2026年10月 5日 (月)

2026年10月のことば

2026年10月を迎えました。
9月は、東京はずっと雨模様でしたね。体調崩されませんでしたか? 10月に入っても曇天が続きますが、ご無理なくお過ごしください。

10月1日から3日、真宗大谷派東京教区報恩講(ほうおんこう)がお勤めされました。お参りいただいた皆様、ありがとうございます。
キャパ200人ほどの真宗会館ですが、スタッフも含めて賑わいのある報恩講となりました。スタッフの皆様、真宗会館の職員の方々のお力添えがあり、報恩講をお勤めできました。感謝の念に堪えません。ありがとうございます。今回は報恩講プロデューサーを務めておりました。企画会にお声がけした皆様。度重なる会議に当日の任務、お疲れさまでした。ありがとうございます。皆さんのおかげで一切疲れが出ず、報恩講後の法務を務めております(-人-)
これから各地の真宗寺院において「報恩講」が勤まります。そして、11月21日(土)~28日(土)には、ご本山 東本願寺において「報恩講」が勤まります。お出かけになれる「報恩講」に、ぜひお参りください。

 🦉 🦉 🦉

2026年10月のことば
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毎日掃いても落ち葉がたまる
これがとりもなおさず人生である
             田山花袋

アレン・ネルソンさんをご存知ですか?

アレン・ネルソンさんは、元アメリカ海兵隊員で、ベトナム戦争を経験されました。戦地に赴き、生きるか死ぬかの現実を生き、帰還されました。戦地では、ひと時も気を抜けません。食事のときも、用を足すときでさえも。殺るか殺られるかの世界です。そんな緊張感の中に身を置いていたため、帰還されてからはPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみます。
ある日、高校時代の友人と再会します。友人は小学校の先生をしていました。ネルソンさんがベトナム戦争から帰還したことを知っていたので、戦争体験を生徒たちに語って欲しいと頼みます。しかしネルソンさんは断ります。戦争のことは忘れたかったのです。それでも友人は頼み続け、ついにネルソンさんは引き受けます。戦争一般の恐ろしさを語る程度のつもりで。

生徒たちの前で話し終え、質問の時間に一人の女の子が尋ねました。
「ネルソンさんは、人を殺したんですか?」
ネルソンさんは驚き、顔を伏せてしまいました。それでも、子どもに嘘をついてはいけないと、顔を上げて答えました。
「はい、私は人を殺しました」
子どもたちが驚き逃げ出す姿を想像していたネルソンさんに、質問した女の子は近づき、ハグしました。他の子どもたちも、ネルソンさんに駆け寄り抱きしめたのです。
この時の感動がネルソンさんを動かします。「戦争の真実を語りたい」と。
ネルソンさんは、必死でPTSDを治し、戦争体験の語り部として活動を始められました。大人は頭で考えようとするけれど、子どもたちは体全体で戦争をつかもうとしてきます。ネルソンさんは、主に子どもたちに向けて戦争体験を語られました。
2009年3月25日(日本時間26日)、アレン・ネルソンさんは多発性骨髄腫で亡くなられました(61歳)。

2026年9月11日より、ドキュメンタリー映画『「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」が上映されています。
この映画の監督である塚本晋也さんは、かつてネルソンさんの自伝『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』を手にしたとき、「今の世の中に絶対必要なことに思えた」と語られています。反面、この現実を映像化する作業は、人間の暗部に向き合うことにもなります。伝えなければという使命感・責任感と、人間の暗部に向き合うことになる苦痛との狭間で葛藤し、7年の歳月をかけて完成されました。
塚本監督が感じられているように、戦争のきな臭さを感じている方は多いのではないでしょうか。ネルソンさんは、子どもたちに自分の犯した罪を語り、反戦を訴えました。ネルソンさんは日本国憲法の第9条を大切にされました。彼の死後、「9条を抱きしめて」というドキュメンタリーが作られました。西蓮寺聞法会でも、2014年12月に上映会を行いました。

実は、今月の文章の上記太字部分は、2009年4月号の寺報に記載したものです。2026年を生きる今、ネルソンさんの悲しみや痛みや意思が、あらためて人びとに伝わることはとても嬉しいことであり、大切なことです。
しかし、私は思います。ネルソンさんが亡くなられて17年程経って、今もなお彼のメッセージを必要とする時代はどのような時代なのか。このような時代に生きる人間とは、否、このような時代にしている人間とはいったい何なのか。
「人の世から争いが無くなることはない」と、よく言われますが、「仕方ない」「それが人間」で済まされる話ではありません。

核廃絶への願い
元プロ野球選手の張本勲さんが亡くなられました(2026年9月9日、86歳)。
プロ野球に興味関心を持ち始めたころ、3000本を超えるヒットを打った選手がいることに驚いたものです。
張本さんは5歳のときに広島に投下された原爆に被爆されています。原爆によって最愛の姉を亡くし、プロ野球の世界に入ってからも、ちょっとでも体調が悪くなったときには、「原爆症が発症したのではないか」と不安になり、恐怖との戦いであったと語られています。また、被爆者に対する差別を目の当たりにした経験から、被爆者であることを長年隠していました。

年を経て、原爆がどこに投下されたかも知らない若者が出てきたこと。また、原爆の記憶の恐怖や怒りから「8月6日と8月9日、この日は暦から消してもらいたい。思い出すのもつらいから」と張本さんが発言した際、九州の小学校の女子生徒から、「張本さん、逆ではないでしょうか。忘れないためにも、8月6日と9日はあった方がいいと思います」という手紙が届いたこと。それらの出来事があって、はっと驚き、「あんな悲惨なことを二度と起こさないためにも伝えていかねば」と思い立ち、被爆体験や戦争は起こしてはいけないんだという思いを語り伝えられるようになりました。

人生は、独りで生きているものではない
ネルソンさんと張本さんのエピソードを紹介しました。おふたりとも自身の体験をもとに反戦を訴え、特に若い世代との交流を大切にされました。
ネルソンさんは、「私のようにPTSDで苦しむ人間を生み出さないために」と語られていました。
張本さんは、「『地球上から核兵器がなくなった』という一言を聞いて息絶えたいんだ」と語られていました。
おふたりの意に反し、若者は戦地に送られ、核軍縮どころか核拡散の方向に世界は向きつつあります。
このような世の中ですが、おふたりのメッセージは、亡くなられた後も生きて届いています。

 散ると見たのは凡夫の眼
 木の葉は大地に還るなり

という法語があります。
木と共にある葉は瑞々しく、紅葉などは見る者の心を満たしてくれます。しかし、木から離れ散った葉は、それで終わりでしょうか。終わりと見る見方は、物事のほんの一部しか、自分にとって都合のいい部分だけしか見ていない、もったいない見方です。
散った葉は大地へと還り、元あった樹木、翌年の葉、他の生命の養分となり、あらたないのちを生み出します。そして、私たちはあらたな潤いをいただきます。散った葉が大地に還るという気づきは、見えない部分の大きさに敬いの気持ちを持つ感動へとつながります。おふたりが若い人びとに語られたのは、たとえ我が命が尽きようとも、次のいのち、次のいのちへと思いが還っていくことを信じていたからだと思います。
毎日掃いてもたまる落ち葉を、邪魔だ汚いと思う生き方も人生。たまる落ち葉があってこそ今の私があるとみるのも人生。
南無阿弥陀仏

 🐶 🐶 🐶

掲示板の人形
8月の暑さから9月の雨模様
夏から秋への変化が感じにくい気候でした。でも、金木犀の香りが漂い始め、肌寒くなり着るものも秋物へと変わり、お風呂の温度を上げた方もいるのではないでしょうか。確実に季節は移ろういています。
リスにフクロウ、秋を感じさせる人形を飾っています。
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西蓮寺寺報(紙ベース)に載せている漫画
掲示板のことば「落ち葉」にからめて、シュリハンドクのお話を描きました。
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2026年9月 2日 (水)

2026年9月のことば

こんにちは
2026年も9月を迎えました。いかがお過ごしですか。
使っているカレンダーの枚数が減り、来年のカレンダーの見本が送られてくると、「あぁ、今年も終わりだなぁ」なんて感傷的になってしまいます(まだ3分の1年残っているのに)。

7月の熊本地震に続き、千葉県、そして石川県、富山県、福井県の集中豪雨、青森もすごい雨でした。その他の国や地域でも自然災害が発生しています。被災された皆様にお見舞い申し上げます。災害の最中も大変で、恐怖心が芽生えてくるものですが、その後の片づけや酷暑も心身ともにつらいことと思います。ご無事を念じております。
1982年(昭和57年)7月23~24日の長崎大水害に遭遇し、夜中に降る大量の雨音にふるえ、雨が上がったあとの生活は、今でも記憶に焼き付いています。このような災害は滅多に起こらないだろう、起こってほしくない(災害後の苦しい生活を経験する人が出てきてほしくない)という思いを持ち、これほどの集中豪雨は長い間ありませんでした。ところが、集中豪雨による被害が毎年のように起こるような時代になってしまいました。
少しでも被害が大きくならないように、亡くなり傷つきする人が出ないように念ずるばかりです。
この文章を綴っている9月2日、3日以降長く続く雨予報が出ています。大事ありませんように。でも、渇水の地に雨の潤いがもたらされますように(超身勝手ですが)。

 ♨ ♨ ♨ 

2026年9月のことば
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温泉に入って
 極楽極楽♪
夏の酷暑に
 まるで地獄のようだ!
どちらも
 ほぼ40度の世界

同じ世界
今年から40度を超える日を「酷暑日」と呼ぶようになりました。体温を超える温度に「まるで地獄のようだ!」とつぶやく人がいました。共感される方も多いのではないでしょうか。
「まるで地獄のようだ!」というセリフを聞いたとき、ふと思いました。温泉に入って「極楽極楽♪」というのはお決まりのセリフだけれど、その温泉もだいたい40度くらい。
さて、私たちが「極楽」「地獄」と表現している世界は、どちらもほぼ40度の世界。同様の世界に身を置きながらも、ときには「極楽」と表現し、ときには「地獄」と表現する。
「極楽」「地獄」をイメージするとき、どのような世界をイメージされますか? 対照的な世界を思い描かれるのではないでしょうか。
対照的な世界として思い描かれる世界なのに、内容はほぼ同様の世界。逆に考えると、同様の世界でありながら、ときには「〇〇」に感じられ、時には対照的な「●●」に感じられる。であるならば、対照的に感じられる世界は、果たして本当に対照的なのだろうか。実は、ひとつの世界なのかもしれない。夏の暑さのなか、そのようなことを考えていました。

二項対立
現代人の特徴なのか、私たちは物事を二項対立で考える癖がついてしまっています。地獄か極楽か、善か悪か、是か非か、 ゼロか百か、白か黒か…。
たとえば、「善とは何か」を考え、善なるもの悪なるものを自分なりに見出したとしても、それは結局自分と意見が合うか合わないか、好きか嫌いかで判断しているにすぎません。誰もが、自分を善において物事を考えるのですから。
極楽と地獄、善なるものと悪なるもの。対照的な個性、正反対な個性として物事を捉え、考えたとき、そこには対立や無理解、不寛容が生じます。しかし、根っこは同じ。本質はひとつ。それぞれはつながり合っている。そんな視点を持ったとき、違う世界が開かれるのではないでしょうか。

「悪人成仏」「悪人正機」
親鸞聖人の言行を、弟子の唯円上人が記したとされる『歎異抄』。その第3条に「悪人成仏」「悪人正機」と呼ばれる教えがあります。

【『歎異抄』第三条 原文】
善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。この条、一旦そのいわれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆえは、自力作善のひとは、ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、生死をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おおせそうらいき。

【試訳】
「善人でさえも阿弥陀の浄土へ生まれることができます。まして、悪人はいうまでもありません」と、親鸞聖人は説かれました。ところが、世間の人びとは常にこう言います。「悪人でさえ浄土へ生まれるのなら、善人が生まれることは当然である」と。これは、一応道理にかなった言い分のように思われますが、阿弥陀の本願・他力の救いの精神に背くことなのです。なぜかと申しますと、自分の力をたのみにして善行を励み、それによって悟りを開こうと思っている人びとは、ひとすじに他力(阿弥陀)をたのむという心が欠けているのですから、阿弥陀の本願に背いていると言わざるをえません。しかし、この人びとも、自力をたのむ心をひるがえして、他力を信ずる身になるならば、真実の浄土に生まれる者となるのです。
煩悩が満ち溢れている私たちは、どのような修行に励んでみても、この迷いの人生を離れ切ることなどは決してできません。このような私たちを大悲の心であわれみたまわれて本願をおこしてくださった阿弥陀のご本心は、「ただ悪人をこそ仏とならしめん」ということの他にはないのです。だからこそ、他力をたのむ悪人こそが、必ず阿弥陀の浄土へ生まれることの決定した人なのです。それゆえに、「善人でさえも浄土へ生まれることができます。まして、悪人の往生はいうまでもありません」とお説きになられたのです。
(試訳、以上)

親鸞聖人は「善人が救われるのであれば、悪人が救われることは言うまでもないことです」と説かれます。しかし、世の人の価値観からすると「善人は救われて、悪人は救われない」という方が頷きやすいことでしょう。親鸞聖人の教え(悪人成仏・悪人正機)に対して疑問視し、批判し、拒否反応を示したくなることでしょう。
しかし、そのような疑問、批判、拒否反応が出るということは、自分を善においていることの証です。「自分はこれだけ善いことをしているのだから、いい結果があってあたりまえだ」「罪を犯した奴らと比べたら、私は悪い人間ではない」などと思ったのではないでしょうか。
この世に善人と悪人がいるのではない。私自身が善でもあり悪でもあるのです。

憐愍善悪凡夫人(れんみんぜんあくぼんぶにん)
親鸞聖人が著された「正信偈」に「憐愍善悪凡夫人」とあります。「阿弥陀如来は、善悪の凡夫人を憐愍され、救ってくださる」と。
二項対立の見方が身についている私は、『「善の凡夫人」と「悪の凡夫人」がいて、その両方とも阿弥陀如来は救ってくださるというのが浄土真宗の教えなんですね(腑に落ちないけど)』と受け取ります。
しかし、対照的な、善の凡夫人と悪の凡夫人がそれぞれいるわけではありません。善悪合わせ持つ者が凡夫人なのです。もっと言えば、善悪合わせ持つ凡夫人である私のことを、阿弥陀如来は憐愍されているのです。
「憐愍」とは「憐(あわ)れむ」という意味ですが、世の人の憐れみは「気の毒に」「かわいそうに」と、強者と弱者、手を差し出す方と差し出される方のような関係性を作り出してしまいます。しかし、阿弥陀如来の「憐愍」(憐れみ)とは、善悪の凡夫人である私を、私のままで救おうと「認めている」ことを意味します。阿弥陀さまの眼からすれば、誰もが皆同じ「善悪の凡夫人」なのです。

 🌞 🌞 🌞

掲示板の人形
特に意味はないのですが、鳥獣戯画のウサギとカエルの人形を飾りました。
2匹だけだと淋しかったので、鳥獣戯画の作りとは違うウサギとカエルも置いてみました。賑やかになりました(^∀^)

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2026年8月 2日 (日)

2026年8月のことば

こんにちは
2026年も暑い熱い夏を(8月を)迎えましたね。ご無事でお過ごしでしょうか。
令和8年(2026年)7月28日に発生した「令和8年熊本地震」より被災された方々に心よりお見舞い申しあげます。
私も、長崎大水害(1982年7月23日)で被災し、ライフラインの整わないなか、給水車に並んだり山から流れ出る水を汲んで生活用水にしたりしました。町の銭湯が「みんなをお風呂に入れてあげたい」と、水害後まもなく銭湯を再開してくれました。銭湯に行くと、町内の人たちが大勢来て、人いっぱいの湯船につかりました。ゆっくりはできなかったけど、嬉しかったことを覚えています。
ライフラインもままならないなかでの猛暑。少しでも早く身の回りの環境が整うことを願うばかりですが、体調を崩されませんように。

7月22~23日、東本願寺でご法話の任を務めてきました。
聴聞にお集まりいただいた皆様、ありがとうございます。新しい出会いもありました。「仏の教えを聞く場には、人が集まる(僧伽)」ということも、「三帰依」の意味するところだなぁと感じました。
前後も仕事があり、計5日間の京都滞在だったのでパソコンを持って行ったのですが、他の作業をしたり、スマホで済ませたりで、結局パソコンを開くことはありませんでした。使わないパソコンをカバンに入れての往復でした。
京都で8月の寺報を書いてしまおうと思っていたのですが、結局手つかず。帰京してから書き始めましたが、思うように筆が進まず、ちょっと遅れてしまいました。
酷暑の8月、お時間あります時に8月の寺報(文章)をお読みいただけたら幸いです。
皆様、ご無理なくお過ごしください。

 🐱 🐱 🐱

2026年8月のことば
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こんな世の中を
生き抜く武器は
愛の言葉しかありません
この世のすべての問題を
解く鍵は 愛です
愛があれば
戦争なんか起こりません
        美輪明宏

淋しくなります
2026年6月20日、美輪明宏さんが亡くなられました。
坊守(母)が長崎出身のためか、私は小学生のころから美輪明宏さんとさだまさしさん推しなのです。
美輪さん亡き後、事務所から公開された生前の直筆メッセージを、8月の掲示板に掲示しました。

こんな世の中
美輪さんが言われる「こんな世の中」とは、どのような世の中でしょう。その意味に、内容に、内実に、ひとり一人が想いを馳せるべきだと思います。
「こんな」ですから、良い状況ではなく悪い状況を表すのでしょう。争いの絶えない世、格差の広がる世、自然環境の脅威にさらされる世。いろいろな世が思い浮かぶことと思います。
しかし、これらネガティブなことを思うとき、私たちは得てして他者のせいにする発想に陥りがちです。私も、こんな世の中の構成員であり、こんな世の中を生きている者であることを忘れてはいけません。

