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2006年1月 9日 (月)

5kgの重さ

誘拐されていた赤ちゃんが無事保護されました。犯人も捕まりました。
お母さんやお父さん、身内の方の心配は、テレビや新聞を通して心配する者の想いをはるかに越えたものがあります。
昨年、児童殺害の事件が相次ぎました。そして今回の誘拐事件。
こころが痛む事件が続きます。

「どうして、そんなことをするんだろう」
率直な疑問です。

事件を起こす者には、その背景に、そうせざるを得ない理由があります。
「どうして、そんなことをするんだろう」と思う我々だって、そうせざるを得ない縁にぶち当たった時、どんなことをしてしまうか分かりません。
しかし、当然のことながら、どんなに正当な理由があったとしても、許されるものではありません。
        
           
以前、少年院で教誨師をしている牧師さんのお話を聞く機会がありました。
「事件を起こした少年たちと話していて思うのは、本当に悪い人間はいないということです」
「今、家庭に足りないもの…家族での会話です」
「親は子に無関心か、必要以上に甘やかす。今の親はなんでも与えてしまう。それがどんなに子どものためにならないことか。
子は、気に食わないことがあるとその怒りが親に向く。
親は、自分が経験した産みの苦しみを思い出して欲しい。子は、自分がどうやって生まれてきたか、知って欲しい。5kgの重りをお腹に巻いてみて下さい。それだけでも、子どもを生むことの苦労、自分が生まれてくるために親がした苦労を分かるはずです」      
       
「5kgの重り」の話を聞いた瞬間、ズシッときました。
5kg…軽いようで、とても重い。ひとの一生の重さです。
「そうせざるを得ない理由」にぶち当たった時、5kgの重さを思い出してください。お腹に巻いてみて下さい。
「そうせざるを得ない理由」は、その重さよりも重たいですか? 自分に問うてみてください。

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コメント

こんにちは。
養老孟司という方のお母さんは「うちの子は知恵遅れに違いない」とこぼしておられたそうです。本人に向かっても「お前バッカだね」とおっしゃったこともあるみたいです。
それというのも、幼き日の養老さんはお母さんが出かける時、玄関で犬の糞を黙ってみつめていて、お母さんがしばらくして帰ってきた時もやはり犬の糞を見つめているような子どもだったのだそうです。それで「お前バッカだね」となる。まあ、私でもそういうかもしれません。
一方養老少年は実は犬の糞に集まる虫を観察していたらしいのです。これは馬鹿にはできないことです。で、まあ説明したのかどうかは書かれてませんでしたが、少年は少年で「お母さんは馬鹿なことをいうな」と思っていたという話なんですが、これどう思います?
家庭の会話という話が出てきたんで思い出してしまったのですが、母と子の関係に意志の疎通ってそんなに大事かなということがこのエピソードであらわされているようなのです。
何であっても話せばわかるとか、自分のことをわかってくれる人がいるとか、そういった考え方がありますが、これはどうかと思います。たとえ親子であれ個々の考えていることなぞわからないというのが事実ではないでしょうか。でも、わからないからといって悲観することはない。わからないからこそ共感することの大事さが際だつのではありせんかね。そこにこそ生きる甲斐があるのでしょう。
自分を、または自分が「わかる」「わからない」「わかってくれる」「わかってくれない」、そういう二分法で対人関係を見ていくと、とてつもない深い落とし穴に落ちてしまいそうな気がします。話すことの大事さは「わかる」こととは直接関係していないのではと思い、以上記しました。
で、ここでやっと本論に入りますが、産みの苦しみを感ずることでいのちの尊さを知るという今回のお話ですが、とても大事なことであることは言うまでもありません。が、しかし、どうしても前述した内容が頭をよぎってしまうのです。
私の妻は、私と妻の子どもをうんうんうなりながら産みました。ありがたいと心から思います。ただ、五キロのおもりを腰につけて実感してみましたと、私は妻に言うことはできません。理解する努力をしてみましたとも、とてもとても言えたもんじゃない。そこまで不遜には生きることできないのです。これは母に対しても同様です。
お互いがお互いのことをちっとも理解できないのだけれど、それでもなぜか寄り添いあって、よちよちと歩んでいく。それが人と一緒に生きていくことなのではないでしょうか。いや、やはりわかりあうことが条件だと誰かがおっしゃるのならば、私には生きる資格はなさそうです。まあ、資格がなくても生きていきますけどね。
いろいろ書きましたが、五キロのおもりを腰にぶらさげるよりも、親子でとっくみあいをやった方が話は早いってことを書きたかったのかもしれません。
きりがないので、今回はこのへんで失礼します。

☆ケイスケさん こんばんは
「親子でとっくみあいをやった方が話は早い」
生身の人間とのとっくみあいが大事なんだなぁ。忘れてました。事情があって、私にはそれができないので、5kg云々なんて書いてしまいました。
恥ずかしいです。

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