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2005年12月28日 (水)

ココガアカルイ

ワタシハイマココニイル
ココガワタシノイマノ場所
ココヨリホカニワタシノ場所ハナカッタ
ハズカシイケレドココガワタシノ場所ダッタ
ココ
ココ
ココ
ココニイルワタシ
ココニイルココガ
ハズカシイケレドワタシノ場所ダッタ
ココガアカルイ
ココガアカルイ
スバラシクアカルイ

      「ココトワタシ」 竹部勝之進

今年も残り少なくなったある日、「矛盾」ということばが脳裏をかすめる。
様々な出来事、情報、思考が重なって「矛盾する苦しみ」について考え始めた。
12月13日の記事は、その想いを書いたもの。
「矛盾する苦しみ」について考えていたある日、竹部さんの詩に出会う。

ワタシハイマココニイル
いきなり参りました。
自分が今、この場で、この身で、存在している。
当たり前だけど、忘れている大前提。
「矛盾する苦しみ」に限らず、自分が抱えている問題・事情・環境について考える時、この大前提が抜けている。
ワタシハイマココニイル
動かしがたい大前提。この大前提に「ナゼ」を付けてしまう。
「ナゼココニイルノカ」と。
自分が今、この場で、この身で、存在しているということを無視して「ナゼ」を付けるということは、根無し草のようなもの。フラフラ フラフラしてしまう。落ち着かない。
「ナゼ」が付いてしまうのは、今とは違う何かを求めてのこと。
でも、ワタシノ場所ココ
そのことに目を向けた時、しっかり根が張ってくる。

ココガアカルイ
ココガアカルイ
スバラシクアカルイ

ココニイルノハ ワタシヒトリノミ 
天上天下唯我独尊

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コメント

こんにちは。
本当に事実を受け入れるということは難しいです。今、ここに、このようにして生きている私というのは、どうしてこんなに気にくわないのでしょうか。かつさんは「今とは違う何かを求めている」と書かれていますが、おっしゃる通りです。しかし、ここで話が堂々巡りのなりますが、何でそういうものを求めちゃうのでしょうか?ああ、きりがない……。
一方では「今とは違う何かを求める」心というのは、向上心という名のもとに礼讃されている現実があります。どこまで行っても「もっともっと」それが人間の上等な生き方のように思われています。
先日も息子とトランプをしていました。いつもは適当なタイミングで負けてやったりするのですが、その時やってたゲームは勝敗の趨勢が非常に偶然性に頼る性質のもので、ついつい私が勝ちすぎてしまいました。すると彼は「まあ、いいや」って泣きそうな顔で言うじゃありませんか。それを聞いた私の口をついてとっさに出た言葉は「負けたら悔しがるのが普通だよ、勝負なんだから、あきらめたようなこと言ってたらつまらんよ」でした。
私もまた向上心と勝負にとらわれた人間であることが指摘されたわけです。
負けた悔しさを「まま、いいや」って涙をこらえて表現する人がいたっていいんですもんね。それが私の息子の現実なら、何で黙って見てられないのか。なかなか厄介な問題ではありますが、事実を事実として認識することの困難さを改めて考えさせられた次第です。

☆ケイスケさん こんばんは
最近「矛盾」という ことば をよく使ってます。
でも「矛盾」って「事実」のことなんだなぁ。
だからこそ迷い、悩み、苦しむんでしょうね。
だからこそ事実を事実として認識することが困難なのでしょうね。

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