愛の言葉
「こんな世の中を生き抜く武器は 愛の言葉しかありません」。
あなたにとって 「愛の言葉」とは何ですか?
「愛があれば 戦争なんか起こりません」と言い切られています。戦争を引き起こすような怒り・貪り・妬みなどの感情とは対岸にあるような優しさ・敬い・思い遣りの気持ちが「愛の言葉」となって表れ出るのではないでしょうか。他者を貶める、非難する言葉が溢れている「こんな世の中」に、「愛の言葉」は生き抜く力となりえます。

しかし、「愛」は、ときに人を助け、ときに人を傷つけます。「愛国心」の名のもとに他国を、他国の人びとを嫌悪し傷つけている現実があります。現代では「〇〇ファースト」という表現がもてはやされていますが、危うい側面を持つ言葉であることに気づかなければいけません。
仏教において、「愛」は「煩悩」として教え説かれます。「愛」は執着を生み、相手を束縛し、自分の範疇に収めようという意識がはたらきます。愛あるがゆえに憎しみへと転化することがあります。人間が発する「愛」は、発する側にも受ける側にも傷や苦しみや悲しみが生じます。

仏教には「慈悲」という言葉があります。しかし、「愛」ではなく「慈悲」といったところで、人間の起こす「慈悲」もまた、先に書いた「愛」と同じようなものになってしまいます。
親鸞聖人は、「人間の起こす慈悲というものは、思うが如く助け遂げることは極めて有り難いことである」と説きます。また、人間の発する「慈悲」は、見返りを求め、優越感・満足感に浸り、肝心の相手の存在が見えなくなってしまいがちです。相手からお礼がなかったり、相手の境遇が恵まれてきたり、本来の目的を見失ったりすると、怒りや嫉妬や焦りが生じます。他者を想いながらも他者を怒り、妬み、見失う私を、阿弥陀如来は怒ることなく、比較することなく、見失うことなくみな平等に慈悲の心で包み込んでいます。今、現に。

私たちは、自身は慈悲もおぼつかない身であることを知るからこそ、阿弥陀の大慈大悲に気づくことができます。愛も慈悲も、人間が発するものは危うく儚いものです。でも、だからこそ愛や慈悲に 包まれるべき存在なのです。

兵戈無用(ひょうがむよう)
美輪さんは「愛」を「武器」と表現されています。「生き抜く武器は 愛の言葉」と。武器や武力というと、相手を傷つけ殺める兵器を思いますが、愛を武器と表現されています。重たいメッセージです。

『仏説無量寿経』というお経に「兵戈無用」という言葉が出てきます。

【原文】
佛所遊履。國邑丘聚。靡不蒙化。天下和順。日月淸明。風雨以時。災厲不起。國豊民安。兵戈無用。崇徳興仁。務修礼譲。

【書き下し】
仏の遊履したまう所の国邑丘聚、化を蒙らざるは靡し。天下和順し日月清明にして、風雨、時を以てし、災厲起こらず。国豊かに民安し。兵戈、用いること無し。徳を崇め仁を興し、務、礼譲を修す。

【試訳】
仏が教えを説き歩くところ、どの国も村も、教えの影響を受けないところはない。そのため世の中は平和に治まり、太陽も月も明るく輝き、風はほどよく吹き、雨はよいときに降り、災害や疫病なども起こらない。教えを聞く人びとのこころは豊かで安らかであり、武器を用いる必要はない。人々は徳をもって篤く礼儀を重んじ、政は、お互いに譲り合い修めるのである。

「仏が教えを説き歩くところ、その教えを聞く人びとのこころは豊かで安らかであり、武器を用いる必要はない」と説かれています。現代、この「兵戈無用」を引用して「兵隊も武器(戈)もいらない」と非戦平和を訴える文言を見聞きします。けれど、経典では、武器のない世を目的として説かれているのではありません。仏法が広まることを、人びとに届くことを願われているのです。「仏法広まるところに、武器を用いる必要はなくなる」ということは、たとえ仏の教えが広まろうとも、人の世に武器は有り続けるのです。武器が有りながらも用いる必要がないということは、用いる必要のない状況作りに努めている、決して使ってはいけないものだと認識しているということだと思うのです。

「武」という漢字は、「戈」と「止」とで形作られています。武器・武力を手にしながらも、立ち止まっている姿、思い留まっている姿を表しています。武器を片手に勇猛果敢に攻める姿ではなく、武器を持ちながらも相手を攻めず踏みとどまっているのです。思い留まる気持ちこそが武器であり勇気であるということを「武」は表しています。

美輪さんの91年の生涯には、戦争があり、原爆による被ばくがあり、性に対する世の中の無理解・無関心がありました。理不尽な人の世を生きるなか、他者に対する憎しみのこころも芽生えたことでしょう。しかし、愛こそが武器となる、思い留まる力となることを身をもって感じ、身をもって実践されたのです。自身のみならず、人間にはそのような気持ち(愛)があることを知るからこそ、信じるからこそ、「愛があれば 戦争なんか起こりません」と言い切られたのです。 南無阿弥陀仏

 🐶 🐶 🐶

掲示板の人形
かつて長崎に行った際、骨董品屋さんの店頭に飾ってあった平和祈念像。
すぐにお店に入って、購入しました。
何度か8月の掲示板に飾りましたが、今年は美輪さんのことを想いながら掲示板の飾りつけをしました。
その両脇には、合掌している動物たちの人形も。
他者を敬う気持ち、直情的な感情をちょっと踏みとどまって落ち着く勇気。
合掌する私の手には、阿弥陀さまからのメッセージが込められています。南無阿弥陀仏
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2026年7月 3日 (金)

2026年7月のことば

こんにちは
2026年も7月に入りました。折り返しです。早いですね。
「早いなぁ」とお感じの方も多いと想うのですが、ということは2026年の後半もあっという間に過ぎてゆき、「今年も一年、早かったねぇ」なんてことを感じるのでしょうね。
あっという間に過ぎてゆく一年、いったい何をして過ごしているんだろう…なんてことを思っています。
日々の生活は、するべきことがあって忙しく慌ただしく過ごしているわけですが、一ヵ月、一年のスパンでみたときの生活って、なんだか空虚(は言い過ぎかもしれませんが)だなぁとも感じます。
子どもたちは、その日あったこと、友だちとのやりとり、勉強のこと、数日後の予定等々を話してくれます(ありがたいことです)。過去の出来事を話すことで形にし、未来の予定を楽しみにし、しゃべっている現在が充実している。若いときって、程度の差はあれ、充実してたなぁと…遠い目をしています。
このブログを始めた22年ほど前は、そんなに日々の経過の早さを感じることも口にすることも文章にすることもなかったように憶(おも)います。時の経過の早さを感じ、口にするのは、年を重ねている証なのかな。
丁寧に生きたいなぁと感じる2026年の初夏です。暑く熱くなっていきます。おからだお大事にお過ごしください👋

 🐟 🐟 🐟

2026年7月のことば
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老いや病や死が
人生を輝かせてくださる
 湯浅 成幸(真宗大谷派僧侶)

四門出遊(しもんしゅつゆう)
「ブッダ」「釈尊」「お釈迦さま」は、さとりを開かれてからの尊称です。お釈迦さまは、元々インドのカピラ・ヴァストゥという国の王子として生まれました。そのときの名を「シッダールタ」といいます。
シッダールタは、王子として周囲の人々の期待や愛情を受け、恵まれた環境で育てられました。王子は文武に長け、優れた才能を持つ者でした。何ひとつ不自由のない生活を送っていましたが、王子はしばしば思い悩み、ふさぎ込むことがありました。父であるシュッドーダナ王は心配し、娯楽や贅沢な生活を用意しましたが、王子の悩みが晴れることはありませんでした。
王子を思い悩ませるきっかけとなったできごとが『修行本起経』に記されています。

耕した土の中から虫が出てくるのを見た。そこへ鳥が飛んできて虫をついばんでしまった。また、がまがえるが小さな魚を追いかけて食べたかと思うと、蛇が穴から出てきてそのがまがえるを食べた。すると孔雀が飛んできてその蛇を食べ、鷹が飛んできてその孔雀を食べてしまった。すると今度は大鷲がやってきて、その鷹を捕まえて食べてしまった。王子は、このように生きとし生けるものが順々に食べ合っているのを見て、慈しみの心が大いに傷ついた。
(『修行本起経』より)

生きとし生けるものの弱肉強食の様子を目にしたシッダールタは、深い悲しみの心を起こし、ひとり静かに思いを巡らせました。そのようなシッダールタの様子を見て、父王は「城外に遊びに行ってはどうか」と告げます。外の世界を知りたいと思っていたシッダールタは喜びました。お付きの者と共に城の外に出ます。

シッダールタは、初めに東の城門から出ました。すると、白髪で杖を頼りに歩く人を見かけました。
「あれは何者だ?」
「老人です」
「私も、あのようになるのか?」
「はい、王子も私も、やがてあのようになるときがきます」
「そうなのか…」

またある日、南の城門から出ると、道端に横たわる人を見ました。
「あれは何者だ?」
「病人です」
「私も、あのようになるのか?」
「はい、王子も私も、やがて病に伏すときがきます」
「そうなのか…」

またある日、西の城門から出ると、葬列に出会いました。
「あれはなんだ?」
「葬送の儀式です。死者を弔っています」
「私も…あのようになるのか?」
「はい、王子も私も、やがて死を迎え、人びととの別れを迎えるときがきます」
「そうなのか…」

弱肉強食の世界を見て、いのちの憂いを客観的に感じていたシッダールタ。城の外に出ることによって、老病死する事実を自分のこととして受け止めました。

またある日、北の城門から出ると、静かな姿でたたずむ沙門(しゃもん)の姿がありました。
「あれは何者だ?」
「沙門です」
「沙門とはなんだ?」
「道を求めて出家し、ひたすら修行に努め励む者を沙門といいます」

心静かで穏やかな様子の沙門を見て、王子は「私もあのような者でありたい」という思いを抱きました。そして29歳の時、国を棄て、地位を棄て、家族を棄て、出家して沙門として生きる道を選びました。

シッダールタ出家のこのエピソードを「四門出遊」といいます。

見えなくされていた老病死
シュッドーダナ王は、王子の苦悩する様子を見て、老病死の憂いを遠ざけようと努めていました。王子の身の回りの世話をするものは、若くて健康で、笑顔で王子に接することができる者を配しました。
しかし、シッダールタも、生命は老病死するものであることはわかっていました。父王は年を重ね、母マーヤは、王子を生んだ後七日ほどで亡くなっているのですから。わかっているからこそ、シッダールタ自身、老病死について見ること知ることを無意識に避けていたのかもしれません。日常生活の中で老病死が遠ざけられ、見えなくなっていた。しかし、老病死するいのちを目の当たりにして自身の問題として受け止めたとき、老病死の奥底にあることに目を向けるようになりました。だからこそ、すべてを棄て、沙門の道を選んだのです。

都合の悪い事実を隠しておいても、事実は進行していきます。見たくないものを見ないようにしていても、事実は私に差し迫ってきます。隠すこと見えなくすることが、かえって不都合な事実を大きくしてしまうことがあります。否、「不都合な事実」と言いましたが、不都合も不都合でないもありません。私が不都合と思っているだけで、事実は事実なのですから。

迷惑
さて、老病死が見えないなかで生活しているのは、シッダールタだけのことでしょうか。老病死を憂い、忌み嫌い、抗い、遠ざけているのは、現代(いま)の私たちの生き方に重なります。現代、自身の老病死によって身内に「迷惑をかけたくない」という言葉が聞かれます。どこまでも嫌悪・憂慮の対象です。

こんにち「迷惑」というと、自分が他者からかけられること、自分が他者にかけることとして表現されますが、本来は違います。
「迷惑」とは、「自らの思いに自らが迷い惑うこと」を意味し、かける・かけられるようなものではありません。問いを持ち、自身が迷い、自身が惑うことなのです。

シッダールタの「迷惑」は、隠されていた老病死が見えたことによって沸き起こってきました。生涯において迷惑するという経験は、大切なことに目覚めるためのきっかけとなります。老病死する者であるという悲しみや憂いが、私の中に迷惑を生みます。迷い惑うことによって、自分の人生の歩みがハッキリと見えてきます。

老病死を隠し見えなくして、迷惑することのなくなった現代の人の世は、どのようなことになっているでしょう。「迷惑をかけたくない」と思える人がいるのであれば、老病死する姿を見せ、迷惑の心を沸き起こさせる(自身の老病死に目を向けさせる)ことも、大切な遺言(メッセージ)となるのではないでしょうか。

※「四門出遊」に関する参考図書
『釈尊 生涯と教え』(東本願寺出版)

 🐟 🐟 🐟

掲示板の人形
今月は、金魚と、かき氷を食べているペンギンです。
涼しい雰囲気の人形を並べてみました。
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2026年6月 3日 (水)

2026年6月のことば

2026年の6月は、台風6号の心配と共に迎えました。皆様ご無事ですか👋
熊騒動であったり、争いに端を発する原材料不足であったり、AIに頼ることによる不安であったり・・・最近 耳目にする事柄は、今までの生活が当たり前のように暮らしていたけど、けっして当たり前ではないことを表しています(そもそも何事も不変なことなどないわけですが)。
今まで安全に散歩していた道を警戒しながら歩かなければならなくなったり(歩けなくなったり)、
小さなころから目に焼き付いているお菓子のパッケージが白黒になったり、
今日にいたるまで28年間ほど頭抱えながら寺報の文章綴ってきたけど、現代(いま)はAIさんが読みやすく直してくれたり文章そのものを綴ってくれたり(あ、まだ時代に抗って寺報やお寺発信の文章は頭抱えながら書いてます)、
当たり前にしていたことが当たり前ではなくなった、いや、そもそも当たり前なことなどなかったことを突き付けられる時代(とき)となりました。
毎月発行の寺報をブログにアップする際、月頭の所感を綴っていますが、一か月後の所感は何を語ることでしょう(一ヵ月ほどの時の経過は、どのような変化をもたらしていることでしょう)。
台風が去ると、暑さ熱さが押し寄せてくることと思います。5月末に娘が通う学校の体育大会を見に行ったら、短い時間だったにもかかわらず皮膚が真っ赤になってしまいました。体調整えてお過ごしください👋

 🌀 🌞 🌞 🌞

2026年6月のことば

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努力というものは
けっして自分だけの力ではない

努力
「努力」とは、意識してすることなのか、していたことが積み重なって努力となるか。
「あの人は努力家だ」と、誰もが認めるような人がいます。周囲の人は心配して「そんなに根詰めないで」「ちゃんと休んでる?」などと声をかけます。けれど、当の本人は努力しているつもりもなく、しんどい思いもしていなかったります。「心配してくれるのはありがたいけど、努力しているつもりはないんだけどなぁ。私よりも努力している人はいっぱいいるし」というぐあいに。
「私はこれだけのことをやっててね。だから全然寝てないんだよねぇ」などと、自分の努力を雄弁に語る人がいます。謎の短い睡眠時間自慢と共に。そのような語りをする人は、確かに努力はしているのでしょう。けれど、他者(ひと)の努力には無関心なものです。褒められることを求めても、他者を褒めることはありません。

「努力」を辞書で引くと、このように記されています。

【努力】
ある目的のために、いっしょうけんめいつとめること。 
(例)努力がみのる。努力のたまもの。努力をかさねる。血のにじむような努力。努力家。努力目標。奮励努力。
〈三省堂『例解 新国語辞典』より〉

先に書いたように、自分では努力のつもりはなかったり、自分の努力を誇ったり、ひと言で「努力」といっても、その尺度も程度も意味も意識も千差万別です。

 卑下慢(ひげまん) 増上慢(ぞうじょうまん)
「努力」について考えていて、「卑下慢」「増上慢」ということを思いました。
他人と比べて 自分のことを高みに置こうとする心を「慢」といいます。より細かく見て「卑下慢」「増上慢」と、お釈迦さまは教えてくださいました。
「卑下慢」は、他者と比べてはるかに劣っているのに、少し劣っているだけと見ること。劣っていることは気づいている、差を感じているのだけど、「ちょっとだけ」劣っていると言う。認めきれてないのですね。
「増上慢」は、さとりを得てもいないのにさとったとする心。驕りや自惚れ。もしかしたら、悔しい心も含まれているのかもしれません。

先の「努力」の例になぞらえるわけではありませんが、「努力」するということは、人間の姿や想い(「卑下慢」や「増上慢」)が凝縮されているように思いました。だからこそ、「努力」ということを尊く感じたり、つらく感じたりするのかもしれません。

無数の人
「努力」をするとき(ちょっと一生懸命になるとき)、どんなことを考えているものでしょうか。
「努力の結果、いいことが起こりますように」。或いは、「いいことが起こるように、努力をしておこう」とか。自分がなした結果として「いいことがありますように」「災いが起こりませんように」といった願う気持ちが強いでしょうか。
「努力」とは、辞書にあるとおり「いっしょうけんめいつとめること」ですが、自分が決意・決心して「努力」するものと思ってはいないでしょうか。でも、努力をするということは、私がなすに先立って、そうさせるもよおしがあるからなのです。

父と母の縁、そのまた父と母の縁と、何代にも亘ってつながってきた縁があって、私はいます。イメージするならば縦糸の縁。

直接面と向かい合うことはなくても、今という同じ時代を生きる者どうし、つながり合って生きています。イメージするならば横糸の縁。

それら縦糸と横糸の縁が交差する一点一点が私でありあなたです。さまざまな縁が織りなされて、今、私はいます。私が物事をなすことによって私の人生という織物が形作られるのではなく、縁によって形作られている織物のなかに私はいます。
日常の生活のなかで、特に意識することもなく当たり前のこととしている物事の背景に無数の人がいます。「自分がなしている」と思っているお仕事の背景に無数の人がいます。私が「努力」することをできたのならば、その背景には無数の人がいます。無数の人がいるからこそ、縁というもよおしが私の身に起こります。

