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2005年4月21日 (木)

仏教青年会

「幼児虐待のニュースを聞くと、虐待した人が仏教に出会ってたら、どうなっていたかなぁと思います」
昨晩、友人のお寺の仏教青年会に行って来ました。先のセリフは、参加者の一人が言ったものですが、このセリフを聞いて、自分がブログに書いた記事を思い返していました。

仏教に出会っていたら虐待はしなかったかもしれないし、出会っていても虐待をしてしまうかもしれない。どっちかはやっぱり分かりません。分かりませんけど、虐待が減るかもしれない可能性があるなら、仏教に出会ってほしいし、僧侶としては、仏教に出会う可能性を少しでも広げることが役目なのかなぁと考えていました。
実際、僧侶に何かできる力があるわけではありません。僧侶だって、仏教に出会っていても、悩みや苦しみは尽きないし。
そもそも、仏教は不幸をなくして 幸せになる教えでもないし、人間を丸くする教えでもありません。悩み苦しみながら生きるのが人間であるということを気付かせてくれる教えだと思っています。そんな教えいらないって? こっちがいらないって言っても、仏さまは私に人間の現実を突きつけてくださってます。

仏さまが、衆生を想うはたらきを「慈悲」と言います。
「慈悲」は、「与楽抜苦(よらくばっく)」といって「楽を与え、苦を抜く」という意味があります。
「楽を与え、苦を抜く」・・・「なんだ、仏教ってやっぱり不幸をなくして幸せになるおしえじゃん!」って思いました?
でも、この「与楽抜苦」とは、私たちの欲望レベルの“与楽”や“抜苦”を指しているのではありません。
悩み苦しみの中を生きるという、身の事実に目を向ける、そのことこそ「与楽抜苦」であると教えてくださっています。
自分が嫌なことは遠ざけ、隠し、無くしながら生きることはごまかしでしかありません。嫌なことも人生の一部であると引き受けて生きる道に、ごまかしではない、本当の人生が開かれてくるのです。そのことを「与楽抜苦」といい、そのはたらきが既にこの私に注がれているのです。

悩み苦しみも人生だって言われて、そんな教えはお嫌いですか?
でも、教えに出会って生きている人間もいて、その教えに触れたものが「仏教に出会ってほしい」って言えるってことは、生きていく力を与えてくれるもんだと思うんですよね。仏教って。

「仏教青年会」を定義付けるのは難しいですが、昨晩は、発題(問題提起)者が、今関心のあることを述べ、それについて参加者みんなが思うところを述べ、人の話を聞く会です。今、そういう場ってなかなかありません。人前で話すのが苦手という人だっていますが、話してみると、自分の考えが整理されるものです。分からないということも分かるし。人の話を聞くことも、自分の視野を広げてくれます。今の世の中、自分の意見を言うことが大切で、人の話を聞けないような気がしますが、「仏教青年会」で人の話を殺してしまうこともありません。
「仏教」って、そういう場が持てる教えなんです。

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コメント

「与楽抜苦」・・初めて聞きました
今日、この教えをいただくということにも
何かしら、意味があるように思います

昨日の ゆるす ということについても
いろいろと考えさせられました

Giraffeさん、いつも見ていただいてありがとうございます。
昨日今日と、なんだか偉そうなこと書いてるなぁとも思うし、聞きようによっては、無責任なことをいってるようにも受け取られかねないなぁと思っているんです。葛藤です。
でも、思い立ってブログを毎日更新するようになって、アクセス数も増え、Giraffeさんにも出会えて、もしかしたら出会うことなく生活していたかもしれない人と出会えて、そこに不思議な縁を感じます。
教えの内容って、このような出会いではないかと思っています。

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