2017年11月 7日 (火)

2017年11月のことば

皆様いかがお過ごしですか?
寒くなりましたね。今日(11月7日)は立冬ですものね。
風邪予防のため、10月中旬からノドを暖めマスクをしながら就寝していたのですが、10月末、もろくも風邪をひいてしまいました。ひどい風邪でした。
西蓮寺報恩講も近づく中、何も手につかないまま時が過ぎましたが、おかげさまで無事報恩講をお勤めすることができました。南無阿弥陀仏
皆様も、お風邪など召しませんように(と、風邪をひいた私が言うcoldsweats01

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 弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、
 ひとえに親鸞一人(いちにん)がためなりけり

報恩講
11月28日は、浄土真宗の宗祖親鸞聖人のご命日です。ご本山 東本願寺では、毎年11月21日~28日に聖人の法要「報恩講(ほうおんこう)」が勤まります。
西蓮寺でも、毎年11月5日に報恩講をお勤めしています。

親鸞聖人のつねのおおせ
今月のことばは、親鸞聖人のことばです。弟子の唯円上人が著されたと 言われる『歎異抄(たんにしょう)』に、親鸞聖人の常の仰せとして記されています。

(『歎異抄』後序より)
聖人のつねのおおせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐そうらいしこと

(副住職試訳)
親鸞聖人が常に仰せになることとして、「阿弥陀如来が、五劫という長い時間をかけてご思案になって発起してくださった「衆生を救いたい」というご本願をよくよく考えてみると、ただひとえに私親鸞一人を救わんがための願いであったのだなぁ。そうであれば、数え切れないほど多くの罪業をそなえた私のことを助けずにはおれないと思い立たれた阿弥陀如来のご本願の、どんなに かたじけないことであろうか。南無阿弥陀仏」とご述懐なさっておられたこと

一人(いちにん)の自覚
「そくばくの業(数え切れないほど 多くの罪業)」をそなえた者。それは、親鸞聖人お一人だけの話ではありません。すべての人間が、いのちあるもののすべてが、数え切れないほど多くの罪業を持って生きています。にもかかわらず阿弥陀如来は生きとし生けるものすべてを「救いたい」と願われました。阿弥陀如来の本願は、生きとし生けるものすべてのためにあります。
ではなぜ、聖人は「弥陀の五劫思惟の願」が「親鸞一人がため」と言われたのでしょうか? 
それは、聖人御自身が「そくばくの業をもちける身」であることを自覚されたからです。いのちあるもの、罪業を抱えながら生涯を歩まねばならないことは自明のことです。ですが、「阿弥陀如来の慈悲の光は、衆生のためにあります」と言ったとき、救われているという歓喜が先に立ち、「そくばくの業」を持っている身であるという自覚が疎かになってしまいます。
聖人は、仏道修行に励めば励むほど、自身の罪業性に落ち込み、涙し、救われるはずがない自身と向き合うこととなります。
そのような時、師法然上人に出遇い、念仏に出遇い、「南無阿弥陀仏」と申す身となりました。「そくばくの業をもちける身」である自覚を通して、そのような私を救おうと願われた阿弥陀如来の光明を感じ、「阿弥陀の慈悲は、このような私一人を救わんがためにあったのです」と、手が合わさりました。
「このような私ですら救われているのですから、私以外のみんなが救われていることは言うまでもありません」という想いが、「親鸞一人がためなりけり」には込められています。

「親鸞一人」の自覚は、真宗のお勤め、聖人が著された「正信偈(しょうしんげ)」にも感じられます。
 大悲無倦常照我(だいひむけんじょうしょうが)
「阿弥陀如来の大悲は、倦(あ)くことなく、常に私を照らし続けています」と。
「倦くことなく」とは、そくばくの業をもちける私を「あきらめることなく」「見捨てることなく」という意味です。
そして、「常照衆」ではなくて「常照我」と著されています。「みんなを照らしています」ではなく、「私を照らしています」と。大悲に常に私が照らされていますという告白は、生きとし生けるものすべてが阿弥陀の慈悲の光明に包まれていることの確信なのです。

ときの長さは、慈悲の深さ
さて、阿弥陀如来が思惟された 「五劫」とは何でしょう?
「劫(こう)」とは、時の長さを表わします。どれくらいの長さかというと、一辺が40里(160キロメートル弱)の立方体の岩があったとします。そこに、100年に1度、天女が舞い降りてきて、羽衣でその岩を撫でてゆきます。その摩擦で岩が磨り減り、岩が無くなってしまうまでの時間・・・それでもまだ足りないのが「劫」です。「五劫」とは、その五倍の長さです。想像もつかないほど長い時間ということです。
では、「五劫思惟」とは、阿弥陀如来がそんなに長い時間悩みに悩んで、衆生救済に踏み切ったという意味かというと、そうではありません。
すべてのいのちが「そくばくの業」をそなえ、悩み苦しみを抱えながら生きています。その、すべてのいのちの生涯を、いのちを全うする姿を、阿弥陀如来はご覧になられたのです。当然、ただ見るだけではありません。「なんとかしなければ」と思わせる「悲しみ」もあれば、いつまでも争いを続ける人間に対する「怒り」や「あきらめ」もあったことでしょう。しかし、倦くことなく、すべてのいのちの生涯を受けとめたうえで、阿弥陀如来は衆生救済の願いを建てられました。
「五劫」とは「想像もつかないほど長い時間」ですが、人間の思議を超えた、「阿弥陀如来の慈悲の深さ」を表わしています。

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ネコの楽団が報恩講を賑やかにしてくれていますnote
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2017年10月13日 (金)

「やましいことはありません」という やましさ

2017年10月11日放送の「報道ステーション」
党首討論の場において、安倍首相は一国民 森友学園前理事長 籠池泰典被告に対し「詐欺を働く人物」と述べた。
現状、被告である。「詐欺をはたらいた」と決めつけられる段階ではない。それに、以前は籠池氏の学園運営姿勢に共感するとも述べていたにも関わらず、自身の疑惑への追及の中で、詐欺呼ばわりである。他者を利用し、自分の都合で見方を変え、排除する。そのような考え方をする人が首相という地位に恋々とする中で、共謀罪が適用されれば、全ての国民が詐欺(に限らないが)で捕まりかねない。