今月掲示した「努力というものはけっして自分だけの力ではない」ということばを見て、どのように思われたでしょう?
「いや、自分の力で努力するものだろう」と思う人もいるかもしれません。「そうだなぁ、自分だけの力では努力もできないよなぁ」と述懐された人もいるのではないでしょうか。我が身の在り方を思うとき、努力のみならず何事も自分だけの力ではないなぁと、しみじみと感じるのではないでしょうか。

すでに報いられている
ここまで書いてきて、西蓮寺掲示板にかつて掲示したことばを思い出しました。

善い行いは
よい報いがくるというよりも
善い行いをするところに報いられている
佐々木蓮麿
     (2008年10月に掲示)

善い行いをしようとするとき、そのことによってよい報いがくることを思い描きはしないでしょうか。「善い行いをしていれば、いつか報われる」「よい報いを得たいから、善い行いを心がけよう」と。
けれど、私が善い行いをするのは(できるのは)、私が行うに先立って、そうする(できる)もよおしがあるからです。私が善い行いをすることによってよい報いがくるのではなくて、報いられているから善い行いをすることができるのです。

このことばで言われている「善い行い」とは、「南無阿弥陀仏」と念仏を称えることを指しています。
お坊さんから「お念仏を称えましょう」と勧められても、「念仏を称えてどうなるの?」「念仏を称えたら良いことがあるの?(災いが起こらないの?)」など、よい報いを期待されるのではないでしょうか。
念仏を称えることによい報いや結果を求めますが、でも、念仏そのものが報いられていることの証なのです。阿弥陀如来の、衆生(生きとし生けるもの)を救いたいという願いが念仏となって、今、私に届いているのです。阿弥陀如来からの慈悲のはたらきのことを「他力」といいます。念仏というものは、けっして自分だけの力ではないのです。
南無阿弥陀仏

 🌀 🌞 🌞 🌞

2026年6月 掲示板の人形
毎月の寺報を28年近く書いてきたと言いました。
寺報を書き始めたころは、「6月といえば梅雨」という感覚は、まだ一般的だったと思います。多くの人が「6月だね、梅雨だね、じめじめして嫌だねぇ」みたいな感じで会話していた時代だったと思います。今でも「6月といえば梅雨」の感覚はありそうですが、以前とはだいぶ変わったような。人びとの感覚も、実際の降水量や気温も。
「6月といえば梅雨」の感覚のしみついているおじさんは、「6月の人形といえばカエル」という感覚も抜けきらないので、今月の人形はピクルス(カエルさん)です。長い前置き失礼しました。
日の当たる掲示板に置かれたピクルス。干からびてしまうんじゃないかと思ってしまいます😊

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2026年5月 2日 (土)

2026年5月のことば

5月を迎えました。
4月29日、西蓮寺永代経法要をお勤めしました。
当日は、永代経や報恩講の勤め合いをしているお寺の坊守、お寺の娘さんもご出仕いただき、うちの娘ふたりも出仕し、男性5人 女性4人の布陣で永代経法要をお勤めしました。玄関で声明を聞いていた妻が、「今日の法要は合唱みたいに聞こえてきたよ!」と喜んでいました。私も、外陣中央で全体の声に耳を澄ましながら音木を打っていたので、今までにない音の流れの中に身を置き、ウキウキする気持ちが湧いてきました。女性得度者・女性住職も増えてきて、これから新しい雰囲気の法要が生まれて来ることを想います。
お参りいただいた皆様もいてこその法要の場です。ご一緒いただき、ありがとうございました(-人-)

さて、世間ではゴールデンウィークの時期に当たりますが、我が家はお出かけの予定はありません。
娘は、学校の部活で3日連続遠征です(3日とも違う会場へ)。先生も生徒たちも随行してくださる保護者もお疲れ様です。
私は、法務とお仲間のお寺への出仕です(-人-)原稿も溜まってます。南無阿弥陀仏
皆様、楽しい連休をお過ごしください👋

 🎏 🎏 🎏

2026年5月のことば

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七転び八起き
 始めに転んでいるから
 起きる方がひとつ多い

最初から転んでいる
「七転び八起き」って、ちょっと不思議な言葉です。七回転んだのならば、起きるのも七回のはず。どうして起きる方の数が多いんだろう?

そんな疑問が湧いてくるのは、「始めは起きている(立っている)」ことを前提としているから。立っている私が七回転んだら、起きるのも七回になります。だけど、「始めに転んでいる(寝ている)」ことが出発点だとしたら、起きる回数がひとつ増えるから「七転び八起き」で数は合います。

頭の中がゴチャゴチャしてきたかもしれませんが、今言いたかったことは、数の合う合わないではなくて、「七転び八起き」は、「始めは転んでいる(寝ている)ことを出発点としているんだ!」ということです。

七転び八起き

【七転び八起き】
なんど失敗してもへこたれず、そのたびに立ち上がって努力すること。
〈三省堂『例解 新国語辞典』より〉

「七転び八起き」を辞書で引くと、このように説明されています。
「転ぶ」ことは、失敗や挫折を表す。「起きる」ことは、立ち上がること、立ち直ることを表す。それが「七転び八起き」という言葉の意味ですが、先に述べたように「始めは転んでいる(寝ている)」ことが出発点という見方をするならば、「転」とは、決して失敗・挫折を意味するものではありません。

「始めは転んでいる(寝ている)」ということは、例えるならば赤ちゃんの姿。はだかで生まれ、寝っ転がり、泣くことがお仕事です。誰かに抱っこされないと、どこへも行けない。けれど、そんな赤ちゃんの姿は、べつに失敗や挫折をしたわけではありません。人として、いのちあるものとして当たり前の姿です。転んでいる状態というのは、失敗や挫折を表すものではなく、ある意味人間本来の姿です。

いつもはだか いつもはだか
寝っ転がっている赤ちゃんは、はだかで生まれてきました。誰もが皆、です。人間本来の姿ですが、そんなことは忘れながら生きています。
法語として語り継がれている詩を思い出しました。

 いつもはだか
 いつもはだか
 はだかで出発する
 尊いことだ
     竹部勝之進

「はだかで出発する 尊いことだ」だけでも表現としては成立します。けれど、「いつもはだか いつもはだか」と味わわれています。
はだかで出発して、何らかの成果を得て、成功を収めて、身につける物が多くなっていく。はだかであった身が、上等の服に身を包んでいく、物が充実した生活に身を置いていく。はだかで出発して、ゼロから始めて、いろんなものを身に付けて行く。それが望ましいありかただと人は考えます。だから、失敗しても立ち上がれる!という「七転び八起き」のような言葉に励まされることもあります。でも、そうではなくて「いつもはだか いつもはだか」と、出発点ははだかに戻ります。品物にしろ、地位や権力や財力にしろ、身に具わるものが増えていくと、人間は増長していく生き物です。どれだけ偉くなっても、どんなに実績を積んでも、「いつもはだか いつもはだか」で出発する。転んでいるところからの出発だからこそ、起きることが、立ち上がることが出来ます。

さて、転んだ場所も起きた場所も、場所自体は変わりません。つまり、状況自体に変化はありません。でも、低い場所で見るのと高い場所から見るのでは、見え方が、視野の広さが変わります。低いところの見え方を知っているから、高いところの見え方に感動や刺激が生まれ、新たな思いや思考も湧いてきます。高いところの見え方を知るからこそ、低いところで凝視することによって今まで気づけなかったことに気付ける驚きも生まれます。

何不足

はだかにて 生まれてきたに 何不足
               小林一茶

小林一茶の俳句です。一茶の生涯は、悲しく淋しい出来事が続きます。3歳で母を亡くし、継母とはなじめず、15歳で奉公に出されます。39歳で故郷に戻ると、看病の甲斐なく父を亡くし、遺産相続の問題が継母・異母弟との間に起こります。結婚してから授かった4人の子どもは夭逝し、妻とも死別します。その後、再再婚した妻との間に娘を授かりますが、生まれたのは一茶の没後です。一茶は、亡くなる直前に大火に遭い、家も失っています。

欲しい物が手に入って、それでもまだまだ欲する者が「何不足」と詠んだのならば、それは自己に対する戒めや注意・警告を表しているのかもしれません。
けれど、一茶の生涯からすると、失うことの怖さ・悲しさ・淋しさを知る者が「何不足」…「何が不足であろうか(いえ、不足などありません)」と詠まれています。
一茶は、浄土真宗の門徒であり、信仰の篤い父の影響を受けたと伝わっています。「何不足」とは、「生まれてきたことそのものが満ち足りたことである」という気付きと、「阿弥陀如来の恩徳を既にしていただいてある身である」という安心の思いから生じたことばであると感じます。
一茶の俳句を、もう一句。

ともかくも あなたまかせの 年の暮れ

「あなたまかせ」とは、「阿弥陀さまにおまかせの身です」という告白です。「何不足」と言い切れる背景には、阿弥陀と共なる私であるという思い、確信があります。

「始めに転んでいる(寝ている)」という自覚は、今日に至るまでに身につけてきたものや思いで身動きが取れなくなっている私にとって大事な自覚です。出発点を忘れて、幻の自分を大切にしているのですから。どれだけの年月を重ねようとも、どれだけの事柄をなそうとも、いつもはだかの身であるということに変わりはありません。だけれど、何も不足していない。「南無阿弥陀仏」の念仏と共に、阿弥陀さまと共にある私なのだから。

 🎏 🎏 🎏

掲示板の人形

4月14日、真宗大谷派北海道教務所でご法話してきました。
帰り、新千歳空港で時間をつぶしているとき(新千歳空港、すごい楽しいですね。買い物したりお寿司食べたりしてました)、シマエナガと目が合いました。羽とシッポの色がほうじ茶色と抹茶色の2羽を買ってきました。
5月の掲示板、このシマエナガちゃんを飾って気づきました。羽とシッポの色が何色だろうと、正面から見たら2羽とも真っ白なシマエナガちゃんでした!!(当たり前)
でも、かわいいから愛でてあげてください🐤🐤


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2026年4月16日 (木)

咲いているのは今だけど

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西蓮寺本堂前にある第2掲示板

山門前の第1掲示板は、毎月1日にことばを貼り替えていますが、第2掲示板は気まぐれで張り替えています。

ことばだけでなく、行事案内のポスターやチラシなども。

今は、4月から自転車ルールが厳格化されたので、その注意書きを貼っています。

ことばを読む(見る)方は、歩きざまに眺め見ていくのですが、注意書きは皆さん立ち止まって確認されています。

さて、只今、「咲いているのは今だけど、今 咲いているのではない」ということばを掲示しています。

「どういうことですか?」というお尋ねもいただきました。

あなたも「?」でしょうか?

2026年4月15日、山門入って右手にある黄色いボタンの花がいっせいに開花しました。

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札幌での法話のご依頼をいただき、私は14日に札幌入りしました。

寺を出る時はまだ咲いていなかったのですが、

翌15日の朝、妻から送られてきたLINEには、開花したボタンの写真が‼

まだ蕾だったのに、一日で咲いたことと、

10年ほど前は、4月29日の西蓮寺永代経法要に合わせたかのように咲いてくださっていたボタンが、

年々開花が早まり、今年は2週間も早く咲いてしまいました!!

「咲いてしまいました」は失礼ですね。「咲かれました」かな。

しかも、開花後に雨が降り出し、翌日は強い風が吹き続け、散るのも早まりそうです。

永代経法要にお参りで、このボタンのことを知っている方は、ボタンを楽しみにされていると思うのですが、

残念ながら法要の頃には散ってしまっていますね。

もうすぐ咲きそうなボタンの蕾や、すでに咲いていたツツジやハナミズキを見ながら、

第2掲示板は このことばを貼ろう!と思いました。

咲いている その瞬間(いま)の姿を、私たちは見ているわけですが、

咲くにいたるには、多くの環境や条件や時の経過があるわけです。

見ている私にとっては、「咲いているのは今」かもしれませんが、

花にとっては、ずっとず~っと、咲くための準備をしています。

花の開花の瞬間(いま)だけが、咲いているのではなく、

ずっと前から、散ってしまった後も、咲いているのです。

また、もし咲いた花見て喜ぶ私がいるなら、

記憶に留める私がいるなら、

花はずっと咲き続けてもいるわけです。

咲いているのは今だけど、今咲いているのではないのです。

それは、人間も同じなのかもしれません。

南無阿弥陀仏

あ、開花しているボタンの見ごろは ここ数日ですよ。

札幌から帰って、開花したボタンを見て(間に合った)、このブログを綴っています。

今年もありがとう(^∀^)

2026年4月 7日 (火)

2026年4月のことば

4月を迎えました。
暖かくなってきましたし、境内の花もいろいろと咲き始めました。
新しい生活が始まる方もいらっしゃる時節と思います。また、年度が替わってもとりたてて生活が変わるわけではないけど、あらためて一日一日の生活を丁寧に過ごしていこう!と思っている方もいるとお察しします。
3月30・31日、ある地方都市にご法話に出かけました。法話後に、私の心に残る(突き刺さる)感想・お尋ねをいただきました。その場で私としてお応えできることは口にしましたが、今もなお思いを巡らせています。そういうこともあり、帰宅後、書きかけだった4月号の寺報を、最初から書き直しました。
法話は、思いを巡らされるもの、自らを振り返らされるもの、気付きをいただくもの。聞法者も、法話者も。
いただいた言葉を元に綴った寺報です。お読みいただけましたら幸甚です。
今年度もがんばります🌷

 🌸 🌸 🌸

2026年4月のことば
(寺報版はこちら)

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きっとこういうところだ
私が
ムカつく奴の名前を
ふたつ覚えてる間に
岩倉さんは
親切にしてくれた
人の名前をひとつ
覚えるんだろう
  『スキップとローファー』

『スキップとローファー』 
高松美咲さん原作のマンガ『スキップとローファー』。今月のことばに名前が出て来くる「岩倉さん」が主人公です。
岩倉美津未(いわくら・みつみ)は、石川県のはしっこから上京してきた高校生。地元では神童と呼ばれ、東京の高偏差値高校に入学してきました。過疎化が深刻な問題となっている地元のために、将来は官僚となり過疎対策に取り組むという完璧な人生設計をしています。でも、入学式に大遅刻・やつあたり、おう吐するなど、必死さが空回り。東京育ちの同級生たちとも、うまくコミュニケーションがとれません。でも、彼女の純粋で裏表のない性格は、周囲の人を前向きな気持ちにしていきます。

今月のことばを発した「私」は、「岩倉さん」とクラスメイトの江頭ミカ(えがしら・みか)。小学生の頃、容姿のことでいじめられたこともあり、自分に劣等感を抱いています。他人からの目を気にし、「食べたいもの我慢して キラキラした部活に入って」地道な努力をしてきました。劣等感や嫉妬心から、自分が「嫌な奴」になっていることも自覚しています。
高校生活の始め、美津未のことを気にも留めていなかったし、むしろ見下す感じもありました。でも、やがて美津未のまっすぐな気持ちに惹かれていき、お互いに大切な友人になっていきます。

今月のことばにまつわるふたりの紹介でした。さて、今月のことばが発せられたきっかけは…。

高校のクラス対抗球技大会が近づいてきました。バレーボールの代表となったふたりは、昼休みに自主練習を始めます。学校の体育館に行くと、1年生が使う曜日であるにもかかわらず、3年生がふたり、バスケットをしていました。離れたスペースで練習を始めましたが、ボールを追ってきた3年生がミカにぶつかりました。美津未は勇気を振り絞って「今日は1年生が使う日ですがっ」と注意しますが、ぶつかって来た3年生は何事もなかったかのように仲間の元へ戻ろうとします。
そのとき、「白井! 柴本!」と注意する声が! 声の主は、同じ3年生男子でした。「1年女子相手に恥ずかしくねーんか」「はよ出ろ ホラ」と言い、体育館の外に連れて行きました。
その様子を見て、ホッとしながらもミカの心の許さじノートに、絶対に許すことのできない人として「白井 柴本」の名前が刻まれました。
そんなとき、美津未は言います。「福田さんって先輩はかっこよかったね バシッと注意してくれて」と。ミカが「知ってる人だったの?」と尋ねると、「ううん 靴に名前があったから」と美津未は答えます。
美津未の一言に、ミカは自分と美津未との違いを痛感します。「きっとこういうところだ」と。

ミカの姿は私の姿
ここまでのあらすじだけでは、美津未は前向きな生き方をしていて、ミカはしんどい生き方をしている。そのようなキャラクター設定と思われてしまうかもしれません。でも、美津未もまた、人間関係のこと、成績のこと、自分のすべきことなど、 大いに悩みもがいています。ミカも、悩みながら、しんどい思いをしながら、初めは自ら壁を作っていたけれど、自分のことをそのまま受け入れてくれる友人たちと出会い、変化が見られます。もちろん、他の登場人物たちも、それぞれ悩みもがきながら10代を生きています。
考え方も生き方も、ひとり一人違ってあたりまえ。こういう生き方・考え方は前向きに生きられる、成功する。こういう生き方・考え方は損をする、つまらない人生になる。なんて、どんな生き方が正解で、どんな生き方が不正解かなんて、ハッキリとあるわけがありません。どのような考え方・生き方をしようとも、誰もがみんな悩んで苦んで、もがきながら生きているのですから。

