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2005年7月19日 (火)

盆踊り会場にて

《シーン》
盆踊り会場の出店の賑わいから外れた場所で氷イチゴを食べてました。
そばには仔犬が木につながれています。
そこに幼稚園くらいの男の子が近づいてきました。出店で当たったであろうピストルを持ちながら。
男の子は仔犬にピストルを向け引き金を引きました。「パンパン」と口で言いながら。
弾が入ってなくて幸いでした。

《考えたこと》
この男の子は、誰に教わるでもなく、仔犬を自分より弱い存在だと認識しているんだろうなぁ。

人間が、生きとし生けるものの長であるように思っている人がいる。火を使えるから、道具を使えるから、言葉をしゃべれるからなどということを理由に。
すべての生物は食物連鎖の中を生きている。人間は他の動植物を食べることはあっても、食べられることはない。だから長であると勘違いしてしまうのか。でもそれは、食物連鎖のトップに立っているということではなくて、連鎖から外れているってことじゃないのかな。つまり部外者。部外者って威張り散らすもの。ヒトってそういう存在なのかな。

小さい子って、虫や小動物にちょっかいを出してしまうもの。アリの巣に水をかけたり、虫の羽や足をもいだり、カエルの皮を剥いだり。残酷だけど、そういう経験を通して、いのちの大切さを学ぶという事実もある。だからこの子がとっている行動も、必然なのかもしれない。
でも、この子の身になにも変化がないならば、なにも学習しないか。
 アリの巣に水をかけると、巣からアリがワラワラ出てくる。
 虫の羽や足をもぐと、動きがおかしくなる(当然)。
 カエルにちょっかいをだすと、カエルの体から脂汗のようなものが出る。
こういうものを見たり触ったりして、してはいけないことをしてしまったという焦りや罪悪感が出てくるもの。
でも、仔犬に咬まれるとかいうことがないと、この子は何も学習しないんだろうなぁ。

暴走族の高年齢化が新聞に書いてあったなぁ。社会に馴染めなかったり、いつまでも遊んでいたいという思いから暴走族を引退しないらしい。
非行にはしることをいけないことのようにいうけれど、そういう経験だって、必要なことだと思う。そういう経験を通して、人の痛みを知ったり、していいことといけないことの区別がつくということもある。
でも、暴走族の高年齢化って、その時期に学ぶべきことを学んでないということなんじゃないかな。無駄に暴走している。

「これはいい」「これはダメ」って押し付けるのはナンセンス。自分で経験しなきゃ身に付かないことってたくさんある。でも、今はなんでも押さえつけようとしてしまう。他を傷つけるDNAって、誰にでもあると思う。自分で学習することによって、それを抑える術を身につけるのに、押さえつけてしまうから、あるとき突然爆発する。
暴走行為に走ることができた恵まれた(?)子も、そこからなにも学ばないから、いつまでも現実からの逃避という甘えの世界から抜け出せない。

仔犬が繋がれているヒモを解いたら、仔犬は男の子に襲い掛かるだろう。そうなったとき、この男の子に、なにか変化が訪れるだろうか。


《シーン》から、そんなことを考えてしまいました。あなたはこの《シーン》から何か感じますか?

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コメント

うちの息子は粘土の感触が嫌いです。
粘土遊びに誘っても逃げます。
それが、粘土が透明なビニール袋に入っていると、袋の上から平気で触ります。
この記事の仔犬の紐とビニール袋がなんとなく重なって見えました。

話は変わりますが、
私は学生時代にヤギをつぶして食したことがあります。
(私は力がないので直接手を下してはいませんが)
つぶすときは残酷です。
でも、つぶしたヤギを部位に分けてしまえば、スーパーのお肉売り場と変わりません。
この体験で食物連鎖上の人間を感じましたし、トレイの上のお肉はこういう段階を経ていることを学びました。
誰かがこのむごい段階を引き受けてくれてるから、私たちもお肉が食べられるのだと分かりました。
肉を粗末にしてはいけないと口で教えるよりも何倍も説得力があります。
生と死がどんなものかも実感できると思います。
動物愛護家から見ればとんでもないことかもしれませんが、私は見るだけでいいから、自分の子どもにも一度経験させたいなと思います。

☆ソファさん こんにちは
いのちを頂戴して生きているという事実を伝えるために、ヒヨコから育てて、ニワトリになったら、食べるということを試みた小学校が何校かあります。そういうことを教えることが大切だと考えてくれる先生方もいるのです。
でも、そういう時に出てくるのが、親やPTAの抗議です。抗議を受けて取り止めた学校もあれば、実行した学校もあると聞きました。
抗議が良いとか悪いとか、学校の姿勢が良いとか悪いとかを問おうとは思いませんが、子供になにかを伝えるということが難しい世の中なんだなぁと思いました。
給食時に、「いただきます」と言って手を合わせるのは、仏教の習慣だからやめてくれと抗議した親がいると聞いたことがあります。しかも、学校はその抗議によって「いただきます」をやめてしまったそうです。悲しい話です。

―おすすめの本―
『いのちの食べ方』森 達也 著
「トレイの上のお肉はこういう段階を経ていることを学びました」
そういうことを教えてくれる本です。
途中、差別問題にも話が膨らみ、「あれ、話がそれてない?」と思いましたが、いのちを頂戴している事実に目を向けないということと差別意識は根幹でつながっているんだなと感じました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/465207803X/ref=ase_exblog-22/250-1787238-0629041

いのちの食べ方。読みました。友達にも勧めて読んでもらいました。読みやすかったし、とても勉強になりました。
知る事。とても大切な事です。知って、そして、自分はどうあるべきか?考えさせられました。

☆morifumiさん こんばんは
知らないことって多いですよね。
知らないことでも、事実としてあるわけです。
私も『いのちの食べ方』は勧められた方で、やさしい文章だけど、書いてある内容は濃いなと思いました。
「知らない」ではすまされないことって沢山あります。

いのちの食べ方という本、初めて知りました。
読んでみたいですね、ぜひ。

本の内容を知らないで書くのもなんですが、
学生時代、同和問題の強い地域に住んでいたので、「川向こうの○○という苗字の肉屋さん=部落出身者」という噂をよく聞きました。
この本で取り扱われてた差別ってそれなのでしょうか?

身近な親戚が、ワイドショーで残虐な殺人事件を取り扱ってると、必ず「こういう人は部落出身者なんだよ」と差別丸出しにします。

いや~な瞬間です。

☆ソファさん こんばんは
この本で取り上げられている差別は、
「こういう人は部落出身者なんだよ」という根拠のない差別意識が生み出した問題について触れています。

差別って、差別されるような事実があるのではなく、差別する人がいるってだけのことだと思います。自分が差別されないために。

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