自身の都合悪さを隠そうとすると、どうしてもボロが出ます。

毎日新聞」 2017年10月12日配信 20:07配信より

 安倍晋三首相が11日夜のテレビ朝日系「報道ステーション」の党首討論で、小学校建設にからむ国の補助金を詐取したなどとして起訴された森友学園前理事長、籠池泰典被告(64)について「詐欺を働く人物」と述べた。法曹関係者は「司法の独立を侵す問題発言だ」と批判している。

 安倍首相は討論で、籠池被告への国有地売却の経緯について検証の必要性を問われ、自身や妻昭恵氏の関与を否定。「こういう詐欺を働く人物のつくった学校でですね、妻が名誉校長を引き受けたことはやっぱり問題だった。やはりこういう人だからだまされてしまった」と述べた。

 首相は行政府の長として、刑事事件で検事総長に指揮権を発動できる法相の任免権を持つ。元検事の郷原信郎(ごうはら・のぶお)弁護士は毎日新聞の取材に「刑事事件では推定無罪の大原則がある」と指摘。「籠池氏は起訴されたが黙秘しているとされ、公判も始まっておらず、弁明の機会がない。行政の最高責任者が起訴内容をあたかも確定事実のように発言するなど司法の独立の観点からあってはならない」と話す。【岸達也】


2017年10月12日 (木)

沖縄知事、国難だ「悲しい、悔しい、怒り」

2017年10月11日 沖縄県東村高江での米軍大型輸送ヘリコプターCH53の不時着(?)事故
12日の朝刊では、「毎日新聞」や「東京新聞」では、その事故を丁寧に伝えてくださっています。
が、「読売新聞」や「産経新聞」が熱心に取り上げるのは、10日に公示されたばかりの選挙動静。しかも「自公過半数越え」だとか・・・。
どこに軸足を置いているのかがよく分かる朝でした。

ひとつだけの情報ではなくて、いろいろな情報を読んでみましょう。
取り上げられていないことや、取り上げ方の大小の違いを比べるだけでも、大切な情報を感じ取ることができます。
同じ現実を見ていても、取り上げ方はさまざまです。私たちも同じです。
知らぬ存ぜぬではなく、自分なりに考えましょう。
私が、これからのいのちが歩む未来です。

毎日新聞」 2017年10月12日(木) 13:24配信より

<米軍ヘリ炎上>沖縄知事、国難だ「悲しい、悔しい、怒り」

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)所属の大型輸送ヘリコプターCH53が11日夕方に沖縄県東村(ひがしそん)高江の米軍北部訓練場付近の民有地に不時着後、大破し炎上した事故で、県は12日、防衛省沖縄防衛局や外務省沖縄事務所に抗議するとともに事故原因の徹底究明と同型機の飛行中止などを求める。また翁長雄志知事は同日、事故現場を視察した。

 翁長知事は事故現場を視察後、報道陣に対し「悲しい、悔しい、そして怒り。いろいろな米軍関係の事件や事故を思い出しながら、どのように国に訴えていくのかを考えている。ある意味でこのような状況を国が沖縄に強いているのが国難だ」と語った。

 事故機は2004年8月に沖縄国際大(宜野湾市)に墜落したヘリの後継機。沖縄県内では昨年12月に米軍垂直離着陸輸送機オスプレイが名護市沖で不時着し、大破する事故を起こすなど米軍機の事故や緊急着陸が相次いでおり、今回の事故で米軍に対する反発がさらに強まるのは必至だ。

 沖縄県の富川盛武副知事は12日、県庁で記者団に対し、在沖縄米軍トップのニコルソン沖縄地域調整官から11日に「クラッシュ(墜落)ではない。エマージェンシーランディング(緊急着陸)だ」と連絡があったと説明。「炎が出ており、クラッシュと変わらないという実感だ」と語った。

 一方、衆院選の応援で沖縄入りしていた自民党の岸田文雄政調会長は12日、選挙日程を取りやめて米軍ヘリの事故現場を訪れた。

 在沖縄米海兵隊は「飛行中の火災で北部訓練場外に緊急着陸した。現場へ急行し消火した」と説明。乗員7人にけがはなかった。現場は県道70号に近い米軍基地敷地外の民間の牧草地。最も近い民家までは約300メートル、高江小学校までは約2キロしか離れていない。

 高江地区周辺には県内最大の米軍施設である北部訓練場が広がり、訓練場の約半分の4000ヘクタールを返還する条件として昨年12月までに6カ所のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)が移設された。ヘリパッドは高江地区を取り囲むように配置されているため、周辺上空ではオスプレイやヘリが頻繁に飛行している。

 翁長知事は11日夜、記者団に対して「昨年の名護市での墜落事故から1年もたたないうちに米軍が再び県内で同様の事故を起こしたことに強い憤りを感じている。事故原因の徹底的な究明と早急な公表、原因究明までの同型機の飛行を中止するよう強く要請する」と述べた。また「一歩間違えば住宅地に墜落していた。県民の生命や財産がいかに危ういものかが感じられる」と強い不快感を示した。【佐藤敬一、川上珠実】

2017年10月 8日 (日)

現実的になる

2017年のノーベル平和賞に、「ICAN(アイキャン:核兵器廃絶国際キャンペーン)」が選ばれました。
核兵器廃絶を目指して活動し、「核兵器禁止条約」が採択されるのに貢献した国際NGOです。
「受賞おめでとうございます」と書くと、他人事のようです。世界の人々のために活動をされているのですから、「ありがとうございます」というのが、今の気持ちです。

今年(2017年)7月、核兵器の開発や保有などを法的に禁止する「核兵器禁止条約」が122の国と地域が賛成して採択されました。
日本がこの条約に交渉過程からボイコットしているのは、ご存じの通りです。
核兵器を保有もしくは保有が疑われる9か国(米国・ロシア・イギリス・フランス・中国・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮)も、この条約に関する交渉や投票には参加しませんでした。