「ふたつ」と「ひとつ」
「正解不正解なんてあるわけない」と言いつつも、「ふたつ」と「ひとつ」という表現が、大切なことを表しているように思いました。

ムカつく奴の名前をふたつ

親切にしてくれた人の名前をひとつ

「ふたつ」なのは、ムカつく奴。「ひとつ」なのは、親切にしてくれた人。つまり、私に嫌な思いをさせた人って、親切な人の倍はいるということ。実際に倍ということではなくて、不快な人間や出来事の方が、優しい人や嬉しい出来事を感じる以上に、私の心に強く訴えかけてきます。嫌なことつらいことの方が衝撃も大きいし、記憶にも残るし、時折ふと思い出してもしまう。親切にされた感動や感謝よりも、ムカつく思いをさせられた事実の方が、私の心に強く深く刻まれてしまいます。「ふたつ」と「ひとつ」って、そんなことを表しているんじゃないかなぁって思います。だから、「ひとつ」って、少ないということではなくて見つけにくいということ。「ふたつ」に立ちすくむより、「ひとつ」を感じる心を大切にしたい。

『スキップとローファー』の登場人物たちは、人間関係に戸惑いながらも、将来のことに悩み焦りながらも、孤独ではない環境に生きていることに気づきながら高校生活を送っています。
人と人とが生きる世は、ひとつの事柄に幾つもの事由や見え方があるものです。若いときって、ひとつの事柄の、ほんのちょっとの部分しか見えていなくても、大きな大きな壁に見えてしまう(若いときに限らないか)。ちょっと横を見れば、ちょっと裏を見れば、ちょっと時間をおけば、まったく違う事由や見え方があって、自分以外にも壁に直面している人がいることがわかって…。今、私が直面しているしんどいことは「ふたつ」も「みっつ」もあるように見えてしまって、嬉しいことは「ひとつ」しか(「ひとつ」も)無いように見えるかもしれない。でも、「大丈夫だよ」「自分以外の何者かになろうとしなくていいんだよ」「あなたを生きていていいんだよ」って思います。高校時代、親に迷惑・心配をかけながら過ごしていた私(西蓮寺副住職)も55歳まで生きて来れたから。あのときがあってこその私です。
南無阿弥陀仏

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 🌷 🌷 🌷

掲示板の人形

4月、華やかな人形を飾ろうと思って、人形のしまってある箱をひっくりかえしたら目に留まった人形たち。
ハウステンボスのお土産でいただいた人形です。
春、明るい服を着ると、気持ちも盛り上がります。

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2026年3月 1日 (日)

2026年3月のことば

3月を迎えました。
暖かくなり、からだが動きやすくなりました。
降雪の多かった地域は、どのような状況でしょうか。ご無事を念じております。
ダムが枯渇している地域もありますね。けっして他人事ではありません。
花粉症がピークを迎えつつあるという報道を耳にします。目がかゆくて、鼻水が出て、くしゃみも出ます。今がピーク付近なら、これからピーク時よりは下がってく(花粉症の症状も弱くなっていく)んですよね。そう思いながら、花粉症をこらえています。皆様もお大事に👋

 🌸 🌸 🌸

2026年3月のことば
(寺報版はこちら)

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拝む手が
とがる世間の 角(かど)をとる

とがる世間 
2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪が終わりました。大会期間中、日本選手に対するSNS上での誹謗中傷が6万件を超えたという中間発表がありました。日本選手に対しての件数なので、全選手を対象とした場合、何倍もの誹謗中傷が全世界を飛び交っていたことになります。「とがる世間」の現状として、他者を傷つける姿、尊敬の念を抱けない姿がハッキリと見えています。
戦争・紛争・侵攻・殺人・強盗・略奪・詐欺・誹謗中傷…そんな報道に触れていると、世間の乱れや暴力化を感じ、「世間が荒れている」「世間の乱れを懸念する」といった思いが湧いてきます。
さて、「世間」という言葉は、仏教の教えからきています。仏教では、山川草木国土などの環境世界を「器世間」、そこに住む心や感情を持った衆生(生きとし生けるもの)の集まりを「衆生世間(有情世間)」と説きます。年月を経て「衆生世間」の方が残り、一般的に「世間」と言うようになりました。つまり、感情を持った生き物が集まる世界なのですから、「世間」とは、元々荒れているし乱れている世界のことなのです。平穏・平安だった世間が荒れつつある、乱れつつあるわけではないのです。

世間虚仮 唯仏是真
聖徳太子のことばとして伝わる
「世間虚仮 唯仏是真」
(世間は虚仮にして ただ仏のみこれ真なり)

「私たちの住む世間・社会は仮の世界、虚ろな世界であり、仏の世界のみが真である」

虚仮なる世間の中にいて、真なるものに出会うことなく生きていては、虚仮なる世間のことしかわからない。仏の教えに出会ってこそ、仏の世、平穏・平安なる世界に触れることができる。聖徳太子の切なるメッセージとして聞こえてきます。

火宅無常の世界
また、親鸞聖人は私たちの生きる世界を「火宅無常の世界」と表現されました。
「火宅」は火の燃え盛る家屋、「無常」は常に変化し、一定ではない様のことです。つまり、感情渦巻く衆生の生きる世界が燃え崩れていく様子を「火宅無常」とたとえられているのです。
親鸞聖人はこのように説かれます。
「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞ まことにておわします」(『歎異抄』後序)

「煩悩を満ち具えている私、火宅無常の世界は、すべてのことがウソ偽りであり、まことのない世界である。だけれど、そのような世界を生きるものにとって、ただ「南無阿弥陀仏」の念仏を信じるこそがまことであります」と。
聖徳太子の「世間虚仮 唯仏是真」に通じるものがあります。

語らないという語り
『暮しの手帖』39号(2025・26 冬号)の特集記事として「わたしが子育てでもらったことば」が掲載されていました。
子育て中に他者からかけてもらって、うれしかった言葉、救われた言葉、励まされた言葉、ハッとさせられた言葉など、14人の言葉とエピソードが綴られています。いいなぁと感じる特集でしたが、その中でも山野アンダーソン陽子さん(ガラス作家。スウェーデンを拠点に活動)の随想が、今の私に響いてきました。

思うのは自由。
でも、それを言葉に出す必要はない。

さまざまな宗教やバックグラウンド、母国語を持つ低学年の子どもを担当する教師が、子どもの喧嘩の間に入った時に子どもに伝えたという言葉。
思ってしまうことはしょうがないし、究極的には、何を思おうとその人の自由。心の中の思いを他人が否定することはできない。でも、発した言葉が誰かに届くことを認識し、一拍おいて、「言葉を発する必要性」から考える訓練を、言語を学ぶと同時にしていく必要があるのだとハッとしました。子供づてに聞いた言葉で、スウェーデン語から日本語への変換もあり、もしかしたら本質は掴めていないかもしれないのですが、自分の発想や思考を否定することなく、「言葉に出す必要がないかもしれない」と理解して、言葉にしない選択も自分でできるようになりましょう、との教えと受け取りました。
思ったことを、思った瞬間に言葉にしてしまうことによって、その時だけでなく 時間が経ってからも、他人や自分自身を傷つけることにもなります。一方で、その自由な発想や思いは、どこから来ているのか? 子どもと一緒にそこを考えてみると、他者への理解だけでなく、自分への  理解も深まる気がしています。
普段は喋りすぎてしまう私ですが、自分の伝えたいことをきちんと表現するだけでなく、伝えなくていいことを心にとどめておける判断力も身につけたいと思いました。

「とがる世間」の背景には、言葉に出す必要のない言葉が巷に溢れていることがあるようにも感じられます。
もちろん、口に出さなければ相手に伝わらないし理解されません。けれど、語るとは、言い方もあるし、タイミングもある。言葉に出さないという語りもあります。
アウフヘーベン(止揚)されていくような言葉なら芽吹くときもありますが、それが目的ではない角ある言葉が乱れ飛び、人を傷つけています。それはつまり自分自身を傷つけることなのに。

そうになるようにもよおされてきた縁
角ある言葉を放つ人は、「ここまで自分の思うようになっていないから、これから少しでも思い通りになるように」という思いがあるように想われます。
聖徳太子や親鸞聖人は、仏に、仏の教えに、念仏に出会ってほしいと願われました。さて、その教えに出会えても私は「これから少しでも良い方向に行くように」という思いで、願いで教えに触れていこうとするのではないでしょうか。
私(白山勝久)の受け止めです。親鸞聖人の教えは「これから先の私」ではなく、「これまでがあっての私」を説かれています。
拝む手は、とがる世間の角をとるための手段ではありません。拝む手によって(仏教に触れることによって)、とがる世間の角が見えてきます。世間があっての私、世間のなかの私であることが知らされてきます。南無阿弥陀仏

 🌷 🌷 🌷

掲示板の人形
3月ですね。雛人形を飾りました。
現代(いま)、いろいろな服装・デザイン・多様なカップルの雛人形があるそうですね。
テレビで映し出されていましたが、どれも美しかったです💖

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2026年2月 1日 (日)

2026年2月のことば

こんにちは👋 2026年2月を迎えました。
新年を迎えた!と思ったら、もう2月ですね!
今年のスケジュールを眺めながら、「今年もあっという間に過ぎていきそうだなぁ」と呟いています。

日本海側の降雪積雪のニュースを見ていると、暖かい春が待ち遠しくなる気持ちがわかります。
反面、花粉症持ちからすると「春の憂鬱」も深刻な問題です。とりあえず、花粉症の薬を飲み始めました(グズグズムズムズする前から呑んでおきましょう!)。あ、寝不足もよくないのでした! 2月の寺報が書けなくて、ここ数日睡眠時間を削っています。早く寝なければ💦
雪にしても花粉症にしても、大事ありませんように!

 ⛄ ⛄ ⛄

2026年2月のことば
(寺報版はこちら)
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泉古水新(せんこうすいしん)

泉は昔からあるけれど、
そこから湧き出る水は一瞬一瞬新しい

 

泉古水新
【泉】地下水が、自然に地表に湧き出たところ。また、その湧き出た水のこと。
古より何年もの年を経てそこにあり続けている泉。しかし、泉を形作っている水は、湧き出た当初のものではない。水は常に湧き続け、一瞬一瞬新しい。古くからある泉だけれど、その泉を形作る水は常に新しい。

昨年の暮れ、「泉古水新」ということばに出会いました。瑞々しさを感じ、胸に響くことばでした。
年が明け、柳宗悦の『南無阿弥陀仏』(岩波文庫)を読み返していたら、「古シ泉ハ 新シ 水ハ」という彼の偈(うた)に出会いました。

心偈(こころうた)

五十五、古シ泉ハ 新(あらた)シ 水ハ
古い古い泉ではあるが、湧き出る水に、いつだとて、古さがあったことはない。古さと新しさとは、とかく相争うが、新しさも、やがて古くなる新しさなら、本当の新しさとはいえまい。古さを過去のものというが、本当の新しいものには古今を貫ぬく新しさがあろう。古くして、しかも新しいものにこそ、本当の新しさがあろう。古人はこれを「永遠の今」といったが、この「永遠の今」には、古今の別はなくなる。新しさに対する古さ、古さに対する新しさ、そんなものに、どれほどの値打ちがあろう。永劫の値打ちがあるものは、時間の差別を許さぬ。だから古くして、しかも新しいのである。古からずして、新しいようなものは、未だ新しいとはいえぬ。流行と新しさとは、本質においては、全く違う。流行の生命は短い。真に新しいものは、時間に流されることはない。一時忘れられても、また新しく甦ってこよう。死がないからである。次の偈に移ろう。

五十六、泉タバシル トハニ 新(あらた)ニ
「タバシル」とは、ほとばしることである。泉は滾々(こんこん)として尽きることを知らぬ。だが千万年の間流れ出づるとも、その水は「トハニ」とこしなえに新しいのである。かつてあった水なのではない。刹那刹那に、あらたな水を湧き出して、止むことがない。誰が泉から、古い水を汲み取ることが出来よう。吾々の凡ての行い、凡ての考えも、この泉にあやかりたいではないか。吾々の行いも、何時、どのように繰返しても、常に新鮮さを持つようにしたいではないか。

柳宗悦の著書『南無阿弥陀仏』には、「心偈」という、柳宗悦が晩年に詠んだ偈が69首付されています。それぞれ10字程度の短い偈で、そのひとつひとつに柳自身の註が綴られています。

55番目の偈が「古シ泉ハ 新シ 水ハ」。暮れに響いた「泉古水新」に、既に出会っていました。以前読んだときは、こころに引っかからなかったのですね。今、胸に響く何かがあったのでしょう。

「泉」を「私」と受け止めたならば、
「実は註など要らずもがなである。誠に蛇足であるので、もとより読者は己なりに、自由に解して下さってよいのだが」と、柳自身が述べているとおり、偈の受け止め方は己しだい。しかも短い偈ゆえ、いろいろな解釈が生まれることでしょう。私は、「泉」を「私」と受け止めました。柳の註の書き出しに当てはめると、「古い古い私ではあるが、湧き出る水に、いつだとて、古さがあったことはない。」となります。

「古い私」というと、年齢を重ねた老齢な姿を想像するかもしれません。でも、たとえ何歳であっても、生まれたての小さい人であっても、時間の経過のなかを生きていることを想えば、誰もが「古い私」です。すると、「湧き出る水」とは、なんでしょう。たとえば「出会い」ではないかと思うのです。生きるということは、そこにさまざまな出会いがあります。他者(ひと)との出会い、物事・事柄との出会い、こころ動かされる出会い、自分との出会い…出会いの積み重ねによって、私は私となりました。

1月に本山(東本願寺)をお参りした際、お堀沿いの「法語行灯」に次のことばが掲示されていました。

「人は出会いによって育てられ
 人生は別れによって深められる」

「出会い」というと、生きている者どうしの交流を思うかもしれません。しかし、出会うということは別れの始まりを意味します。けれど、別れは出会いの終わりかといったら、そうではありません。別れてもなお、出会い続け、故に想いも深められていきます。生きている者どうしの交流ばかりが出会いではなく、別れたところから始まる出会いもあります。

また、面と向かい合う出会いばかりが「出会い」ではありません(面と向かい合える出会いなど、毛先ほどのことに過ぎません)。食べる物、着る物、生活環境等々、私が生きるためにどれだけの人が、エネルギーが、事柄が関わっていることでしょう。面と向かい合うことはなくても、多くの人と出会っています。

また、「出会い」について語るとき、「この人のおかげで」と言える出会いは喜びと共に語られますが、「こいつのせいで」という思いが付きまとう出会いは、そう語られるものではありません。出会いから消去されます。けれど、その出会いもあっての私であることに変わりはありません。

「法語行灯」に次のことばもありました。

「大切な人を亡くして
 あらためて出あうことがある」

存命の間だけ、お互いが影響し合っているのではありません。死を通して出会えること、気付けることがあります。けれど、その出会いや気づきは、「大切な人」を亡くしたときにあるのではなく、人を亡くした事実によって初めて大切さに気付けるものです。大切な人を亡くして出あうというよりも、亡くしたことによって大切さに出あえるものです。
「人生は別れによって深められる」。死や別れが隠されていく世の中、ことばも思いも軽くなっています。
滾々(こんこん)として尽きることのない、「トハニ」新しい出会いによって「私」は形作られている。「私」は「永遠の今」を生きている。
南無阿弥陀仏

 🌸 🌸 🌸

掲示板の人形
掲示したことばが「泉」に関するものだったので、「温泉」につかっているネコを飾りました。
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この子だけだと淋しいので、寺にあったネコの人形をいくつか飾りました。63021_0
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2026年1月 1日 (木)

2026年1月のことば

明けましておめでとうございます
本年もよろしく御願い申し上げます
西蓮寺では春(4月29日)は「永代経法要」、そして秋(11月5日)は「報恩講(ほうおんこう)」をお勤めしております。皆様はお参りしたことがありますか? 時間を作って、ぜひご参拝ください。
真宗では「聞法(もんぽう)」を大切にしております。「聞法」とは、お寺の門をくぐって仏法の話に耳をかたむけることです。日常の生活のなかでも、人様(ひとさま)の話をよく聞くことが大事ですネ。西蓮寺聞法会へもお出かけください。

人間は 耳がふたつに 口ひとつ
多く聞いて 少し言うため

2026年新春 西蓮寺住職 釋謙弌拝

 🐎 🐎 🐎

2026年1月のことば
(寺報版はこちら)

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極悪深重(ごくあくじんじゅう)の衆生(しゅじょう)は
 他の方便さらになし
 ひとえに弥陀を称(しょう)してぞ
 浄土にうまるとのべたまう
      親鸞聖人「高僧和讃(源信讃)」

【試訳】
極悪にして罪の深く重いわれらは、他の善根や他の仏や他の菩薩など、いかなる手立てをもってしても、救われることはありえないのです。ただ一心に「南無阿弥陀仏」と阿弥陀如来の名号を称えることによって、阿弥陀の浄土に往生することができるのです。源信僧都は、このようにお説きになっています。

極悪深重の衆生
親鸞聖人は数多くの「和讃」を綴られました。「和讃」とは、仏や菩薩、祖師方の恩徳をほめたたえるため、七五調の形式で表現された讃歌です。
今月のことばは、親鸞聖人が崇敬する七人の僧(七高僧)の第六師である源信僧都の恩徳を詠んだものです。「極悪深重の者であっても『南無阿弥陀仏』と念仏を称えれば、阿弥陀の浄土に生まれることが出来る」ということが説かれています。

「極悪深重」を、罪を犯した者、道徳的に問題のある者などと受け取った場合、「極悪深重」の者とは、特定の誰かを指すことになります。そして、そのように受け取った人は「極悪深重の者が救われるなどということがあってはならない」と考えることでしょう。つまり、教えが他人事になってしまうのです。
さて、「極悪深重」とは、誰のことでしょう。「衆生」とありますが、「生きとし生けるもの」を意味します。「人間」と理解する方もいますが、私は「人間だけでなく、すべての生きとし生けるもの」と受け止めています。どちらにしても、「極悪深重」の者とは、特定の誰かのことではなく「われら」のことです。
「極悪深重」という文字を見ると、どれほどの罪深いことだろうと思われるかもしれませんが、仏教においては、「阿弥陀の衆生救済の願いを信じられず、疑うこと」を「極悪深重」と押さえます。

