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2006年1月12日 (木)

朝には紅顔ありて 夕べには白骨となれる身なり

2006年1月1日、和田稠先生が浄土へ還られました。

ご法話の前に拝読する「三帰依文」。
和田先生が拝読される「三帰依文」がとても好きでした。
「無上甚深・・・微妙の法は・・・百千万劫にも・・・遭遇うこと難し・・・我いま見聞し・・・受持することを・・・得たり・・・願わくは・・・如来の・・・真実義を・・・解し・・・たてまつらん・・・」
ご法話の講師として全国を周られていた先生。当然、何度も「三帰依文」は読まれている。それでも、読むたびに確かめながら、味わいながら、自分の身に尋ねられながら、いただいている。
その姿を見るのが好きでした。その姿を、直に見ることはもうできません。

最後にお会いしたのは、2004年9月13・14日の学習会。
先生88歳。東京で続けてきた学習会でしたが、先生の体調を考えて地元の石川県で開かれました。
話し初めは、体調が優れないのなかと思ってしまうような感じなのだけど、話しているうちに、どんどん声が大きくなり、艶が出て、元気が出てくる。その声に、姿に、聴衆は引き込まれいく。進行係が休憩を入れない限り、話は続く。どんどん溢れてくる。どんなに語っても、語りつくせないのだと思う。自分の人生の限り、メッセージを伝えようとされていた。

昨年11月7・8日、横須賀のお寺の報恩講に先生のお話を聞きにいくことになっていた。
が、私は風邪をひいてダウン。無理して行けないこともなかったが、先生にうつしてはいけないと気を遣ってしまった。
先生の体調が優れないのは聞いていた。それなのに先生は石川から横須賀まで出てこられたのに。聞くところによると、横須賀のお寺に来る前日、高山のお寺でお話をされていたとのこと。「あぁ、私はなにをやってんだか」。
こころのどこかで「またお話を聞く機会があるさ」なんて思っていた。先生の体調が優れないと聞いていたのに。

しかし、先生の訃報を聞いて湧いてきた感情は、お話を聞き逃した後悔ではなかった。
先生の姿が脳裏に浮かんできた。
「あなたたち、真宗門徒として生きているといえますか?」。優しい語りで、厳しい内容。
何があっても、誰から誹謗中傷されようとブレることのない信念。
あの細い体から満ち溢れるパワーは、「私は悟った」と自己完結してしまった人からは出てこない。「私は迷っている」と告白しているからこそ出てくるもの。
一生迷い、一生親鸞聖人のあとを追いかけていった先生。
波の満ち引きのようにブレまくっている私のこころに一本の太い杭が打たれた気がした。
「このまま行きなさい!!」
訃報を聞いて、そんな声が聞こえてきた。
和田先生、ありがとうございます。
                南無阿弥陀仏

(付記)
和田 稠(しげし)先生
 1916年 石川県生まれ
 真宗大谷派 浄泉寺 前住職

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コメント

こんにちは。
現在はどうかわかりませんが、一昔前は中学校の校則がとても厳しく、髪型も坊主刈りしか認めないようなところがありました。私の通った学校もそんな感じで、指で頭髪をはさみ少しでもはみでたらほっぺたを張られたこともあります。ことは校内に止まらず、学区内の床屋さんも学校に協力して、坊主刈り以外の注文は受けてくれなかったものです。
そんな雰囲気の漂うある地方で面白い床屋さんがおられました。ちょっとつっぱったような中学生がとんでもない髪型にしてくれといってきても、何もいわず黙って要求通りにしてやるのです。そんな話のわかるおじさんがいるのはその店だけですから、当然のごとく、そこはやんちゃな子どもたちのたまり場のようになったそうです。
ところが、たまり場になった原因は単にそれだけではなかったのでした。というのは、そのおじさんは学校の先生や親が言わないような話を聞かせてくれたのです。具体的なことはわかりませんが、どうやら子どもたちはおじさんの人間性に魅せられてしまったということでした。
というような流れで四六時中、散髪をするわけでもないような連中が話をしにくるようになり、結局、おじさんは「これじゃあ仕事にならん」と音をあげてしまいました。そこでやんちゃ坊主たちはどうしたか?
実はその時点において、その店は子どもだけではなく、その子たちの親まで集まってくるようになっていたのだそうです。それだけ、おじさんの話に人をひきつけずにはおれない何かがこもっていたのでしょう。その親たちが今度は動き出しました。
店の中じゃあ迷惑だから、みんなでお金をだしあって、離れみたいな建物をたてて、そこでゆっくり話を聞かせてもらおうじゃないか。大人たちはそういう結論をだしたのでした。つまり道場が誕生したのです。
ちなみに床屋のおじさんは熱心な聞法者だったそうです。
これは和田先生が実際にあった話としてお伝えくださったもので、私の頭にこびりついて離れない逸話です。真宗のお寺ってのはそういうもんです、とのことでした。いわゆる寺院の成り立ちとは正反対で、まず法を聞く人が生まれる、そこが真宗寺院の出発点だということを教えていただきました。耳が痛い話ですが、そういえば、痛くも痒くもない話は一切なされない方だったように思われます。
ありがとうございました。合掌。

こんばんわ

和田先生が、浄土をお帰りになったのですね・・

父が、鹿児島別院に勤務していた時に
「報恩講においで。素晴らしいお話をされる方がくる」
と誘ってくれました。
それが、和田先生でした。

「生き様を教えとし、後世に伝う」

私は、こういう言葉しか、思い浮かびません。

合掌

☆ケイスケさん こんばんは
☆ねこ吉さん こんばんは

和田先生の本を読み返してました。
「痛くも痒くもない話は一切なされない」先生です。
そう感じるということは、自分の中に思い当たる面、アイタタタな面があるから。
たくさんの宿題をいただいていることを、あらためて感じています。

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