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2005年8月 4日 (木)

「〜に」の宗教

昨日の西蓮寺聞法会で、
真宗の聞法会は、「親鸞に学ぶ」「歎異抄に聞く」など、「〜に」というネーミングが多いというお話をしました。

「親鸞に学ぶ」「歎異抄に聞く」…なんとなくシックリこないのではないでしょうか。
「親鸞を学ぶ」「歎異抄を聞く」…「〜を」の方が、シックリくるのではないでしょうか。

「〜を」という場合、自分の選びが入ってしまいます。
「これを学んで(聞いて)、いいところは身につけるんだ」ってね。
自分が主体になってしまいます。
すると、法話を聞くのに、取捨選択してしまいます。自分に都合のいいところはありがたくいただいて、納得いかないところ、分からないところは、無視する。

でも、「〜に」学ぶという場合、主体は教えになります。
親鸞聖人の生き方や、歎異抄やその他のお聖教を依り所にして、自分の姿をそこに見るわけです。
教えを鏡として、自分の姿が照らし出されるわけです。

「〜を」だと、教えを自分に合わせてしまう。自分に都合のいいように。
「〜に」は、教えに自分が合わされる(会わされる)んです。都合のいいことも悪いことも。

うまく伝わってるかなぁって、しどろもどろになりながらしゃべっていたら、帰り際に門徒さんのひとりから、

真宗は「に」の宗教ですね。
  というおことばをいただきました。

「真宗のカレンダーに書いてある法語を読んでいて、真宗は「に」の宗教だなって感じていました。
だから、お話会に行くのが楽なんです」

伝わってよかった、というか、私がしゃべる前に感じている人がいたんですね。
話している私が、教えていただきました。

日常でも、
「相手の話を聞く」ではなく、
「相手の話に聞く」ということを意識してみてはいかがでしょうか。

「相手の話を聞く」姿勢からは、相手を認めようという意識が初めからありません。
そこからは会話は成り立ちません。

「相手の話に聞く」姿勢だと、自分と考え方が違う所が、スッと入ってくるのでは。
そこから会話が始まります。
その後は私しだいですが…。

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コメント

数日前にブログを始めたばかりで勉強中です。これからも参考にさせて頂きます!頑張って下さいね。

☆sayakaさん はじめまして
mixiとかJenkaとか、ブログもいろいろと工夫されてますね。追いつけない・・・。

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