源信僧都(げんしん そうず)
源信僧都は、主著である『往生要集』にこのように説かれます。

『観経』には「極重の悪人、他の方便無し。唯、弥陀を称して極楽に生ずることを得

(『仏説観無量寿経』というお釈迦さまの教えに、極悪深重の者が救われるには、ただ念仏を称えて極楽に往生する他はない。このように説かれています。)

この教えを受けて、親鸞聖人は表題の和讃を綴られました。

善導大師(ぜんどう だいし)
源信僧都の教えは、源信僧都に先立って善導大師(七高僧の第五師)が明らかにされました。善導大師が著わされた『観経疏』に、このように説かれています。

一心専念弥陀名号 行住坐臥 不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼佛願故

(一心に「南無阿弥陀仏」の念仏を称え、いつでもどこでも、場所や時間も気にすることなく念仏を続けること。それこそ阿弥陀さまが極楽往生にふさわしいとされた修行です。なぜなら、「すべての生きとし生ける者を救いたい」と願われた阿弥陀さまの願いにかなっているからです。)

精神を集中して阿弥陀の浄土を想う「観想念仏」とは異なり、ただ「南無阿弥陀仏」と声に出す「称名念仏」は、仏道修行のなかでは低く位置付けられていました。「そんな、誰にでもできる修行に価値はない」と。しかし、善導大師は「称名念仏」こそ、誰でも、いつでも、どこでも出来る行であるからこそ、すべての生きとし生けるものを救いたいと願われた阿弥陀のこころにかなう行であると、仏の正意を明らかにされました。
(『正信偈』「善導独明仏正意」)

善導大師のおこころが源信僧都へと伝わり、源空上人(法然上人、七高僧の第七師)へと届きます。

源空上人(げんくう しょうにん)(法然上人)
法然上人の「一枚起請文」に、このように綴られています。

ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、疑いなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細候わず。

(阿弥陀仏の極楽浄土へ往生を遂げるためには、一心に「南無阿弥陀仏」と称えるのです。「浄土に往生するのだ」と疑いなく思い定めて称えるほかには、別になにもありません。)

「七高僧」というと、才覚に優れ、人徳高いお姿を想われるかもしれません。親鸞聖人の眼には、「たとえ経典にそのように説かれていても、阿弥陀の救済を信じられない」と、仏智を疑うこころを持ち、そのことを告白された方々であると映っていました。
阿弥陀を疑うこころは、やがて自身の姿を深く見つめる方向へ転換します。「阿弥陀の願い」と「極悪深重なる自身の姿」の両方を見つめる眼があったからこそ「極悪深重の衆生は、念仏を称える以外に救われることはない」ということに目が開かれました。
浄土真宗の歴史は、「われら」を「わたし」といただかれた人びとの歩みです。南無阿弥陀仏

 🏇 🏇 🏇

掲示板の人形
今年はうま年ですね。馬の人形を飾っています。
京都駅の新幹線構内に、人形を売っているお店があるのですが、毎年そのお店で干支人形を買っています。
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2025年12月 2日 (火)

2025年12月のことば

こんにちは 2025年も12月を迎えました。よろしくお願いします。
11月21日~28日、ご本山 真宗本廟(東本願寺)で報恩講が勤まりました。
今年は、27日の「日中」と「逮夜」の法要に出仕しました。また、26日~28日の「親鸞聖人讃仰講演会」を聴聞してきました。「讃仰講演会」を3日間フルで聴聞したのは初めてでした。ご法話をいただきながら、教えの場に身を置くことの大切さを、あらためて、痛切に感じてきました。そう感じるほど、仏法聴聞とは離れた日常生活を送っているんだなぁ…と思った次第です。
まぁ、私の姿勢としては仏法聴聞から離れていても、阿弥陀さまからすれば、いつも、十方衆生、この私をも慈悲の心で包んでくださっているのですから、常に仏法につかっているわけです。だから、教えを聞くことが出来る。だから、気付きや目覚めがある。南無阿弥陀仏
12月は、僧侶が忙しく年末のお参りに走り回ることを表して「師走」というくらい、誰もが気ぜわしく動き回る時期です。年内にこれとあれとやっておかなきゃ💦と考えている方もいると思います(私もですが)。でも、一日の長さはいつも同じ。年内だからやらなきゃいけないということはほとんどなく、いつやってもいいことを、年の終わりまでやらずに来ただけのこと。なにも気ぜわしく、忙しく、普段と違うことをする必要はありません(年の終わりという区切りが、物を処分する踏ん切りがついたり、切羽詰まったからこそ先延ばしにしてきたことにケジメをつけられる・・・ということはありますよね)。
忙しいなかでも、仏法聴聞を大切にしていきましょう(-人-)南無阿弥陀仏
体調崩されませんように👋

 ☕ ☕ ☕

2025年12月のことば
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大きな虹とか
風が吹いたときの木の葉の裏側とか、
いろんなものを見て感じる時間が少しずつ自分を変えてくれた。 
倍賞千恵子

いろんな個性を持ち合わせている 
落ち葉の掃き掃除をしていると、葉の表も裏も目に入ります。表と裏。同じ葉でありながら、姿形も、色合いも、手触りも違います。同じ葉でありながら、いろんな個性を持ち合わせています。まるで違ういろんな個性が、同じ葉のなかにあります。
紅葉シーズンの旅行というと「紅葉狩り」も目的のひとつです。でも、紅葉狩りで目に映るのは、色づいた落葉樹を含めた風景です。葉の一枚一枚を、表と裏をまじまじと見て、触り比べてまで「紅葉狩り」をする人はいないのではないでしょうか。また、樹木に付いているときは「綺麗だなぁ」と愛でる色づいた葉も、落ち葉として地面にたまると掃除の対象となり不要のものとなってしまいます。愛でる対象になったり不要な対象になったり。葉そのものの変化というよりも、見る側の変化、心変わりです。
そのもの自体、いろんな個性を持ち合わせていますが、他者の目に見えている個性もさまざまです。そのどれもが、そのもの自体の持つ個性です。合っているとか間違っているとかではなくて。

わたしに会いたい
雑誌『Slowage(スロワージュ)』2025年冬号(発行/カタログハウス)に、倍賞千恵子さんと西加奈子さんの特別対談が掲載されています。今月掲示したことばは、対談のなかで倍賞千恵子さんが語られていたことばです。
おふたりの対談を設定した願いは、このように書かれています。

スロワージュが目指す「ゆっくり歳を重ねる」は、これまで生きて来た証である〝いまの自分〟を認めることが出発点になります。でも、年齢の分だけ心が頑なになって いまを直視できない、という読者にヒントをくださるのが、倍賞千恵子さんと西加奈子さんのおふたり。倍賞さんは24年前に60歳で、西さんは4年前に44歳でわずらった乳がんの治療で、ご自身と向き合った経験をお持ちです。

対談では、乳がんの治療をとおして経験したこと、感じたこと、自身と向き合ったことなどが語り合われています。
北海道に家を建てて年に何ヵ月か過ごすようになった倍賞さん。その話のなかで「大きな虹とか風が吹いたときの木の葉の裏側とか、いろんなものを見て感じる時間が少しずつ自分を変えてくれた。」と語られています。そのお話を聞いて西さんは、「〝気づく筋肉〟を鍛えておきたいというのはめっちゃ思います。」と語られます。
俳優は自分以外の誰かを演じ、作家は自分以外の誰かを書く。乳がんをわずらったのは自分の身でありながら、おふたりとも客観的な視点も持ち合わせています。俳優としての目線で語る倍賞さん。作家としての目線で語る西さん。同じようなことを経験し、感じながらも、それぞれの表現で語られているのが興味深いです。

うらをみせ おもてをみせて ちるもみぢ
「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」という句があります。良寛さん(曹洞宗の僧侶)が晩年に詠まれた句と伝わります。
もみじは、裏を見せ表を見せながら散ります。人もまた、表を見せ、ときには裏を見せながら年を重ねています。
人の「裏」というと、隠している部分とか腹黒な性格とか、どちらかというとネガティブな意味を含みます。けれど、人間の性分・姿なんて、隠そうとしていても表に出ているものです。だから、「裏」に隠しているつもりの個性も、見えている人には見えているものです。わたしは、いろんな個性を持ち合わせています。他者の目に見えている個性もさまざまです。そのどれもが、わたし自身の個性です。合っているとか間違っているとかではなくて。

落ち葉を詠んだ句を、もうひとつ紹介します。
「散ると見たのは凡夫の眼 落ち葉は大地に還るなり」(詠み人知らず)
倍賞さんのことばにあるように、いろんなものを見て感じる時間が、少しずつ自分を変えてくれるものです。たとえば、もみじの散るさまを見て、何を感じますか。
「散る」というと「儚さ」や「終わり」のイメージがありますが、「大地に還る」姿でもあります。大地に還るとは、生命の循環のなかを生き続けるということ。他のいのちとつながっているということ。同じ「散る」なのに、「終わり」と見る人もいれば、「永遠」を感じる人もいます。人間(いのち)の、年を重ねゆく姿を「終わり」に近づいていると見るか、今、「永遠」を生きていると感じるか…。

 🍵 🍵 🍵

掲示板の人形
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トナカイの人形と、手作りのサンタ人形です
サンタ人形は、毎年くださる方がいます。手作りのサンタ人形を、理由あって親とは離れて暮らさなければならない子どもたちにプレゼントしている方がいらっしゃいます。うちの娘たちが幼いころから、「お寺さんでサンタさんはおかしいかもしれないけど、娘さんたちにさしあげたくて」と、毎年いただいています。本年もいただきました。ありがとうございます。
けれど、「材料が手に入らなくなり、私自身も体調を崩して、来年以降どうなるかわかりません」という一筆が添えられていました。
手作りの品には、手掛ける想いや願い、作る技術、費やす時間、材料そのもの…たくさんのものが揃ってこそ創り上げられます(手作りの品に限りませんね)。ものが目の前にあると、あることは当たり前のことにしてしまいますが、実は、あること自体有り難いこと。
品物に限らず、目の前にいる人、いつも会う人、私がいただいている時間等々、多くの偶然が重なって、私を形作る必然となっている。
そんなことを想う師走です。

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夜中、ネットをカチャカチャやっていて、目に留まったネコちゃんの人形に、ついポチッとしてしまいました。とてもかわいいです(^-^)
夜中のネットカチャカチャと文章(特に手紙)書きは気を付けましょうう(^_-)-☆

2025年11月 1日 (土)

2025年11月のことば

2025年も11月を迎えました。
2ヵ月で1枚の作りのカレンダーは、最後の1枚となりました。まだ2ヵ月あるとはいえ、暮れに向かって落ち着かない時期となりました。スケジュールもいっぱいだし、あっという間に過ぎてゆきそうです。
暗くなるのが早くなりましたね。寒くもなりました。あれだけ「暑い、熱い」言っていたのが嘘みたいです。右手右脚の不調を訴えていたのですが、気温が下がると共に痛みも引き、不調の度合いも弱くなりました。暑さからくる不調だったのでしょうか。体調的に楽になったとはいえ、寒ければ寒いなりの不調が出てきます。皆様もお気をつけて👋

ご本山(京都 東本願寺)では、11月21日~28日、報恩講が勤まります。ぜひお参りください。私も、26・27・28日にお参りする予定です。
西蓮寺報恩講は、11月5日(水)にお勤めします(-人-)

 📿 📿 📿

2025年11月のことば
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お茶わんを割るのは 洗う人だけ

 

お茶わんを割るのは 
食器を洗っていて、次女のお気に入りのグラスを割ってしまいました。
ガチャン!!
グラスの割れた音を耳にして、かつて出会ったことばが蘇りました。
「お茶わんを割るのは 洗う人だけ」

学生時代より愛用している「高橋の手帖」。発行元の高橋書店では毎年「思わず手帳にメモした名言」を募集しています。ある年の審査員賞「黛まどか賞」を受賞した作品が「お茶わんを割るのは 洗う人だけ」でした。当時、私自身の心に残り、思わず手帳にメモしました。
このように思う人もいるかもしれません。お茶わん割るのは洗う人だけではないだろう。食事をする人も、食器の入れ替えをする人も、引っ越し作業をする人も割ることがあるだろう!と。でも、割るシチュエーションの話をしているのではありません。やらないわけにはいかないし難しいことではないけれど、手間がかかり、誰からも褒めてもらうことのない日常の行為を粛々と行う人…そういう人を「洗う人」と表わしていると受け止めています。
物事をなせば、なした結果があります。「割る」ということは、決して「失敗」したということではありません。割るという行為に先立って、洗うという行為・事実があります。割ってしまうのは、たま~にのこと。でも、洗う行為は、割ってしまう行為の何倍何十倍何百倍も行っています。自ら身を動かしていること、続けていること、私の生活を支えているものを手に取ることは尊いことです。「洗う」とは、尊い事実の象徴表現であると思います。

人を傷つけるのは
「お茶わんを割るのは 洗う人だけ」ということばに初めて出会ったとき、私の頭の中で「人を傷つけるのは (人を)大切にする人だけ」ということばに変換されました。
人を傷つけるのは、接点が、交流が、親交があるから。接点がなければ、傷つけることはありません(人と人とのつながりのなかで、無意識のうちに人を傷つけているということは、私たちの日常に溢れていることではありますが)。

お茶わんを、割ることを目的として洗う人はいません。でも、割ってしまうこともあります。しかし、割ることが怖いからといって洗わないわけにはいきません。

人との交流も、傷つけることを目的として接する人はいません。でも、傷つけてしまうこともあります。しかし、人を傷つけることが怖いからといって交流を持たないわけにはいきません。

どんなに相手のことを慕(おも)って接していても、相手にとって迷惑なこともあれば、気を遣わせてしまうこともあれば、嫌な思いをさせていることもあります。「私のことを慕ってくれているこの人を、傷つけたくない」と思わせてしまうという傷だってあります。
さて、「傷」といっても、苦痛を意味することだけではなく、慕い合うゆえに芽生える「傷」もあります。相手を傷つけたくない、悲しませたくない、失いたくない…そんな想いもまた、私のこころのなかに刻まれる「傷」です。刻まれたものは、いつまでも残ります。
であるからこそ、別れ、特に死別の悲しみは大きく、いつまでも消えません。大切な人が亡くなられて関係が切れるなら、私のこころが揺さぶられることはありません。こころ揺さぶられる、思い出される、涙するのは、相手から大切に慕われていたから。相手のことを大切に慕っていたから。
私のことを傷つけられるのは、私のことを大切に慕ってくれた人だけ。

誰だって
「人を傷つけるのは (人を)大切にする人だけ」と言いましたが、現実は辛く厳しいものがあります。「人との交流も、傷つけることを目的として接する人はいません」と書きましたが、否、目的とする人は巷に溢れています。
クレームやハラスメントが横行している世の中。現代社会の特徴のように語られますが、他者(ひと)を支配・制圧しようとする気持ちや行為は、人類史上常にあることです。現代は、それが可視化されやすくなっただけで、現代になって他者を見下す人が増えたわけではありません。
クレームやハラスメントで他者を従わせよう貶めようとする人は、はっきり言って何もしていません。「茶わんを洗っていない人」です。何もしていない人、責任ある立ち位置にいない人は、己の存在理由を形作るため、自己満足のため、他者を蹂躙します。食事だけして片付けもせず、食事や作った人に文句を言っているようなものです。被害を受けている人は、なんらかの形で身を、心を動かしている「お茶わんを洗っている人」です。
もちろん、一概に言い切れることではありません。もっと効率的なお茶わんの洗い方もあるでしょう。食器洗い用ではないスポンジや洗剤でお茶わんを洗っているかもしれません。注意すべきこと、直すべきことはあります。けれど、私は思います。たとえ効率が悪くとも、たとえ間違えてしまっても、身を、心を動かしている人がいるからこそ、私の人生は成り立っているのだと。
先月の寺報では、「世界陸上」をきっかけにして思ったことを綴りました。マラソンや競歩は競技場外に出るにしても、国立競技場内を舞台として、複数の競技が同時に進行しています。私は、競技者や競技結果に興味を示す以上に、裏で動いている人の動きや苦労や焦りを想像しながら放送を見ていました。「世界陸上」に限らず、物事がなされるためには、主役だけではなく、脇役・裏方・縁の下の力持ちの存在が不可欠です。普通、気にも留められない存在ですが、お茶わんを洗ってくれている存在です。その存在がなければ、成り立ちません。

大工を生業とされている方がこのようなお話をしてくださいました。
「昔は、“職人”というと見下されたものです。あれやっておいて、それやっておいてって感じで。でも、最近は特別な技術を持っていてすごいですねって尊敬されちゃうんですよ。時代なんですかね」と。
尊敬の眼差しで見てもらえるようになって良かったと感じた反面、思いました。どうして私たちは自分の思いや都合や価値基準で、他者(ひと)を下位や上位に位置付けてしまうのでしょう。誰だってお茶わんを洗っていいんだし、誰だって割ることがあるのに。

 📿 📿 📿

掲示板の人形
娘の人形箱から、可愛い柔らかい人形を見繕いました。
思っていたより大きくて、掲示板にはギリギリ飾ることが出来ました。

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2025年10月 2日 (木)

2025年10月のことば

2025年も10月を迎えました。
あと3ヵ月で2025年も暮れゆくのかと思うと、やらねばならないこと、やろうとしていることが果たしてなし得るのだろうか?などと思ってしまいます。もっとも、本当にやらねばならないことであれば、ちゃんとなし得るし、できなかった・やらなかったことは、所詮そのていどの事柄だったのだ、ということです(と、自分に言い聞かせる)。

