2025年5月 2日 (金)

2025年5月のことば

2025年も5月を迎えました。暑くなりそうでいて、ひんやりする日、身震いする日がありますね。体調崩されませんように。

去る4月14日~18日、練馬区谷原の真宗会館において、真宗大谷派 東京教区「慶讃法要」をお勤めしました。
従来の法要とは趣を変え、日々色合いの違う法要が勤まりました。
5日間真宗会館におりましたが、最前線で慶讃法要を堪能させていただき、充実した毎日でした。
ご参拝いただいた皆様、運営側の皆様、ありがとうございました。

ふと思う。50歳を迎える前くらいまでは、自分が身を動かして物事に従事していたけれど、いつの間にか 周囲が動いてくれる立場に身を置いていることを(その分、責任ある立場に身を置いていることも肝に銘じています)。
若い方々が、やらされてではなく、率先して法要に関わり、勤め、身を動かしている。
あぁ、素晴らしい光景だなぁ、素敵な人たちだなぁと感嘆する。慶讃法要を一緒にお勤めできて、よかった。ありがとう

今月のことばは、今年に入って、金沢の友人(真宗大谷派僧侶)から教えてもらったことばを掲示。
毎月掲示板のことばを読んで、「なるほどなぁ」「いいことばだなぁ」「ちょっと何言ってるんだかわからないんだけど」「納得できないなぁ」など、思いを巡らされている方からすると、「え!?」と思われるかもしれません。
「あたわり」ということばだけ掲示しているのですから(註は付しておきましたが)。
以下、今月のことばのいただきを綴りましたので、ブログをお読みのあなたも「あたわり」についてお味わいください。
南無阿弥陀仏

 🐟 🐟 🐟

2025年5月のことば

50707

 

あたわり

【北陸地方の方言】
「すべては阿弥陀さまからのたまわりもの」の意

あたわり 
金沢出身の友人(僧侶)から教わりました。「北陸には、『あたわり』という言葉があるんですよ」と。
「与えられたもの」という意味で、「ひとり一人に与えられた使命や宿命」として語られることもあるけれど、その根本は「阿弥陀さまからたまわったものである」という思いを大切にされてのことばであるという。
北陸は「真宗王国」と表現されるほど浄土真宗篤信の地として知られています。それだけ親鸞聖人の教えを、「南無阿弥陀仏」の念仏を大切に生きる方が多いのです。
北陸の方は、なにか物事をなすとき、出来事に巡り合ったとき、「阿弥陀さまからのたまわりもの」であるといただき、「あたわった」と表現されます。嬉しいこと、喜ばしいことばかりを「あたわり」と表現されるのではなく、悲しいこと、つらいこともまた「あたわり」といただかれます。
そのことは、受け容れ難いことを受け容れるための人間の知恵として「阿弥陀さまからのたまわりもの」と考えたわけではありません。また、達観したわけでも、諦めの気持ちを紛らわすために言われたわけでもありません。心底、阿弥陀さまからのたまわりものであると、いただかれているのです。

他力というは
親鸞聖人は説かれました。
他力というは、如来の本願力なり」(『教行信証』「行巻」)

「他力」とは、「阿弥陀如来が、衆生救済を願うはたらき」である、と。
(衆生:しゅじょう・・・すべての生きとし 生けるもの)

現代日本社会において、自分の力で励み、努力し、結果を出すことが価値あることとされます。
それゆえに「他力本願ではダメだ」「他力頼みではいけない」などと言われます。
しかし、「他力」とはそもそも、他人の力を当てにすることでも、他人の力を借りることでもありません。すべての生きとし生けるものを救いたいと願う、阿弥陀如来の本願力を「他力」というのです。阿弥陀如来が衆生を想う慈悲心をいただいているからこそ、辛苦の世の中を私たちは生きている、生きていられるのです。
信仰心のある人にのみ慈悲心が注がれるわけではなく、すべてのものに、今現に注がれています。であるからこそ、私は自力を尽くしながら人生をまっとうすることができるのです。

他力と自力。人間は、自力は尊く、他力は甘えであると考えます。
であるから、自力の結果を求めます。「これだけ頑張ったのだから、相当の結果があってしかるべきだ」と。
しかし、世の中そんなに甘くないことも、思い通りにならないことも、みんなわかっています。
思うような結果が伴わない、相応に報われるということがないとなると、自分より頑張っていない(ように見える)人を見下したり、結果に恵まれた(ように見える)人に対して嫉妬したりします。
誰もが皆、自力を尽くして生きているのにかかわらず。

私たち自身は、自力を生きることしかできません。できませんが、他力に包まれてあるからこそ、自力を尽くすことができるのです。
他力と自力は、どちらが優れて、どちらが劣ってというものではありません。双方があるからこそ成り立っているものです。「今、ここに私がいる」という事実が、阿弥陀如来のはたらきがあることの証明であり、阿弥陀如来の慈悲心(他力)があるからこそ、私がいて、生き、自力を尽くすことができるのです。

私の一挙手一投足に阿弥陀がいます。私そのものが阿弥陀さまからのたまわりもの、「あたわり」なのです。そのことを感得しているからこそ、いかなるときも、いかなる事柄に対しても、「阿弥陀さまからのたまわりもの」であると、手が合わさるのです。自分にとって都合の良い事柄に対して「阿弥陀さまのおかげです」と感謝し手を合わせているのではなく。

回向(えこう)せしめたまえり
親鸞聖人は、漢字の意味や送り仮名のふり方について深く深く思慮されました。

「回向」という言葉があります。親鸞聖人の師である法然上人の流れを汲む方々の多くが「回向して」と読まれているところを、聖人は熟慮して「回向せしめたまえり」と送り仮名をふられました。
「回向して」という読み方が間違っているわけではなく、むしろ一般的な読み方です。ただ、「回向して」の場合、自らが行なった行為・善行を回向する(仏に、亡き人に差し向ける)ことを表し、主語が自分になります。ところが、「回向せしめたまえり」と読むと、阿弥陀如来から私に(衆生に)差し向けられていることを表します。「回向の主語・主体は阿弥陀如来である」と、聖人の目には映っているのです。「如来」と書き著さずとも、聖人の著作には阿弥陀が溢れています。そのことは、阿弥陀の慈悲心(他力)を感得していることの表われです。北陸の方々が「あたわり」と言われることも、ことばのなかに、口にされる人々のこころのなかに阿弥陀さまがいることのあらわれです。

聖人が晩年に著わされた「恩徳讃」。

如来大悲の恩徳は
 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も
 ほねをくだきても謝すべし

真宗の法座で、閉式の折に唱和します。聖人の大切なことばなのですが、いただいている恩徳に対して、「身を粉にするほどに報ずべし」「ほねをくだくほどに謝すべし」というところに抵抗を感じる人も少なくありません。どうしてそれほどまでに、と。それは、「自分が」報ずもの、謝すものと考えるからでしょう。
阿弥陀如来より回向せしめられている本願力のなかを、自力を尽くして生きているのですから、艱難(かんなん)辛苦の世の中、私が生きている姿そのものが報じていることであり、謝していることに違いありません。既に身をもって阿弥陀如来の大悲に応えているのです。

