2019年8月 3日 (土)

2019年8月のことば

暑いときは暑さのなかを
寒いときは寒さのなかを

暑さの中でも、日影は涼しいものですね
水分も、こまめに補りましょう
ちょっとのことで、からだへの負担を軽減できます
暑さの中 おだいじに

〔2019年8月のことば〕

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春の風 夏の匂い 木々の色めき

そして今年もまた雪が舞う

そんな日々を好きになれる

あなたとなら季節が巡り始める

    King Gnu Don't Stop the Clocks

 

愛別離苦(あいべつりく)

2019年7月7日、大恩ある住職が阿弥陀さまの元へ還られた。59歳でした。

5月27日、ある会議で場を共にしていた。あの日が、彼女と会話を交わした最後の日となった。いつもと同じ笑顔と声だった。
会議も終わり、「じゃあね」「お疲れさまでした」と、すれ違いざまに手を振り合って別れた。あの顔に、もう会えない。あの顔を、忘れない。

住職が体調を崩されているのは聞いていたので、訃報に接しての驚きはなかった。けれど、その日から住職の葬儀までの日々は、とても長く感じられた。横たわる住職の前に行けば「あぁ、現実なんだなぁ」と、その死を受けとめざるを得ず、寺に戻ると、今自分の居る場所が現実なのか虚構なのか分らない気持ちにも襲われた。
通夜・葬儀が勤まり、白骨となった住職を見届け、寺へ戻った。そのとき、「私は、明日をどのようにして迎えるのだろう?」と、普段考えもしないことが、ふと頭の中をよぎった。
当然のことだけれど、夜が明ければ朝が訪れる。朝、いつもの時間に目が覚め、いつものように掃除をし、いつものようにゴミを出し、いつものように妻と娘たちと朝食をいただいた。日常に戻り、いつもと同じように時間が過ぎてゆく。

悲日常という日常
「日常に戻り」と書いたけれど、では、死は「非日常」なのだろうか?

お釈迦さまは、「生死一如」と教えられた。
生も死もひとつのこと。生と死に境はない。死も含めての生であり、生あるからこその死である、と。

蓮如上人は、「朝(あした)には紅顔ありて 夕べには白骨となれる身なり」とお手紙に綴られた。
朝には夢と希望に満ちあふれ、元気な姿を見せていても、その日の夕方には白骨となることもあるいのちを生きていると、人間の、いのちあるものの厳粛な姿を綴られている。

清沢満之先生は、「生のみが我等にあらず、死もまた我等なり。我等は生死を並有するものなり。」と説かれる。
生きている間のみが“私”ではない。  死もまた“私”である。“私”は、生死を合わせ持ちながら生きるものである、と。

日々の生活の中で、滅多に起こらないことが起きたという意味では、死は非日常かもしれない。けれど、仏さまの教えにふれた者にとって、死は非日常ではなく日常のこと。なんら特別なことではない。
この地上に多くの生があるのだから、死もまた同じ数だけある。ただ、そのことに気付かずに生きているだけ。そのことに目を背けながら生きているだけ。だから、「非日常」と思ってしまう。

ご恩を想えば
彼女の死に直面し、もうひとり、忘れ得ない住職がいる。
その住職は、2008年1月26日、55歳のときに浄土へ還られた。

おふたりの住職から、深く大きなご恩をいただいた。若かりし私のわがままを温かく受けとめ、見守り、いつも共にいてくれた。そのご恩のおかげで、今、私がいる。
私は今48歳。残りの人生、どのように始末をつけながら生きていこう。

おふたりの住職からいただいたご恩を思い返している。けれど、ご恩は亡き人からいただいたものではない。
人は、身近な人、大切な人の死をきっかけとして、亡き人からいただいたご恩に感謝をし、亡き人との別れに涙する。そのたびに「もっと生きていてほしかった」「もっと話をしておけばよかった」「こんなに大事な存在だったんだ」と、再び会うこと叶わぬ状態になってから口にする。
ご恩は、共に生きているときにいただいている。亡くなってからいただいたのではない。亡き人からいただいていたご恩に手が合わさるそのときに、今現にいただいているご恩があることも感じられる私でありたい。

今現にいただいているご恩を感じるということは、「日常」ということ。死が非日常であるならば、ご恩の大切さを感じることも非日常になってしまう。生とともにある死が日常であるからこそ、ご恩をいただいてある身であることを感じることができる。

別れは、淋しい。けれど、別れには、それに先立って出会いがある。出会えたからこそ別れがある。この世に生を受け、数えきれないほどの人との出会いがあるにもかかわらず、その別れに涙し、後悔し、感謝するほどの人が、果たしてどれだけいることだろう。
別れに淋しさを感じ、別れに涙する。それほどのご恩をあなたからいただいていた。そんな あなたに出会うことができた。
「生死一如」であるように「会別一如」の身を生きている“私”。

この暑さ厳しい夏もやがて過ぎ行き、木々は色めき、雪の降る寒さに身を震わせる。冬の厳しい寒さを経るからこそ、迎える春の風に温もりを感じられる。いついかなるときも、あなたがともにいてくれるから。   南無阿弥陀仏

~掲示板の人形~
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7月末、子どもたちと初めてスカイツリーへ行き、展望を楽しんできました。
スカイツリーのショップタウン「ソラマチ」を歩いていて、「鳩居堂」のショーウインドウに飾ってあった“水玉デメキン”に一目惚れして買ってきました。

2019年7月 2日 (火)

2019年7月のことば

2019年7月のことば

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光に照らされることによって
 心の闇の深さがわかる
闇を破るはたらきは
 
闇の中からは出て来ない

ホタル祭り
6月中旬、地元の「久我山ホタル祭り」に、娘と娘の友だちと一緒に出かけました。とはいえ、大勢の人が集まる夜道は危ないので、出店の食べ物を食べて、ゲームで遊んで、まだ明るいうちにホタルを見ずに帰ってきました。
ホタル見物の行列が出来る前に、 ホタルが放たれている多摩川浄水沿いの歩道を通りました。
午後6時とはいえまだ明るくて、歩道から玉川上水を見下ろしてもホタルの光は見えませんでした。それでも、子どもたちはお祭気分を味わえて楽しかったようです。