「核兵器禁止条約」採択の準備が進む中、アメリカのヘイリー国連大使は、イギリスやフランスなどおよそ20か国の代表と並んで、「北朝鮮が核兵器の禁止に賛同すると思うのか。現実的になるべきだ」と述べて、条約作りに反対しました。
日本も追随し「核軍縮は、核保有国と非保有国が一緒になって段階的に進める必要があるとしています」という理由で、条約採択には背を向けています。ノーベル平和賞受賞が決まっても、政府は何のコメントも発していません。

日本(政府)が条約に反対するのは、落胆しつつも、「あぁ、そういう姿勢なんだ」と、ある意味納得してしまいます(納得している場合ではありませんが)。
アメリカのヘイリー国連大使が「現実的になるべきだ」というのをテレビで見たときから、そのセリフがこびりついて離れません。

「現実と理想」(「理想と現実」という言い方の方がシックリしますかね)というのは、よく語られる問題です。
現実に即せば、理想を語るのもはばかられる。理想の中味も小さくなる。
理想を追求すれば、現実と相反する。今私が生きている現実を否定することになる(のかな?)。
さも矛盾するかのように「現実と理想」は相容れないもののように語られます。
そこに違和感があります。

日本では衆議院が解散し、10月22日の投開票に向けて、日々目まぐるしく動いています。
選挙期間中、立候補者は「公約」を語ります(罵り合いではなく、どうか政策を語ってください)。
「公約」も、ある意味「理想」だと思います(当然、イコールではありません)。
「安定した社会制度」などと言われれば、「ぜひ実現を!!」と願いたくもなるけれど、「財源は?」という問いかけも出て来ます。それに、「安定した社会制度」を築く気があるのであれば、解散なんかしなくても出来るはずだろ!!と突っ込みたくなります。
「原発ゼロ」を訴えると、「そんなことできるわけない」「電力の安定供給のために必要だ! 現実を見ろ!」と罵声を浴びます。現実を見ろというのであれば、原発の危険性という現実も見てほしいですが。それに、「原発ゼロ」を公約にする党の代表は、核武装論者なので、その公約を額面通り信用できない現実もあります。

あ、少しづつ横に逸れてしまってる。
今書きたかったことは、「理想」を語ることは悪いことでもないし、現実をまったく見ていないわけでもないし、前に進むためには必要なことです!ということ。
現実を見ているから、被爆の現実を見たからこそ、核兵器は使ってはいけない、核廃絶を訴えているのです。賛同する人々がいるのです。
「現実的になれ!」という言葉で押さえつけようとする背後には、どんな想いがあるのだろう?

それから、「憲法改正」も公約に盛り込む党が出て来ました。
「現実に即して、憲法を改正する」などと言っていますが、それがどんなに恐ろしいことか。
平和主義という大きな理想を掲げ、そこに向かって不断の努力をするために現憲法がどれだけの力を持ってきたことか。現実世界が戦争に向かいそうになっても、平和への舵取りをするために憲法があるのに、戦争に向かいつつある現実に合わせて「憲法を改正する」と時の権力者が言ったならば、それは「戦争をできように憲法を改正しますから」と言っているようなもの。まさに、それが現実です。今の日本で、現実に起きていることです!
10月22日(日)は投票に行きましょう。

現実を見つめると、理想がどれだけ必要なものかが痛いほどに分かります。
というより、現実から理想は生まれ、理想が現実を形作る。そしてまた理想が生まれ・・・
そう考えると、理想の実現が必ずしも良い状況を生むとも言い切れないことは、人類の歴史が証明しているわけですが、理想が強く語られる時代(とき)ほど、現実社会は危機的状況を迎えています。

2017年10月 2日 (月)

2017年10月のことば

セミの声が、かすかに聞こえてきます。
キンモクセイの匂いが漂っています。
葉が色づき始めました。
秋が近づいていますね。

秋の夜、静けさが身にしみるのはなぜでしょう?
不思議ですね。

衆議院が解散され、北朝鮮からミサイルが飛ばなくなり、Jアラートとやらも鳴らなくなりました。
静かになりましたね。なぜでしょう?
おかしいですね。

涼しくなってきました。おからだお大事にjapanesetea

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 いのちは
 みんな
 母なる海に還ります
 みんな一緒だから
 淋しくないよ

秋の景色
秋のお彼岸を迎える前、墓地の彼岸花が咲きました。彼岸花は、その名の通りお彼岸に花を咲かせます。「今年は天候不順だね」なんて会話を交わすような年でも、きちんとお彼岸に合わせて花を咲かせていたものでした。
ここ数年、彼岸花の咲く時期が早くなった気がします。律儀な彼岸花の開花時期をも狂わせるような異常気象になってしまったのでしょうか。

一年を通して常のこと
秋を迎え、掃除をしていると「秋は落ち葉が多くて大変ですね」と声をかけられます。しかし、落葉(らくよう)は、一年を通して常のことです。秋だけが大変なわけではありません。
「掃除をされているから、いつもきれいですね」とも声をかけられるのですが、ホウキを手に掃除をしていると、ちょっと複雑な気持ちになります。
落ち葉をすべて掃き集めて取ってしまえば、何も無いという意味では「きれい」です。しかし、葉が、やがて木から離れ、地上に落ちる姿というのは、いのちあるものが、いのち終えて往く姿を表わしています。落ち葉が地上にたまりゆく姿は、果たして汚いのでしょうか? 散らかっているのでしょうか? 掃き掃除をしながら、そんなことを想っています。

先に、落葉は秋だけのことではないと書きました。これから寒い冬を迎えます。「寒くなると、亡くなる方が増えるでしょ?」などとよく聞かれます(確認されているのでしょうか?)。確かに、寒さが厳しくなると、お亡くなりになる方は増える気がします。しかし、人のいのちも、厳冬にのみ去りゆくわけではありません。落葉が秋のことだけではないように、人の死もまた、冬だけの話ではありません。一年を通して常に、阿弥陀さまの元に還って往くいのちがあります。