「あたわり」ということばを教えていただき、聖人の教えに生きている人びとのことを想いました。南無阿弥陀仏

 🐟 🐟 🐟

掲示板の人形
五月ということで、鯉をかたどった人形を飾っています(短絡的ですが)。
男の子が鯉に乗っている人形2つと、鯉の人形です。
しんどいこともある世の中だけど、人生だけど、前に向かって進める世の中であり、人生であると思っています。
「前に向かって進める」って、立ち止まることも、今まで歩いてきた道を眺めることも、それらも「前に向かって」進んでいることだと思うのです。
50709 50708

50575

2025年4月 2日 (水)

2025年4月のことば

2025年4月を迎えました。気温も低く、冷たい雨が降っています。
子どもたちは部活へと出かけました。元気に過ごしています。

3月、息子が大学院を卒業し、4月から新社会人。
「春のお彼岸中だから、卒業式には行けないんだ。ごめんね」という私に対し、「わかってるよ。大学から連絡があって、学科代表で証書を授与をされるから、配信で見ててよ」と息子。
当日は配信を見させてもらってお祝いを、と思っていたら、「大学院卒業したら、もう入学だ!卒業だ!ってことが無くなっちゃうんだよ。行ってあげなよ。親らしいことしてらっしゃい」と、妻と娘たちが背中を押してくれて、卒業式の前の晩に参列を決めました。
翌早朝、まだ家族の寝ている間に寺を出て、新幹線で某所某大学へ。
新幹線の中で「卒業式、行くね」と息子にLINEするも既読付かず。朝から忙しいだろうな。
卒業式開式前に大学に到着。構内に足を踏み入れると、ちょうど向こうから息子が。
私を発見して「お父さん⁉ なにしてんの?」と驚く息子に、「ごめんね、来ちゃった」と私。
抱きしめて「よくがんばったね」と伝えました。
「保護者席いっぱいになっちゃうから、席取っておいた方がいいよ」
「わかった、ありがとう。じゃ、保護者席から見てるからね」
思いがけず、息子の門出に立ち会うことができました。
式も終わり、さぁどうしようかなと思っていたら、息子の先生や彼女や彼女のご家族や友人たちと語らうことができました。
あぁ、充実した学生生活を送ったんだなぁと実感、感謝。
息子は謝恩会だ、お別れ会だ、ということで大学でバイバイ👋👋 
一緒に卒業式を見届けた前の妻に「ありがとう」と伝え、彼女も「来てくれてありがとう。一緒に卒業式を見られるなんて、思ってもなかった」と。空白の時間は、ことばひとつで埋まることも。
大学を後にし、駅に戻り、帰りの新幹線に。「来てよかった」。
夜9時、寺に到着。慌ただしいお彼岸の一日だったとのこと。
「行ってらっしゃい」と言ってくれた妻と娘たち、お彼岸中にもかかわらず送り出してくれた住職(父)と坊守(母)。
大学で出会ったみんな。
「人は、ひとりでは生きていない」ことを、身をもって感じた一日でした。

月頭のご挨拶が長くなりました。どこかに綴っておきたかったのです。
以下、西蓮寺掲示板 2025年4月のことばです。

 🌸 🌸 🌸

2025年4月のことば
(寺報版はこちら

48862

種から芽が出て花が咲き
花は枯れても種が残り
また花を咲かす

花びらは散っても花は散らない
寒暖差の激しい3月でした。春彼岸中も、雪が降った日もあれば夏を思わせる暑さの日もありました。体調を崩された方もいるのではないでしょうか。
まもなく4月を迎えようというとき、桜の開花が始まりました。桜の開花は、「標本木」の蕾が5~6輪咲いたときに宣言されます。開花宣言が出される瞬間に立ち会おうと、「標本木」の周りで待ちわびる人びとの姿がテレビで映し出されていました。また、「日本の桜を見るために来ました」と、海外から来日する方も多いとのこと。いつ来ても見られる観光資源目的ではなく、瞬間に立ち会うための来日。記憶に残る旅行となることでしょう。
世に、美しい花は数多くあります。にもかかわらず、桜はどうしてこれほどまでに開花が待たれ、人のこころを魅了するのでしょう。これほどまでに開花を待ちわびられるにもかかわらず、瞬く間に散ってしまう桜は、「儚さ」の象徴として語られます。法語にもよく登場します。

明日ありと思う心のあだ桜
夜半に嵐の吹かぬものかは
         親鸞聖人

散る桜 残る桜も 散る桜
         良寛上人

花びらは散っても花は散らない
形は滅びても人は死なない
         金子大榮

見ずや君
あすは散りなむ 花だにも
力のかぎり ひとときを咲く
         九条武子

咲いた花見て喜ぶならば
咲かせた根元の恩を知れ
         詠人不明

思い出すままに記しましたが、「限りあるいのちを、あなたはどのように生きていますか?」「いのちの内実をちゃんと見ていますか?」と問われているかのようです。

また、桜は暖かくなったから咲くのではなく、冬の間厳しい寒さにさらされることによって目が覚め、寒さによって目覚めているからこそ暖かくなったときに開花します。厳しい寒さを経たうえで咲くことから人生訓としても語られます。「どんなに辛いことがあっても、その辛さを経験してこそ見えてくる世界がある」「優しさは、厳しい寒さを知るからこそ生まれてくる」など、桜の姿から教えられること、気付かされることが数多く語られてきました。

とはいえ、桜にしてみれば、ただ咲いて ただ散っているだけのことです。主役のこころは冷静・平静・ありのままであるにもかかわらず、その開花に色めき立ったり 人生を重ね合わせたり、世間はかくも賑やかです。賑やかではありますが、お花見といっても、実際には主役の姿は二の次で、ダンゴに舌鼓を打っています。桜の姿から感じ得られたことばの数々も、果たして本当に見て(自分事として味わって)いるでしょうか…。

慶讃法要(きょうさんほうよう)
4月14日(月)から18日(金)まで「真宗会館」(練馬区谷原1-3-7)にて「宗祖親鸞聖人 御誕生850年 立教開宗800年 東京教区 慶讃法要」が勤まります。
親鸞聖人の御誕生と立教開宗(念仏の教えを説き広められたこと)を機縁とした法要ですが、聖人一個人を讃えるための宴というわけではありません。
聖人にしてもお釈迦さまにしても、ことばを語っただけでは教えとはなりません。語られたことばを聞き、今まで見えなかったことや聞こえなかったことを感得した人びとがいます。「なるほど、そういうことか!」「そんなこと思いもしなかった!」と讃嘆と懴悔の気持ちが湧き起こってきた人びとがいます。そのような人びとが誕生したそのとき、ことばは教えとなり、ことばを発した者は教えを説く人となります。教えを聞く人と共に、聖人やブッダが誕生しました。親鸞聖人やブッダの歩みは、教えを聞く人びとと共にあります。その人びとの歩みが、「慶讃法要」をお勤めすることの背景にはあります。