ホタルで思い出しました
もう30年ほど前の話。京都大谷大学在学中、下宿のすぐ近くに疎水が流れていました。夏になると野生のホタルの光が煌々と舞っていました。あまり知られていないスポットだったので、疎水近辺の住人くらいしか集まらず、ゆっくりと静かにホタルの光の動きを眺めることができました。
現在(いま)はSNSで「今、こんなところにいます!」なんて情報を発信拡散する時代。思い出の疎水沿いにも 人だかりが出来ているかもしれません。それとも、もうホタルはいなくなってしまったでしょうか。

光と闇
まだ明るいうちに玉川上水沿いを歩いていて、ホタルの光を目にすることはできませんでした。できませんでしたが、ホタルは現にそこにいます。明るさの中にいると、光に出あうことは難しいものです。
温もりの中にいるときも、人々の手が差しのべられてある私であることにはなかなか想いを馳せることはできません。暗い、悩み苦しみの中にいるときは、ほんの微かな光でさえも、この私を包み込む温もりを感じるものだけれど。
光だけでは光とは認識できません。闇だけでは闇とは認識できません。 闇があるから光とわかる。光があるから闇と気付ける。

矛盾であって矛盾しない
光と闇  善と悪 清と濁 好きと嫌い 嬉しいと悲しい・・・
相反するものの、その良い方ばかりを選び取ろうとするけれど、それは無理な話です。相反するものは、そのお互いがあるからこそ、それぞれを認識する、感じることができるのですから。相反するものがなければ、片方だけを感知することすらできません。
都合の悪い物を無くそうとして、自分が求めるものまでも無くしてしまってはいないでしょうか。

無碍(むげ)の光明は無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)する恵日(えにち)
親鸞聖人の言葉です。
「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」
〔何ものにもさまたげられることのない光明(阿弥陀如来の慈悲の光)は、人間が持つ煩悩の闇をうち破る智慧の輝きです(その輝きは、温かくてまぶしい)〕

生きとし生けるものを救いたいと願われた阿弥陀如来の慈悲の心。その慈悲の心を「無碍の光明」「恵日」と、光として表現されています。
一方、阿弥陀如来が救いたいと願う衆生(生きとし生けるもの)は「無明の闇」でできています。「無明」とは、「明るくない」ということ。何に明るくないのか。自分自身のことに明るくない、暗い。つまり自分自身が見えていないということを表わしています。
「自分のことは自分が一番よくわかっている」という無知。自分自身の性格や思考や特徴を分っていないということもあります。けれど、それ以上に厄介なことがあります。「自分はこんなに良いことをしている!」と自負していることが、他者(ひと)を傷つけているという悲しさ。「自分はこんなに頑張っているのに」という思いによって、他者の優しさを 見えなくしているという淋しさ。そんな悲しさや淋しさを感じられないという無明の闇があります。

私は欲を持って生きている。そのこと自体は当然のことです。誰もが皆、欲を持って生きています。欲が悪いもので、欲を無くそうと考える人もいますが、欲を滅する必要はありません。欲とは、「あれが欲しい これが欲しい」「あれはいらない あいつは嫌い」「私の思い通りになってほしい」というものばかりではありません。「平和な世の中になってほしい」「自分のことよりも、あの人が幸せになって欲しい」「お腹が空いた 眠たい 生きたい」ということもまた欲です。欲は、「生きたい」という叫びです。欲は無くすものではなくて、あることを自覚しながら生きるものです。
けれど、そんな自分の欲に、叫びに無自覚で生きているのが私です。「無明の闇」に生きています。

「無明の闇」。自分自身のことが見えずにいる私。見えないがゆえに「自分がやっていることに間違いはない」「自分こそ正しい」と思い込み、悲しさや淋しさを感じることなく生きています。そんな「無明の闇」を、阿弥陀如来の光明は打ち破ります。破られるのですから、心の中で何か大きな音がすることでしょう。ハッと目覚めることでしょう。  目覚めは、内から起こるのではなく、 外からの光によって与えられます。

阿弥陀如来の名を称える声「南無 阿弥陀仏」。私が発する念仏の声は、私自身が打ち破られる音。自分自身が見えていなかった私が、見えていなかったということに目覚める音。

阿弥陀如来の慈悲の心は、あたたかくてまぶしい。あたたかくてまぶしい光に照らされて、私の闇の深さを知らされます。闇を破るはたらきは、私の中からは出て来ません。

 

~掲示板の人形~
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2019年6月25日 (火)

世のおかげ 人のおかげ

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世のため 人のためという声のみ多くして、世が汚され濁るとき、
世のおかげ 人のおかげと 手が合わさる人によって、世が清浄なることもありましょう
                                                正親含英 

「世のため人のため」という思いが、知らず知らずのうちに他者(ひと)を傷つけている。
私自身が裁判官や審判にでもなったかのように、世を 人を 判定・判断・判別しているのだから。
そんな私は、「世のおかげ 人のおかげ」である身でした。
私は、判定・判断・判別されてある私でしょうか(いいえ、そんなことはありません)。
罪業多く重たい、汚れ濁りの手が合わさる不思議。私の思いを超えた出来事。
汚れ濁りのままに、清浄なる不思議。
南無阿弥陀仏

 

2019年6月10日 (月)

あめだ

雨が好きだ

世界の輪郭が
ぼんやり煙って

私も一緒に
すいこまれそうになる

雨の音が好きだ
すごく落ちつく

まるで やさしく手当て
してもらってるみたい

山も木も
   草も屋根も

そして
 私も・・・


ああ
そうだ

雨だ

修ちゃんは
雨に似てる

姿を見るだけで
ほっとする・・・

泣きたくなって
しまう

迷子になると
いつだって かならず
捜しに来てくれた

いつだって
やさしい手を
差しのべてくれた

その手は いつも
あたたかかった

そうだ 修ちゃんは きっと 私の雨だ

一緒に いると 深く 息ができて

草や木みたいに ぐんぐん のびて ゆけそうな気がする

いつも 困ったような 顔で やさしく笑う

私のだいじな

   だいじな ひと

        『ハチミツとクローバー』第10巻 羽海野チカ(集英社)より 

2019年6月 4日 (火)

2019年6月のことば

2019年6月のことば

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やまない雨はないというけれど、
私は今の雨をあびていたい。

 

禍福はあざなえる縄の如し

不安や悲しみの中にいることを雨の中にたとえて「やまない雨はない。いつまでも降り続かないから」と励ます 言葉がある。

他にも、悲しみを夜の闇にたとえて「明けない夜はないから」と言ったり、悲しみを凍えてしまいそうに寒い冬にたとえて「冬が終われば、暖かい春が来るから」と言ったりする。

