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2005年7月11日 (月)

動機が不純でというけれど…

動機が不純でというけれど、不純じゃない動機ってあるのかな?

自分がしてきたことを振り返り、「動機が不純だったなぁ」と嘆いているあなた。
動機って、そもそも不純なものなんじゃないかな。
突き詰めて考えると、出発点は自分が可愛いってことじゃないのかな。
それって、いけないこと? いやいや「不純な動機じゃいけない」っていう私がいるだけのこと。

動機って不純でいいんじゃないですか。きっかけは人さまざま。歩みだすということがどんなに大変なことか。だから、歩みだしたという事実が貴い。動機が不純でも、結果みんなのためになることもある。動機が不純だったと反省するのなら、そこから方向転換したって遅くはない。

動機が不純だと、自分がしていること全体が不純なように感じてしまうのかな。だとしたら、何も出来なくなってしまいますよ。
「人の為と書いたら、“偽”という字になりました」なんて書いたこともあるけれど、そういう意味では、ダマシダマシ生きているのかも知れないですね。それがいけないわけではない。そういう生き方しかできないし、そういう生き方をしてきたんです。

そんな考え方もあるんじゃないかな。
自分を責めないでくださいね。

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コメント

きっかけはいつの時も、そういうものかもしれませんね。
一歩踏み出せないで自分の中でうろうろしている時って、
すごく苦しい。それでも、そのうろうろはとても必要なものだし
うろうろを経験しないと、次の一歩が踏み出せないことは
しょっちゅうです。

そんな時に、ふっと背中を押してくれる動機というものが
必要になりますね。不純なものだとしても、
踏み出す一歩は自分自身の足なわけだから、
大事なきっかけだと思います。

要は、一歩踏み出す為の、
捉え方、思い方、納得の仕方、というのをみんな欲しい
ということなのかな…と、考えてしまいました。

不純でも何でも、動き出せることは、
とてもエネルギッシュなものですね。
パワーに満ちあふれているなあって感じます。

☆りるさん♪
「要は、一歩踏み出す為の、
捉え方、思い方、納得の仕方、というのをみんな欲しい
ということなのかな…と、考えてしまいました」
それに、誰かひとりでもいいから、分かってくれている人がいて欲しいですよね。


確かにそうですね。
動機よりも一歩踏み出したこと、その内容の方が重要ですね。
踏み出した内容が貴ければ、たとえその動機が屁のようなものであったとしても、していることは屁ではないのですね。
動機が貴重な時もあるけど、そうじゃない時もある。
そうじゃないからと嘆くばかりでなく、そういう時もあるのだと受け入れることも人生の中では必要なのですね。
私、「ですね」ばかり書いてる(^^;;;)

☆ソファさん♪
「私、「ですね」ばかり書いてる(^^;;;)」
 そうですね^^(ごめんなさい)

行動を起こしてみて、
何もしなかったらどうなってたかなぁとか、
他の踏み出し方もあったなぁとか、
いろいろ考えてしまいますよね。
でも、事実・現実は今しかいないのだから、
あの時ああしてたらとか考えるのは、屁みたいなものですよ(失礼)。

なんて言いながら、いろいろなことを考えてしまう私です。

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