聖人の誕生から850有余年、お釈迦さまの誕生から2500有余年。いのちある者は、やがていのちを終えてゆきます。ひとり一人の生命には限りがあるけれど、教えに聞いて生きる人の姿は、次の生、次の生へとつながっていきます。今、私が「南無阿弥陀仏」と念仏を口にできるのは、かつて念仏を口にされた方がいることの証。私は古の方と一味となり、阿弥陀の慈悲を受けるている者であるという事実に目覚めます。そして、私が念仏を称えることによって、また次の生へとつながっていきます。種から芽が出て花が咲き、花は枯れても種が残り また花を咲かすように。
阿弥陀如来の慈悲心は、時代や国境を越えてすべてのいのちを包み込んでいます。

 🌸 🌸 🌸

如信(にょしん)上人御廟所法龍寺報恩講参拝記

親鸞聖人の孫にあたる如信上人は、本願寺第2代に位置付けられています。その如信上人の御廟所「法龍寺」は、茨城県久慈郡大子町にあります。
如信上人は、1235年(嘉禎元年)京都に生まれ、幼いころより親鸞聖人から教えを受けて育ちました。
1300(正安2)年1月4日、66歳のとき、常陸国上金沢の草庵にて入滅。その後「法龍寺」が建立されました。
去る3月30日、法龍寺報恩講での法話のご縁をいただき、お役目を果たして参りました。
境内には如信上人お手植えの榧(かや)と、如信上人13回忌の折に覚如上人(本願寺第3代)が植えられたと伝わる銀杏(いちょう)が現存しています。
「法龍寺」を守られている方々、教えを聞き伝えられている方々の姿にふれ、「南無阿弥陀仏」の念仏の伝統を感じたことでした。
南無阿弥陀仏               副住職記

 🌸 🌸 🌸

掲示板の人形
鸞恩くん 蓮ちゃん あかほんくん の東本願寺3キャラクターと、鳥獣戯画に出て来るカエルとウサギの人形です。

487742

2025年3月 2日 (日)

2025年3月のことば

2025年3月を迎えました
陽射しの温もりを感じるスタートとなりましたが、明日(3日)から雨予報で気温も低そうです。境内の地面がカラカラに乾いているので、雨予報はありがたいものです。花粉症の方も、ちょっと安心でしょうか(私も花粉症持ちですが)。
3月1日は、西蓮寺が所属する「東京教区 東京5組」の「同朋会」がありました。会場は持ち回りで、そのお寺の住職か副住職がお話しします。西蓮寺が会場になるのは、コロナ下を挟んで9年ぶりだったそうですが、西蓮寺門徒含め、50名ほどの方にお参りいただきました。東京5組の教化テーマ「いのちの声を聞く」の講題のもと、お話ししました。その後、幾人かの方から感想をいただきました。ありがとうございます。次回「東京5組 同朋会」は、5月17日(土)赤坂の道教寺さまを会場に開催されます(13:30より)。須賀力住職よりご法話をいただきます。申し込み不要です。
3月は春彼岸をお迎えします〔3月17日(月)~23日(日)〕。お参りお待ちしています。

 🎎 🎎 🎎

2025年3月のことば
(寺報版はこちら

47365

無明とは
何も分からないことではない
すべて分かったつもりになっている心のことです
          宮城 顗(みやぎ・しずか)

無明(むみょう)
「無明」とは、明るくない、つまり暗いということ。暗闇では何も見えません。仏教では、自分のことが見えていないことを「無明」といいます。自分のことが見えないと、教え(真理)はわかりません。自分のことが見えないこととは、つまり真理に暗いということであり、そのことの罪の深さを仏教では説きます。
「自分のことは自分がよくわかっている」「他人に、私の気持ちがわかってたまるか」などというセリフを聞くことがあります。けれど思います。自分のことを一番わかっていないのは自分だと。他者(ひと)の方が、私のことをよく見ているな、よくわかっているなと感じることがあるものです。

人間の愚かさ 悲しさ
かつて、西蓮寺掲示板に掲示したことばです。

人間の愚かさは
何に対しても答えを持っているということです
ミラン・クンデラ(作家)

掲示したとき、幾人かの方から「今月の掲示板、間違ってますよ」と声をかけられました。
「愚かさとは、答えを持たないこと」
「賢いからこそ、答えに辿り着ける」
このように考える人にとって、掲示されたことばには、ちょっとした違和感・気持ち悪さを感じられたことでしょう。
経験や学習から培われてきた思想や思考は、私を私たらしめる大切なよりどころです。誰もが、自分なりの「答え」を持って生きているし、自分なりの「答え」を持っていなければ不安に圧し潰されてしまいます。
「答えを持っている」こと自体は、否定されることではありません。ただ、答えを持っているがために他者を傷つけ、他者を貶め、結局は自分自身の身の置き場を失くしている。そのような落とし穴に、誰もがはまっているのではないでしょうか。

「愚かさ」といえば、親鸞聖人は著書『愚禿鈔(ぐとくしょう)』の冒頭に、このように綴られています。

(原文)
賢者の信を聞きて、愚禿が心を顕す。
賢者の信は、内は賢にして外は愚なり。
愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり。

(試訳)
賢者である師法然上人の信心を聞思すると、己が身の心があらわになってくる。
師の内面には、こんなにも賢く、深い信心があるにもかかわらず、外見にそのことを誇るような姿をさらすようなことはされない。
愚かなる私の心根は、どんなに修行に努めようとも、名利心が湧き起こる愚かなままであるにもかかわらず、外見は賢い者に見えるように取り繕うことに懸命になっている。

親鸞聖人が『愚禿鈔』に綴られた思いは、法然上人との出遇いによって気付かされたことの告白に違いありません。

燈炬なり 船筏なり 恵日なり
親鸞聖人の和讃です。

(原文)
無明長夜の燈炬(とうこ)なり
智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏(せんばつ)なり
罪障おもしとなげかざれ
    親鸞聖人「正像末和讃」

(試訳)
阿弥陀如来の慈悲心は、
分かったつもりになりながら、賢い者になったつもりになりながら生きている私にとって、灯(ともしび)のようなものです。
私自身に先を見通す力などありません。だからといって、「私は阿弥陀に救われるに値しない者である」「阿弥陀の救済の眼中にない者である」などと悲しむことはありません。
阿弥陀如来の慈悲心は、
大海のように広く深く際限のない悩み苦しみに溺れながら生きる人間にとって、船や筏(いかだ)のようなものです。
人の世の淋しさ悲しさというものに、この私自身も無関係であるとは言い切れないものです。だからといって、その罪の重さを嘆くことはありません。
すべての生きとし生けるもののために灯となり、船や筏となってくださっている阿弥陀の慈悲心が、今、私に届いています。私の歩む道は、阿弥陀如来と共にあるのですから。

また、親鸞聖人は主著『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)の序を、次の言葉で書き出されています。

(原文)
竊(ひそ)かに以(おもん)みれば、難思の弘誓(ぐぜい)は難度海(なんどかい)を度する大船、無碍(むげ)の光明は無明の闇を破する恵日なり。

(試訳)
人間の知性では思いはかることができない、生きとし生けるものをどこまでも広く救済しようと誓った阿弥陀の本願は、渡ることが難しい荒海のような苦悩の中を生きる人間を、苦しみを超えた世界へと渡らせる大きな船である。何ものにも妨げられることのない阿弥陀の光明は、真実の智慧がない人間の闇を破る太陽である。

