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2005年12月 6日 (火)

自分のことで精いっぱい?

東南アジアを旅行することが趣味の友人からのメール
「『ほたるの墓』にもあるように、狭い範囲の身内を守るために幼い子を放り出すでしょう!あれが日本人の本質ですよ!タイやフィリピンは自分より困っている人は助けます!金持ちは喜捨を喜んでします。人生観からして日本人は貧しいと思います」

反論もおありかと思いますが、私は「そうだなぁ」って頷きました。
狭い範囲を守るため、他を切り捨てる
今、テレビで嫌というほどその光景が映し出されています。
その光景と友人からのメールが重なって感じられます。

「○○だから」「△△なので」
理由や言い分、そして言い訳は誰にでもあります。
その理由のあと、
「○○だから、私は悪くない」
「△△なので、責任はない」
と続きます。
今、私自身が困っているから助けられない。
助けられない(助けない)主張のために、理由や言い分を作り出す。
そして責任のなすり合い、犯人探し、他人事。

タイやフィリピンの人は、
「○○なんだ。だけど助けるよ」
「△△なんだ。だけど一緒に頑張ろうよ」
って続くのでしょうね。
今、私も困っているけど、一緒にいればなんとかなるよ。
困っているという理由と、助けられないという主張が結びつかない。
少ない食料や衣料をみんなで分け合う。

このような書き方をすると国民性を比較しているみたいだけど、「私自身はどうだろうか?」ってこと。

先日、ボランティア講座に行ってきました。
「ボランティアを日本語に訳すとどういう言葉がふさわしいでしょうか?」という質問に講師の先生は、
「私は“助っ人”と訳したい。
困っている人が『手を貸してくれますか』って言ったときに、ちょっと余裕のある人が『ええ、お手伝いします』って出来ることをする。そういうことだと思うんです」
と言われました。
この関係は、たまたま手を貸す人と借りる人とに分かれてはいますが、時と場合によってはいつ逆転してもおかしくないこと。誰もが被災者になりうるし、誰もが“助っ人”になりうる。

講師の先生は、「ボランティアとはなんだろうか?と考えなくても勝手に体が動き、手伝いができる。そんな環境になればいいなと思います。ボランティアという言葉を使わなくていい時が来て欲しい」とも仰いました。

人を助けるのに、理由も理屈も言い分も言い訳もない。
「目の前に困っている人がいるから助ける」
この簡潔・簡単なことが出来ていない私。

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コメント

こんにちは。
簡単なようで難しい問題ですね。
杉村春子という人が粋について「誰かに何かをしてやる」という意識をむき出しにしない生き方だと書いておられました。
近所で子どもが熱を出して大変だという家があれば、黙ってなにがしかの手助けをする。そんなことは当たり前のことであり、仮に助けようとしない人間がいたところで、四の五の語る必要ないのだ。という姿勢を貫いている人を、昔の東京では「粋だねぇ」と讃えたそうです。また、そういう話を聞きかじって半端な真似をする人を「粋がる」といって嫌ったのだそうです。
こういうのは美意識の問題でもあるのかもしれませんね。

☆ケイスケさん こんばんは
被災地で、「助けてやってる」って態度が出てる人が中にはいるんですって。反対に「私は被災者だ」ってことを前面に押し出す人もいる。
たまたま被災した側とボランティアする側に分かれてしまっただけのことで、立場は変わるもの。つまり、みんな同じ立場にいるわけなんですよね。なのに、必要以上に今の立場を主張してしまう。人間って不器用なんですね。

「粋がる」の由来・語源、目からウロコです!!
「意気がる」かななんて思ってましたから。

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