その通りなのだけど、「雨はやんでも、またいつか降り始める」「夜が明けて日が出ても、また夜が来る」「春になったらなったで花粉症の季節だといって歎き、夏の暑さに辟易とし、秋は淋しいといい、そしてまた冬の寒さを迎えては早く暖かくなるといいなと口にするのに」ということも考えます。

そもそも悲しみという雨がいつやむのか、いつ夜が明けるのか、いつ春が来るのか分かりません。

身も蓋もない話をするようですが、この世界を生きていて、不安や悲しみがなくなるということはありません。その不安や悲しみの原因を他者に求めるけれど、私自身が不安や悲しみを作り出しているうちのひとりでもあります。

「不安や悲しみがなくなるということはありません」と言いましたが、嬉しいこと楽しいことも同様になくなるということはありません。

「禍福はあざなえる縄の如し」という言葉があります。「縄は紐(ひも)をより合わせて作るように、人生は禍(災い)の紐と福(幸せ)の紐がより合わさり、一体となって形作られていく」という意味です。

縄は、紐をつなぎ合わせて作るのではなく、細い紐を何本もより合わせて作ります。このことは、禍福が交互に訪れるわけではなく、禍福は一体である、共にあるということを表わしているのだと思います。

禍福を、個人の身に起こる出来事として捉えたならば、禍の後にはきっと福が訪れると、希望を抱きたくもなります。けれど、私が生きているこの大地には、70億を超える人間が共に生きていて、こんにちに至るまでに数え切れないほどの人々の歩みがあって、人間以外にも多くのいのちが生きています。その現実に想いを馳せれば、お互いにつながり合いながら、影響し合いながら生きているということは容易に想像がつくことです。禍福があざなえる縄の如くにあるということの意味は、個人の身に起こることとしてではなく、人間に、すべてのいのちに禍福が同時に起きていることを訴えているように感じています。

私の日々の生活のために、どれだけの人の手を煩わせていることでしょう。私が喜んでいるそのときに、涙している人がいるのではないだろうか。私が悲しみの中にあるとき、ほくそ笑んでいる人もいれば、共に悲しんでくれている人もいる。私のしていることが、私の存在自体が、誰かを元気づけていることもあるかもしれない。

雨雲が通り過ぎて晴れ間がのぞいたとき、先の雨雲によって雨降られている人がいる。

夜が明けて朝日を浴びているとき、暗闇の中に身を置いている人がいる。

冬が去って春が来て、その暖かさに心落ち着かせているとき、冬の寒さに身を震わせている人がいる。

禍福あざなう世界で、私は私として生きています。「こんな悲しみなければいいのに」と思うことは誰にでもあります。けれど、「こんな悲しみ」も含まれる延長線上で、私は私となりました。

想いを馳せたとき、私の生きている大地は、そもそも雨の中なのだと目が覚めます。雨の中こそ私の生きる場。お互いに関係を持ちながら、影響し合いながら生きているのだから。

傘・・・本尊

雨の中に身を置いている現実に、「いつかこの雨もやむだろう」と待ち続けるわけにはいきません。そのとき手にしたいのは、雨の中に身を置き続けられる傘。つまり、私を守ってくれるもの。

宗教に、雨をやませる力などありません。「あなたは今、雨の中にいます」と気づかせてくれるものです。そして、その雨の中、私と共にあり続けてくれる傘の存在を説き示します。その傘とは本尊、阿弥陀如来。「南無阿弥陀仏」の念仏です。

ひとりがひとりに出遇(あ)う

福島県二本松市に佐々木道範さんという真宗大谷派の僧侶がいます。 原発の事故後、子どもたちのために除染作業等に取り組まれています。彼が話してくれたことが忘れられません。

「原発の事故が起こるまで、私だってイラクの人々・子どもたちの痛み悲しみに無関心でした。でも事故後、他者(ひと)の痛み悲しみを聞くと胸が痛いんですよ。でも、痛み悲しみに出会って、胸が痛みながら生きることが本当に生きることなのかなと思うようになりました。」

「目の前に生きている人間がいるんです。その人と出会って、ひとりがひとりに 出遇っていくしかないんです。出遇ってしまったら忘れられないんです。」

他者の痛みを自分の痛みとして感じる。胸が痛い。けれど、その痛みを感じながら生きてゆくことが、本当に生きることだと感じるようになった。それほどまでに他者の痛みを感じることができるのは、ひとりの人間が、目の前にいるひとりの人間に出遇っているからです。佐々木道範さんから、胸に痛みを感じるほどに人と向き合うということが出遇いなのだと教えられました。いや、本当に人に出遇うからこそ、痛みも伴うのでしょう。享楽は一瞬ですが、痛みは一生です。だから忘れられません。

自分が生きている大地を感じながら、阿弥陀如来と共にありながら、私は 今の雨をあびていたい。南無阿弥陀仏

~掲示板の人形~
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カエルのピクルスくんと、ヤクルトスワローズの応援傘
スワローズの応援傘(マイクロカサ)は、神宮球場で買ってきました。
スワローズ11連敗の夜でした😃

2019年5月30日 (木)

「人(にん)」は、お金の単位ではありません

政府は、年金だけでは老後の生活費が足りなくなってしまうリスクがあることを認め(とっくに分かっていることではあるけれど)、国民が自ら資産形成することを促した。
その政府与党の議員が「お子さん、お孫さんには子どもを最低3人くらい生むようにお願いしてもらいたい」と求める。

国民から預かったお金の運用に失敗したり、預貯金を海外に流出させたり、欠陥戦闘機の爆買いをしておいて、どうして「子どもを〇人生みましょう」と言えるのか!? そんな議員さんたちだから言えるのだろうけど。

2019年5月29日 (水)

この世の中、知っていることよりも知らないことのほうがはるかに多いというのに

連続殺人事件が起こると、「犯人の考えていることが分からない」と悶々としたり、「他の人を巻き込まずに、自分だけで死ぬべきだ」と一件正当と思われる意見を述べたりする。
その分からない中で、理解不能の中で、(だからこそかもしれないが、)犯行に及んだ者の考えを推し量ろうとする。報道では、いろいろな肩書きの人が自分の思うところを語っている。
分からないから分かりたいという気持ちは当然出てくる心理だけれど、犯行に及んだ者が死んでしまったいじょう本当のことは分からない。たとえ死ななかったにしても、犯行に及んだ者の理由を受け入れられるだろうか。