「無明」「愚かさ」「悲しさ」など、気が滅入るようなことを書いてきましたが、親鸞聖人は人間存在の愚かさや悲しみを強調し問題視するために「無明」を取り上げたのではありません。
「無明」であるという事実は、灯に照らされることがなければ気付き得ないことです。法然上人との出遇いによって、阿弥陀如来の光明に照らされている我が身であることを知り、分かったつもり知ったつもりになっていた私であることに気付きました。人間の悲しみと共鳴している阿弥陀の大慈悲心。人間の悲しみあればこその阿弥陀の大悲。無明を照らす大悲あることを、聖人は大切に教え伝えられました。                  南無阿弥陀仏

※宮城 顗(1931~2008) 真宗大谷派僧侶

 🎎 🎎 🎎

掲示板の人形
3月、お雛様の人形を飾っています。


47363 47364 

2025年2月 2日 (日)

2025年2月のことば

2025年2月を迎えました。こんにちは
1月29~31日に「教区秋安居」、2月1日に配信法話収録のため「法話を聞く会」に参加。2月4~6日は本山での講習に参加してきます。寒さ厳しい折り、体調を整えながら生活したいものです。皆様もお気をつけて👋

「法話を聞く会」でご法話いただいた先生のお話。
「家内安全、学業成就、商売繁盛等々、お寺や神社にお参りに行く方も多いかと思います。けれど、只今受験シーズンですけれど、合格祈願する場合、受験に合格する人と不合格になる方がいるのは事実です。そうすると、祈願して合格した方は「おかげで」と言えるけれど、不合格となった方は「お参りしたのに」という気持ちになります。合格不合格は、そうなる要素はいろいろありますが、神仏の力は関係ないところですよね。つまり、私たちは自分の願いごととしてお金を出したり手を合わせたりしますが、浄土真宗の教えは、人間の願いが叶う教えではなく、阿弥陀如来の願い(衆生救済)が叶う(成就する)教えなんですね。人間の願いは、平等でない利益を願っているのですが、阿弥陀の願いは「平等の利益」です。すべての生きとし生けるものが救われる教えです。ですから、浄土真宗のお寺では、お守りやお札は売っていません。」
というお話をお聞きしました(上記文章は、私の記憶のままに書いています。先生のお話のママではありません)。
わたしの願いを生きているのではなく、あみだの願いに生きている。
大切なお話をいただきました。南無阿弥陀仏(-人-)

 👹 👹 👹

2025年2月のことば
(寺報版はこちら
46150

相手を鬼と見る人は
自分もまた鬼である
      曽

自分もまた鬼である
「相手を鬼と見る人は 自分もまた鬼である」
今月のことばを読んで、どのように受け止められるだろうか。
『「相手を鬼と見る」行為をする人は、そんなあなた自身も鬼ですよ』というように、戒めのことばのように受け止める人が多いのではないだろうか。
であるならば、「鬼である」のは「相手を鬼と見る人」限定の話になってしまう。果たしてそうだろうか。今月のことばは、「誰もが皆 鬼である」ということが大前提ではないだろうか。

はて、そもそも「鬼」とは何なのか? 「鬼」というと恐いもの、悪いもの、強いものとしてのイメージがある。反面、人間業とは思えぬ能力や才能、またその能力や才能を持つ人のことを表現する場合にも使う(「鬼才」とか)。ひと言で「鬼」といっても、その意味内容は清濁併せ持っている。
今月のことばの場合は、悪い意味での「鬼」だろう。「自分(あなた)もまた鬼である」と言われたとき、「私は相手ほどひどい人間じゃないですよ!」と否定したり、「そんなことを言わないでください!」と怒ったりする気持ちが芽生えて来るのだから。誉め言葉として受け止められるならば、そんな反応はしないでしょう。

罪は同じ
「実際に殺人を犯した者も、頭の中で誰かを殺したい(あいつさえいなければ)と思った者も、罪は同じである」

お釈迦さまの教えとしてお聞きしています。納得のいかない方もいることでしょう。ですが、自分にとっては、この教えがあってこそ仏教に聞いて行こう!という思いになり、親鸞聖人の教えを聴聞するうえで根っことなっている教えです。「思う」ということは、それ自体が「行為」である。自分は、どれだけの罪を犯していることだろう。

さるべき業縁のもよおせば
さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし

親鸞聖人のことばです。お釈迦さまの教えの「罪は同じ」の話は拒否反応を生むことでしょう。ですが、親鸞聖人もまた弟子の唯円との対話において、次のように説かれています。

「聖人の仰せならば、私は背きは致しません」と言う唯円に、聖人は「では、人を千人殺して来なさい。そうすれば、あなたの往生は約束されます」と言います。「そのようなこと、私の器量ではできません」と唯円が返せば、「人を殺さないのは、あなたが善いこころを持っているからではありません。また、決して殺害はしてはいけないことだと思っていても、そうなるべき縁がもよおすならば、殺すということもあるのです」と聖人は仰いました。

「出あう縁によって、何をしでかすかわからない。それが私である」。否定しようのない事実です。では、なぜその事実に目覚めさせるために、「人を千人殺してきなさい」とまで言われたのでしょう。「人の物を千個盗んできなさい」でもかまわなそうですが。
あなたも聖人から「人を千人殺してきなさい」と言われたとします。そのとき、「そのようなことはできません」と口では言いながらも、憎い誰かの顔が浮かばなかったでしょうか。「人を殺してきなさい」という言葉は、私のこころをざわつかせ、自分と向き合うことになります。決して他人事として聞き流すことはできません(「盗み」の譬えでは、こころざわつかず、実際に盗みを犯してしまう人もいるかもしれません)。
教えは、すべて私めがけて説かれています。だからこそ、「人を千人殺してきなさい」という聖人のことばが、現代もなお私のこころをざわつかせます。

「善と善」か「善と悪」か
昨今、「争いは、善と悪との戦いではなく、善と善との戦いである」「悲劇は、善と善とのぶつかり合いで起こる」といった類の法語が目に留まるようになりました。時代を反映してのことかもしれません。
「争い」というと、「善と悪」との対立を思い浮かべます。しかし、争いの当事者は、「自分が正しい」という思いで戦っているわけで、そのような現実に則すると、「争い」とは「善と悪」との対立ではなく、「善と善」との戦いです。私もそのように思い、かつて文章を綴ったこともあります。
しかし、年を重ねて思います。争いは「善と悪」との戦いであると。「善と善」との戦いであると見るのは、客観的見方、俯瞰した見方です。争いの渦中に身を置いたならば、「争い」とは、自分を善、相手を悪に位置付けた「善と悪」との戦いです。当事者の立場に身を置いたならば、自分こそ正しくかわいいのです。そして、相手は殺したいほど憎いのです。
「争い」とは、国と国、組織と組織のものとは限りません。私も含めた日常にあふれています。

