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2005年12月23日 (金)

お茶わんを割るのは洗う人だけ

以前、「高橋の手帳」で「身近な人の名言・格言」を募集してるという記事を書きましたが、その優秀作が発表されてました。

大賞は、
大丈夫! またすぐに『青』になるから。
車を運転していて信号が赤に変わってしまい、悔しがるお父さんに言った息子さんのことば。

仕事がたまっていて、全然片付かなくて、気持ちばかり焦って、イライラして。
そうだ!! いつまでも『赤』じゃないんですよね。すぐに『青』にかわるんだし。
それに、『赤』のときは止まるべき(休むべき)なんですよね。『赤』なのに、突っ走ろうとしてました。
教えられました。

大賞のことばに頭が下がりましたが、個人的には「黛 まどか賞」に選ばれたことばが好きです。
お茶わんを割るのは洗う人だけ
私、なぜか土瓶のフタをよく割ってしまうのです。土瓶本体は無事だし、捨てるのももったいないので、フタのない土瓶が物置で出番を待ってます(でも日の目を見ることはなさそうですが…)。

このことばに出会って、自分の頭の中で「人を傷つけるのは、大事にする人だけ」ということばに入れ替わりました。
人を傷つけてしまうのは、交流があるからこそ。交流が無かったら、出会ってなかったら、傷つけることもないでしょう。ある人のことを大切に慕(おも)えば慕うほど、相手を傷つけることもあるし、傷つけられることもある。

お茶碗を割ることが目的で洗う人はいない。
だけど、割ってしまうこともある。
しかし、割るのが怖いからといって洗わないでおくわけにはいかない。

人とのお付き合いでも、
人を傷つけることが目的で人と接する人はいない。
だけど、傷つけてしまうこともある。
しかし、だからといって人と接することを避けるわけにはいかない。
避けるわけにはいかないというか、人と接する機会を自らなくしてしまってはいけないと思うのです。

ある人のことを大切に慕えば慕うほど、相手を傷つけることもあるし、傷つけられることもある。
「人間関係がうまくいかない」と言うけれど、うまくいかないところで成り立っているものなのかもしれないですね。

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コメント

こんにちは。
ある精神科医の先生に聞いた話です。
夜中になると必ずおかしなことをわめいて、同室の方たちに多大な迷惑をかけ続けている患者さんがおられたのだそうです。単に五月蝿いというのではなく、周囲の人間を巻き込み尽くさないと終わらないような、厄介な状態だったようです。
そんな中、その問題の患者さんがある事情で、今までおられた部屋から別の場所に移動されることになりました。普通、こういう場合は、皆ほっと一安心といったところでしょう。ところが不思議なことにそうはならなかったのです。
迷惑の限りを尽くしたその患者さんがおられなくった途端、被害にあっていた患者さんたちが今度はおかしくなってしまったのだそうです。これは理屈ではちょっとはかれない話です。夜中にわけのわからないことで起こされ、さんざん振り回されるという形で成立していた人間関係ということになるのかもしれません。
私たちは何によって支えられているのか。家族だ恋人だ金だ健康だと、いろいろ出てくるのでしょうが、実は嫌なあいつのおかげだよっていうこともあるのでしょうね。そんなこと思えって言われても、思えませんけど。

☆ケイスケさん こんにちは
自分が経験してないことは、信じがたいものですね。

「理屈ではちょっとはかれない話です」
「そんなこと思えって言われても、思えませんけど」
自分の思いを越えたものがあるんですよ。その中を生かされているのですよ。
自分で信じるとか信じないとか、分かるとか分からないとか、理にかなうとかかなわないとか言うけれど、自分の狭い狭い考え・思考・経験の中でもの言ってるにすぎませんからね。

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