)

如己愛人

みなさん こんばんは
私は今、いとこの結婚式に招待されて長崎に来ています。
2月26日、和やかに結婚披露宴が執り行われました。
妹の結婚式の時のような緊張感もなく(当然ですが)、のんびりとした気持ちで参加させていただきました。

今日(27日)は、長崎の路面電車に乗って、観光してきました。

印象に残ったところ…「如己堂(にょこどう)」
永井隆さん(1908〜1951)というお医者さんがいました。
永井博士はレントゲン科の医師でしたが、フィルム不足のため、直接透視でレントゲン検査を続けたため、放射能を過量に受け慢性骨髄性白血病となります。
白血病との闘病中、1945年8月9日11:02 長崎に原爆が落下されます。
病の身であり、自身も被爆しながらも、苦しむ被爆者のため救護活動を行います。
被爆により、妻も亡くします。
救護活動中、自身の体にも原爆症の症状が現れ、倒れます。
疎開させていた子どもたちは、被爆せずにすみました。
が、母を亡くした子どもたちに淋しい思いをさせたくないと、病床の身にありながら、子どもたちのことを想い続けました。
原爆のこと、被爆のこと、原爆症のことを後世に伝えなければいけないと、執筆活動に入ります。
また、子どもたちの心がすさんではいけないと、私設図書館「うちらの本箱」を作りました。
1951年5月1日、博士は亡くなります。43歳でした。

博士が原爆症の研究・執筆活動をしたのが、長崎浦上の地に建てられた「如己堂」です。
名前の由来は、
「己の如く人を愛せよ」という聖書のことばです(博士はカトリックの洗礼を受けています)。

博士はふたりの子どもに、書き遺しています。
「わが いとし子よ
“汝の近きものを 己の如く愛すべし”
そなたたちに遺す私の言葉は、この句をもって始めたい。
そして恐らく終りもこの句をもって結ばれ、ついにすべてがこの句にふくまれることになるだろう」
   
「如己堂」の名前の由来を読みながら、
「人を愛せないのは、自分自身を愛してないからかなぁ」って感じていました。   


「如己堂」に隣接して長崎市永井隆記念館が建っています。
20年ぶりくらいに訪れたのですが、きれいな記念館になってました。
小さい記念館ですが、とても見ごたえがあります。
長崎の観光地としてはマイナーなのかもしれませんが、平和公園からそんなに離れていません。
ぜひ立ち寄っていただきたいと思いました。

2006年2月27日 長崎にて

2006年2月24日 (金)

人は信用できない生き物

つらい出来事があっても、支えになってくれる人がいる。
だから頑張れる。

でも、ひとりで立っていられなくなったとき、誰もいないことに気付いた。

支えだと思ってた人が、意外になんの反応もない。
助けてくれる、慰めてくれると思っていた。
でも、私をすり抜けていく。
    
支えだと思ってた人が、私を攻めることもある。
理解してくれている、見守っていてくれると思っていた。
でも、私を憎んでいる。
  
支えだと“思っていた”
“思っていた”のは、私が勝手に思い込んでいただけだから、相手に裏切られても、それは私の見込み違いだっただけのこと。
見る目ないなぁ…
   
   
   
でも、ひとりで立っていられなくなったとき、ひとりじゃないことに気付いた。

あまり深い話もしない友人だけど、私のことを知ってくれていた。
なんで話してくれなかったの?
ちゃんと分かっているからね。
   
普段あまり話もしたことがない人が、私のことを見てくれていた。
大変だったね。
なにか出来ることある?
    
“友達”と一言で言っても、深い付き合いとか、親友とか、ただの友達とか、友達ではないとか、自分の中で勝手に線引きをしていた。線引きをして、距離を置いていた。相手の正確を自分勝手に決め付けていた。
やっぱ、見る目ないねぇ…
   
    
人は信用できない生き物ね
悪い方にもいい方にも裏切る

         『死化粧師』 三原ミツカズ

「人は信用できない生き物ね」
自分が一番信用できないのかも。自分勝手に人を見て、自分勝手に悩んで。
「悪い方にもいい方にも裏切」られて、だから頑張れるのかな。だから楽しいのかな。だから嬉しいのかな。

2006年2月23日 (木)

インドの写真

インドから帰ってきてから早くも2週間が経とうとしています。もう3月の足音が聞こえてくるではないですか!!
日常の波に飲み込まれ、海岸で作った砂の城のようにもろくも崩れ去っている私がいます(大げさですが)。
友人に「土産話聞かせてよ」とせがまれましたが、早くも私の記憶の中では遠い昔のことになってしまっています。

