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2005年4月 8日 (金)

天上天下唯我独尊

4月8日は、お釈迦さまの誕生日です。
お釈迦さまは今からおよそ2500年前、北インド・カピラ城のスッドーダナ王を父とし、王妃マーヤーを母として生まれました。
王妃マーヤーが出産のため実家に帰る途中、ルンビニー園という花園に立ち寄られ、休憩されました。王妃マーヤーが、美しいアショーカという木に右手を伸ばされたとき、右脇からお釈迦さまは生まれました。
お釈迦さまは誕生してすぐに7歩あゆまれ、右手は天を、左手は地を指して言われました。
天上天下唯我独尊(天にも地にも、ただ我ひとりにして尊し)

「天上天下唯我独尊」
自分ひとりが尊いと言ってるのではありませんよ。私は、他の誰とも代わることのできないいのちをいただいて生きているという意味です。(前にも似たようなことを書いたような)

右脇から生まれたとか、生まれてすぐに7歩歩いたとか、「そんなわけないだろう!」って突っ込みはなしね。エピソードの一つひとつにも意味が込められているのですから(その意味については、そのうち)。このようなお話が2500年以上も語り継がれてきたという事実が大切なことだと思います。
「仏教は、現代の問題に追いついていない。お釈迦さんのいたころには想像できないほど文明が発展し、考えも及ばないような出来事が起こっているのだから、仏教は古いんだよ」
なんて言われたことがあるのですが、私はそうは思わないんですよね。お釈迦さまのころから2500年経った今でも、「人はなぜ生まれてきたのか」「なぜ生きるのか」「どのようないのちを生きているのか」という問題・悩みを抱えて生きているのですから。
お釈迦さまは、古いどころか、ものすごい先見の明があったんですよ。

「なんでこんな思いをしなければいけないのか」。そう思うことって、誰でもあると思う。私もです。でもこれって、問いの持ち方が間違っているのかな。「このような思いをしてまで生きなければならない人生は、私になにを学ばせようとしているのだろうか」。そういう考え方もあるかな。
「なんでこんな思いをしなければいけないのか」は愚痴だけど、
「このような思いをしてまで生きなければならない人生は、私になにを学ばせようとしているのだろうか」っていうのは、私ひとりに与えられた問いなのだから。

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