無明(むみょう)
「罪は同じ」という話をしましたが、仏教における「罪」とは「無明であること」と説かれます。「無明」とは、明るくないということ。つまり暗いということ。暗闇では何も見えません。仏教では、自分のことが見えていないことを「無明」といいます。
自分のことが見えないと(他人事として聴聞していると)、教え(真理)はわかりません。自分のことが見えないこと(無知)とは、つまり真理に暗いということであり、そのことの罪の深さを説きます。
私は罪は犯さない、犯すはずがないと思いながら生きている。しかし「私」とは、どのような縁がもよおし、その際にどのような振る舞いをしてしまうかもわからない者です。そんな「私」であるにもかかわらず、自分で物事を考え、為しているつもりでいる。まさに「無明」を生きている。他人事として見ることは容易だけれど、自分のこととして見ることはとても難しい。だからこそお釈迦さまは、「無明」なる私に、灯(教え)を照らしてくださっています。
「罪は同じ」ということも、殺人の罪そのものを語っているのではなく、「無明」を彷徨っている、真っ暗闇を歩いていることに目覚めさせるための喚びかけとして聞こえてきます。
南無阿弥陀仏

※曽我量深(1875~1971)真宗大谷派僧侶

 👹 👹 👹

掲示板の人形
今月の人形はオニ、ではなくウサギです。
スカイツリーに行った際、併設のショッピングセンター「東京ソラマチ」で買いました。
かわいかったので、思い切って全5種買いました。

46151

2025年1月 1日 (水)

2025年1月のことば

明けましておめでとうございます
本年もよろしく御願い申し上げます
昨今、挨拶の「こんにちは」や感謝の「ありがとう」の言葉を耳にすることが減ったように感じます。
「こんにちは」「ありがとう」 この一言で気持ちが救われるということがあります。本当に大切な言葉です。
今年は「こんにちは」「ありがとう」を忘れないように日々を過ごしたいと思います。
ありがとうの 想いを忘れて生きることのかなしさ
南無阿弥陀仏
2025年新春 西蓮寺住職

44887 

 🐍 🐍 🐍

2025年1月のことば
(寺報版はこちら

44896

悪性(あくしょう)さらにやめがたし
こころは蛇蝎(じゃかつ)のごとくなり
修善(しゅぜん)雑毒(ぞうどく)なるゆえに
虚仮(こけ)行(ぎょう)とぞなづけたる
               親鸞聖人

忘れない
2025年1月1日を迎えました。「令和6年能登半島地震」から一年が経ちました。また、昨年9月には、能登を豪雨が襲いました。震災と豪雨、大きな災害に見舞われました。あらためて、被災された方々にお見舞いを申し上げます。
被災していない者にとっては、過去の出来事かもしれませんが、被災された方々にとっては現在進行形です。穏やかな日々の訪れを願ってやみません。
今年は、第二次世界大戦の終戦から80年目の年です。戦争を体験された方が減り、他者を力でねじ伏せようとする考え方が世に蔓延しつつあります。人が人を殺める行為は休むことなく続いています。
昨年のノーベル平和賞は「日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)」が選ばれました。被爆者の立場から被爆体験を伝え、核兵器廃絶を訴え続けています。語り続けることと聞き続けること、つまり忘れないことが、周囲の人びと、これからを生きる人びとへと広がっていきます。
「忘れない」ことも支援のひとつです。しかし、私たちは忘れる生き物です。ほんの数年前の新型コロナウイルス流行下での私たちのありようを、果たしてどれだけ覚えていることでしょう。コロナ罹患者・ 発症者、医療従事者への差別。マスクや消毒液、食料品の奪い合い。未知のウイルス、先の見えない日々への恐怖心や焦燥感。 2025年を迎え、コロナ以前の状況に戻ったかのように暮らす私たちは、コロナ禍のありようを忘れてしまってはいないでしょうか。

こころは蛇蝎のごとくなり
親鸞聖人は数多くの「和讃(わさん)」を綴られました。今月のことばは、そのうちの一首です。
「和讃」とは、仏や菩薩、祖師方の恩徳をほめたたえるため、七五調の形式で表現された讃歌です。

【原文】
悪性さらにやめがたし
こころは蛇蝎のごとくなり
修善も雑毒なるゆえに
虚仮の行とぞなづけたる
      親鸞聖人「愚禿悲歎述懐和讃

【試訳】
私には尽きることのない悪性があります。
貪り(むさぼり)・瞋り(いかり)・邪(よこしま)・偽り(いつわり)など、
それらのこころが止むことはありません。
心がけで正せるものなどではありません。
わたしのこころは、毒蛇やサソリのように猛毒を持っています。
たとえ世のため人のためを思ってなしている行為であっても、「私はこれだけの善行を積んでいる」という名利心が入り混じっています。
正しいことをなしているようでも、悪性を持つ私のなすことは、本当に正しいこととは言い切れないものです。
本当に正しいことをなしているのであれば、「私はこれだけのことをやっている」「これだけのことをやったのだから報われてしかるべきだ」「これだけのことをやっているのに誰も誉めてくれない」などと思い悩む必要などないのですから。

「和讃」は仏や菩薩の恩徳をほめたたえるものと書きましたが、この和讃は 「愚禿悲歎述懐和讃」と呼ばれ、聖人自身のありようを赤裸々に書き記した内容となっています。聖人は、自身を「愚禿鸞 (ぐとくらん)」と名告(なの)られました。「愚」は、愚か者。「禿」は、道を求めるこころもないのに、生きるため食べるために出家した形だけの僧侶を意味した言葉です。つまり、自身のことを「愚かで格好ばかりの坊主である親鸞」と告白しているのです。そんな愚禿である自身を悲歎し述懐された和讃なのです。このような和讃を綴るには、自分を見つめる厳しい眼が必要であり、その眼を、親鸞聖人は阿弥陀如来より賜った(回向された)ものであるといただかれています。

神仏を拝むとき、少しでも清い身であろう、徳を積もうと考えます。そのような思考にあるとき、たとえ自己反省をすることはあっても、「反省して、これから気を付けます」「反省したから、今までのことはなかったことに」と、反省を善い行いにすり替え、自己を振り返ることはありません。そのような態度は、拝むという機会を私に与えてくださったはたらきに対して、そのはたらきを無にする態度です。聖人の教えに出あった者にとっては、手を合わせる、「南無阿弥陀仏」と念仏を称える、聞法をすることは、阿弥陀如来からの賜りものであり、自身のありようを知る縁をいただいていることなのです。教えを聞いて、念仏称えて、今よりましな人間になるのではありません。聖人は自身の姿を綴られていますが、そのことは自身の愚かさを知り、反省したことの表明ではありません。阿弥陀を疑い、阿弥陀から逃げている私をも、阿弥陀如来は慈悲の心で包んでいる。その真実を知ったのです。私「愚禿鸞」が阿弥陀の救いの中にあるのだから、誰もが阿弥陀如来に救われているという述懐なのです。        南無阿弥陀仏

 🐍 🐍 🐍

掲示板の人形
今年はヘビ年ですね。ヘビの人形を飾っています。
ここ数年、12月に東本願寺での仕事が入り京都に行っています。新幹線の構内に人形を売っているお店があるので、毎年そのお店で干支人形を買って帰ります。
44322

2024年12月 1日 (日)

