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2005年11月 8日 (火)

報恩講…自分との出会い

PICT0017

11月5日(土)西蓮寺報恩講が厳修されました。
海 法龍先生(横須賀長願寺ご住職)にご法話をいただきました。

 清く・正しく・美しく
 向上・進歩・発展

悪いこころではない。善意ですよ。でも、人間が良いと思っている心が一番危うい。
「清く・正しく・美しく。向上・進歩・発展」…この道を歩んでいると、人間は高みに立つ。高みに立った所から人を見下す。慢心のこころです。
良いことをしていると、良いことをしている自分に酔ってくるんです。良いことをしていると自慢話が出る。

慢心ってね、自分では気付かないんですよ。
自分が良い事してるなぁって思ったときは、皆さんも気をつけてください。
向上もいいけど、向下も忘れずに。
足元を見る。
自分の姿を見る。
無自覚を自覚する。
気付かなかったものに気付く。
それが人間にとって大事なことですよ。
南無阿弥陀仏のおこころの内容です。

自慢話…一番聞きたくない話ですよね。
でも、一番したい話も自慢話なんですよ。
他人事じゃない。自分のことです。

かたくなになっていた自分のこころが、「あぁ、これが自分かぁ」と知らされてこころ安らぐ。
物事がうまくいって安らげるのではない。
自分の姿が知らされて安らげる世界があるんです。
自分が自分に出会うことが大事だと親鸞聖人は教えられる。
私たち、自分を見失って生きているんです。

そういうことを知らせていただくおこころがお経の中にはあるんだなぁと思いながら、お勤めしていただけたらと思います。
      
PICT0012
     
今年の9月に、
地獄への道は、善意で敷き詰められている
ということばを掲示したら、
「あぁ、いいことばだねぇ。最近の自分自身の問いなんだよぉ」
と海先生はおっしゃられました。
高い所に立って法話をされるのではなく、自身の問いの中から、自分をさらけ出してお話をされる。
海先生の法話を楽しみに報恩講に参詣される門徒さんがたくさんいるのも分かります。

追伸
西蓮寺報恩講が勤め終わると同時に風邪をひいてしまいました。
声がまったく出ません。ホッとしてしまったのでしょうか。
みなさんもお気をつけください。

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コメント

かつさん、風邪の具合はいかがですか?
私はようやくよくなりました。
今年の風邪はなかなか治らないような感じがしたけど、私だけかなあ。。。
休める時に休んで、こじらせないようにして下さいね。

おおーっ!って、目からウロコでした。
“慢心”確かに自分では気がつかないことが多いですね。
それでいて、人のことはとても目につきます。
そういう時、ああ、この人は今、とっても充実しているんだなあって感じます。
と同時に、自分も同じようなことをしている時がある(あった)なあと気づかされます。

>自分の姿が知らされて安らげる世界があるんです。
これはいいとかわるいとかそういうことではなくて、
そういう世界を、それぞれの人が持ち合わせているということ
なのでしょうね。
慢心のこころに気づく、無自覚を自覚するということは、
うまくいっている時に自分で気づくことは難しいからこそ
気をつけなければならないことなのだなあと思いました。
そして、つくづく、いい時もわるい時も(すいません、いい表現が浮かびません)
自分を見失って生きていて、周りがあっての自分がいることで、
「自分」を見つけ出している機会が多いものなんだなあと思います。

どんな時も、自分を見る目を曇らせないでいたいものですね。
難しいですけど…ね^^;


かつさん こんにちは

自慢話は一番聞きたくないけれど、一番したい話・・・
なるほどほんとにそうだなあ~と思いました。

ちょっとよい事をしたときとか
何かがうまくいったとき、そうでない人を見て
自分の中に湧く気持ち。
まさに「慢心」というものだなあと思いました。

そしてその後、自分の「うまくいってる」と思ったことが
思いがけず覆されたりすると・・
さっきまでの「慢心」がガラガラと音をたててる感じになります。

今日ちょうどそんなようなことがあったので・・・
タイムリーでした。そうか、こういうことだな!って。

そういう自分の姿に気づくと、
ほんとに恥ずかしいし情けないです。

>自分の姿が知らされて安らげる世界があるんです

そうですね。私自身はなかなかほんとうに「安らぐ」気持ちに
たどり着けないんですけれど、信仰を持つということは
こういう世界をもてることだと思います。
自分を見失って、見つけてガックリして、
でも許されて力づけられて・・・
その繰り返しですね・・

風邪、お大事に!
ただでさえ急に乾いて寒くなってきましたもんね。
あっという間に、もう冬ですね。

☆りるさん こんばんは
充実しているときって、自分自身は気分いいけれど、
周りが見えてない一面があるんですね。
「充実」と「慢心」は表裏一体。
先生も言ってましたが、難しいですね。
気をつければ済むとか、人に迷惑をかけなければいいとか、
そういうことでもないのですよね。
そういう一面を併せ持ちながら生きていかなければいけない私たち。そのことは動かせない。だからこそ「自分の姿が知らされて安らげる世界」があることが、より所になるのですね。
「自分を変えて、安心(自己満足)出来る世界」じゃなくて。

「自分を見る目を曇らせないでいたいものですね」
目からウロコが落ちたことですし、スッキリと見えるかもしれませんよ^^
それもつらいことかもしれないですね。
うん、難しい。

☆fairmoonさん こんばんは
「慢心」…思いとしては一瞬のことなのかもしれませんね。
でも、気分がいいものだから、いつまでも持っていたい。
だから、慢心に慢心を上塗りしてしまう。
でも周りの人は気付いているわけです。「自慢したいだけなのね」って。
恥ずかしいですね。

「自分の姿が知らされて安らげる世界があるんです」
fairmoonさんにとっても、りるさんにとっても、
このことばがキーワードになったみたいですね。
自分って、簡単に変えられるものじゃないし、変える必要もないのだと思う。なのに、「変えよう変えよう。変わらなきゃ」って思いすぎて、自分を苦しめてしまう。このままの私でいい世界を生かされているのに。
「信仰を持つということは、こういう世界をもてることだと思います」
そう思います。自分が変わったり、なにか大きな力を得たりって、そんなことじゃないんですよね。信仰って、今のままでいいんだよって教えてくれるものだと思う。なにも変わらないけれど、大きく変わるんだと思います。

「自分を見失って、見つけてガックリして、
でも許されて力づけられて・・・その繰り返しですね・・」
七転び八起きです^^


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