秋のお彼岸が終わるころ、彼岸花が咲き始めました。
かつては律儀に秋彼岸中に咲いていた彼岸花も、早く咲いたり遅く咲いたり…。気候変動の一端なのでしょうか。
とはいえ、日の出・日の入りの時間は、例年の通りなわけで(そこに変化があったら、地軸の傾きの変化なわけで、気候変動どころではない様々な変化・天変地異が訪れるのでしょうが)、日暮れが早くなりました。春から夏にかけては、毎夕6時に墓地をひと回りし閉門しているのですが、10月に入り、5時に墓地ひと回りして閉門しています。午後5時以降にお墓参りをご予定の方は、寺にご連絡ください。
夕暮れ時は、車から歩行者や自転車が見づらくなります、みなさんお気を付けください👋

今月のことばは、9月に開催された「世界陸上」を観戦しながら思ったことをきっかけにして、掲示することばを選び、文章を綴りました。
他者と競う勝負事の世界に身を置いていることを自覚しているとはいえ、秒に満たない差の世界、数センチの差の世界に身を置く方々の心境やいかに⁉ と思ったことです。桟敷席で見ている者にはわからない世界があります。それだけに、さまざまな想いのなかを巡らせていただきました。多謝(-人-)

 🐰 🐰 🐰

2025年10月のことば
(寺報版はこちら)

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一つぶの砂に 一つの世界を見
一輪の野の花に 一つの天国を見
てのひらに無限を乗せ
一時のうちに永遠を感じる
      ウィリアム・ブレイク

※ウィリアム・ブレイク(1757-1827)
  イギリスの詩人・画家・銅版画家

一時(ひととき)のうちの永遠 
2025年9月13日から21日まで、「東京2025世界陸上」が開催されました。連日テレビ桟敷にて観戦していました。
トレーニングに膨大な時間をかけながらも、結果を決するのは、ほんの数秒(秒以下)、ほんの数センチの差。その差が、歓喜(よろこび)と悲哀(かなしみ)を分かちます。

たとえば「男子マラソン」。
金 A.F.シンブ(タンザニア)2:09:48
銀 A.ペトロス(ドイツ)  2:09:48
銅 I.アウアニ(イタリア) 2:09:53
金メダルの選手と銀メダルの選手は、42.195キロを走って同タイム。写真判定により順位を決しました。ふたりの差は僅か0.03秒。
競技中のみならず、競技後の彼らの目には、どのような景色が見えていたことでしょう。彼らの胸中には、どのような想いが湧き起こっていたことでしょう。桟敷席で眺める者には想像もつかない景色のなかを走り、想いを巡らせたことでしょう。

トレーニングのためにかけている時間からすれば競技の時間はほんの一時(ひととき)。けれど、そのほんの一時のなかに、どんなに表現を尽くしても描き切れないほど深くて大きな景色が広がっています。競技者本人の努力はもちろんのこと、家族・コーチ・トレーナー・栄養士・マネージャー等々のサポートも欠かせません。競技者が記録を残せば残すほど、競技を続ければ続けるほど、携わる人間も増え、周囲の関心・期待も高まります。ほんの一時のなかに、数多くの人間が関わり、さまざまな想いが入り混じり、喜怒哀楽が巡り巡っています。ほんの一時のなかに深淵なる時間・関係・感情が溢れています。

劫(こう)という一時(ひととき)
一時という短い時間を想いながら、「劫」という長い時間のことを考えていました。
かつて寺報に書いた「劫」の説明です。

「劫」とは、長い長い時間を意味します。たとえば、一辺が40里(約160㎞)の立方体の岩があったとします。そこに、百年に一度、天女が舞い降りてきて羽衣で岩を撫でてゆきます。その摩擦で岩がすり減り無くなってしまっても、それでもまだ「劫」に満ちません。
それほど長い時間を表す「劫」。その五倍の「五劫」という時間をかけて思惟されて、阿弥陀如来(法蔵菩薩)は、衆生救済の願いを起こされました。長い時間をかけてやっと決断・発願されたという意味ではありません。一人一人の人生を、ひとつひとつのいのちの生涯をご覧になり、知ったうえで「救わずにはおれない」と思いを起こし、誓願を立てられたのです。仏教において「時間の長さ」は、仏の「慈悲の深さ」を表してもいます。

「長い長い時間表現は、仏の慈悲の深さをも表している」旨書きました。けれど、一時という短い短い時間のなかにもまた、どんなに謝しても謝し尽くせない深い慈しみの心が溢れていることを想いました。
人は、生きた長さ(年齢)に価値や重さを重ね合わせる傾向があります。だから、若くして亡くなれば「まだ早すぎる」「これからあなたの力がより必要だったのに」などと若い死を悼み悲しみます。けれど、一時のうちに永遠を感じるならば、先往く人の人生に、多くのいのちが関わり、人知を超えたつながりの深淵を見、いのち終えた後も先往く人は私と共にあることが見えてきます。「早すぎる」「若すぎる」と嘆かれる先往く人の人生には、そんな私などには見通せない壮大な景色が広がり、慈悲の深さがあります。私もまた、その景色のなかにいて、慈悲に包まれています。

「南無阿弥陀仏」と私が念仏申す一時に、何劫にも亘る阿弥陀の願いと念仏に出遇った人びとの恩徳があります。
念仏申すときに合わさる私の手。その小さな小さな空間に、無限な景色が広がっています。

一時であっても悠久のときであっても…
魔王を倒した勇者一行の後日譚を描くファンタジー『葬送のフリーレン』(原作・山田鐘人/作画・アベツカサ)。

10年の冒険の果てに魔王を討伐した4人のパーティー。勇者ヒンメル、僧侶ハイター、戦士アイゼン、魔法使いフリーレン。フリーレンは、千年以上生きると言われている「エルフ」という種族です。
魔王を討伐し、50年に一度の流星群「半世紀(エーラ)流星」を見た4人は、50年後に「半世紀流星」を共に見ることを約束して解散します。

50年後、4人は再会し「半世紀流星」を見ます。
それから間もなくして、パーティーを率いていた勇者ヒンメルは亡くなります。ヒンメルの葬儀の折、彼について何も知らなかった、知ろうとしなかったことに気付いたフリーレンは涙を流します。

「…人間の寿命は短いってわかっていたのに… …なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう…」

 「私はもっと人間を知ろうと思う。」と、フリーレンは旅に出ます。
後に、僧侶ハイターに育てられた戦災孤児フェルン、戦士アイゼンの弟子シュタルクと旅を共にすることとなります。
フェルンのことを、シュタルクのことを知ろうと努めるフリーレン。その姿に、フェルンは想いを伝えます。

「あなた(フリーレン)が私(フェルン)を知ろうとしてくれたことが、堪らなく嬉しいのです。」

旅を進めながらフリーレンは、ヒンメルたちと過ごしたときのことを思い起こします。ヒンメルたちとの冒険を「たった10年一緒に旅しただけだし…」「皆との冒険だって私の人生の百分の一にも満たない。」などとにべもなく語っていたフリーレン。けれど、その10年こそが彼女を培っていた大切な時間でした。そして、欠かすことの出来ない仲間たちでした。

人間にとって、ひとつのことに10年を費やすということは大きな意味を持ちます。千年以上生きる者にとっての10年は意味のないもの、記憶の欠片にも残らないものなのでしょうか…。

戦士アイゼンはフリーレンに伝えます。
「その百分の一がお前を変えたんだ。」

 🐇 🐇 🐇

掲示板の人形
2025年の十五夜は10月6日(月)とのこと。
短絡的ですが、10月はウサギの人形を飾っています。

57575 57574穏やかな10月をお過ごしください

2025年9月 1日 (月)

2025年9月のことば

9月を迎えました。
8月末、ほんの少し暑さが和らぎ、夏の終わりが近づいているなぁ・・・なんて思ったのも束の間、8月30日31日は、厳しい暑さが戻ってきました。8月はどのようにお過ごしでしたでしょうか。
暑さはまだ続くことでしょうが、日暮れの時間が早くなり、聞こえてくるセミの鳴き声がアブラゼミからツクツクボウシへと変わってきました。墓地花も、1日で枯れていたものが2~3日はもつようになってきました。季節は移ろうています。おからだご無理なくお過ごしください。
9月は秋のお彼岸があります〔20日(土)~26日(金)〕。お参り、お待ちしています。
9月ということは、2025年も3分の2を過ぎたわけで、秋彼岸を迎え、報恩講シーズンを迎え、年の瀬の慌ただしさを迎え・・・なんて思うと、2025年の残りも坂道を転げるがごとく過ぎてゆきそうです。
大切な人と過ごす時間を大切に👋

2025年9月、西蓮寺掲示板のことばは、作家・写真家である濵本奏(はまもと・かなで)さんのことばです。
『暮しの手帖』5世紀37号に掲載されていたことばに一目惚れし、掲示しました。

 🐋 🐋 🐋

2025年9月のことば
(寺報版はこちら)

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波打ち際で白波を見渡すとき、
はるか水平線の向こうから、
こちらを見つめるだれかの眼差しと出会う。
それは過去や未来の私自身かもしれない。
                濵本 奏

専修念仏(せんじゅねんぶつ)「ただ念仏」の教え  
法然上人に出会い、「ただ念仏」の専修念仏の教えに帰依された親鸞聖人。しかし、専修念仏の教えをよりどころとされたのは聖人だけではありませんでした。法然上人の草庵には、身分・貧富・性別・年齢の別を超えて、人びとが集まりました。
しかし、民衆が集まる法然上人の吉水教団を快く思わない人もいました。そのひとつが、比叡山の僧侶たちでした。山に籠り、厳しい修行に努めることで悟りを得ようとする者にとって、「南無阿弥陀仏と念仏申せば、阿弥陀如来がお救いくださいます」という専修念仏の教えは、危うく、許せないものでした。
言いがかりに近い非難もありましたが、民衆の人気を背景に、自分勝手な専修念仏の教えを説く僧侶(法然上人の門弟)がいたことも事実です。この状況を憂慮した法然上人は、『七箇条制誡』を書き、門弟たちを戒め、署名させます。親鸞聖人も「僧綽空」の名で署名されています。

騒動は収まったかのように思われましたが、比叡山からの抗議の翌年 元久二(1205)年には奈良の興福寺から「興福寺奏状」が出されます。法然上人の教団の過失を九ヵ条挙げ、念仏の禁止を朝廷に申し出たのです。
しかし、法然上人の専修念仏の教えに帰依していたのは民衆だけではありませんでした。貴族や朝廷の中にも、教えに帰依する者が大勢いたのです。いくら抗議が出されても、法然の教団に処分が下されることはありませんでした。
あの事件が起こるまでは…。

承元の法難(じょうげんのほうなん)
ある晩、法然上人のお弟子である住蓮と安楽が念仏のつどいを催しました。つどいには、身分や性別を越えて多くの人びとが集まりました。その中には、後鳥羽上皇に仕えていた女官もいました。後鳥羽上皇が紀州 熊野への行幸中、上皇に断わりもなく、念仏のつどいに参加したのでした。
念仏のつどいも終わり、皆が帰り始めたそのとき、女官は住蓮と安楽に願いを申し出ます。
「南無阿弥陀仏のお念仏の教えこそ、私たちが救われる教えであります。どうか出家させてください」
女性の身分を知る住蓮と安楽は、その願いに戸惑います。しかし、女官の必死なまでの願いに応え、ついに出家の儀を執り行ったのです。

熊野から還幸した後鳥羽上皇は、女官の姿が見えないことに気づきました。女官が、法然上人の弟子の元で出家したことを知ると激怒します。
今まで専修念仏の教えに対して罰を与えてこなかった朝廷も、ついに処分を下します。住蓮と安楽、他2名が死罪。住蓮と安楽の師である法然上人は土佐へ、親鸞聖人は越後へ、他6名が流罪となりました。
この、法然門下への弾圧を「承元の法難」といいます。法然上人75歳 親鸞聖人35歳のときのことでした。

親鸞聖人の目に映る海
京の都に生まれ育った親鸞聖人は、流罪によって初めて海の光景に真向かうこととなります。流罪の地越後では、厳冬の日本海の荒波を見、過酷な環境のなか命がけで生きる人びとと出会います。それらの光景や出会いは、聖人の思想に大きな影響を与えました。

聖人は、阿弥陀如来の慈悲心の大きさや深さを海に譬えます。
一乗海・本願海・誓願海・功徳大寶海…

また、衆生(生きとし生けるもの)の姿も海で譬えます。私の煩悩は、かくも際限がなく、広く、深いものである、と。
群生海・煩悩海・難度海・生死の苦海…

阿弥陀如来だけでなく衆生も海で譬えられることは、驚くべきことではないでしょうか。阿弥陀如来の慈悲心を海に譬えるのならば、衆生は、海に生きる魚やその死骸、海に浮かぶ木片にでも譬えそうですが、衆生をも海に譬えます。
双方を海に譬えるということは、双方は相容れないものではなく、同等に釣り合っている、混じり合うことができるものとして聖人の眼には映っていたのです。
聖人は「曇鸞和讃」に著わされます。

名号不思議の海水は
 逆謗の死骸もとどまらず
 衆悪の万川帰しぬれば
 功徳のうしおに一味なり

尽十方無碍光の
 大悲大願の海水に
 煩悩の衆流帰しぬれば
 智慧のうしおに一味なり

ふたつの和讃の主意を汲み取ると、
「どんなに濁った川も、海に流れ出れば清浄なる海とひとつとなります。同じように、阿弥陀如来を信じず、教えを謗(そし)り、煩悩で濁りきっている私でさえも、阿弥陀如来の、衆生を救いたいと願う海のように大きく深い慈悲のこころに摂(おさ)め取られて一味となります。」

「一味」ということは、すべてが溶け合い混じり合って阿弥陀と共なるということです。有限な衆生と無限の阿弥陀が一味となっているのです。
有限ないのちを生きる人間にとって、 過去・現在・未来という時間軸は、存在の証明であるのかもしれません。過去を生きたからこそ現在があり、未来を夢見て現在を生きる。現在を生きる私にとって、過去の私と未来の私からの眼差しと出会うことは、現在を生きている私に出会うということです。
私と阿弥陀が一味であるのですから、過去や未来の私からの眼差しは、阿弥陀からの眼差しに違いありません。「生死の苦海」を生きる私は、「功徳大宝海」に生きる私でもあるのです。南無阿弥陀仏

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掲示板の人形
今月は、リス、フクロウ、野菜など、秋を思わせる作りの人形を飾りました。
かつて9月に掲示してきた人形たちを、あらためて飾ったのですが、この暑さのなか、ちょっとした違和感がありますね。
数年前までは、たとえ暑さは残っていても、9月は秋の雰囲気も漂っていましたが(立秋も過ぎてますし)、ここ数年は「秋だねぇ」という雰囲気もありません。秋彼岸もまだまだ暑いし。秋彼岸の頃に時期を守るかのように咲いていた彼岸花も、咲く時期に変化が見られます。
とはいえ、暑いなりに9月は9月の雰囲気を楽しみましょう🌟


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2025年8月 1日 (金)

2025年8月のことば

8月を迎えました。
40℃越えの地域もあり、津波も台風も近づき(8月1日記)、水不足の懸念も出始めています。「人間の生活」ということだけでなく、「生命の営み」という意味で、大変な時節にあると感じます。
暑さゆえか、セミの声も例年に比べて少ない(小さい)ような気がします。セミが出て来る穴、セミの抜け殻もあまり見かけません。境内に現れる鳥の種類が増えたように思います(気候変動と関係があるのか否かわかりませんが)。『僕には鳥の言葉がわかる』(小学館) 鈴木俊貴著)という本が人気ですが、境内の鳥鳥を見ていると、種類(仲間)毎に会話をしているなぁというような気になってきます。同じ鳴き声を繰り返したり、近くにカラスの姿が見えたときには警戒するかのような声で鳴き始めるし、飛び立つタイミングが同じだと合図があるんだろうなぁと思います。あれ、そういえばネコの姿が見えません。暑くて日中は出てこないのでしょうか。
人間だけでなく、生きとし生けるものの活動に変化が出てきているのではないでしょうか。
とはいえ、「いのちを受けたものは、いのちを尽くして、いのちを終えていく」という道理に変化があるわけではありません。どのような環境、時代にあろうとも、普遍・不変な厳粛なる事実です。教えをいただいてきた池田勇諦先生が亡くなられました。2025年8月の掲示板は、池田先生のことばを掲げました。
厳しい暑さは続きます。休むべきときは休み、活動すべきときは活動する。身体と相談しながら、いのちを尽くしていきましょう。
お大事にお過ごしください👋

 🐤 🐤 🐤

2025年8月のことば
(寺報版はこちら)

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聞法とは
私の「考え」の物差しが
教えによって問い返されること
           池田勇諦

私の「考え」という物差し 
池田勇諦先生(三重教区桑名組西恩寺前住職)が6月29日に命終されました。90歳でした。
1996年の夏安居での「御文勧化録」など、多くの教えをいただきました。
また、慶讃テーマ「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」が発信された際には、次のメッセージを語られ、テーマ委員の想いを汲み取っていただきました。感謝の念に堪えません。

親鸞聖人の御誕生を喜ぶということの根底には、何はともあれ、わが身の誕生が受け取れるか受け取れないかということが、問われているのです。けれどそれは、自我で生きる今日の私からは出てこないのです。そんなことを考えたこともないし、考えてみようとしたこともないような体たらくなのです。だから、「南無阿弥陀仏」と、ぼんと掲げられてある。南無阿弥陀仏の縁にふれる、南無阿弥陀仏を聞くご縁にふれて、初めて「人と生まれたことの意味をたずねる」ということが、与えられてくるのですね。 
〔『慶喜奉讃に起つ』 池田勇諦 他(東本願寺出版)〕

先月は、「人間とは 仏法を聞きたいという深い願いを持って生きている存在なのです」ということばを掲示しました。「聞法」について、というか「聞法するために生まれてきたんだ」という思いが募り、このことばを掲示しました。
そのせいか、池田先生がお亡くなりになり、先生の書物を読み返していて、「聞法」について語られているところが目に留まりました。