2024年12月のことば

2024年もいよいよ12月を迎えました。この一ヵ月、なにをして過ごしていこう、やるべきことを済ましていこう!と考えていることと思います。体調崩さぬよう気を付けて、今月を、2024年を乗り越えましょう‼!
詩人・翻訳家・絵本作家等々、多くの肩書きを持つ谷川俊太郎さんが、2024年11月13日に亡くなられました。92歳でした。
私の本棚には谷川さんの詩集やスヌーピーの日本語訳『PEANUTS』が、子どもたちの本棚にも『スイミー』や『もこもこもこ』など絵本が並んでいます。漠然と、まだまだ生きられる方などと思っていましたが、いのちを尽くして往かれました。谷川さんの多くのことばに触れてきました。ありがとうございます。
話は変わりますが、11月のある朝、山門の前を掃除していると、「おはようございます」と声をかけてもらいました。振り返ると地元の中学生でした。登校中、私に「おはようございます」と声をかけてくれたのです。正直、ことばで言い表せないほどの喜びがありました。今日も一日頑張れる! 生きていてよかった! 大袈裟に思われるかもしれませんが、それほど嬉しかったのです。
さて、谷川さんの死と中学生が私にくれた「おはようございます」。私の心を大きく揺さぶり、温かく包み込み、生きるということについて考えさせてくれる事象でした。南無阿弥陀仏
12月の寺報の文章はほぼ書き終えていたのですが、上記のような出来事があって、ゼロから書き直しました。谷川俊太郎さんのオマージュとして散文詩っぽい書き出し(センスありませんが)、「おはようございます」のことばをくれたあなたのことを想いながら書きました。誰も代わる者のいないいのち(わたし)を生き、それでいて孤独ではなく、誰とでもつながっているいのち(あなたとわたし)を生きている。皆があみだと共に。また、11月5日、西蓮寺報恩講の日に還浄されたあなたのことも、忘れません。
ことばは、人を生かしもするし殺しもする。せっかくのことばを どう使いますか。ことばとともにどう生きますか。

 ⛄ ⛄ ⛄

2024年12月のことば

43537

 

生きているとばかり思っている私
生かされている私

おはようございます

「おはようございます」
  あなたのその一言で
  今日も元気をもらった
  私を見ていてくれる人がいる
  あなたに出会えてよかった
  おはようございます
  今日も目が覚めた

「ありがとう」
  いつもとは違う
  なにか特別な出来事があったから
  「ありがとう」って口にするのではない

  いつだって常に
  目に見えないはたらきがあって
  そんなあたりまえのことに
  ふと気がついたから
  「ありがとう」が出てくる

  あたりまえのことが
  いつも ずっとあることが 有り難い

「南無阿弥陀仏」
  私の口から出てきた南無阿弥陀仏が
  私の耳へと入っていく
  私が発した声だけど
  私のことを喚んでいる声

  「あなたのことを救いたい」
  「私の名前を喚んで欲しい」
  念仏を称えられるのは
  阿弥陀さまの願いが私に届いている証
  今現に救われている証

  念仏の声が聞こえてくるのは
  私の存在証明
  「あなたははここにいていい」
  「あなたはひとりじゃない」

  そんなひとりひとりが
  あみだの喚び声で結びついている

 

ことばは、独(ひと)りでは出てこない
「ことば」は、私独りでは出てこない。
声をかけられたとき、かけられた私だけではなくて、声をかけてくれたあなたがいる。私のことを見つけて、あなたは声をかけてくれた。
声を発したとき、発した私だけでなく、その声を受け止めてくれるあなたがいる。あなたがいたから、私は想いを声にすることができた。
私は独りではない。

生きているとばかり思っている私
「生きている」という思いは、自分の人生を自分の力で歩んでいるものと勘違いさせてしまう。この世の中で自分の思い通りになっていることなんて、なにひとつないのに。無量無数のいのちや事柄が複雑に絡み合い、影響し合い、そしてまたいのちや事柄が誕生する。私を私にしている。
いついかなるときも目に見えないはたらきがはたらいていて、でも、私はそのことに気付いていなくて。そんな目に見えないはたらきにふと気がつくときがある。あたりまえのように「生きている」と思っている私の思いが大きく揺れる。あたりまえであることが、すなわち有り難いことだった。有り難いことが、実はあたりまえのように私にはたらきかけていた。「生きている」 ことは「生かされている」こと。

生かされている私
「生かされている私」という自覚が、親鸞聖人の教えの根っこにはある。聖人は、次の言葉を遺された。

さるべき業縁のもよおせばいかなるふるまいもすべし
(そうなるべき縁がもよおすならば、どのような振る舞いでもしてしまうのが私です)

「もよおせば」の響きに、「これから先にもよおしたならば」と、これから先のこと、まだもよおしていないこととして受け止める人が多い。そのような受け止めから、「親鸞は『いかなるふるまいもすべし』と言うけれど、自分を律する心があれば悪い行いはしない。悪事を働く人は自分を律する心が弱い人です」などという反論・反感・反発が出て来る。

これから先のことと思っているから、「生きている」と思っているから、自分の思いで行いを取捨選択できると、悪事は抑制できると考えてしまう。
これから先のことならば、親鸞聖人は「もよおさば」と言われただろう。けれど「もよおせば」と語られている。
「もよおさば」は、まだもよおしが及んでいない、これから先の話を表す。
「もよおせば」は、もう既に我が身にもよおしが及んでいることを表す。私が 気づいていようがいまいが、いつだって常に目に見えないはたらきがもよおしている。
言葉の意味内容は時代と共に変化し、国や地域によっても違いが生じる。だから、「もよおさば」と「もよおせば」に、私が書いたほどの違いはないのかもしれない。だけど私は思う。
「阿弥陀如来の大慈悲心に包まれながら生まれ、今、ここに至るまでお育てをいただいている私です。南無阿弥陀仏」
親鸞聖人は、ご自身のことを深く内省され、阿弥陀の大慈悲心を感じ、大切に受け止められ、「生かされている私」であることを自覚されたのだと。

 ⛄ ⛄ ⛄

掲示板の人形
12月ですね。毎年恒例となりました、木で作ったサンタ人形を飾っています。西蓮寺掲示板と寺報を楽しみにしてくださっている方が、毎年11月になると「お寺さんにサンタさんって迷惑かもしれないけど」と言って手作りの人形をくださいます。施設で保護されている子どもたちのために、夏場に山に入って木を集め、お家でコツコツとサンタ人形を作られています。今年もいただきました。ありがとうございます。サンタ人形を通して、人形を手にする子どもたちの顔が浮かびます。
サンタ人形と一緒に鳥や雪だるま人形も飾っています。雪だるまや年末が想像しがたい気温の12月1日でした。
43536

2024年11月 1日 (金)

2024年11月のことば

2024年も11月を迎えました。1ページに2ヵ月分書かれているカレンダーだと、2024年も最後の1枚になってしまいました。
10月になっても暑い日が続きましたが、ようやく秋の雰囲気・冬の寒さを感じるころとなりました。インフル・コロナ・マイコなどが流行っています。体調を崩されませんように。

10月は、多くの訃報に接しました。
ドラえもんの声優であった大山のぶ代さんが9月29日に
「ぐりとぐら」を書かれた中川李枝子さんが10月14日に
俳優の西田敏行さんが10月17日に
「ねないこだれだ」で知られるせなけいこさんが10月23日に亡くなられました。

