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2005年4月29日 (金)

西蓮寺永代経法要

本日は、西蓮寺永代経法要が勤められました。
80名ほどのご門徒が参加されました。
心地よい晴天の中(ちょっと暑かったですが)、日常から少し脱した時間を過ごされたのではないでしょうか。

「永代経法要」というと、先祖代々の為のご供養と思いがちですが、今、生きている私が仏の教えにふれることが願われている法要なのです。今私が教えにふれ、受け継ぐことがなければ、私たち以降の代に教えが伝わっていくことはありえません。「永代」とは、過去からの代々ということにとどまらず、私から始まる、これから先の代々へという意味が含まれているのだと思います。過去という“点”で いのち を見るのではなく、過去・現在・未来という“流れ”の中を生きている→生かされているという視座が見開かれていきます。

今年は、私が法話を担当しました。
前日、友人から谷川俊太郎さんの文章「声の力」を紹介してもらいました。
本を読む「読み聞かせ」よりも、自分のからだが覚えた話の「語り聞かせ」のほうがはるかに聴衆をとらえる
なるほど、「語り聞かせ」かぁと思い、意識してお話してみました。
う〜む、どうやらアルファ波を発してしまったようで、食事の後の、心地よい昼下がり、子守唄法話になってしまいました。

谷川さんの文章で、
聞いた話だが、胎児は四ヶ月のころから、もう耳が聞こえているのだそうだ。外界の音は聞こえないとしても、母親の心音や血液の流れる音などは聞こえるのだろう。もしかすると、母親の話し声ももちろん意味は分からぬとしても、そこにこめられた感情によって胎児になんらかの影響を与えているのではないだろうか。
と、ありました。
うん、意味は分からなくても、音の響きがこころに訴えかけることってありますよね。
今日は、みんなで「仏説阿弥陀経」というお経を声を出して読みました。練習してないのに、みなさんキチンと声を出されていて、とても素敵な響きが本堂を覆いました。お経の意味は分からなくても、響きが こころ に影響を与えることってあるなぁと思いました。 

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