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2004年11月14日 (日)

「正義」の反対は「別の正義」

せっかく西蓮寺のブログを立ち上げておきながら、ご無沙汰です。
ブログをつくってから、いろいろなブログを拝見しています。
そうすると、いろいろな考え方の人がいるんだなぁということに改めて驚かされるわけで、そうしているうちに自分自身の中で壁を作ってしまい、しばらく文章が書けずにいました。

新潟中越地震の件では、ボランティアに行った人間が善で、行かない人間が悪で、というような論争があったので、今そんなことで争うのか?と失望していました。
イラクでの香田さん殺害に関しては、香田さんのとった行動に対してその是非が言い争われるのは当然の展開ですが、この件に関して、以前捉えられた3人に比べてマスコミがあまり取り上げなかったなと思いません? 中越地震と時期が重なってはいましたが、そんな理由で報道量が増減して良いわけはありませんし。ブログを旅していると、なぜ取り上げられなかったのかが見えてきて、そんなん知った日にゃ、腹が立ったり、虚しくなったり、悲しくなったりしてしまいました。

どこに正義があるのかを問いたいんじゃないんです。誰にとっても自分の考え方が「正義」なわけですからね。
その「正義」どうしがアウフヘーベンされればいいのですが、なかなかそうはいきません。自分の考えは譲りたくはないでしょうから。「正義」の反対が「悪」ならいっそ話しは簡単なのかも知れませんね。「悪」を失くせばいいのですから。でも、「正義」の反対も「別の正義」なわけですよ。お互いが「正義」なんですよ。厄介ですね。
「話し合えば分かり合える」なんてよく言いますが、話し合えば話し合うほどこじれてしまうことがあります。自分の意見を通そうとすれば、分かり合えるはずもありません。
「自然と人間との共存」といっても、人間側が何もリスクを負わずに共存を持ちかけても成立しません。「自然と人間」に限らず、「○○と私」と言い換えてもいいんですよ。自分はリスクを負わずに、より良い状態を求めても、それは虫がよすぎるってもんです。

なんて書いてきましたが、こんなこと書いてること自体、私の「正義」を掲げて書いているわけでしょう。それを思うと、文章が書けませんでした。でも書いてますけどね。


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