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2005年1月 1日 (土)

2005年1月のことば

喜怒哀楽は連鎖する感情です

 

 年の終わりには一年を振り返り、その年の反省をして、新しい年に向けて誓いを新たにします。新年は、人々に躍動の力を与えます。しかし、躍動に満ちたこころも、年が終わる頃には「今年は早く過ぎたね」「今年は何もできなかったね」「今年は良いことがなかったね」という暗いこころに変わってしまいます。ナゼなんでしょうね。
 近年、「癒し」とか「やすらぎ」といったことが強く求められています。しかし、思い通りに癒されない、やすらげないことは、誰よりも私自身がよく分かっています。ナゼ満たされないのでしょうか。
 「喜怒哀楽」と表現されるように、人間はたくさんの感情を持っています。いや、持っていたはずです。いつからでしょう、感情を表に出さなくなったのは。街行く人々の顔から表情が消えてしまったのは。
 「癒し」「やすらぎ」を求めるということは、そういう状態だけを求めます。「癒し」「やすらぎ」を邪魔するものは必要としません。当然ですね。苦しいことやつらいことから逃れて、癒されたい、やすらぎたいのですから。思うのですが、「癒し」「やすらぎ」のみを求めすぎるがために、結局なにも得られないのではないでしょうか。
 人間はたくさんの感情を持つと言いました。しかし、喜や楽は求めても、怒や哀はいらないというのが、私たちの現実ではないでしょうか。
 「きどあいらく」と言うけれど、「よろこびといかりとかなしみとたのしみ」と、別々の感情であると考えていませんか?最近思います。「よろこびといかりとかなしみとたのしみ」は全て連鎖しているのではないかということを。「喜怒哀楽」全てでひとつの感情なのではないかということを。
  「喜は怒でもあり、哀でもあり、楽でもある」
  「怒は喜でもあり、哀でもあり、楽でもある」
  「哀は喜でもあり、怒でもあり、楽でもある」
  「楽は喜でもあり、怒でもあり、哀でもある」
 喜と怒。哀と楽。正反対で、水と油のように交じり合うことなどないと思っていた感情が、連鎖していて、混在している。
 人間の感情って複雑なものです。さっきまで泣いていたのに、もう笑っているということもある。怒りの背景には、哀しみが込められていることもある。顔で笑って心で泣いてということもある。

 正反対・対称的なものとしていろいろ考えられます。
  「楽←→苦」「善←→悪」「死←→生」「白←→黒」「優←→劣」
  「愛←→憎」「好←→嫌」「純←→不純」「平和←→戦争」
 これらのように、全く反対の座標に置いて考えている事柄が、実は複雑に絡み合っている、あるいは同じ質を持っていると考えるところに、感情・思考の躍動が感じられます。
 「楽は苦であり、苦は楽である」
 「善は悪であり、悪は善である」
 「白は黒であり、黒は白である」
(親鸞聖人の「悪人正機説」を考えるとき、「悪」について、このような視点が必要なのではないかと考えています)
 相反すると思っていたものが、実は同じ質を持っている。それらは個別のものではなく、連鎖するものである。
 「喜怒哀楽」は連鎖した感情である。相反すると思っていた感情が入り混じっているものである。だからこそ、心の中に大きな感情がはたらく時、他の感情も連鎖して、活発化する。そういう動きの中でこそ「癒し」「やすらぎ」が生き生きと感じられる。
 癒されたい。やすらぎたい。そのように一方的なことを願っても、そうして得たものは一過性にすぎない。「喜怒哀楽」という感情が連鎖するからこそ、「癒し」や「やすらぎ」も意味あるものとなる。人間の感情は複雑だって言ったけれど、実は単純なのかもしれません。
 今年は、眠ったままの、あるいは起伏の少なかった感情を、大いに連鎖・躍動させる年にしましょう。


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