今書こうとしたことは、分からないことは、分らないということ。
ネットが普及し、大量の情報が手に入るようになったと言われる。そのことによって、情報が手に入って当たり前という意識が働くようになってしまった。だから、マスコミは事件現場のそばにいた人や関係者にマイクを向ける。けれど、何が起こったのかを知りたい!!のは、実はマイクを向けられている方々かもしれない。現場にはいたけれど、いたからこそ、目の前で、自分の身近で起きたことの真実を知りたい。けれど、知る由もない。
被害に遭われた生徒さんの学校も会見を開いていたけれど、情報を知りたいのは学校の側だと思う。報道陣は「犯行に及んだ人は、学校の関係者という声もありますが?」「犯行予告が来ていたという情報もありますが?」と尋ねていたが、だれからの、どこからの情報なのだろう? 学校側は、関係者か否か確認出来ていない、犯行予告はない、と応えていた。つまり、根も葉もない噂に、報道する側が振り回されている。“真実を伝えるのが使命だ”という使命感からだろうか?  滋賀県で保育園の子どもたちが車に轢かれた事件の際も、すぐに保育園の会見の場を持ち、まるで保育園の側に問題があるのではないか!?と追求する質問が相次いだ。その際、会見のあり方が問題になったばかりだけれど、また同じことを繰り返している。

「正しい情報が入らないのは不利益である」という常識が、余計に物事を複雑化し、真偽定かでない情報に惑わされ、これ以上傷つけてはいけない人たちをさらに傷つけている。今は、事件を調べる勤めの方たちが調べた結果を待つことが肝要ではなかろうか(池袋の事件のように、権力におもねるきらいがあるので、100%信用できるわけでもないのがつらいところですが)。

事件に遭われた方々、ご親族、関係者の皆様のお気持ちは、察するに余りあります。お悔やみを申し上げます。

2019年5月28日 (火)

プラス マイナス マイナス

トランプシは「米日の貿易において、日本側に優位性がある。この不均衡を解決したい」と主張し、
アベシは「日米ウィンウィンの形となるように議論を加速させさせる」と強調した。
どのような交渉したらウィンウィン(どちらにも利益がある形)になるのだろう。
発言を普通に受け止めると、「日本側が不利益になる交渉をします」と言っているように聞こえる。

2019年5月22日 (水)

しあわせ

『JAF Mate』 2019年6月号を読んで・・・

白石玄さんの連載「幸せって何だろう」 父として生きる

 幸せとは何かと問われて、これまで幸せについてあまり考えたことがないことに気がついた
   (中略)
 ぼくは6歳で父を亡くしたのだが、思い返せばその頃から、自分が幸せかどうかを考えることを放棄してしまったような気がするのだ。
   (中略)
 ただ、最近、こういうのが自分にとっての幸せなのかもしれないなと思うことがあった。先日、もうすぐ2歳になる息子を連れて、初めての父の墓参りに行ったのだが、柄杓(ひしゃく)で墓石に水をかけるのを息子にやらせてみたら、よたよたとうしろに下がった息子が、バランスを崩して水の入ったバケツにお尻からはまってしまった。ずぶ濡れになった息子は、ぼくや妻に笑われながら、墓の前で全裸になって服を着替えた。そしてそのあと線香をあげ、息子と一緒に父に手を合わせたときに、じんわりと胸に込み上げてくるものがあったのだ。息子を父に会わせることができたのが嬉しかったのはもちろんだが、バケツにはまって墓の前で全裸になったのが初対面だなんて、父は笑っているだろう。体の中で生と死がきれいに混じり合うような感覚があって、その瞬間に「あ、今、俺幸せかも」と実感している自分がいた。
  (後略)

 

白石玄さんのことばを読んでいて、祖母(母の母)との別れを思い返していた。
7年前の夏、おばあちゃんは阿弥陀さまのもとへ還っていった。私が幼いとき、おばあちゃんは長崎から出て来て私の面倒を見てくれた。私の礎は、おばあちゃんがつくってくれた。
おばあちゃんが亡くなったとき、母(坊守)はちょうど帰崎していた。これから東京に戻るというときにおばあちゃんの訃報が入った。急きょ、父(住職)の分の飛行機のチケットも手配して、長崎に送り出した。母も父も、長崎のおばあちゃんの通夜葬儀に参列することができた。よかったし、嬉しかった。
おばあちゃんのお見送りをできなかった私は、後日、妻と娘たちと共に長崎に向かった。おばあちゃんの家(母の実家)に行き、おばあちゃんのお骨が安置してある中陰壇の前へ。おばあちゃんと話をする前に、おばあちゃんと共に生活してくださっていた伯父と伯母に挨拶をした。「今までありがとうございます」。言った瞬間、「あ、これダメだ。涙が溢れる。いいや、思いっきり泣いてしまおう!!」と嗚咽しそうになったその瞬間、よちよち歩きの次女が中陰壇に行き、お焼香の香炉に手を伸ばそうとした。伯父・伯母・母・妻・私・・・みんなして「あぶないっ!!」と叫び、私が次女を抱きかかえて事なきを得た。ちょっとした空白の時間が流れ、誰ともなく笑い出した。みんなで笑った。涙も吹き飛んだ(泣けなかった、泣くタイミングを逸したというわけではなくて、みんなで笑えたことが、私にとっての嗚咽になった)。
長女は、おばあちゃん(長女・次女からいえば ひいおばあちゃん)に会ってはいるけれど、記憶はない。次女は、会っていない。会っていないけれど、中陰壇前でのやりとりを通して、彼女たちはひいおばあちゃんに会ったんだ。当時、「おばあちゃんに娘たちを会わせることができた」って胸の中で思えた。会わせることが出来た嬉しさを覚えている。
白石さんも、同じようなことを感じられたのではないだろうか。