私にとってのドラえもんの声優さんは、大山のぶ代さん。
私が初めて「欲しい欲しい」と駄々をこねて買ってもらったマンガが「ドラえもん」でした(と、記憶しています)。
なかがわりえこさん と せなけいこさん の絵本にお育てをいただきました。
「ぐりとぐら」「ねないこだれだ」は、私自身が幼いときにも読んでもらっていたし、娘たちにも読んであげました。
西田敏行さんは、これ!と言い切れないほどの作品に出演され、私の記憶の中でもいろいろな西田敏行さんがいます。
でも、印象に残っているはじめは「西遊記」の猪八戒。その後は「池中玄太80キロ」を見ていた記憶があります。
娘たちにとっての西田さんは「ドクターX」。世代を超えて記憶に残る方でした。
今で言う「推し」でしょうか。推しだった方々が亡くなられていく。その訃報に接する機会が増えてきました。当然のことですが、年齢を重ねていくということは、それだけ多くの人や作品と出会っていくことです。ということは、大切な出会いのぶんだけ、別れとの出会いも重ねることとなります。
別れは淋しいことであるけれど、訃報に接することがなければ、日常において大山さんを、なかがわさんを、西田さんを、せなさんを気にしているわけはなく・・・つまり、訃報に接する、死別という別れは、いただいていたものの大きさ大切さかけがえのなさを気づかせてくれるものでもあります。
そんなことを何度も何度も思った10月です。
さようなら ありがとう 南無阿弥陀仏

 🌟 🌟 🌟

2024年11月のことば42372

(お)しは 推せるときに 推せ

人生って 人間って
わたしとしては、手を抜いているつもりもサボっているつもりもない。ほんと一生懸命やっている。けれど、他者から見ると、手を抜いているように、サボっているように見えるらしい。上手くやれる人ばかりではないのに。
一生懸命に取り組んでいるのに、うまくいかないときもある。反省は、している。誰かに迷惑をかけようと思っているわけはないし、わたし自身凹みたくなんかないのだから。
人生って、自分の思い通りにならないものなんだ。

人と人とが、ひとつ屋根の下、同じ学校、同じ職場で顔を突き合わせているのだから、気の合う人もいれば、顔を見るのも嫌な人だっていて当たり前。だけど、しんどいのは、誰とでも仲良くなれないことでも、嫌いな人がいることでもない。気が合うと思った人と仲たがいしたときの気まずさ、嫌いな人の優しい一面に触れたときの戸惑い。好きなら好きなままでいられたら、嫌いなら嫌いなままでいられたら、どんなに楽だろう。でもそれは、わたしの、人を見る目が間違っていたわけではなくて、人は何面性も持ち合わせて生きているということ。Aさんのことを、わたしから見た姿とあなたから見た姿とでは、きっと違うのだ。まるで別人であるかのように。わたしの姿だって、見る人によって違うんだろうな。「本当の自分」とか「自分探し」とか言うけれど、どんな自分もわたしなんだよ。
人間って、一面で量れるものではなくて、多面的で混沌としているものなんだ。

アンバランスというバランス
人生は思い通りにならなくて、人間は混沌としている。悩みは尽きないはずだ。
思い通りにならない人生を生きている者どうし、何面性も持ち合わせている者どうしが、この地球上に何十億人と生きている。争いだって起こるはずだ。けれど、よくこの世の中が成り立っているなとも思う。みんなつながりながら影響し合いながら、アンバランスというバランスを保って生きている。アンバランスなバランスが、わたしをわたしにしている。

推しの名は
思い通りにならない人生は、わたしを蝕む。痛みとなり、疲れとなり、苦悩となる。けれど、推しを推すとき、苦悩は、より深くより広くわたしを包み込むものとなる。

親鸞聖人。推しは、苦悩を解決・解消・霧散させる教えを説いたわけではない。解決策を提示するわけでもなく、わたしが悩んでいるという事実を明らかにしてくれるのであった。推し自身も、痛み、疲れ、苦悩の生涯を送ったのだ。けれど、わたしと決定的に違うのは、南無阿弥陀仏と出遇ったこと。
縁に結ばれた無量無数のいのち。それ故に苦悩は生じる。思い通りにならず、格差は自明であり、人と人とが奪い合い傷つけ合い、ときには他者を殺める。と同時に、他者の生活がわたしを生かし、わたしが生きることが他者を生かしめてもいる。
「この人のため」…そう想えるだけで、今、わたしはここにいられる。「事実を見つめよ。見つめ、南無阿弥陀仏と念仏称えよ」。そんな教えに、推し自身が出遇った。そして、生涯念仏に生きられた。悩み苦しみを抱えながら。

推しを、素晴らしい人、より高次の人間として語っているのではない。
推しは、「われら」と口にされた。推しは、誰もが皆、阿弥陀如来に救われていると語られた。漏れる者は誰もいない、と。だから誰もが念仏称えることができる。
推しは、高いところから見下ろして語っているのではない。今、わたしの目の前にいる。同じ大地に立ち、同じ目線で見て、同じ空気を吸っている。誰もが皆、同じ大地に足を付けて立っていることを喜んだ。
推しの喜びに触れると、見えるものも変わる。現実は何も変わっていないけれど。

推しにも推しがいる
推しにも推しがいる。龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信・源空。「正信偈」に出て来る、いわゆる七高僧。彼らの言葉(教え)に出会い、彼らの苦悩を見た。苦悩が見えたとき、そこに七人の人間がいた。
七人の言葉のなかに阿弥陀如来を感得された。七人の人間に出遇い、伴走者としての阿弥陀(真実)を見い出された。推し(親鸞)も、推し(七高僧)の言葉に触れ、見えるものが変わったのだ。

痛み、疲れ、苦しさがある人間という生き物の生活の場。推しもまた、同様の生活の場を生きた。生きながら、その痛みや苦しさを、あって当然のものだと落着された。縁に生きているのだから。同伴者としての阿弥陀がいるのだから。そして、自らは「南無阿弥陀仏」と念仏称え、人びとに念仏申せと説かれた。阿弥陀の声が、われら皆に届いているのだから、と。
七高僧のそれぞれもまた、同伴者としての阿弥陀を感得し、南無阿弥陀仏に生きられた。
真実である阿弥陀がある。そのことにお釈迦さまは気づかれ、説かれた。お釈迦さまの教えという縁により、七高僧が誕生した。七高僧がいるから推し(親鸞)がいる。推しがいるから、今、わたしの手が合わさる。わたしの手が合わさっているから、これからのいのちに南無阿弥陀仏は相続されていく。

報恩講(ほうおんこう)
11月28日は親鸞聖人のご命日。
本山である真宗本廟(東本願寺)では、毎年11月21日から28日まで「報恩講」が勤まる。推しのお祭りだ。けれど、報恩講は、親鸞聖人を褒めたたえるイベントではない。わたしにまで届いた教えを、念仏を、あらためて聴聞する法要。わたしのための法要だ。わたしは、報恩講があるから生きていける。この苦しく、淋しく、悲しい世の中を。
報恩講が終わると、あらたな一年が始まる。南無阿弥陀仏

(註)
【推し】とは、人にすすめたいほど気に入っている人や物のこと。俳優、声優、アイドル、マンガのキャラクターなど、対象は幅広い。

(つぶやき)
今月の寺報を書く前、宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』(河出文庫)を読んでました。

