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2005年4月14日 (木)

一粒の麦は、

一粒の麦は、地に落ちて死ななければ一粒のままである。
だが死ねば多くの実を結ぶ

                       (ヨハネ福音書 12章24節)

桜、きれいでしたね。ブログで写真をアップしたいなぁという意識もあったせいか、例年以上に桜に注目していたような気がします。それに、多くの方がブログに写真をアップしてくれたおかげで、全国の桜を自室で眺めることができました。

桜の美しさにひたっていたのも束の間、今朝、道路(アスファルト)に落ちた桜の花びらを掃き集めていました。排水溝を詰まらせてはいけないので、必死に集めたら、花びらの山ができました(こちらはあまり良い絵ではないので、アップしません)。
あんなに私たちの目に潤いを与えてくれた桜の花びらも、散ってしまうと、はかないものです。
土にかえれば養分にもなりますが、アスファルトではそうもいきません。
死が浸透する土壌が必要なのですが、現代はそれも許されないのでしょうか。自然にも人の心にも…。

死とは、受け容れる人がいて初めて“死”と言えるのではないでしょうか。
受け容れる人がいない死は、亡き人をただの遺体・骨にしてしまいます。
死を避ける、受け容れられない私の心に、いのちが実を結ぶことはありません。
散ってしまったものを養分にできるのか、散ってしまったらゴミにしかできないのか。この違いが、実を結ぶか結ばないかの違いになってきます。
「いのちを大切に」とわざわざ叫ばなければならない時代とは、どちらの姿を表わしているのでしょうか。

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コメント

おはようございます

ちょっとトラックバックをいただこうとしたのですが・・
うまくいきませんでした(涙)
死についても、身近な人の死でいろいろと考えが変わりました
主人の兄がガンで30代半ばでなくなっています
ヒトの死は、そのヒトの死だけではないのだな・・と思いました
周りのすべてのヒトの気持ち、そして生活すなわち人生、すべてに関わっていました
命を大切にするというところには いろんな意味が含まれているんだな・・と刻まれたあの頃でした
それも、日々の生活の中でわすれがち・・
ふ とそんなことを思い出しました
かつさんのおっしゃってることとはズレてますね(汗)
すみません・・・(苦笑)

いいえ、ズレてなんていないです。
自分のこととして考えるということが、かけがえのない作業だと思います。ご主人のお兄様の死を悲しみで止めてしまうのではなく、自分や周りの人間の人生に思いが届くなんて、素敵なことだと思います。
日々の生活の中で忘れがちになるのは、坊さんもいっしょです(苦笑)
Giraffeさんのブログに紹介いただき、ありがとうございます。お恥ずかしゅうございます。

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