ひとつ自分の中で問答をしてみてください。「自分にとって仏法を聞くとはどういうことなのか」と。
これについて、私はこう申し上げたいんです。それは「聞法とは私の「考え」の物差しが教えによって問い返されること」。こう申し上げたいですね。物差しとは譬喩的な言い方ですけれども、いわば私のものの見方、ものの受け止め方、行動の仕方、あるいは単純に価値観と言ってもよいかもしれません。あるいは、親鸞聖人のお言葉で言えば「自力のはからい」「自力のこころ」ということですが、その私の物差しが、教えを聞くことによって問い返されるということですね。その物差しが確かなものか、間違いないものか、ということが問い返される。この一大作業が、私たちにとっての聞法ということではないのか、私はそう申し上げたいのでございます。
『真宗の実践』 池田勇諦(東本願寺出版「同朋選書㊶」)
※赤字は副住職による。今月の掲示板のことばです。

〝物差し〟とは、池田先生のお話にあるように、私のものの見方、受け止め方、価値観などを譬喩的に表現したものです。
〝物差し〟は、長さを測ったり直線を引いたりするために用います。そのためには、〝物差し〟の目盛りは正確でなければいけないし、線を引く側面は真っすぐでなければいけません。そう考えると、物体としての〝物差し〟は、とても正確で堅実で実直なお仕事をされています。それに引き換え、人間という〝物差し〟は、一人ひとり目盛りは違うし、線を引く側面は歪んでいます。厄介なことに、目盛りの不正確さや歪みに気づいていないので、「私の目盛りは正しい」「私の引く線は真っすぐだ」と思い込んでいます。他を疑うことはあっても、自らを問うことはありません。
「南無阿弥陀仏」の縁にふれる「聞法」の生活は、私の「考え」の物差しが問い返されると、池田先生は教えてくださっています。
自身を見つめ直す、反省するといったことは、私たちもたま~にすることはありますが、自己肯定・他者否定の気持ちが残っています。本当の意味での問い返しはされていません。私の「考え」という〝物差し〟を問い返すという作業は、自我で生きる今日の私からは成し得ないのです。「人と生まれたことの意味をたずねていこう」と言われても、私の〝物差し〟で測って(たずねて)終わってしまいます。慶讃テーマに「南無阿弥陀仏」とぼんと掲げられてあるのは、「南無阿弥陀仏」を聞くご縁にふれて初めて「人と生まれたことの意味をたずねる」ことができるからなのです。法(教え)という鏡に私の姿が映し出されるから、私の「考え」という〝物差し〟を問い返すことができるのです。

逆さ吊りの苦しみ
7月と8月、お盆を迎えます。
「お盆〔盂蘭盆(うらぼん)〕」という言葉は、「ウランバーナ」というサンスクリット語(インドの言葉)の音訳であり、「逆さ吊りの苦しみ」を意味します。
一般的に、このように「お盆」の説明がされますが、「逆さ吊りの苦しみ」がどうして「お盆」という仏事なのでしょう。
私の「考え」という〝物差し〟は厄介なものだと書きました。自分の価値観を正しいと思い、歪みに気づいていないのですから。
お盆は、亡き人を縁として教えにふれる仏事です。亡き人のことを思い、「安らかにお眠りください」「迷われませんように」などと手を合わせますが、安らかでない、迷いの存在は私自身です。
自分の迷いに無自覚で、亡き人を迷わせている私。他を疑うことはあっても、自らを問うことはない私。私自身のあり方が「逆さ吊り」なのです。しかも、その逆さ吊りの状態に気付いていません。逆さ吊りの状態に気付いていないのですから、苦しみを感じるということもありません。
「逆さ吊りの苦しみ」に無自覚である私に気付くということは、自我で生きる今日の私からはありえないことです。教えを通して初めて問い返すことができます。「お盆」は、もっと言えば仏事全般は、私を問い返す仏事です。浄土真宗の仏事に「聞法」の時間があるのは、私の「考え」という〝物差し〟を問い返すためなのです。
さて、問い返したからといって、逆さ吊りであることに気付いたからといって、私は私のままです。善い人間になったり善い報いがあったりするわけではありません。「私は間違っていた」という思いもまた、「私は正しい」というところに立って思っているのですから。いつまでもどこまでも自我に生きる私です。
私の「考え」は、そのときの環境、立場、体調、余裕の有無などによって変わるものです。また、生涯において出会う人や事柄によっても変わるし、大切ないのちとの別れを経て変わる(深まる)こともあります。私の〝物差し〟は刻一刻と変化しています。それは否定されることではなく、自覚すべきことなのです。「聞法」を通して、逆さ吊りである私に気づき、そのことに責任を感じ得られるのですから。南無阿弥陀仏

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掲示板の人形

8月は毎年、長崎の平和祈念像を飾っています。長崎に行ったとき、骨董品のお店で見つけました。
井の頭公園内の北村西望彫刻館には、平和祈念像の原型が飾られています。

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数年前、神宮球場に野球を見にいったとき、入場者プレゼントでいただいたつば九郎人形も飾っています。
今シーズン前のキャンプ期間中、つば九郎を支えてきたスタッフの逝去の報がありました。
淋しいことですが、つば九郎もいのちを尽くして生きました。8月中、神宮球場に行ってきます🥎
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2025年7月 2日 (水)

2025年7月のことば

7月を迎えました。2025年も折り返しですね。今年はどんな年でしたか?(早い!)
6月半ばから気温が上がり始め、すでに暑い日々を過ごしています。体調を崩した方もいると思いますが、お大事にお過ごしください。
かくいう私も、7月号の寺報作成に6月半ばから取り組み始めたのですが(7月1日にちゃんと寺報配布できるように)、パソコンに向かうもまったく筆が進まず、こんなに文章書けないか!?ってくらい、なにも書けませんでした(文章も、紙媒体の寺報に載せているマンガも)。
たいてい家族が寝静まってから文章を書き始めるのですが、日中の仕事の疲れと暑さでくたびれ果ててしまい、夜は睡眠をとることを優先しました。でも、昼間は昼間でやることがあり、文章を書くに辿り着きませんでした。執筆を生業にされて、移動時間や隙間時間も有効活用して文章を書かれている方を尊敬してしまいます。とはいえ、毎月1日2日には完成しているのだから、気持ちの問題なんですけどね。来月号は早く作っちゃおう!!って、月頭には毎月思うのですが、月末はいつも苦しんでいます。来月8月号で丸27年寺報を書いていることになるのですが、この繰り返しです。お読みいただいている方、ありがとうございます。

さて、これだけの暑さです。墓地のお仏花も一日でカラカラになってしまいます。毎日、何度か墓地を回り掃除をしています。枯れたお花も片づけていますが、もしかしたら「お墓にお花あげたばかりなのに、もう無くなっている!」と思っている方もいるかもしれません。ほんと、干乾びてしまうのが早いんです。ご理解ください。残しておいて欲しい方は、おっしゃってくださいね。

「気を付けてくださいね」なんて言いながら、私自身毎年夏に体調を崩しているのですが、でも言います。「気を付けてお過ごしください。お元気で👋」

 🍧 🍧 🍧

2025年7月のことば
(寺報版はこちら)(YouTube法話はこちら)


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人間とは
仏法を聞きたいという
深い願いを持って
生きている存在なのです

悲しみで出来ている人の世 

今年は「戦後80年」の年であり、「再びあの戦火を繰り返してはいけない」ということがいわれます。
けれど、「戦後80年」といったときの「戦」とは、どの戦いのことなのか。年月を経て、世代が移り変わり、そういうこともぼやけてしまってはいないでしょうか(「第二次世界大戦」を指すことは、知識としてわかってはいても)。
また、「あの戦火を繰り返してはいけない」といっても、この80年間、日本が舞台(戦火)となる争いはなくても、侵攻、紛争、衝突によって、現代(いま)もどこかで人びとの悲鳴が響き、涙が落ちていることを想うと、「戦火を繰り返してはいけない」のセリフは現実と乖離してしまいます。「戦火が生み出され続けている現実」を見なければいけません。
争いに限った話ではありませんが、人の世には悲しみが溢れています。否、悲しみでできているのが人の世なのかもしれません。

人と生まれたことの意味(いわれ)

南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう

2023年に真宗本廟(東本願寺)で「慶讃法要」が勤められるにあたり掲げられたテーマです。
「人として生まれたことの意味をたずねてみましょう」と言われたとき、「私個人」の意味をたずねるのではないでしょうか? 「私は、どうして生まれてきたのだろう」「私は、何をするために生まれてきたのだろう」と。けれど、人として生まれるためには両親の縁があり、そのまた両親の縁があり…。生まれてこんにちに至るまで、無数の人びととの関係があることによって、私は私となりました。
喜びも悲しみも含めて。
人として生まれたことの意味をたずねると「私個人」のことでは済まず、必然、人間そのものをたずねることになります。

「人間」という言葉は、「人は、関係性を生きている」ことを表しています。ということは、助け合い、励まし合い、支え合いする関係もあれば、傷つけ合い、奪い合い、殺し合いする関係もあるということです。
また、「悲しみ」といっても、傷つけ合うことによって生まれる悲しみもあれば、支え合っているからこそ生まれる悲しみもあります。「悲しみでできているのが人の世なのかもしれません」と言いましたが、関係性を生きているということを想い、そのように綴りました。

また、曽我量深先生(1875~1971 真宗大谷派僧侶)の講義録を読んでいて、「意味」に「いわれ」とルビがふられていることに目が留まりました。
「いわれ」とは、「理由」とか「わけ」ということ。
慶讃テーマを「人と生まれた理由(わけ)をたずねていこう」と読み取った場合、この悲しみの世を生きる人間にとって、教えに出会う、法を聞くことこそ「いわれ」であると思うのです。であるからこそ、テーマの頭に「南無阿弥陀仏」があります。念仏と共に聞法するのです。
なんのために生まれて なにをして生きるのか・・・それは、聞法をするためです。

聞法(もんぽう)

仏法を聞くことを「聞法」といいます。「聞法」といっても、お寺でお坊さんの話を聞いたり、仏教書を読んだりすることだけが仏法を聞くことではありません。
日々の生活の出来事、人と人とのやりとりによって想いが湧き起こり、こころが揺さぶられ、感情に変化が起こります。それらのひとつひとつが「聞法」であり、 私を私として生かしています。

「聞法」は、「聴聞(ちょうもん)」という言い方もあります。「聴」も「聞」も「きく」ことですが、違いがあります。「聴」は、自分で思いを起こして耳を傾けること。「聞」は、聴くことを続けているうちに、あるときふと聞こえてくること。今まで何度も聴いてきたけれど、あるときふと大切なことが聞こえてくる。今まで聞こえてなかったことが聞こえてくる。教えに限った話ではなく、ヘビーローテーションしている音楽も、幾度となく見た映画も、手垢がつくほどページを繰った本も、あるときふと、ある歌詞に、あるセリフに、ある言葉に、心を打たれたことはありませんか?
あるいは、親や恩師からの、何を伝えたかったかもわからなかった言葉や受け入れ難かった言葉が、ふと蘇り励まされたことはありませんか? 私の思いを超えて、私を生かす声が聞こえてくるのです。
「南無阿弥陀仏」の念仏も、私が思いを起こして称えているようですが、阿弥陀如来からの喚びかけが聞こえたからこそ称えられるのです。「生きとし生けるものを救いたい。どうか私の名を称えてほしい」という阿弥陀如来からの喚び声が聞こえたからこそ、念仏を称えているのです。
仏法聴聞する歩みとは、「南無阿弥陀仏」の念仏を称える生活なのです。

白骨の御文(はっこつのおふみ)

本願寺8代、蓮如上人の「白骨の御文」の終わりの部分が、ふと聞こえてきました。

【原文】
人間のはかなき事は、老少不定(ふじょう)のさかいなれば、たれの人もはやく後生(ごしょう)の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

【試訳】
(朝には夢と希望に満ち溢れていても、 夕べには白骨となることもあるいのちを生きているという)人間の厳粛なる事実は、老いも若いも関係ありません。だからこそ、親鸞聖人は阿弥陀如来を頼りとしなさいと教えてくださいました。阿弥陀如来は、悲しみの世を生きる人間を救いたいと願われました。その願いに包まれて、私は生きています。「南無阿弥陀仏」と念仏を称えることを、親鸞聖人は深く願い、教え説かれました。
あなたにお伝えしたい、大切なことであります。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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掲示板の人形
「暑いときこそダラダラせずにちゃんとして!」なんて、昭和の時代は言われてた記憶がありますが、ダラダラするときも必要かと。
そんな人形たちを掲示しました(^∀^)
夏には夏の、暑いときには暑いときの生き方があります!! また来月👋

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2025年6月 1日 (日)

2025年6月のことば

6月を迎えました。
週末に雨が降ることが続いています。10週連続と報道されています(6月1日記)。
昨日(5月31日の話)は、娘が通う学校の運動会が延期になりました。学校としては「多少の雨なら決行!」の勢いだったのですが、結局延期の判断になりました。実は予備日も雨予報。生徒も先生も保護者も大変です。一生懸命練習していたから、運動会が無事開催されますように。
足立区の花火大会も中止になりました。雨も原因ではありますが、強風ゆえの判断だったそうです。運営に関わる方も、見物を楽しみにしていた方も気の毒なことです。
今日(6月1日)は、近所のお寺で御施餓鬼(お盆の法要)があったそう。今日は快晴だったので、御施餓鬼にお参りされる方もよかったですね。
で、思いました。「え、花火大会?」「え、御施餓鬼?」5月末・6月頭なのに⁉
足立区の花火大会は、昨年は7月20日。でも、荒天のため中止でした。今年は5月31日。夏の花火大会は熱中症や雷の心配もあり、5月開催に踏み切られたとのこと。
近所のお寺の御施餓鬼も、7月・8月は暑すぎて参拝者もお坊さんも大変なので(何時間も読経が続くとのこと)6月にされたとのこと。
花火大会に御施餓鬼(お盆)といえば夏の風物詩。とはいえ、近年の暑さは身体的にも危険で、天気の急変もいのちにかかわることも。行事やイベントの前倒し・後ろ倒しがこれからも増えることでしょう。
風情も大切ですが、おからだにもご無理ありませんように。ご無事でお過ごしください👋

 💧 💧 💧

2025年6月のことば
(寺報版はこちら)(YouTube法話はこちら)

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雨垂れ石を穿(うが)つ
 穴が開くのは、
 強いからではなく
 続けているから

雨垂れ石を穿つ 

【雨垂れ石を穿つ】
小さな力でも根気よく続ければ成功するたとえ。
軒下から落ちる雨のしずくでも、長い時間をかけて同じ所に落ち続ければ、ついには硬い石にさえも穴をあける意味から。

硬い石に穴が開く、穴を開ける。無理だろう、不可能だろうと決めつけてしまう事柄に対し、私はどのように向き合ってきただろうか。はじめから諦めたり、言い訳にしたりしてはいなかっただろうか。
また、ひとりでやることを想定しがちだけれど、多くの人が関わることによって物事が動き出す、成し得る、穴が開くということもある。
無理だろう、不可能だろうと思われる事柄に、はじめは強い意志、強いエネルギーで臨んでも、すぐに結果が出るものではない。すると、自身が滅入ってしまう。強さは継続しないから。ただ続けることが、状況の変化を生み出すことがある。

雨垂れに手を出してみる。痛みを伴うような強さではない。やさしい一滴(ひとしずく)。そんな一滴一滴が、石を穿つ。

『恩讐の彼方に』
「穿つ」ことの意味の大きさが、菊池寛氏の小説『恩讐の彼方に』に描かれている。

(あらすじ)
主人公「市九郎」は、主君殺しの大罪を犯す。市九郎は逃げて姿をくらますも、人斬り強盗を生業として生き延びていた。
自身の犯してきた罪を悔い恐れた市九郎は、真言宗の浄願寺で出家し、法名 了海を名告り、滅罪のために全国を行脚する。豊前国に辿り着いた了海は、事故によって毎年何人もの人が命を落とす難所があることを知る。その難所の岩場を掘削し貫通させれば、事故で亡くなる人を無くすことができる。これこそ自分のなすべきことと誓願を立て、掘削を始めた。
近在の人びとはおかしな僧が来たと、了海を嘲笑する。しかし、年月を重ね、たとえわずかであっても掘削が進むと、了海に力を貸す者も現れた。

冒しがたき大自然の威厳を示して、市九郎の前に立ち塞がっていた岩壁は、いつの間にか衰残の乞食僧一人の腕に貫かれて、その中腹を穿つ洞窟は、命ある者のごとく、一路その核心を貫かんとしているのであった。
(『恩讐の彼方に』より)

19年の歳月を経て、9割がた掘り進めたあるとき、市九郎が殺めた主君の子「実之助」が、親の敵討ちのため諸国を遍歴し、仇である市九郎と相まみえることとなる。
実之介に「お斬りなさい」と身をさしだす了海。しかし、共に掘削してきた石工たちは了海をかばう。「掘削を成し得るそのときまで、了海の命を私たちに預けてくれないか」という石工の棟梁の願いに応じ、実之介は岩場が貫通するそのときまで待つこととした。実之介は、一刻も早く親の仇を討つため、掘削に加わった。
了海が、周囲から嘲笑されながらも掘削を始めてから21年目、実之介が来てから1年6ヵ月ほど経ったある晩、ようやく岩場が貫通した。
「約束のときがきた。さぁ、お斬りなさい」と言う老僧の手を、実之介は握りしめた。ふたりは感涙にむせび合った。
(あらすじ、以上)

※『恩讐の彼方に』はネットの「青空文庫」でお読みいただけます。「青空文庫 恩讐の彼方に」で検索してみてください。

 

