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2005年10月12日 (水)

杉原 千畝物語

「日本のシンドラー 杉原千畝物語 六千人の命のビザ」(日本テレビ 10月11日放送)を見ました。

外交官の杉原千畝(反町隆史)がリトアニアに赴任して暫く経つと第二次世界大戦が勃発。 ナチス・ドイツはポーランドの西半分を制圧し、ユダヤ人への迫害を始める。そしてリトアニアはソ連に併合される事になり、日本領事館に閉鎖命令が下される。 そんな折、日本領事館にポーランドから逃れてきたユダヤ難民が押し寄せ、日本の通過ビザの発給を求めてくる。千畝は外務省に再三に渡ってユダヤ難民にビザを発給する許可が欲しいと電報を打つが、ビザは出せないという最終通告が届く。だが、退去期限がひと月に迫った時、千畝は外務省の命令に背く事を決意し、ユダヤ難民たちにビザの発給を行う…。

(日本のシンドラー 杉原千畝 物語HPストーリー紹介より)

日本帰国後、杉原千畝は外務省の通告に逆らってビザを発給したため、外務省を解職されます。
想像を絶するつらさがあったことでしょう。仕事を解職されたつらさよりも、6,000人のユダヤ人の命を救ったと讃えられていますが、救えなかったユダヤ人がいるということにつらさや苦しみを感じる人だったのではないでしょうか。
今振り返って、「勇気ある人がいたんだなぁ」「外務省は冷たいなぁ」などと言えるが、果たして自分がそのような立場に置かれたとき、何ができるだろう。ユダヤ難民を見殺しにしていたのではないだろうか。
   
   
イジメや虐待が身近で起きているのに、何も出来ない私がいる。
イジメや虐待に直接関わっていないから、自分には罪はないと言い切れるか。
「ユダヤ人じゃなくてよかった」と思ってしまうのは、ユダヤ人を迫害していることと同じだという、千畝の妻幸子のセリフに頭を打たれる。
   
    
ある日、千畝を訪ねる男性がひとり。
「私は、あなたが発給してくれたビザのおかげで生き延びた者です。このビザは私のいのちです」
肌身離さず持ち続けてボロボロになったビザを千畝に見せる。
「ユダヤ人はあなたのことを忘れたことはありません。あなたをずっと探していました。あなたは、幸せでしたか?」
「今あなたに会えて、私は幸せだったことが分かりました」
幸せ…今、私たちは“幸せ”を目標・目的に生きています。しかし、“幸せ”とは目標・目的にするものでしょうか。
千畝の生涯は、現代の私たちの価値観からいうと、幸せとは言えないものと思われます。
しかし、自分のことを必死に探し回って訪ねて来てくれたユダヤ人に会うことによって、その時初めて「私の人生は幸せでした」と言える。
“幸せ”って求めるものではなく、気がついたらそこにあるものなのではないでしょうか。
つらさ哀しさがない人生が“幸せ”なのではない。つらさ哀しさがあったからこそ、ふと“幸せ”を感じる瞬間がある。

“幸せ”は先にあるものではなく、今あるもの。
それに気付いていないだけ。
今、“幸せ”なのに。

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コメント

かつさん こんばんは

「杉原千畝物語」、見ようと思ってビデオに撮ってまだ見てません(^^; 早く見たいな

昔「知ってるつもり?!」かなにかで見て初めてこういう人がいたことを知りました。

「何もしないこと」の罪、というか、怖さを思います。

昔「逆境にあってもその中に幸せを探して生きていく」というような類の話が嫌いで今でもちょっと抵抗を感じるのですが、それは自分にはそんなふうにできないと思う気持ちの裏返しかなと思います。
私は信仰をもっているけれど、何かあるとすぐに、幸せに生かされていることを忘れます。

>“幸せ”って求めるものではなく、気がついたらそこにあるものなのではないでしょうか。
>“幸せ”は先にあるものではなく、今あるもの。
それに気付いていないだけ。
今、“幸せ”なのに。

この言葉、かつさんから今苦しい人たちへのエールですね。言葉の後ろに、かつさんの気持ちがいっぱい見えるような気がしました。

私も、「動ける」人になりたいです。温かい気持ちを持って、行動できる人に。そう思い続けていたらいつかなれるかな。

最近何かで読んだ「子供には、言葉で教えるより行動で教える」ということ(かつさんの記事にもありましたね)が、ずしりとくる今日この頃です。
(なんだか思うこといっぱいで、まとまらないコメントですみません 汗)

☆fairmoonさん こんばんは
パソコンの調子はいかがですか?

>かつさんから今苦しい人たちへのエールですね。

そのように感じていただけると、照れますが嬉しいです。
でも、自分自身へのエールでもあります。「逃げるな!!」って。


>昔「逆境にあってもその中に幸せを探して生きていく」というような類の話が嫌いで今でもちょっと抵抗を感じるのですが、

お気持ち分かります。私も、そういう類の話を書いたときは、
「俺がそんなこと言えるの?」って抵抗を感じます。
で、そもそも“幸せ”ってなんだろう?って考えているのですが、
“幸せ”を自分の都合のいい人・出来事・環境などと考えると、そんなのは逆境において見出すことは難しいと思うんですよね。でも、「逆境において存在している私自身の姿」こそ“幸せ”の姿ではないかと感じています。
“幸せ”の意味・定義が違いますかね?
でも、そういう考え方も出来るのではないか。そういう考え方こそ必要じゃないかって思い始めています。
(私こそ、まとまらないお返事ですみません)

この手のドラマは、ビデオに録ると、見ないことが多いので、録画せずに見てました。
ぜひご覧ください。

かつさん
こんにちは、またまたすみません

ドラマ、見ました。私もビデオに撮ると大概そのまま見ないことが多いんですが、今回はかつさんのおかげでちゃんと見れました!

見てよかったです。

国外退去になる寸前までビザを書き続けて、
「あと一日でも早く決断していたら」と悔やむ姿には涙が出ました。

ほかにも思うことが色々あって、自分のところでも記事にしてみよう・・と思っています。
いいドラマでしたね。

(私のパソコンはどうも直らないようで、夫のお下がりを何とか使っています(::) )

☆fairmoonさん こんばんは
ドラマよかったですよね。

>ほかにも思うことが色々あって~

いろいろと考えさせられる。
そういう刺激を与えてくれるもの(テレビ番組に限らず)って大切ですよね。
答ばかり求めてしまうけれど、人生、答のないことの方が多いわけで…。
いろいろと考えさせられる。そういう作業が日常から欠如している気がします。
答そのものよりも、そういう作業を大切にしたいですね。


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