先日、ある方のご法事を寺でお勤めした。
法事の依頼の際に、お施主さんが「ちっちゃい子どもが6人もいて、お騒がせするかもしれません」と言うので、「賑やかでいいじゃないですか!」と応えた。
私のおばあちゃんの通夜葬儀の際も、私の家族が参列できなかっただけで、孫8人 ひ孫13人(だったかな?)が集まった。とても賑やかだったとのこと。ひ孫のひとりが、「おつやってたのしいね!!」って言ったそうです。同じくらいの年の子がいっぱいいて、みんなではしゃいで、みんなでご飯食べて、それは楽しいよね^^
「おつやってたのしいね!!」ってセリフを伝え聞いて、とても嬉しかったです。おばあちゃんもひ孫たちに、ひ孫たちもおばあちゃんに会えたなぁって。おばあちゃんを ちゃんと送ることが出来てよかったと思いました。
だから、葬送の場においても、法事の場においても、孫やひ孫が集まって賑やかであっていいんです。泣いても笑ってもいいんです。
寺で法事をしたのは、7回忌の方でした。6年経つわけですから、その方が亡くなったあとに生まれたひ孫さんもいました。亡き方と、実際に会ってはいませんが、ご法事を通して、ご本堂で阿弥陀さまを前にして、墓前で、先往く方とひ孫さんはしっかりと出会えました。

昨今「墓じまい」が流行っているようですが、出会いの場をなくしてどう生きてゆくのだろう?と感じます。
ご法事を勤めること、お墓をお参りすることは、亡き方のご供養という意味だけではなく、私が生きるための杖であり、支えであるのだと思います。
手を合わせる、涙を流す、みんなで笑い合う場所を用意してくださって、ありがとうございます。南無阿弥陀仏

2019年5月21日 (火)

同じ、ひとりの人間として出会うということ。そこが奪われると、人間関係は「ねんごろ」さを失ってゆく

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに住んでいるズラータという少女の日記(『ズラータの日記』)に書いてある話です。
10歳のころからの日記。はじめは子どもらしい無邪気な日々が綴られています。
ところがやがて民族紛争が起こり、内乱が進み、そして爆弾が落ち、狙撃兵が狙い撃ちをする弾がどこからともなく飛んでくると。そして友だちの家がいつの間にかどこかへ行ってしまったとか、あるいは友だちが弾に当たって死んだとか、そういうニュースが聞こえてきます。
そういう状況の中で毎日弾を避けて壕に逃げ込んで、壕で暮らしていくなかで、もう友だちもいませんから自分の日記に「ミミ-」という名前をつけて、日記に語りかけるようにして綴っている文章です。
彼女が11歳のころ、1992年11月19日の日記に以下のように書かれています。

ミミ-さま

政治に関しては新しい動きはありません。いくつか決議が採決されて、「ガキども」は(この「ガキども」というのは民族紛争を起している大人をズラータが「ガキども」と非難して呼んでいるのですが)交渉を続けています。そしてこっちでは人が死に、凍え、飢え、泣き、愛する人や友人とはなればなれになっています。
 このばかげた政治というものをなんとか理解したいといつも思っています。この戦争を引き起こし、それを日常にしてしまったのは政治のように思えるからです。戦争は日を消し去ってそれを恐怖で置きかえ、いまでは新しい日のかわりに恐怖がめぐってくるようになりました。この「政治」とは、セルビア人とクロアチア人とモスレム人のことのようです。でも彼らはみんな同じ人間なのです。ちがいなんてありません。手があって足があって頭があって、歩いたりしゃべったりします。それなのに、この三つの人たちをちがうものにしようとする「なにか」があるのです。
 わたしの友だちや、パパとママの友だち、それに親戚にもセルビア人とクロアチア人とモスレム人がいます。もんな混ざっていて、どの人がセルビア人でどの人がクロアチア人やモスレム人かなんて、考えたこともありませんでした。それなのにいま、政治が割り込んできて、セルビア人にはS、モスレム人にはM、クロアチア人にはCをつけて、それぞれを分けようとしています。そしてそれをするために、いちばんたちのわるい、真っ黒なえんぴつを選んでしまいました。苦しみと死ということばしかつづることのできない、戦争というえんぴつです。

〔『人と生まれて』 宮城 顗述 (東本願寺出版)より〕

 

 

 

2019年5月18日 (土)

あなたを呼ぶ声は わたしを呼ぶ声

あなたの名前を呼べるのは
あなたが私を想っていてくれるから

 あなたの想いが私へと伝わったから
 私はとても嬉しくて あなたの名前を呼ぶ

 あなたの願いが私となったから 
 私は私のままで あなたの名前を呼ぶ

あなたが私を呼んでくれるから
私はあなたの声を聞くことができる

 あなたの声が私へと届いたから
 私はとても驚いて あなたの名前を呼ぶ

 あなたの声が耳の奥底に残るから
 私はいつまでも あなたの名前を呼ぶ

今を全然喜べなくて
自分の居場所が見つからなくて
自分の存在の意味が分からなくて
ひとり 不安に覆われた暗闇を歩む

 あなたの名前を口にするとき
 あなたと共に 私はいる

 あなたの名前を口にすること
 それは私自身の存在の証

 私はひとりじゃない
 いつだって
 どこだって
 どんなときだって
 あなたと共に 私はいる

今いることがとても不思議で
自分の居場所は、今、ここでよくて
分からないことはたずね続ければよくて
ふたり 安心してこの道を歩める

手と手が合わさって
なんだか とても温かくて
なんだか とても目映くて
合わさる手の中に私の知らない世界がある

 あなたがいるから 私がいる
 私がいるから あなたがいる

 あなたが私を呼ぶ声と
 私があなたを呼ぶ声と

 私はひとりじゃない
 孤独も
 悲しさも
 さみしさも
 共に感じてくれるあなたがいる

ひとりひとりの涙に身を寄せて
ひとりひとりの名前を呼んで
涙がとても温かくて
名前がとても目映(まばゆ)くて

 

「あなたを呼ぶ声は わたしを呼ぶ声」
   (作詞 わたし/作曲 あなた)

2019年5月 2日 (木)

2019年5月のことば

2019年5月2日(木)を迎えました。
午前中の曇り空&雨の天気から一転、午後はまばゆい日射しが降り注いでいます。

4月30日、「平成」最後の日。
個人的な話ですが、4月30日は あるアクシデントに見舞われ、5月号の寺報をゼロから書き直していました。
世の中が「平成」から「令和」へのカウントダウン盛り上がっていた頃、私は必死で文章を書いて、寺報の絵を描いていました。泣く泣く筆を染めていました。
アクシデントの衝撃が強すぎて立ち直れそうにありませんでしたが、なんとか入稿。48年生きてきて、今まで生きてきた中で一番幸せです。 自分で自分を誉めてあげたいです(^∀^)