いのちは長短では計れない
いのちあるものは、やがていのち終えてゆきます。人間だけでなく、あらゆるいのちが。動物だけでなく、植物も同じです。
価値観という眼を持つ人間は、生の長さや短さ、その内容でもって、先往く人の人生を評価してしまいます。
 「あんなに頑張っている人が、若くして亡くなるなんて! 早すぎる死だ」
 「あれだけの功績を残したのだから、あの人の人生は充実していたね」
そんなセリフを耳にするとき、人は、他者(ひと)のことを、どこで見ているのだろう? と、考えてしまいます。

先月の寺報で、8月に亡くなられた田口弘さんのお話を書きました。全盲になりながらも、親鸞聖人の教えに出遇い、聖人の教えを一人でも多くの人に伝えることを大切に願われた僧侶です。56歳で亡くなられました。
 「死ぬには早すぎる」
 「まだやり残したことがあるだろうに」
などという声が聞こえてきました。  田口さんを慕うが故の、こころの底からの声であることは分かるのですが、そのような声に違和感もありました。そんなとき、田口さんと深い親交の あったある住職が、「彼は完全燃焼したんだよ。精一杯生きたんだ」と仰っているということを伝え聞き、ホッとした気持ちになりました。
いのちは、その長短や功績で、遺された者が評価をくだすものではありません。たとえ若くして亡くなっても、たとえ長生きしても、たとえどのような生涯を送ろうとも、終えて往くいのちは、すべてみな「完全燃焼」して「精一杯生きた」いのちなのです。先往く人は、完全燃焼し、精一杯生きた姿を、私に見せてくださっているのです。そこに、 自然に手が合わさりませんか?

物語も終わりに近づき
「終活(しゅうかつ)」ということばが流行り、自分の終焉について考える人が増えたと聞きます。「自分の死後、遺された者に迷惑をかけたくないから、葬儀について決めておきたい」と。それも終活のひとつでしょうが、果たして、何を遺して往くべきでしょうか?
落ち葉が掃き掃除されて、「きれいになりましたね」と喜ばれるような人生を送るのか。落葉した葉であっても、そこにいのちを感じてもらえるような人生を送るのか。
今までの生き方を見直したり、いのちについて考えたり。それこそが「終活」ではないでしょうか。

ネクタイの締め方はね、
9月に入り、長崎に住む伯父を亡くしました。人が亡くなるということは、とても大変なことです。そもそも、  迷惑をかけない死などありません。また、それでいいのです。遺された者の胸に悲喜こもごも想いを抱かせ、先往くいのちは、大きな海(あみだ)へと還っていきます。
9月末、出かける際にネクタイを締めていて、ふと思い出しました。学生の時、伯父にネクタイの締め方を習ったことを。ネクタイなどしたことがない私は、教わった通りに締めてみても、前が長くなったり、後ろが長くなったり・・・前が長くなりすぎて金太郎みたいになったりして。その度に、周りで見ていた伯父と伯母と母が声を出してゲラゲラ笑っていました。あのときのやりとりは面白かったなぁ。
今月のことばは、容体の急変した伯父に急きょ郵送したことばです。ことばが届いた翌日、息を引き取りました。棺に入れてくださったそうです。
いのちはみんな、母なる海に、私を包みこんでくださっている阿弥陀さまの元に還ってゆくからね。私もそのうち還るから。だから淋しくないよ。
南無阿弥陀仏

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リスとフクロウ
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2017年9月 3日 (日)

2017年9月のことば

9月になりました。
暑さは続きますが、朝晩の涼しさや、鈴虫の泣き声・トンボの飛来が、秋の訪れを予感させます。
季節の変わり目は、体調を崩しやすいです。皆様、お気をつけてpaper

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 あらゆる自由は奪われても
 念仏する自由は奪われない

自分の姿を受け入れて生きる
8月半ば 朋友の田口弘さんが阿弥陀さまのもとへ還られました。
7月の終わりに一緒に食事をし、8月の頭に一緒に勉強会に参加していました。「最近続けて会っていたのに、何を話したかなぁ・・・」。諸行無常を口にしながら、目の前にいる人(いのち)との時間を共有しているだろうか? と、振り返っています。

田口弘さん。真宗大谷派僧侶。幼少の頃より弱視で、やがて視力を失います。
弱視ということで、学校ではいじめを受けました。いじめる者たちを見返すために勉強に励み、優秀な高校に入学します。しかし、やがて成績も振るわなくなり、弱視である自分をみじめに思い、自殺を考えることもありました。
そのようなときに、長川一雄先生(真宗大谷派僧侶)と出遇われます。

田口さんが打ち明けます。
「せっかく一流高校に入って、いじめたやつらに勝ったのに、勉強が追いつかなくなった。私はもう自慢できるものがない、寂しい人間です」

長川先生は語りかけます。
「君は差別の意識をすごく持っている。自分は目が不自由で、つらいつらいって言うけれども、目が不自由な人のことをとても強く差別しているんじゃないか。君は目が不自由だということを悪いことだと思い込んでいる。そりゃあ、障害を持っている人は、世の中の競争では不利でしょう。だけど、世間の競争に参加するために君は生きているんじゃない。君が勝とうが負けようが、生きることを願われているんでしょう」
(真宗大谷派宗務所発行 「同朋新聞」2009年3月号より)

「自分の今の姿をちゃんと受け入れて生きるということが浄土真宗の教えなんですよ」と、長川先生に語りかけられ、自分を認めていないのは、自分自身であったことに目覚め、田口さんの聞法生活が始まります。
長川先生の勧めで京都の大谷専修学院に入学し、真宗大谷派僧侶となりました。学院卒業後、北海道の旭川別院で4年間勤めた後、東京に戻り、四谷坊主バーを始められます。お店ではカウンターのはじに座り、おもむろに立ち上がり、法話をされました。悩み事を聞いてもらいにお店を訪ねる方も後を絶ちませんでした。
「私と一緒に仏法を聞いてください。ともに親鸞聖人の教えを聞きましょう」という願いを、田口さんは持ち続けておられました。

