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2005年3月 7日 (月)

病人になって病気をする

今日は、花粉症がひどかったです。今年最悪。鼻水は止まらないし、体はだるい。皆さんはいかがでしたか?
花粉の季節が早く過ぎさってくれるのを、待つばかりです。

そんな時に、このことばが目にとまりました。
真宗の教学者の安田理深先生のことばです。
安田先生が結核で入院されていたとき、お医者さんから絶対安静をするように言われます。
「絶対安静」。
じっとしていればいいように思ってしまいますが、それがなかなか難しい。体は動かさなくても、心は動きっぱなしです。
あれをしなければ、これをしなければ。仕事は、家庭は大丈夫だろうか、私がいなければならないのに…。退院したら、どこへ行こう、等々。
安田先生は絶対安静ということが、どうすることかわからなかった。そして、
「やっとわかったことは、病人になって病気することだった」と言われました。

私たちは、健康である状態を基準に物事を考えてしまいます。そう考えると、病気や死ということが、許せないこと、邪魔なことになってしまいます。でも、生きていれば、病気やケガもするし、いつかは死ぬんです。そういう当たり前のことを受け入れられない。「いつか健康になったら」と考え、病気が治らなければ「どうしてこんなことになったんだ」と前向きになれない。
健康を夢見るということは、一時的には活力になりますが、病気が続けば、苦痛にしかなりません。
私は今病人なんだということを受け入れるということは、こころの絶対安静にはなります。それが、実際に病気が治るかどうかはわかりません。でも、絶対安静できるということは、病気が治るとか治らないとか、そういうことは二の次になるのではないでしょうか。
仏さまのおしえって、病気を治すものではないんです。今ある自分を、自分として受け止められるようになる智慧を与えてくれるものなんです。

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