2019年5月のことば

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母を呼ぶのは良いことであるからと、母を呼ぶ子はいない
                     正親含英(おおぎ がんえい)

   〔正親含英先生(真宗大谷派僧侶 1895~1969)〕

子どもが母を呼ぶ声は

母を呼ぶことができるのは、母の想いが私に届いているから

母を呼ぶことに損か得かのものさしはない

母を呼ぶことは私自身の存在の証

念仏称える声は

念仏称えることができるのは、阿弥陀の願いが私に届いているから

念仏称えることに損か得かのものさしはない

念仏称えることは私自身の存在の証

「呼ぶ」主体

誰かを「呼ぶ」行為は、呼ぶその人が主体であるかのようだけど、相手がいるからできること。「呼ぶ」行為の主体は、私ではなくて呼ばれる相手。

私へと想いを寄せる母

私を救いたいと願う阿弥陀

私を想っていてくれる人やはたらきの声が私に届き、私は名を呼べる。

名を呼ぶところに、相手と私との関係がひらかれる。念仏称えるところに、阿弥陀と私との関係がひらかれる。

名を呼ぶとき、念仏称えるとき、私自身の存在が証明される。そのとき、母が母となる。阿弥陀が阿弥陀となる。

 

すでに、響き合っている

掲示板のことばに「母」とあるので、「母だけの話なの?」と思った人もいることでしょう。

他者(ひと)と私との関係において、「呼ぶ」という行為には、呼応関係が既にあるのだと思う。「呼ぶ」行為とは、呼ぶ側の一方通行ではなく、呼ばれる方が発する想いや願いや思慕が先にある。呼ぶ方と呼ばれる方と呼応・共感・共鳴の関係がひらかれている。そういう意味では「父」や「友」でもいいのだけれど、呼ぶ声の背景にある広がりが最も大きいのが「母」なのではないだろうか。

掲示板のことばを読んで、母と子の姿を、幼い子とその母親をイメージした人もいることでしょう。

母と子の関係は、お互いが幾つになっても母と子。今20歳の母と3歳の子にしても、100歳の母と80歳の子にしても、母と子。お互いが何歳であろうとも、年の差が幾つであろうとも。

掲示板のことばを読んで、母とは、存命中の母をイメージした人もいることでしょう。

けれど、すでに浄土へ還られた人であっても、母は母。亡き人に対しても、名前を呼べる。亡き母の縁で、私が 「南無阿弥陀仏」と念仏称えたならば、母は母でもあり、仏でもある。

母を呼ぶ、他者(ひと)を呼ぶ、阿弥陀を呼ぶ(念仏を称える)のは、母からの、他者からの、阿弥陀からの呼びかけがあるから。

母が、他者が、阿弥陀が、呼びかけることができるのは、私がいるから。すでに、響き合っている。

「誰かのため」ではなく

私(西蓮寺副住職)は、妻や子どもたちが目の前にいないときでも、名前を呼ぶ声が自然に出て来ます。

なぜだろう? どうしてだろう?

いや、名前を呼ぶのに理由や目的などなくて、妻や子どもたちがいてくれるおかげで、私は名前を呼ぶことができるだけのこと。

誰かがいてくれるおかげで、私はその誰かを呼ぶことができる。

「誰かのため」に呼ぶのではなくて、「誰かのおかげ」で呼ぶことができる。

年令や知恵を重ねると、名前を呼ぶことに損得勘定が入ってしまう。小さな人たちは、何の見返りも求めず母を呼ぶ。澄んだ声に聞こえるはずです。

念仏も、見返りなんてない。私を呼ぶ声「南無阿弥陀仏」。その声が聞こえたから、私は「南無阿弥陀仏」と念仏を称えられる。念仏称えるところに、阿弥陀と私とのつながりが表現されている。

いつでも どこでも どんなときも

親鸞聖人は、「南無阿弥陀仏」と念仏称えることを大切にされました。

念仏は、お内仏(お仏壇)の前でなくても、お墓の前でなくても、お寺の本堂でなくても、日々の生活の中で、いつでも、どこでも、どんなときでも称えることができる。

念仏称えたとき、そこが私の居場所となる。「今、ここ、私」が居場所となる。 「南無阿弥陀仏」

~掲示板の人形~

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京都水族館のくじ引きでゲットしたイルカの親子(親子というわけではなく、大きいのと小さいのを当てたのだけど)
4月29日の永代経法要に合わせたかのように花開いた黄色いボタンとともに。

2019年4月29日 (月)

時代のせいにしない

5月1日、「平成」から「令和」へと元号が変わる。世の中はお祭騒ぎをしている。

今は、「平成最後の〇〇」が耳に付く。「平成最後の〇〇大会優勝!!」などは、そう表現したくなるのも分かるけど、「平成最後の水曜日」「平成最後の木曜日」などと言い出したときには閉口した。きっと「令和最初の水曜日」「令和最初の木曜日」とか言い出すのだろう。

「昭和」から「平成」に移行したときは、昭和天皇が崩御されてからのことだからお祭騒ぎムードになるわけもなく、「昭和最後の〇〇」「平成最初の〇〇」などと言える時間もなかった。だから、「平成」になったときの印象は薄い(ただ時間の経過だけの話ではなく)。

「平成」から「令和」に変わる現代は、お祭騒ぎ。

今上天皇(平成天皇)が生前退位を希望されてから、「平成30年12月31日まで」とか「平成31年3月31日(年度末)まで」とか「新元号の発表は前年の早い時期に行ない、混乱を最小限にする」とか、政府は言っていた記憶があるけれど、今上天皇の退位の時期も新元号の決定も、政治介入の臭いがプンプンする。

「天皇制の賛否を言いたいのではない」と以前も投稿したことがあるけれど、限りあるいのちを生きるひとりの人間の人生・生き死にに関わることに、ここまで政治が足を踏み入れていいのだろうか! と、最近特に感じる。

さて、過日あるテレビ番組で、「平成」を振り返る映像を流していた。すると出演者のひとりが、「今の映像は、“平成”を振り返ったわけではなく、“昭和”からを振り返っていますよね」とコメントしていた。「あぁ、そうだなぁ」と痛感した。「平成」を振り返ったとき(振り返ろうとしたとき)、「昭和」から続く時代として、つまり戦前・戦中・戦後を抜きにして「平成」は語れない。元号は変わろうとも、時代は続いている。ひとつの流れの中にある。

