4.不思議の因縁
自分は父母から生まれたのではない。
実に父母に縁(よ)って生まれ出たのである
もし、親から子が生まれたものであるならば、子の生涯は親の生涯の連続にすぎない。生まれた子にしても、親の第二の存在としての意味よりほかないものとなってしまいます。
親から子が生まれというだけでは、親子の一体感はあっても、親子の因縁ということにまで想いが及びません。
互いに親と呼び、子と呼び、親子となった深い因縁があります。
子は、その親を親として生まれる因縁があったのです。親は、その子を子としてもつ因縁があったのです。
親子の因縁を考えると、それは、全く私たちの思いを超えたもの、不思議なものであります。
不思議の因縁ということは、偶然と必然の交わったものです。
出会う前ならば、無数の出会いの可能性がある中から出会えたわけですから、偶然です。
出会ってしまうと、なるべくしてなったわけですから、必然と思わずにはいられません。
“現在”は、偶然と必然が一致したものです。
現実を生きるとは、偶然と必然の一致という、思議を超えた因縁の感覚を持つことではないでしょうか。
親子の出会いで、不思議の因縁を語りましたが、
いついかなる事象に出会っても、それらを「不思議の因縁」であると受け容れることが、私の一生を広大なものにします。
その場その場での、偶然の出会いではないのです。
遠い昔、深い意識のところで、既に出会っていたのです。その「不思議の因縁」があったからこそ、今出会えたのです。
「不思議の因縁」を想うとき、すべてのものは私に与えられたものであることが感じられます。
日々の生活の中、「不思議の因縁」を感じる余裕なく、生きているのかもしれません。
しかし、自然に感じられる感覚だと思います。また、感じなくてはいけない感覚でもあります。
そのような感覚が、忙しく生きる、いや、生きることに忙しくしている現代の私たちの生の助けとなるのです。
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