PICT0140PICT0233


       
     

    
写真をアップしますと言っておきながら、遅くなって申し訳ありません。
やっと編集作業が済みました。が、説明がまったく物足りないと思います。
デジカメは調子に乗って撮りまくれるのがうれしいですが、撮りすぎてなにがなんだか分からなくなってしまいました。
マイフォトにアップしておきました。
説明は時々書き足していこうと思います。
写真だけ見て、雰囲気だけでも味わってくださいませ。

2006年2月22日 (水)

かたちのあるものと、かたちのないものと

「どうしたらいいのかわからなくなってしまったとき、僕はいつもあるルールにしがみつくことにしているんです」(中略)
「かたちのあるものと、かたちのないものと、どちらかを選ばなくちゃならないとしたら、かたちのないものを選べ。それが僕のルールです。壁に突きあたったときにはいつもそのルールに従ってきたし、長い目で見ればそれが良い結果を生んだと思う。そのときはきつかったとしてもね」

                村上春樹「偶然の旅人」(『東京奇譚集』所収)
    
     
    
昨晩、本を読んでいて出会ったことばです。
「かたちのあるものと、かたちのないものと」
本の中で、なにがかたちのあるもので、なにがかたちがないものなのか、具体的に説明してあるわけではなく、感じるものとして書いてあるような気がしました。
     
ずっと考えています。壁に突きあたったとき、わたしはどちらを選んできただろう。かたちのあるほうに飛びついてきたのではないだろうかって。

「かたちのあるものと、かたちのないものと」
壁に突きあたって、どっちの道を選んでも、正解や間違いなんてないと思うんです。もし「正解」という表現をしたいのなら、選んだ道が「正解」なのです。

ブログで知り合った方から、「今が最善なんです」ということを教わりました。
過去を振り返り、「あのとき他の選択をしていたら」とか、「今まで来た道でよかったのだろうか」って後悔することがあります。でも、他の道に進んだ自分がいるわけではなく、私は今の私しかいないのです。今まで歩んできた道が最善であり、今の私が最善の状態なのだと思います。
そのように教わってから、ことある毎に「今が最善なんだ」ってつぶやいています。
    
「かたちのあるものと、かたちのないものと」
壁に突きあたって、どちらかを選ばなければいけないとき、かたちのあるなにかと、かたちのないなにかが選択肢としてあるのではなく、自分が選び進んだ道がかたちになる。
かたちは、自分で作るものなのかもしれない。

いろいろと考えながら、いつの間にか寝てました。
「かたちのあるものと、かたちのないものと」
みなさんは、どのように感じられますか?

   

2006年2月21日 (火)

食べ方までも不器用なもので

お食事のことで もうひとつ。

食事を一品一品片付けながらでないと食べられない子どもが増えているということを聞きました。
お肉を食べて、お肉を全て食べ終えてから野菜を食べて、野菜を全て食べ終えてからお味噌汁を飲んで、お味噌汁を全て飲み終えてからご飯を食べる。
胃袋の中で、キチンと層が出来ていそうですね。肉の層、野菜の層、味噌汁の層、ご飯の層。
ある意味 とても真面目な子なのではないかとも思えますが^^;

そう言ってる私自身、そのような食べ方をしていました。ひとつひとつクリアしないと先に進めなかったのです。
スープを飲んで、ハンバーグを食べて、人参のソテェを食べて、ホウレン草のソテェを食べて、ポテトフライを食べてって。
自分でもこの食べ方はいけないなぁと思ってはいたのですが、学生時代に、一緒に食事をしていた友人から「消化によくないよ」と指摘されてから、意識して直しました(遅い?)。

それでも、肉と一緒にご飯を、野菜と一緒にご飯を食べてはいました。
このような食べ方をする最近の子は、ご飯までも それだけで食べると聞きました。ご飯だけって、食べづらいと思うけど。

どうしてそんな食べ方をしてしまうのでしょう。不思議ですね。
無理に治す必要はないと思いますが、消化にはよくないそうです。

今は その癖(癖なのかなぁ?)は治りましたが、
呑みに行った時に“遠慮のかたまり”を片付ける癖があります。
私の取り皿には、いろいろな品が少しずつのっかってます。

2006年2月19日 (日)