私のことも見てくださっていたんだ
田口さんとの思い出話です。
田口さんを含めて仲間数名で食事をしていたときの話。メンバーの中の、独身者のお相手は、どのような女性がお似合いだろう? という話になった際、みんなは当たり障りのないことを言うのですが、田口さんは、個々の性格を驚くほどちゃんと見ていて、「〇〇君には、このような人がいいんじゃないかなぁ」と、誰もがうなる想いを述べられました。もちろん私に対してもです。
ある研修会に参加したときの話。 車で来ていた私に、田口さんから「品川駅まで送ってくれませんか?」と声をかけられ、お乗せしました。助手席に座っている田口さんが、「あ、今、どこそこを走っているね。ここは昔海でねぇ。子どもの時釣りをして遊んだもんだよ」と語り始めたのでビックリしました。もちろん正解です。

聞法の場に行くと、必ずといっていいほど田口さんがいました。田口さんを知る人は、「田口さん、こんにちは」と声をかけます。恥ずかしい話、私は、みんなのように自然に声をかけることがなかなかできませんでした。そんな私のことも、田口さんはちゃんと見てくださっていたのだと思います。車で送っているときに話していて、「田口さんには、私たちに見えていないものが、ちゃんと見えているんだ!」と感じました。

念仏する自由
私たちはよく「自由」を口にしますが、果たして「自由」って何でしょう?
「自分の人生だから、何をしたって自由だろう!」「自分のやりたいようにできなくて不自由だ!」などと言いますが、多くの人々(いのち)と交わりながら生きている私です。私の思いだけがまかり通るはずもなく、私だけが不自由を感じているわけでもありません。
目が見えない不自由さから、他者に対する怒りやねたみを、田口さんは かつて持っていました。しかし、長川先生との出遇いを縁として、他者だけでなく、自分自身をも傷つけながら生きてきたことに気が付きます。
人間とは厄介なものです。自由を奪っていたのは、実は自分自身でした。 自分で自分を認められない。その不自由さは、大きないのちに守られながら生きていることに気付いていないゆえに生じます。

「念仏する自由」とは、「『南無阿弥陀仏』と念仏する自由」という意味ではありません。念仏は、すべての生きとし生けるものを救いたいという阿弥陀如来の願いです。阿弥陀の眼には、すべてのいのちが平等に見えています。私を救いたい、私を守りたいという大きな願い。その御手に包まれながら、今、 私はここに生きている。その温もりを、田口さんは、感じられたのです。
「念仏する自由」とは、私が私のままに生きられる自由。その自由は、誰にも侵されません。誰にも奪われません。阿弥陀さまに守られているのですから。念仏する生活を、田口さんは生涯尽くされました。南無阿弥陀仏

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柿の上で眠るネコ。ガラス細工です。
8月に長崎に行った際、大浦天主堂前の素敵なガラス細工をたくさん売っているお店で買ってきました。
祈りの丘 絵本美術館にも寄りました。
長崎にお出かけの際はぜひ!!

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2017年8月13日 (日)

深堀好敏さんからのメッセージ 2017年長崎平和祈念式典より

長崎・平和祈念式典 「平和への誓い」 深堀好敏さん

原爆が投下された1945年8月9日、私は16歳。爆心地から3・6キロ離れた長崎県疎開事務所に学徒動員されていました。11時2分、白い閃光(せんこう)と爆発音を感じ慌てて机の下にもぐり込みました。夕方、帰宅命令が出て、私は学友と2人、金比羅山を越えて帰ろうと山の中腹まできたところ、山上から逃げてくる多くのけが人に「山の向こうは一面火の海だから…」と制止され、翌朝、電車の線路に沿って歩き始めました。長崎駅の駅舎は焼け落ち、見慣れた町並みは消えてなくなり、別世界に迷い込んだようでした。ようやく辿(たど)りついた山王神社近くの親せきの家は倒壊していました。その中で家の梁(はり)を右腕に抱きかかえるような姿で18歳の姉は息絶えていました。あの時、私が無理をしてでも家に帰っていれば、せめて最期に声をかけられたのではないかと、今でも悔やまれてなりません。そのあと大学病院へ向かい、さらに丘を越えると眼下に浦上天主堂が炎上していました。涙があふれ出るとともに怒りを覚え、「ああ、世界が終わる」と思いました。 ここ平和公園の横を流れる川には折り重なって死体が浮いていました。私は、三ツ山に疎開していた両親に姉の死を報告し、8月12日、母と弟と3人で材木を井桁に組み、姉の遺体を荼毘(だび)に付しました。その日は晴天でした。頭上から真夏の太陽が照りつけ、顔の正面からは熱気と臭気がせまり目がくらみそうでした。母は少し離れた場所で地面を見つめたまま、ただ祈り続けていました。

たった一発の原子爆弾は7万4千人の尊い命を奪い、7万5千人を傷つけました。あの日、爆心地周辺から運よく逃げ延びた人々の中には、助かった喜びも束(つか)の間、得体(えたい)のしれない病魔に襲われ多くが帰らぬ人となりました。なんと恐ろしいことでしょう。私は「核は人類と共存できない」と確信しています。2011年3月、福島第一原子力発電所の事故が発生し国内の原発は一斉に停止され、核の脅威に怯(おび)えました。しかし、リスクの巨大さに喘(あえ)いでいる最中、こともあろうに次々と原発が再稼働しています。地震多発国のわが国にあって如何(いか)なる厳しい規制基準も「地震の前では無力」です。原発偏重のエネルギー政策は、もっと自然エネルギーに軸足を移すべきではないでしょうか。戦後「平和憲法」を国是として復興したわが国が、アジアの国々をはじめ世界各国から集めた尊敬と信頼は決して失ってはなりません。また、唯一の戦争被爆国として果たすべき責務も忘れてはなりません。

私は1979年、原爆で生き残った有志6人で原爆写真の収集を始め、これまでに様々な人たちが撮影した4千枚を超える写真を収集検証してきました。原子雲の下で起きた真実を伝える写真の力を信じ、これからも被爆の実相を伝え、世界の恒久平和と核廃絶のために微力をつくすことを亡くなられた御霊の前に誓います。