元号が変わるのを前に「令和は良い時代になってほしい」「令和も戦争のない時代であってほしい」などという町の声をテレビでは聞くけれど、ひとつの流れの中にあって、元号の変わり目で物事にきれいに境界線が引かれるわけではないし、「令和」という時間軸を生きるのは日本だけなのだから、世界が「平成の間は険悪な状態で」とか「令和になったから仲良くしよう」とか考えるわけもなく、つまりは「令和になったらこんな時代を」と夢見るのは、とても不自然な話だ。

「夢見るのは」なんて嫌な書き方をしてしまいました。新元号に夢や希望を託す方にケチをつけているわけではありません。時代の一区切りが30年もあれば、その終末は良い状態よりも閉塞状態の印象の方が強くなるものです。だから、平成31年が終わろうとしている現代(いま)は、「良い時代だったね」という感覚よりも、閉塞感が漂います。実際、「おかしいな」と感じることを表現・表明すると叩かれてしまう世の中です。息苦しい(生き苦しい)時代です。

でも、お祭騒ぎをしている人たち、良い時代を夢見ることを口にする人たちが、過去に持っているイメージ(特に悪いイメージ)やバラ色の未来を描く内容には、“自分”が抜けているように感じます。私もこの時代を生きるひとり。他人が為した過去ではないし、他人が形づくる未来でもない。

書きたかったことはここからです。助走が長くなりました 平成最後の愚痴でした(^∀^)

2019年4月25日(木)「東京新聞」朝刊30面より

「子の居場所 地域が育む」という見出しで、東京池袋にある子どもたちの居場所として2年前にオープンした「WAKUWAKUホーム」が取材されていました。理事長 栗林知絵子さんがインタビューに応えています。

子育て中の専業主婦だった2003年を振り返る。

当時、自由に外遊びできる区のプレーパークが近所にでき、運営団体の代表を任された。そこで出会った子どもたちから、貧困の実体を聞いた。区へ報告したが状況は変わらなかった。

「高校に進学できないかも」と話す男の子との出会いをきっかけに学習支援を始め、2012年にネットワークを立ち上げ、翌年に子ども食堂を開設。その後も、子どもの困り事を知ると「何とかしたい」と取り組みを広げた。ホームもその一つだ。

子どもの貧困は以前からあったのに、なぜ問題にされてこなかったのか。「本来、親がやるべきこと」「まずは自助。順番を間違えるな」。子ども食堂を始めたころ、栗林さんは行政職員や議員らからこんなふうに言われたという。

「子育ては家庭の役割」が当然だった昭和が終わって20数年、「地域で育てる」という考え方はまだまだ理解されていなかった。しかし、子ども食堂の取り組みは急速に全国へ広がり、今では3000カ所ともいわれる。地殻変動は起きた。

幼児がマンションに置き去りにされて餓死するなど、家庭の機能不全を示す事件が各地で相次いだ。非正規雇用の問題では大人の貧困がクローズアップされ、子どもの貧困にも人々の目を向けさせた。今も子どもの貧困率は高く、いじめや虐待で犠牲になる子どもも後を絶たない。解決は新しい時代へ持ち越された。

「家庭にすべて任せるのは限界だと、やっと理解されてきたのでは。各地での小さな積み重ねは、いつか大きな力になります」。栗林さんは信じている。

4月25日の朝、この記事を読んで、「平成」から「令和」へと移ろうとしている現代(いま)のモヤモヤの正体が分かった気がしました。

子どもの貧困、大人の貧困、家庭の機能不全など、最近ではだいぶ周知されるようになってきたと思います。思いますが、それでもまだ「子どもの貧困なんて、そんなにないでしょ」「大人の貧困? 自分の責任でしょ」「家庭の機能不全なんて、親がシッカリしなきゃ!」などという声、考え方、意識が強いようにも感じます。

貧困問題、働く場の環境問題、家庭問題だけではなく、性差別の問題もあるし、自分の性に関して世間では理解されない悩みを抱えている方もいらっしゃいます。

新聞記事に「解決は新しい時代へ持ち越された」とありますが、元号は変わっても、時代はひとつの流れのままです。そして、その時代とは他人事の時代ではなく、私も身を置く時代です。今まで同様、貧困問題に無関心、性に関する悩みに無理解なままの私であるならば、たとえ時代は変わっても、解決なんて望むべくもないし、よりままならない時代、格差が開く時代、険悪な時代、生きづらい時代へと突入していきます。元号が変わろうとも、そのままであろうとも、なくなろうとも、そんなこととは関係なく、自分は今を生きる私であり、同じ時間を生きるいのちがあり、今の生き方が未来へと続いているという認識を持たなければいけない時代だと思います。

2019年4月 4日 (木)

ボヘミアン・ラプソディ

2019年4月1日 昼過ぎに寺報を入稿して、ホッと一息。一日の仕事を終え、ふと映画を観たくなる。ネットで確認すると、「これから見に行ける!」という上映時間があった!! QUEENを描いた「ボヘミアンラプソディ」・・・やっと、やっと観ることができる!! ワクワクしながら新宿へ。21:55からの上映回を観に行きました♪

学生時代に、QUEENをカラオケで歌いまくる先輩がいて、当時洋楽に興味がなかった私でも、QUEENが気になり始めました。(QUEENの演奏を聞いて、ではなく先輩の歌を聴いて、なんだ (^∀^) )

詳しくない私が語るのも野暮だけど、あぁ、QUEENいいなぁ♡と思いました。映画館で鑑賞できてよかった。

さて、4月の寺報にて、

「胸の傷」のいたみについて考えるとき、自分の胸の傷のことばかり考えていた。

けれど、私があなたにつけた傷もありました。その傷の方がはるかに多くて、はるかに深い。

と書きました。

映画鑑賞中「Love Of My Life」という曲が流れ、その歌詞(字幕)に

「私の愛する人 あなたは私を傷つけて去って行くんだね 僕から愛をとりあげないで」と書いてありました(注、まったくの私の記憶ですので、原文や本来の意味と違うかもしてれません)

その字幕を見ながら、

「愛をもらうって傷をもらうことなんだ。傷というと否定的イメージが強いけど、そうではなく、大切な人との出会いの象徴なんだ。自分の傷にばかり気持ちが行って、他者(愛する人)につけた傷に無自覚な私!って文章を書き上げたばっかだけど、あぁ、私は愛を分かってない男だなぁ。自分についている傷の背景を、奥底を、もっと感じてごらん!! 愛をもらってる私なんだよ!!」