ゴボウの豚肉巻き

今日、寺でご法事のあったお宅からお食事のお弁当を頂戴いたしました。ありがとうございます。
法事と法事の合間にさっそくお弁当をいただきました。
次の法事があるため、ちょっと急いで食べてました。しばらくしてから、ハッとしました。「私は今何を食べているんだろう??」。急いでいるあまり、何を箸でつまんで口に運んだのかも認識していませんでした。味を確認してみたのですが、味だけじゃ判断できませんでした。隣で食べている住職のお弁当の中をのぞき見て、自分のお弁当の中にないものを探す…。探す、探す。

「あっ、ゴボウの豚肉巻きだ」(こころの声)

そう思った途端に、ゴボウと豚肉の味も鮮明になってきました。
食事って、味覚だけじゃなくて視覚も大切なんですね。

それからは、口に入れたものを全部食べ終える前に次の品を口に入れてしまわずに、一品一品味わいながら食べました。一口一口ゆっくりと。
「あっ、このカマボコ、ウニの味がする。ウニが練りこんであるのか」
贅沢なものを食べてたんだなぁ。味わわずに食べてしまうところでした。
美味しく頂戴いたしました。ごちそうさまでした (−人−)
     
〈追記〉      
いつも思うのですが、急いでもそんなに急がなくても、目的を達する時間ってそんなに変わらないんですよね。

食事…急いで食べても、味わって食べても、食べ終わる時間はそんなに変わらない(たまに、信じられないスピードで食べ終えてしまう人もいるけれど)。それなら、味わって食事をしたい。

車の運転…スピードを出してしょっちゅう車線変更して目的地に急いでも、安全運転で走っても、到着時間ってそんなにかわらない。それなら、歩行者に気を遣い、車線変更してくる車を入れてあげて、心落ち着かせて走りたい。急いで事故ったら、それこそ時間のロス(場合によっては、一生のロスにつながることも)。

仕事や家事…やることいっぱいで やみくもに手を付けるよりも、なにをやるのか書き出してみると順番が見えてくる。キチンと書き出したほうが、早く終わることもある。

なんて、思っているんですけどね。いつも時間ギリギリに焦ってたりします。

2006年2月18日 (土)

おかげさま

「おかげさま」
日々の生活の中、忘れたくない ことば です。

「おかげさま」は、
「陰(かげ)」に「お」と「さま」を付けて、さらに丁寧にした ことば です。
「陰」というと、暗さやマイナスのイメージが強いかもしれませんが、本来は人に憩いを与えてくれるものです。
照りつける太陽の暑さから私を守ってくれます。
日陰の意味にとどまらず、苦境から守ってくれる、潤いをあたえてくれる、憩いの空間として「陰」は私を包んでくれています。
その心地よさにふと気付いた瞬間、「おかげさま」という想いが湧いてきます。

「おかげさま」
日々の生活の中、忘れたくない ことば です。
でも、忘れてしまうんですよね。
忘れてしまうけれども、だからこそ、ふと気づいた時に頭が下がる。手が合わさる。
頭を下げるのでも、手を合わせるのでもない。
自然と頭が下がる。手が合わさる。

この私に常に与えられている「陰」というはたらき。
求めるものではなくて、感じるもの。

2006年2月16日 (木)

人生は橋

人生は橋。
渡ることはできるが、
その上に家を建てることは出来ない。

                 インドのことわざ

橋は渡るものであり、とどまる所ではない。
橋の下の景色を眺めるために足を止めることはあるけれど、そこに滞在することはない。そこにずっといるわけにもいかない。
人生は歩み続けるもの。ふと歩みを止めて休んだり、後ろを振り返ることはあっても、いつまでも同じ場所に立っているわけにはいかない。

インドの時間の流れをゆっくりだと感じ、日本の時間の流れをあわただしく感じる。インドに旅行した人の感想としてよく聞かれます。
しかし、このような諺が生まれるということは、やはりインドも時は流れているということ(当然だけど)。
ただ、時の流れの捉え方が違うのだと思う。
日本人、時の流れを早く感じる人にとっての橋の長さは「自分の一生分」程度。
インド人にとっての橋の長さは「はるか昔(生命の誕生)から、永遠の未来まで」ではないだろうか。
日本人でもインド人でも、人ひとりが生きる長さはそんなに変わるものではない。
けれど、自分のいのちの中に、
「自分ひとり」しか見えてないのと、
「連綿と続く いのち」の中を、今たまたま私が生かされていると想うのでは、
感じる時の流れ、空気、雰囲気もまるで違うのではないだろうか。
橋の長さが違うというよりも、橋の幅が違うのかもしれませんね。
「自分ひとり」しか見えていない橋は、幅が狭くて細い。心細く、淋しい。つい立ち止まり、歩みを止めてしまう(家を建ててしまう)。
「連綿と続く いのち」という橋の幅は広くしっかりしている。私だけのいのちではないという自覚。私に受け継がれたいのちは、私を通して、次のいのちにつながっていく。立ち止まってはいられない(家を建てることは出来ない)。