2017年(平成29年)8月9日 被爆者代表 深堀好敏


朝日新聞DIGITAL HPより)

2017年8月12日 (土)

2017年 長崎平和宣言

2017年8月9日 長崎平和宣言

 「ノーモア ヒバクシャ」  この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。  核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。  私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。  しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。    核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。  安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

 日本政府に訴えます。
 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。
 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

 私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。
 あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。
 世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。
 遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。
 
 人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。
 世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。
 今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7,400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。
 
 被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。
 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。
 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

2017年(平成29年)8月9日 長崎市長 田上富久


(長崎市HPより)

 sun

2017年8月9日(水) 早朝から暑さと眩しさに襲われた日でした。
しかし、原爆が投下され、上空で爆発し、熱線を浴びた方々が その肌で感じた熱さはどれほどのものだったことでしょう。想像を絶します。
一度手にした武器を手放せない人間の弱さ
一瞬でも相手への脅威を感じてしまうと ぬぐい去れない 相手への恐怖心
仮想敵国の脅威を煽り、武器の売買を正当化し、その経済効果による恩恵を目論む ほんの少数の権力者・関係者たち
それらが集まって、人類は結局は自分で自分の首をしめている。

被爆された方々が挙げてくださっている声を聞き、声に聞く

2017年 広島平和宣言

2017年8月6日 広島平和宣言

皆さん、72年前の今日、8月6日8時15分、広島の空に「絶対悪」が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で何が起こったかを思い浮かべてみませんか。鋭い閃光がピカーッと走り、凄まじい放射線と熱線。ドーンという地響きと爆風。真っ暗闇の後に現れた景色のそこかしこには、男女の区別もつかないほど黒く焼け焦げて散らばる多数の屍(しかばね)。その間をぬって、髪は縮れ真っ黒い顔をした人々が、焼けただれ裸同然で剝(は)がれた皮膚を垂らし、燃え広がる炎の中を水を求めてさまよう。目の前の川は死体で覆われ、河原は火傷(やけど)した半裸の人で足の踏み場もない。正に地獄です。「絶対悪」である原子爆弾は、きのこ雲の下で罪のない多くの人々に惨(むご)たらしい死をもたらしただけでなく、放射線障害や健康不安など心身に深い傷を残し、社会的な差別や偏見を生じさせ、辛うじて生き延びた人々の人生をも大きく歪めてしまいました。

このような地獄は、決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄(ほの)めかす為政者がいる限り、いつ何時、遭遇するかもしれないものであり、惨(むご)たらしい目に遭(あ)うのは、あなたかもしれません。

それ故、皆さんには是非とも、被爆者の声を聞いてもらいたいと思います。15歳だった被爆者は、「地獄図の中で亡くなっていった知人、友人のことを偲(しの)ぶと、今でも耐えられない気持ちになります。」と言います。そして、「一人一人が生かされていることの有難さを感じ、慈愛の心、尊敬の念を抱いて周りに接していくことが世界平和実現への一歩ではないでしょうか。」と私たちに問い掛けます。

また、17歳だった被爆者は、「地球が破滅しないよう、核保有国の指導者たちは、核抑止という概念にとらわれず、一刻も早く原水爆を廃絶し、後世の人たちにかけがえのない地球を残すよう誠心誠意努力してほしい。」と語っています。

皆さん、このような被爆者の体験に根差した「良心」への問い掛けと為政者に対する「誠実」な対応への要請を我々のものとし、世界の人々に広げ、そして次の世代に受け渡していこうではありませんか。

為政者の皆さんには、特に、互いに相違点を認め合い、その相違点を克服するための努力を「誠実」に行っていただきたい。また、そのためには、核兵器の非人道性についての認識を深めた上で、自国のことのみに専念して他国を無視することなく、共に生きるための世界をつくる責務があるということを自覚しておくことが重要です。

市民社会は、既に核兵器というものが自国の安全保障にとって何の役にも立たないということを知り尽くし、核を管理することの危うさに気付いてもいます。核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です。そのような核兵器を保有することは、人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎないと言って差し支えありません。

今や世界中からの訪問者が年間170万人を超える平和記念公園ですが、これからもできるだけ多くの人々が訪れ、被爆の実相を見て、被爆者の証言を聴いていただきたい。そして、きのこ雲の下で何が起こったかを知り、被爆者の核兵器廃絶への願いを受け止めた上で、世界中に「共感」の輪を広げていただきたい。特に、若い人たちには、広島を訪れ、非核大使として友情の輪を広げていただきたい。広島は、世界の人々がそのための交流をし、行動を始める場であり続けます。

その広島が会長都市となって世界の7,400を超える都市で構成する平和首長会議は、市民社会において世界中の為政者が、核兵器廃絶に向け、「良心」に基づき国家の枠を超えた「誠実」な対応を行えるような環境づくりを後押ししていきます。

今年7月、国連では、核保有国や核の傘の下にある国々を除く122か国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。こうした中、各国政府は、「核兵器のない世界」に向けた取組を更に前進させなければなりません。

特に、日本政府には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい。また、平均年齢が81歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々に寄り添い、その支援策を一層充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

私たちは、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、世界の人々と共に、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

平成29年(2017年)8月6日  広島市長 松井一實


広島市HPより)

2017年8月 1日 (火)

2017年8月のことば

8月に入りました。全国的に不安定な天気で、いろいろな地域で豪雨の被害が出ています。
被害に遭われた皆様の生活が、一刻も早く回復されますことを念じます。
とともに、猛暑・酷暑ゆえ、いつどこで天候被害が起こるか分かりません(どこでも起こり得ます)。共に、気をつけましょう。
こういうときこそ、助け合い・支え合いの気持ちでshine