『ハチドリのしずく』
また、成果や見返りを求める私に、物事をなすこと自体の意味や有り難さを語り掛ける『ハチドリのしずく』という本のことを思い出しました。

(あらすじ)
森が大火事になり、動物たちは逃げ出します。しかし、「クリキンディ」という名のハチドリだけは、自分の小さなくちばしに水を貯め、水源と森とを往ったり来たりします。一滴一滴、森の火事に水を落とします。森の動物たちは「そんなことして いったい何になるんだ」と言って笑います。クリキンディは答えます。
「私は、私にできることをしているだけ」と。
(あらすじ、以上)

ハチドリは、鳥類の中で最も体が小さい鳥です。体長は10センチぐらい、体重は2~20g程度の大きさです。
このお話は、辻信一さん(文化人類学者、環境運動家。明治学院大学名誉教授)が、南米のアンデス地方に住む先住民族の友人から聞いた話に胸を打たれ、本にしたものです。
辻さんは友人の話を聞いて、「いま、私にできることはなんだろう?」と考えました。そして、ハチドリの話をひとりでも多くの人に知ってもらうことだと思い、一冊の本にまとめられました。辻さんは語りかけます。「この物語の続きを描くのはあなたです」と。
『ハチドリのしずく』という題名ですが、「いま、私にできること」という副題がついています。(「光文社」発行)

「回向せしめたまえり」
先月の寺報で、親鸞聖人にとって「回向の主体」は、私(人間)ではなく阿弥陀如来である旨書きました。
自分の思いで物事をなしているように思っている私に、「すべては阿弥陀さまからのたまわりもの(あたわり)です」と、聖人は教えられました。
「雨垂れ石を穿つ」という諺から、コツコツと積み重ねていくことの意味、継続することの大切さをいただくことができます。その場合、穿つ主体は私です。でも、私自身が穿たれているという見方も出来ます。
自我という固い固い執着で自己防衛し迷い彷徨っている私にむけて、「念仏申せ」「念仏申せ」と、阿弥陀からの催促が一滴一滴滴り落ちています。であるからこそ、決して念仏申す心など持ちえない私、両手を合わすことなどありえない私の手が合わさり「南無阿弥陀仏」の声が出てきます。五劫の昔から、やわらかな慈悲の心で穿たれ続けている私でした。

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掲示板の人形
「傘をさすネコとカタツムリの人形」をネットで見つけました。
それから、寺にあったカエルの人形も飾りました。

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2025年5月 2日 (金)

2025年5月のことば

2025年も5月を迎えました。暑くなりそうでいて、ひんやりする日、身震いする日がありますね。体調崩されませんように。

去る4月14日~18日、練馬区谷原の真宗会館において、真宗大谷派 東京教区「慶讃法要」をお勤めしました。
従来の法要とは趣を変え、日々色合いの違う法要が勤まりました。
5日間真宗会館におりましたが、最前線で慶讃法要を堪能させていただき、充実した毎日でした。
ご参拝いただいた皆様、運営側の皆様、ありがとうございました。

ふと思う。50歳を迎える前くらいまでは、自分が身を動かして物事に従事していたけれど、いつの間にか 周囲が動いてくれる立場に身を置いていることを(その分、責任ある立場に身を置いていることも肝に銘じています)。
若い方々が、やらされてではなく、率先して法要に関わり、勤め、身を動かしている。
あぁ、素晴らしい光景だなぁ、素敵な人たちだなぁと感嘆する。慶讃法要を一緒にお勤めできて、よかった。ありがとう

今月のことばは、今年に入って、金沢の友人(真宗大谷派僧侶)から教えてもらったことばを掲示。
毎月掲示板のことばを読んで、「なるほどなぁ」「いいことばだなぁ」「ちょっと何言ってるんだかわからないんだけど」「納得できないなぁ」など、思いを巡らされている方からすると、「え!?」と思われるかもしれません。
「あたわり」ということばだけ掲示しているのですから(註は付しておきましたが)。
以下、今月のことばのいただきを綴りましたので、ブログをお読みのあなたも「あたわり」についてお味わいください。
南無阿弥陀仏

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2025年5月のことば
(寺報版はこちら)(YouTube法話はこちら)

 

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あたわり

【北陸地方の方言】
「すべては阿弥陀さまからのたまわりもの」の意

あたわり 
金沢出身の友人(僧侶)から教わりました。「北陸には、『あたわり』という言葉があるんですよ」と。
「与えられたもの」という意味で、「ひとり一人に与えられた使命や宿命」として語られることもあるけれど、その根本は「阿弥陀さまからたまわったものである」という思いを大切にされてのことばであるという。
北陸は「真宗王国」と表現されるほど浄土真宗篤信の地として知られています。それだけ親鸞聖人の教えを、「南無阿弥陀仏」の念仏を大切に生きる方が多いのです。
北陸の方は、なにか物事をなすとき、出来事に巡り合ったとき、「阿弥陀さまからのたまわりもの」であるといただき、「あたわった」と表現されます。嬉しいこと、喜ばしいことばかりを「あたわり」と表現されるのではなく、悲しいこと、つらいこともまた「あたわり」といただかれます。
そのことは、受け容れ難いことを受け容れるための人間の知恵として「阿弥陀さまからのたまわりもの」と考えたわけではありません。また、達観したわけでも、諦めの気持ちを紛らわすために言われたわけでもありません。心底、阿弥陀さまからのたまわりものであると、いただかれているのです。

他力というは
親鸞聖人は説かれました。
「他力というは、如来の本願力なり」(『教行信証』「行巻」)

「他力」とは、「阿弥陀如来が、衆生救済を願うはたらき」である、と。
(衆生:しゅじょう・・・すべての生きとし 生けるもの)

現代日本社会において、自分の力で励み、努力し、結果を出すことが価値あることとされます。
それゆえに「他力本願ではダメだ」「他力頼みではいけない」などと言われます。
しかし、「他力」とはそもそも、他人の力を当てにすることでも、他人の力を借りることでもありません。すべての生きとし生けるものを救いたいと願う、阿弥陀如来の本願力を「他力」というのです。阿弥陀如来が衆生を想う慈悲心をいただいているからこそ、辛苦の世の中を私たちは生きている、生きていられるのです。
信仰心のある人にのみ慈悲心が注がれるわけではなく、すべてのものに、今現に注がれています。であるからこそ、私は自力を尽くしながら人生をまっとうすることができるのです。

他力と自力。人間は、自力は尊く、他力は甘えであると考えます。
であるから、自力の結果を求めます。「これだけ頑張ったのだから、相当の結果があってしかるべきだ」と。
しかし、世の中そんなに甘くないことも、思い通りにならないことも、みんなわかっています。
思うような結果が伴わない、相応に報われるということがないとなると、自分より頑張っていない(ように見える)人を見下したり、結果に恵まれた(ように見える)人に対して嫉妬したりします。
誰もが皆、自力を尽くして生きているのにかかわらず。

私たち自身は、自力を生きることしかできません。できませんが、他力に包まれてあるからこそ、自力を尽くすことができるのです。
他力と自力は、どちらが優れて、どちらが劣ってというものではありません。双方があるからこそ成り立っているものです。「今、ここに私がいる」という事実が、阿弥陀如来のはたらきがあることの証明であり、阿弥陀如来の慈悲心(他力)があるからこそ、私がいて、生き、自力を尽くすことができるのです。

私の一挙手一投足に阿弥陀がいます。私そのものが阿弥陀さまからのたまわりもの、「あたわり」なのです。そのことを感得しているからこそ、いかなるときも、いかなる事柄に対しても、「阿弥陀さまからのたまわりもの」であると、手が合わさるのです。自分にとって都合の良い事柄に対して「阿弥陀さまのおかげです」と感謝し手を合わせているのではなく。

回向(えこう)せしめたまえり
親鸞聖人は、漢字の意味や送り仮名のふり方について深く深く思慮されました。

「回向」という言葉があります。親鸞聖人の師である法然上人の流れを汲む方々の多くが「回向して」と読まれているところを、聖人は熟慮して「回向せしめたまえり」と送り仮名をふられました。
「回向して」という読み方が間違っているわけではなく、むしろ一般的な読み方です。ただ、「回向して」の場合、自らが行なった行為・善行を回向する(仏に、亡き人に差し向ける)ことを表し、主語が自分になります。ところが、「回向せしめたまえり」と読むと、阿弥陀如来から私に(衆生に)差し向けられていることを表します。「回向の主語・主体は阿弥陀如来である」と、聖人の目には映っているのです。「如来」と書き著さずとも、聖人の著作には阿弥陀が溢れています。そのことは、阿弥陀の慈悲心(他力)を感得していることの表われです。北陸の方々が「あたわり」と言われることも、ことばのなかに、口にされる人々のこころのなかに阿弥陀さまがいることのあらわれです。

聖人が晩年に著わされた「恩徳讃」。

如来大悲の恩徳は
 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も
 ほねをくだきても謝すべし

真宗の法座で、閉式の折に唱和します。聖人の大切なことばなのですが、いただいている恩徳に対して、「身を粉にするほどに報ずべし」「ほねをくだくほどに謝すべし」というところに抵抗を感じる人も少なくありません。どうしてそれほどまでに、と。それは、「自分が」報ずもの、謝すものと考えるからでしょう。
阿弥陀如来より回向せしめられている本願力のなかを、自力を尽くして生きているのですから、艱難(かんなん)辛苦の世の中、私が生きている姿そのものが報じていることであり、謝していることに違いありません。既に身をもって阿弥陀如来の大悲に応えているのです。

「あたわり」ということばを教えていただき、聖人の教えに生きている人びとのことを想いました。南無阿弥陀仏

 🐟 🐟 🐟

掲示板の人形
五月ということで、鯉をかたどった人形を飾っています(短絡的ですが)。
男の子が鯉に乗っている人形2つと、鯉の人形です。
しんどいこともある世の中だけど、人生だけど、前に向かって進める世の中であり、人生であると思っています。
「前に向かって進める」って、立ち止まることも、今まで歩いてきた道を眺めることも、それらも「前に向かって」進んでいることだと思うのです。
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2025年4月 2日 (水)

2025年4月のことば

2025年4月を迎えました。気温も低く、冷たい雨が降っています。
子どもたちは部活へと出かけました。元気に過ごしています。

3月、息子が大学院を卒業し、4月から新社会人。
「春のお彼岸中だから、卒業式には行けないんだ。ごめんね」という私に対し、「わかってるよ。大学から連絡があって、学科代表で証書を授与をされるから、配信で見ててよ」と息子。
当日は配信を見させてもらってお祝いを、と思っていたら、「大学院卒業したら、もう入学だ!卒業だ!ってことが無くなっちゃうんだよ。行ってあげなよ。親らしいことしてらっしゃい」と、妻と娘たちが背中を押してくれて、卒業式の前の晩に参列を決めました。
翌早朝、まだ家族の寝ている間に寺を出て、新幹線で某所某大学へ。
新幹線の中で「卒業式、行くね」と息子にLINEするも既読付かず。朝から忙しいだろうな。
卒業式開式前に大学に到着。構内に足を踏み入れると、ちょうど向こうから息子が。
私を発見して「お父さん⁉ なにしてんの?」と驚く息子に、「ごめんね、来ちゃった」と私。
抱きしめて「よくがんばったね」と伝えました。
「保護者席いっぱいになっちゃうから、席取っておいた方がいいよ」
「わかった、ありがとう。じゃ、保護者席から見てるからね」
思いがけず、息子の門出に立ち会うことができました。
式も終わり、さぁどうしようかなと思っていたら、息子の先生や彼女や彼女のご家族や友人たちと語らうことができました。
あぁ、充実した学生生活を送ったんだなぁと実感、感謝。
息子は謝恩会だ、お別れ会だ、ということで大学でバイバイ👋👋 
一緒に卒業式を見届けた前の妻に「ありがとう」と伝え、彼女も「来てくれてありがとう。一緒に卒業式を見られるなんて、思ってもなかった」と。空白の時間は、ことばひとつで埋まることも。
大学を後にし、駅に戻り、帰りの新幹線に。「来てよかった」。
夜9時、寺に到着。慌ただしいお彼岸の一日だったとのこと。
「行ってらっしゃい」と言ってくれた妻と娘たち、お彼岸中にもかかわらず送り出してくれた住職(父)と坊守(母)。
大学で出会ったみんな。
「人は、ひとりでは生きていない」ことを、身をもって感じた一日でした。

月頭のご挨拶が長くなりました。どこかに綴っておきたかったのです。
以下、西蓮寺掲示板 2025年4月のことばです。

 🌸 🌸 🌸

2025年4月のことば
(寺報版はこちら)

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種から芽が出て花が咲き
花は枯れても種が残り
また花を咲かす

花びらは散っても花は散らない
寒暖差の激しい3月でした。春彼岸中も、雪が降った日もあれば夏を思わせる暑さの日もありました。体調を崩された方もいるのではないでしょうか。
まもなく4月を迎えようというとき、桜の開花が始まりました。桜の開花は、「標本木」の蕾が5~6輪咲いたときに宣言されます。開花宣言が出される瞬間に立ち会おうと、「標本木」の周りで待ちわびる人びとの姿がテレビで映し出されていました。また、「日本の桜を見るために来ました」と、海外から来日する方も多いとのこと。いつ来ても見られる観光資源目的ではなく、瞬間に立ち会うための来日。記憶に残る旅行となることでしょう。
世に、美しい花は数多くあります。にもかかわらず、桜はどうしてこれほどまでに開花が待たれ、人のこころを魅了するのでしょう。これほどまでに開花を待ちわびられるにもかかわらず、瞬く間に散ってしまう桜は、「儚さ」の象徴として語られます。法語にもよく登場します。

明日ありと思う心のあだ桜
夜半に嵐の吹かぬものかは
         親鸞聖人

散る桜 残る桜も 散る桜
         良寛上人

花びらは散っても花は散らない
形は滅びても人は死なない
         金子大榮

見ずや君
あすは散りなむ 花だにも
力のかぎり ひとときを咲く
         九条武子

咲いた花見て喜ぶならば
咲かせた根元の恩を知れ
         詠人不明

思い出すままに記しましたが、「限りあるいのちを、あなたはどのように生きていますか?」「いのちの内実をちゃんと見ていますか?」と問われているかのようです。

また、桜は暖かくなったから咲くのではなく、冬の間厳しい寒さにさらされることによって目が覚め、寒さによって目覚めているからこそ暖かくなったときに開花します。厳しい寒さを経たうえで咲くことから人生訓としても語られます。「どんなに辛いことがあっても、その辛さを経験してこそ見えてくる世界がある」「優しさは、厳しい寒さを知るからこそ生まれてくる」など、桜の姿から教えられること、気付かされることが数多く語られてきました。

とはいえ、桜にしてみれば、ただ咲いて ただ散っているだけのことです。主役のこころは冷静・平静・ありのままであるにもかかわらず、その開花に色めき立ったり 人生を重ね合わせたり、世間はかくも賑やかです。賑やかではありますが、お花見といっても、実際には主役の姿は二の次で、ダンゴに舌鼓を打っています。桜の姿から感じ得られたことばの数々も、果たして本当に見て(自分事として味わって)いるでしょうか…。

慶讃法要(きょうさんほうよう)
4月14日(月)から18日(金)まで「真宗会館」(練馬区谷原1-3-7)にて「宗祖親鸞聖人 御誕生850年 立教開宗800年 東京教区 慶讃法要」が勤まります。
親鸞聖人の御誕生と立教開宗(念仏の教えを説き広められたこと)を機縁とした法要ですが、聖人一個人を讃えるための宴というわけではありません。
聖人にしてもお釈迦さまにしても、ことばを語っただけでは教えとはなりません。語られたことばを聞き、今まで見えなかったことや聞こえなかったことを感得した人びとがいます。「なるほど、そういうことか!」「そんなこと思いもしなかった!」と讃嘆と懴悔の気持ちが湧き起こってきた人びとがいます。そのような人びとが誕生したそのとき、ことばは教えとなり、ことばを発した者は教えを説く人となります。教えを聞く人と共に、聖人やブッダが誕生しました。親鸞聖人やブッダの歩みは、教えを聞く人びとと共にあります。その人びとの歩みが、「慶讃法要」をお勤めすることの背景にはあります。

聖人の誕生から850有余年、お釈迦さまの誕生から2500有余年。いのちある者は、やがていのちを終えてゆきます。ひとり一人の生命には限りがあるけれど、教えに聞いて生きる人の姿は、次の生、次の生へとつながっていきます。今、私が「南無阿弥陀仏」と念仏を口にできるのは、かつて念仏を口にされた方がいることの証。私は古の方と一味となり、阿弥陀の慈悲を受けるている者であるという事実に目覚めます。そして、私が念仏を称えることによって、また次の生へとつながっていきます。種から芽が出て花が咲き、花は枯れても種が残り また花を咲かすように。
阿弥陀如来の慈悲心は、時代や国境を越えてすべてのいのちを包み込んでいます。

 🌸 🌸 🌸

如信(にょしん)上人御廟所法龍寺報恩講参拝記

親鸞聖人の孫にあたる如信上人は、本願寺第2代に位置付けられています。その如信上人の御廟所「法龍寺」は、茨城県久慈郡大子町にあります。
如信上人は、1235年(嘉禎元年)京都に生まれ、幼いころより親鸞聖人から教えを受けて育ちました。
1300(正安2)年1月4日、66歳のとき、常陸国上金沢の草庵にて入滅。その後「法龍寺」が建立されました。
去る3月30日、法龍寺報恩講での法話のご縁をいただき、お役目を果たして参りました。
境内には如信上人お手植えの榧(かや)と、如信上人13回忌の折に覚如上人(本願寺第3代)が植えられたと伝わる銀杏(いちょう)が現存しています。
「法龍寺」を守られている方々、教えを聞き伝えられている方々の姿にふれ、「南無阿弥陀仏」の念仏の伝統を感じたことでした。
南無阿弥陀仏               副住職記

 🌸 🌸 🌸

掲示板の人形
鸞恩くん 蓮ちゃん あかほんくん の東本願寺3キャラクターと、鳥獣戯画に出て来るカエルとウサギの人形です。

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