2006年2月12日 (日)

おひさしぶりです

おひさしぶりですみなさま おひさしぶりです。
2月2日から9日までインドに行って来ました。
アジャンタ・エローラの石窟を見てきました。

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帰ったら すぐに写真をアップしようと思っていたのですが、
行程がハードだったので、帰ってきてから疲れきってしまいました。
それから、お仕事が波のように押し寄せて…。
インドの空気に触れて、「もうちょっとゆとりを持って生活しよう!」なんて思ったのもはるか昔、あっという間に元の日常の波に飲み込まれてしまいました。
近々マイフォトに旅行の写真をアップしますのでお楽しみに。

2006年2月 1日 (水)

2006年2月のことば

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 幸福を求める者は 必ず不幸になる
                     和田 稠(しげし)

幸福ってなんでしょう?
平和を求める。平和を求めているのに、平和を求めているものどうしがぶつかり合う。
求めているものは同じなのに、ぶつかり合い、奪い合い、傷つけ合う。
平和を求めても、いや、平和を求める心が戦争を生み出している。

幸福ってなんでしょう?
世界の貧困を無くそうという時、貧しい国々の生活レベルを上げることを考える。自分たちのレベルを落とすことを考えずに。
貧しい国の人々が、今の日本と同じレベルで生活をすると、地球上の資源・エネルギーは、数年で尽きると言われている。そんな現実を聞いても、(自分たちの生活レベルを下げないという意味での)貧困を無くそうと叫べるだろうか。自分の今の生活レベル・ポジションは確保しておいて、さらに良い状況を求める。なんのリスクもなく。
裕福な暮らを求めても、いや、裕福な暮らしを求めることによってこころが貧しくなっている。

幸福ってなんでしょう?
つらいこと苦しいことがあって、幸福を求める。辛苦に耐え、努力して、頑張った先に幸福が見えてきた。それは、あなたの努力の賜物。誰にも否定されるものではない。
でも、つらいこと 苦しいことがあったときの仲間は今どうしているだろう。仲間のことを思い出すとき、この幸せの意味が問われる。
自分の幸福の背景にあるものを忘れてはいけない。私の幸福の背景には、不幸を背負った人、踏み台になった人、利用された人がいる。たとえ私にそのつもりはなくても。

幸福を求める者は、誰かを否定し、誰かを値踏みし、誰かを利用してしまう。たとえ私にそんなつもりはなかったとしても。
人を物化し、道具や目的や手段としてしまう。人の非人間化。幸福を求めて、人を非人間化してしまう私自身も非人間。幸福を求める心は、人間を人間でなくしてしまう。
人を人として見ない果てに、幸福はあるのだろうか。
    
     
お腹が空いたとき、目の前にあるパンを一人で食べるのか、みんなで分けるのか、自分より空腹で苦しむものにすべて渡すのか。

【自分ひとりの幸福】
自分さえよければいい。この悲しさ。
気づいた時には、孤独になっていることでしょう。孤独になって初めて気付く温もりがある。気付いたときには遅いけれど。

【自分と周りの者だけの幸福】
願いがかなった嬉しい気持ち。感謝の気持ちを、いつまでも忘れないでいたい。それなのに、さらに願いごと。手にしたものに不満なの? 不満なのは、今手にしているものではなく、私のこころが不満に思っているだけだから。そのことを忘れずに。

【自分のことよりも、他の誰かが幸せならいいという幸福】
周りが幸福なら、自分のことはどうでもいい。そんなあなたを見て、哀しむ人もいる。苦しみをひとりで抱えないで。
   
    
幸福を求めずには生きていけない私。
幸福とはなんだろう。不幸とはなんだろう。自分の思い通りになることが幸福で、思い通りにならないことが不幸? その考えの枠の中にいることが、不幸なのかもしれない。
幸福とか不幸とかで、人生をはかることをやめてみて。やめたところに、初めて見えてくるものがある。幸福を求めなくても、今すでに幸福だということが。
幸福を求める者は、今の幸福が見えていない。そのことが、とても不幸。
幸福を求める者は、必ず不幸である。

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