今日のブログ「2017年8月のことば」をアップする前にテレビをつけたら、ちょうどNHK「クローズアップ +(プラス)」の始まるところでした。
タイトルは「“死”をどう生きたか 日野原重明 ラストメッセージ」
掲示板8月のことばは、日野原先生のことばからいただきました。
日野原先生の活動や考え方をお慕い申しておりましたが、テレビを見ていて、「あぁ、テレビやネットや本で先生のお人柄のほんのちょっとでも触れていた気でいたけれど、全然だったなぁ」と、恥ずかしい気持ちになりました。

周りの人々への感謝の気持ちを最期まで持ち続け、
いのちは若いときにピークを迎えたら後は下がっていくだけ・・・ではなくて、精神的にはどんどん成熟していくという観点を与えてくださり、
自身の最期を堂々と引き受けられるのではなく、やはり逡巡・葛藤する姿を見せてくださり、死も含めての生を生きるということを体現された日野原先生。
ありがとうございます

 bud bud bud

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 鳥は飛び方を変えることはできない
 しかし人間はいつからでも生き方を変えられる
                       日野原重明

人間は生き方を変えられる
2017年7月18日、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんが亡くなられました。105歳でした。
子どもたちに平和と命の大切さを伝えるために、全国の小学校で「いのちの授業」を行ないました。
また、日本は75歳以上を「後期高齢者」と呼び、身も心も老いに追いやられてしまうような環境にありますが、「75歳からは第3の人生です」と提唱し、日野原先生が88歳の2000年に「新老人の会」を結成しました。「新老人の会」結成の根幹には、「老いてこそ、創造的に生きられる。新しいことにチャレンジする勇気を持ちたい」という想いが込められています。
2年ほど前、その「新老人の会」の大会で「人間は生き方を変えられる。自分に与えられた時間を他人のために使ってほしい」と講演をされました。

今月のことば「鳥は飛び方を変えることはできない しかし人間はいつからでも生き方を変えられる」は、日野原先生のフェイスブックのカバー写真に掲載されています。
インターネット上の交流サイト「フェイスブック」を、日野原先生は100歳になってから始められたそうです。まさに、「老いてこそ新しいことにチャレンジ」を体現されていました。
「人間は生き方を変えられる」とは、日野原先生の全生涯が発する強いメッセージであると感じます。

日野原先生は、1970年3月31日、58歳の時に「よど号」ハイジャック事件に遭遇します。ハイジャック機に監禁され、死をも覚悟します。無事に解放され、そのときのことを述懐されています。
「あの事件で人生観が変わった。これからは与えられた寿命なのだ。与えられた命を、人のために捧げようと思う。新たな人生をどう生きるかと考えたとき、誰かに恩を受けてその人に恩返しをするのは当たり前だが、むしろ関わりなき人にも私が受けた恵みを返すべきではないかと気付いた」と。

「生き方を変えられる」とは?
「生き方を変えられる」・・・どのようなときに、生き方を変えたいと考えますか?
 物事が上手くいっていないとき? 
 困難な出来事に遭遇したとき?   
 自分自身が嫌いになったとき?
いずれにしても、マイナスの状況をプラスに転じたいときに、生き方を変えたいと考えることが多いのではないでしょうか。でも、そんなときって、マイナスの要因を外に求めてしまうものです。つまり、他者(ひと)のせい。
そうすると、生き方を変えたいとは思っても、私自身を変えようとは思わないわけです。私自身が変わらずに、というか、私自身のことを見つめることなしに生き方を変えたいと願うことは、結局、飛び方を変えられない鳥と同じことではないでしょうか。

淋しいけど楽しい
過日、奥様のご法事をお勤めになられた旦那さんが、お気持ちをお話しくださいました。
「妻に先立たれて淋しいです。淋しいんですけど、とても楽しいんです。周りのみんなに助けられて、ありがたいなぁって感じます。子どもたちをはじめ、いい人たちに巡り会えたなぁって、感謝の気持ちでいっぱいです」
と、手を合わせながら語られました。
「淋しいけど楽しい」・・・一般的感覚では、「淋しい気持ちが強すぎて、楽しい気持ちになんてなれない」かもしれません。けれど、「淋しいけど楽しい」という矛盾して聞こえる感覚が、人間には起こり得ます。「悲しいけど嬉しい」とか、「憎いけど愛おしい」とか。
矛盾した感覚を同時に味わったり、いろいろな感情が入り交じった感覚に襲われたり。そのような感覚にこころが揉まれることを通して、「あぁ、自分で思い描く事柄って、ちっぽけだなぁ。自分で想定している感覚って、たいしたことないなぁ。自分の想いや力を超えた、もっと大きなものに、私は包まれていたんだなぁ」なんて感じることがあるはずです。そんなとき、人生観が変わったり、人生の奥深さを感じたりします。
「生き方を変えられる」とは、そういうことではないかなぁと想います。

よく考えると、「生き方を変えられる」といっても、電車が線路を変更して走るように、人間が人生という線路を変更して生きることなどできません。幾つも選択肢があって、そのつど選びながら生きてきたような気でいますが、そもそも私が生きる道は一本道です。私の人生で、出会う人々、経験する出来事、身に降りかかる困難に変わりはありません。しかし、目の前にいる人に何も感じず通り過ぎるのか、何かを感じながら生きるのかで、同じ道を歩みながらも、内容は大きく変わります。
私が生きてきた道を振り返ると、多くの人々の支えのおかげで生きてきた。その気付きが、周りへの感謝や大きなはたらきへの感動を生み、手が合わさる生活が始まります。そのような変化が、「生き方を変えられる」姿だと、先の旦那さんの話を聞いて思いました。
日野原先生は、ハイジャック事件を契機に「人のために生きる」と誓われました。行動として「人のために生きる」という側面も当然ありますが、それ以前に、「この人のおかげで私がいる」「この出来事のおかげで私が私となった」という感動が、先生の中に湧き起こったのだと思います。

昨年10月4日に出版された著書『僕は頑固な子どもだった』(株式会社ハルメク発行)に先生は語られています。
「最期の時には、ただ、感謝の思いだけを伝えたい」と。

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「金魚すくいをしているクマ を、見ているクジラ」という構図ですhappy01
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2017年7月31日 (月)

2017年7月の寺報より

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子どもがこんなこと言おうものなら、絶対怒ると思うのですが、
この国では、政治を司る方々がこのような発言をしても平気でスルーされてしまうのですね(涙)
子どもたちは、一生懸命 学んでいます!!

