どくさいスイッチ
昨晩、久々に「ドラえもん」を見ました。
新聞のテレビ欄に「ドラえもん どくさいスイッチ」と書いてあったから。
どくさい(独裁)スイッチは、自分と意見の合わない者、気に食わない者、逆らう者を消し去ってしまうスイッチです。
のび太は、いじめっ子のジャイアンを消してしまいます。さぁ、これでスッキリかと思ったら、のび太は自責の念に駆られます。「もう このスイッチは使わないぞ」。そこにスネ夫が現われます。いじめっ子として。
のび太は、いじめっ子のスネ夫も消してしまいます。すると、他のクラスメイトがいじめっ子として現われます。
自分に都合の悪いこと、悪い者さえ無ければ、どんなに気が楽だろう、人生が楽しいだろうと考えます。
あんな出来事さえなければ、あいつさえいなければ…。
でも、仮にそれらが無かったとしても、同じような出来事、似たような役割の人間が現われるのかもしれませんね。“都合の悪いこと、悪い者”って、自分の人生になくてはならないものとして存在するのかもしれません。
なぜあんな出来事が私の身に起きたのか。なぜあんな奴が私の身の回りにいるのか、その意味を考えさせられます。
いじめっ子(自分に都合の悪い者)を消してきた のび太ですが、ついには大好きなしずかちゃんまで消してしまいます。
どんなに親しい人でも、どんなに世話になった人でも、どんなに大切な人でも、長い付き合いのうちに、一度や二度は気に食わないと思うことがあります。関係を生きるということは、そういうことも受容することでしょう。
一度や二度の過ちで、あんな人だとは思わなかった、と見限りますか? それって、スイッチを押したのと同じことですよ。
もし私に どくさいスイッチ が与えられたら、初めのうちは、“都合の悪いこと、悪い者”を消す本来の目的(?)のためにスイッチを使うことでしょう。でも、次第にエスカレートしていき、チョットでも自分の気にいらないことをされたら、簡単に人を消していくことでしょう。そう、私にとって大事な人までも。そして終には、自分を消してしまうことでしょう。
「どくさいスイッチ」は、ドラえもんの話の中でも、異色の作品だと思います。たしか小学生の頃に漫画を読みましたが、子供ながらに、自分の中にある身勝手さを感じたことを覚えています。そして、このスイッチがあったら、最後は自分を消してしまうだろうなぁと感じたことも。