傷ついたのは…
傷ついたのは、生きたからである。
高見 順
人と接するということは、
誰かに傷つけられることでもあるし、
誰かを傷つけてしまうことでもある。
誰かに傷つけられる
こころの傷は、簡単に癒えるものじゃない。
誰かを傷つける
意図的に傷つける人もいるかもしれないけど、
自分でも気付かないうちに人を傷つけていることがある。
いや、そっちのほうが遥かに多い。
他人の刃には敏感でも、自分が持っている刃には鈍感なもの。
誰かに傷つけられ、誰かを傷つけ、それが怖いからと人と接することを遠ざける。
しかし、ひとりぼっちという孤独が私を傷つける。
私を傷つけるのが人ならば、
私を助けるのも人。
「傷つける」と「助ける」
「傷つける」人ばかりでもないし、「助ける」人ばかりでもない。
「傷つける」があるから「助ける」が成り立ち、
「助ける」があるから「傷つける」が生まれる。
矛盾するものが、必然として存在する。
「キズ」という響きが、つらさ哀しさを連想させる。
自分を奮い立たせる ことば や音楽。
自分を省みた想い。
それらを“胸に刻む”。
感動的な景色や場面。
それらを“目に焼き付ける”。
刻んだり、焼いたり…ことば を変えれば“傷”ということ。
つらさ 哀しさだけじゃない、自分の身に起こるすべての出来事が“傷”として私に刻み込まれていく。
傷ついたのは、生きているから。
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かつ様、こんばんは。
傷って、ネガティブなイメージを持っていましたが、
解釈次第では良い意味にもなるのだなぁと思いました。
傷を持てば持つほど、深みのある人間になれるのかしら・・・。
投稿: じゅり | 2006年1月28日 (土) 01:24
☆じゅり様 こんばんは
解釈してしまうのは、私の“想い”ですものね。
ネガティブに受け取ろうがポジティブに受け取ろうが、“傷”そのものは私の人生に必要なものとして(必要だからこそかな)刻まれるのでしょうね。
お忙しいご様子。無理なさらないでくださいね。
息抜きにブログに遊びにきてくださいませ。
投稿: かつ | 2006年1月29日 (日) 01:11
ありがとうございます。
改めて、もう一度、読み返したら
涙がほろほろこぼれてきちゃって、、、不思議。
かつ様の記事って、読むごとに新しい発見があって
深さを感じます。
また、来ます♪
投稿: じゅり | 2006年1月30日 (月) 01:17
☆じゅり様 こんばんは
「新しい発見」がある時って、自分のこころが動いている時。
なにもないときに読んでも、なにも感じない。
こころの琴線に触れたのは、生きているから。
じゅり様ありがとう。
“じゃがポックル”美味しそうですね^^
投稿: かつ | 2006年1月30日 (月) 01:39