2017年7月29日 (土)

自分を高みにおいて反省しても、何も変わらない

「信頼の回復に努めたいと思います」

「求心力が低下し・・・」

聞き流してしまうけれど、よく考えてみると、

元々 信頼なんてされてなかったじゃん!

求心力なんてあったっけ?

ということに気が付かないと、

信頼の回復も 求心力の向上も 覚束ない。

信頼なんてされてなかった!

求心力なんて持ち合わせてなかった!

そんな自分が見えたときが、回復・向上のスタートラインに立ったところ。

・・・それでも、スタートラインに立って、どっちの方向を見ているのか?(どんな未来を見据えているのか?)という問題があるのだけど

2017年7月23日 (日)

誰だって、ひとりでは生きられないし、生きていない。

相模原市の「津久井やまゆり園」で入所者19人が刺殺された事件から7月26日で1年。
昨年7月下旬は、東本願寺夏安居参加のため、京都で生活。26日早朝、起きてテレビをつけたら、この事件を報道していました。始めは、何が起こったのかすら理解できませんでした。

今朝(2017年7月23日)の「東京新聞」朝刊に、植松被告からの手紙の内容について記事が書かれていました。
植松被告からの手紙とは、東京新聞記者が横浜拘置支所に拘留されている被告に対して出した手紙への返信。

手紙には、「意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだ」とあり、差別的な考え方に変化がない旨、記事で書かれています。

「意思疎通がとれない」・・・果たして、どれだけの人間が、他者(ひと)と意思疎通をとれているというのでしょうか? 意思疎通がうまくとれない者どうし、それでも分かり合いたい、認め合いたいという意志を持っているからこそ、この世はさまざまな人間が、それぞれの世界で生きているのでしょう。

自分は意思疎通をとれている。その想い(勘違い)が、他者を非人間化してしまう。自分こそは人間であるという思いでいるのだろうか? しかし、他者を非人間として見ている者は、自分で自分を非人間化していることに気が付かない。

2017年7月10日 (月)

お暑うございます

2017年7月8・9日(土・日) 西蓮寺 新盆合同法要をお勤め致しました。
酷暑の中、お参りくださいました皆様 ありがとうございます お疲れ様でした。
これだけ暑いと、土曜日にあげた墓地花が今日(月曜日)には枯れてしまっています。昨日のお花も、既にシュンとなっています。朝、水をさしてあげているのですが、すぐに干上がってしまいます。
長女は、暑い中 熱を出して寝ています。かわいそうに。酷暑の候、皆様もお気をつけてpaper

2017年7月 9日 (日)

ただ悔しくて

核がどんな世界をもたらすか 知っているはずなのに

朝日新聞デジタル 2017年7月8日(土)配信

核兵器禁止条約採択、米など反発 日本は「署名しない」

核兵器の使用や保有などを法的に禁ずる核兵器禁止条約が7日午前(日本時間7日深夜)、米ニューヨークの国連本部での条約交渉会議で採択された。「核なき世界」を長年訴え続けてきた被爆者や条約推進国の関係者らは歓喜に包まれた。しかし、米国など核保有国は批判声明を出して反発、日本政府も同調する。

この日は交渉会議の最終日で、国連加盟193カ国中124カ国が投票に参加。122カ国が賛成した一方、北大西洋条約機構(NATO)に加わるオランダが反対し、シンガポールが棄権した。採択の直後、会場は拍手と歓声に包まれ、交渉に加わった被爆者や政府代表団らが抱き合うなどして喜び合った。

中心となって交渉を推し進めたオーストリアのハイノッチ大使は採択後の演説で「被爆者の証言が私たち(推進側)を鼓舞してきた」と感謝を述べ、「この惑星を核兵器のない、より安全な場所にしていきましょう」と呼びかけた。

カナダ在住の被爆者サーロー節子さん(85)は最後に発言の機会を与えられ、「(核禁条約採択の)こんな瞬間が来るなんて考えたこともなかった」と述べた後、世界各国に署名を力強く呼びかけると、会場内の外交官らは総立ちになって拍手を送った。

国連のグテーレス事務総長は「核なき世界という共通の願いに向けた重要な一歩だ」と歓迎する声明を出し、「長く停滞してきた核軍縮の達成に向け、対話と新しい国際協調を促進することを望む」と述べた。

条約は核兵器の使用、開発、実験、製造、取得、保有、貯蔵、移転などを幅広く禁止。核使用をちらつかせる「脅し」の禁止も盛り込まれた。また、核兵器の使用や実験の影響を受けた人々に医療などの援助を提供することもうたった。

一方、条約交渉をボイコットした核保有国や同盟国も採択後に反応した。
米英仏は共同声明で「我々は(核禁条約に)署名も批准もするつもりはない」と宣言した。さらに「安全保障環境の現実を明らかに無視している。(核禁)条約は、70年以上にわたって欧州と北アジアの平和維持の要となってきた核抑止政策と相いれない」と断じて批判した。
日本の別所浩郎・国連大使は採択後、国連本部内で記者団に「日本が署名することはない。今後も核兵器のない世界をめざし、核保有国と非保有国の信頼関係を構築するため努力する」と米国などに同調する姿勢を示した。日本は「北朝鮮の脅威といった現実の安全保障問題の解決に結びつくとは思えない」と3月の交渉会議初日に表明し、以降交渉に参加しなかった。

各国の署名手続きは9月20日に始まる。批准国数が50カ国に達した後、90日をへて発効する。批准しない国には効力が及ばない。だが、条約の推進国側には、核兵器の「非人道性」を強調することで各国の世論を喚起し、核兵器の廃絶を後押しする狙いがある。
(ニューヨーク=金成隆一、松尾一郎)


«植え付けられた「恐怖心」によって、他者を貶める。自分も、他者から見れば「他者」。

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