なんて、映画を観ながら、「LOVE Of My Life」を聞きながら心の中で呟いていました。

時間つくって観に行ってよかった。終電で帰れてよかった。

2019年4月 1日 (月)

2019年4月のことば

2019年4月1日
4月になりました。ぽかぽか陽気で、桜もきれいですね・・・なんて日和を想像していたけれど、寒いです。お風邪を召しませんように。
3月末、膝をつき合わせて話をしておきたい人、事柄が多々あったので、京都へ行ってきました。
思いがけずたくさんの人と、いろいろな話ができました。
メールでも電話でもなく、直接会って話をすることって とても大切だ!!
阿弥陀堂と御影堂で、阿弥陀さま 親鸞さまの前に座ると涙が出るくらいホッとするものです。
行ってよかった。 南無阿弥陀仏(-人-)
おかげで4月の寺報がギリギリになってしまいましたが、なんとかできました(ホッ)
4月、新しい出あいを大切に。もちろん、今までの出あいも含めて。

〔2019年4月のことば〕

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今を生きることで

熱いこころ燃える

だから君はいくんだ

ほほえんで

そうだ うれしいんだ

生きるよろこび

たとえ胸の傷がいたんでも

      やなせたかし (「アンパンマンのマーチ」より)

不安は私のいのち

このような話を聞いたことがあります。ウナギを長距離運ぶとき、全く傷を付けずに丁寧に運ぼうとすると、ウナギは目的地に着く前に死んでしまうそうです。ところが首に傷を付けると目的地まで生きたまま届くそうです。ウナギはキズの痛みに耐え、一生懸命生きようとするのでしょうか。

という文章を、かつて寺報で書いたことを思い出しました。

第7号 1999年3月発行の寺報です。もう20年も前の話になります。文章が未熟です(今もですが)。「ウナギの首ってどこだろう?」などと思いながら、古い寺報を読み返しました。

ちなみに、第7号の掲示板のことばは、

 不安は私のいのち

 苦悩は私の生きがい

 不安や苦悩のない人生はない

 不安や悩みとれたら

 生きがいもない

です。

不安や苦悩なんて無いほうがいいですよね。なにか不安や悩みがあるとき 私たちはその原因を自分の外に考えてしまいます。「あいつさえいなければ」「今の社会状況は最悪だ」等々。それでは仮に自分が考えた不安や悩みの原因が全部無くなったとして、そこに不安や苦悩の無い世界が開けるでしょうか。 おそらく新たな不安や苦悩が訪れるのではないでしょうか。

という文章もまた、当時書いたものです。

不安や苦悩にこころ覆われたとき、「あのとき、あんなことしなければ」と悔いたり、「あのとき、別の行動をとっていれば」と歎いたりしてしまいます。過去に戻れないのは分かっていることなのに。仮に、過去に戻ってやり直せたとしても、私はまた同じようなことを繰り返すことでしょう。

不安や苦悩のない人生はありません。それに、不安や苦悩があるからこそ夢や希望を抱けるのかもしれません。悲喜のすべてがあっての私です。

こころに刻む

「胸の傷」というと痛々しく聞こえる。 けれど、「こころに刻む」や「脳裏に焼き付ける」など、より痛みを伴う表現がある。意味としては「忘れない」「覚えておく」ということだけれど、「この出来事を忘れない」「目の前の光景を覚えておく」という表現では言い尽くせない経験が、「こころに刻む」「脳裏に焼き付ける」と表現させるのだろう。絶対に忘れない、忘れてはならないという覚悟と共に。

「こころに刻む」や「脳裏に焼き付ける」と表現するのは、嬉しい出来事よりも悲しい出来事の方が多いのではないだろうか。

「悲しい出来事はなかったことにしたい」「悲しい気持ちが早く薄らいでほしい」。そのようなセリフを耳にするけれど、絶対に忘れてはいけないことだという気持ちがはたらくのは、悲しい出来事。

いのちが生きよう生きようとするのは、傷がつかないように丁寧に守られた環境ではなく、こころに刻まれるような何かに出あったときなんだ。

あなたを傷つけた私

「胸の傷」のいたみについて考えるとき、自分の胸の傷のことばかり考えていた。

けれど、私があなたにつけた傷もありました。その傷の方がはるかに多くて、はるかに深い。

自分の胸の傷のいたみは感じることができる。傷と共に刻み込まれている悲しい出来事も思い返すことができる。それなのに、私があなたにつけた傷は、傷をつけたことすら分かっていない。ましてや、あなたが感じているいたみなど知る由もない。

「今を生きる」とは、傷と共に生きること。つけられた傷もあれば、あなたにつけた傷もある。自分の胸の傷のいたみだけを感じるのではなく、あなたを傷つけた私ですといういたみを、忘れてはならない。

受け継がれる意志

あなたを傷つけた私。そのことを想うとき、マンガ「ワンピース」の、あるシーンを思い出す(単行本16巻)。

雪の降りしきるドラム王国。国王ワポルは、国民を支配することで国政を担っていた。国内の医者を国の管理下に置き(「イッシー20」)、病気を患った国民は、 ワポルに頭を下げて治療を受けなければならなかった。その国政に抗い、ドクター ヒルルクは、患者の家を訪ねては無償で診察をしていた(しかし、ヤブ医者ゆえ国民からは迷惑がられている)。

ヒルルクの態度に業を煮やしたワポルは、ヒルルクを捕まえて処刑するため、「イッシー20」全員が病に倒れたとデマを流す。

「イッシー20」を治療するため、自身のいのちを顧みず、城に乗り込むヒルルク。

城で待ち受けていたのは、国王ワポルと守備隊、そして健康な「イッシー20」。

自分を捕まえるための罠だったと知ったヒルルクはつぶやいた。

「よかった・・・病人はいねェのか・・・」と。

「ズキッ!!」 ヒルルクのつぶやきを耳にし、胸にいたみをおぼえる守備隊隊長ドルトン。彼は、ワポルの国政に疑問を感じながらも、逆らえずにいた。

捕まって処刑される前に、自ら世を去ったドクター ヒルルク。その姿を脳裏に焼き付けたドルトンは、国王ワポルに立ち向かう・・・

〔掲示板の人形〕

今月は、やなせたかしさんのことばを掲示させていただいたので、アンパンマンとSLマンの人形を掲示しています。

京都で買ってきました(^▽^)

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