 🌟 🌟 🌟

掲示板の人形
11月は、御本山で報恩講が勤まります。西蓮寺の報恩講は毎年11月5日です。
ワクワクの報恩講シーズンです。親鸞聖人と合掌人形を飾っています。南無阿弥陀仏
42374

42373

(つぶやき)
こんなに大切で、こんなにワクワクする報恩講なのに、西蓮寺報恩講のお申し込みが少ないです。
常日頃の布教活動の怠惰の表われです。大切だ大切だと言っている報恩講に、その魅力や意味を伝えきれていないことを申し訳なく思っています。
でも、ひと言。せっかく親鸞聖人の教えに触れているのに、報恩講にお参りせずに生きるのって勿体ないことですよ。
南無阿弥陀仏

2024年10月 2日 (水)

2024年10月のことば

2024年10月を迎えました。
9月に発生した豪雨により被災された皆様にお見舞い申し上げます。
私も長崎にて水害を経験しているので、雨が降っているときの恐怖心と、雨がやんだ後の景色・におい・生活は記憶に強く残っています。特に、大雨の被害に遭いながら、雨がやんだ後は思うように水を使えない生活になってしまう矛盾(というのかな)を目の当たりにしました。
山から大量に流れてくる水を汲み取りながら生活しました。町内の銭湯の親父さんが「近所の人にお風呂に入ってホッとしてもらいたい!」と言って、すぐに銭湯の環境を整えて営業を再開してくれました。大勢の人とギュウギュウになりながら湯船につかったことを覚えています。
不便な生活を送られていることと想います。体調を崩されませんように。
また、真宗大谷派の仲間も、被災地支援に向かっています。ご無事を念じております。

集中豪雨は異常気象によるものですが、10月に入っても暑さが続いています。
このブログを始めた頃、「どんなに天候が不順でも、彼岸花はちゃんと秋彼岸中に咲くから不思議です」という内容の投稿をした記憶があります。
秋彼岸前に暑い日が続いても、寒い日が続いても、彼岸花は見計らったかのように秋彼岸中に咲いていました。ほんと、不思議に思ったものです。けれど、ここ数年の猛暑は、そんな彼岸花の生命アンテナをも狂わせているようです。9月のお彼岸前、ほんの一瞬気温が下がったころに咲き始めた彼岸花もあれば、この10月に入って咲き始めた彼岸花もあります。あれだけキチンと彼岸中に咲いていた彼岸花の咲く時期がズレていることに、個人的には脅威を感じています。とはいえ、彼岸花は美しいです。

41273

10月に入っても暑いですが、やはり8月の暑さとは違います。
8月は、朝お墓参りにみえた方の墓地花が、夕方には水分を失いカラカラになっていました。
9月の秋彼岸の頃から、暑いとはいっても、墓地花は長持ちするようになりました(とはいっても、3日ほどですが)。
「いつまでも暑いですね」と言ってはいても、季節は確実に移ろいでいます。
寒くなれば、また暑さを求めることでしょう。
体調管理の難しい時代(とき)を迎えていますが、あなたのご無事を念じています。
南無阿弥陀仏

 😺 😺 😺

2024年10月のことば
(寺報版はこちら

41249

 

われ正しと思ったとき
すでに
われ正しという傲慢がそこに出ている

お見舞い申し上げます
石川県 能登地方での大雨による被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。
震災からの復興もままならないなかでの豪雨災害。被災された方々の心中をお察しするに余りあります。西蓮寺としても継続した支援をさせていただきます。

自然への畏敬の念を忘れてはいないか
2024年の夏は、猛暑と共に豪雨にも悩まされました。交通機関の計画運休もたびたび計画・実施されました。
進路予想もままならなかった台風10号。8月下旬あたりは台風情報に振り回されたのではないでしょうか。とはいえ、新幹線や飛行機の計画運休は、大切な決断であると思います。ここ数年で計画運休の理解も進み、計画・実施の発表が受け容れられるようになりました。
ですが、やはり計画運休に異を唱える方もいるわけで、「JRは計画運休を簡単にやりすぎだ」「計画運休の時間の幅が広すぎる。もっと天候情報を精査して、時間を限った運休にすべきだ」と語るコメンテーターもいました。動かないよりは動いた方がいいのは乗客だけでなく運行会社にとっても当然のことで、運休したくてしているわけではありません。自然現象をも掌握できると考える驕りが滲み出たコメントです。

思いを巡らすに、今夏のような異常気象は、原因はいろいろ挙げられていますが、私たちの経済活動によるものも原因の 一端ではあるわけです。私たちが、より良い暮らし、経済成長を求めてきた結果、 この猛暑を、豪雨を、運休をもたらしていることを想うならば、先ずあらためるべき見つめるべきは、運行会社の運休システムではなく、私たちの生き方考え方ではないでしょうか。

他者に求めることは多く、自己を問うことは少ない「私」です。

形作られれている「私」
9月18日 中国の日本人学校前で男児児童が刺殺される事件が起きました。その子のこと、またご両親のことを想うと胸が締め付けられるばかりです。南無阿弥陀仏
9月18日は「柳条湖事件」(りゅうじょうこじけん…満洲事変の発端となる鉄道爆破事件)が起こった日で、反日感情が高まりやすい日とされています。そのような日に起きた事件であるため、反日感情を持った容疑者が日本人を襲ったと記す記事もありました。容疑者の意図はわかりません。ただ、このような事件が起こるたび、「〇〇の国の奴らは…」といった、国民のすべてを十把一絡げに捉えた批判を耳にします。その批判は、反日感情と表現されている感情と同質のものではないでしょうか。平和や、差別のない世の中の希求を口にしながら「〇〇の国の奴らは…」といった発言をする人は、けっこういます。

思いを巡らすに、「私」の考え方・思想・行為などは、私自身が今まで経験してきたことだけが影響しているわけではなく、私以前からの歴史も影響しています。助けられた、優しくされたという記憶や歴史も受け継がれていますが、人権を蹂躙された苦しみもまた消えることはありません。
「した歴史」は薄れて消えてしまいがちですが、「された歴史」は胸に刻まれます。

人類の歴史上、争いの止んだ時期はないと言われます。「私」の歩みは、争いの歴史の延長線上にあると言えます。只今、このときも、この地球上のどこかで、人が人を殺めている、いのちをいのちと思わぬ行為が繰り返されている。争いの止むことを願うばかりですが、たとえ争いが止んだとしても、争いによって生じた傷や怨みや悲しみは「私」のこころにいつまでも刻み込まれていきます。

人類の持つ闇は深く暗い。けれど、人が人を傷つけることに悲しみの感情を持つ人は、より多くいます。事件のあった現場に献花に訪れる方々もいます。亡き人を弔い手を合わせる人びとがいる。その歴史・歩み・想いもまた、「私」を形作っています。

傲慢な「私」が生きている
「われ正しと思ったとき すでにわれ正しという傲慢がそこに出ている」のだけれど、思いを巡らすに、「私」が口に出すこと、態度で示すこと、それらはすべて、間違ったことをしている意識はないし(ある人もいるかもしれないけれど)、逆に「正しいことをしている」などということもその都度考えているわけではない。正しさの傲慢というよりも、私が生きている事実そのものが傲慢なのかもしれません。傲慢な「私」が生きている。

毎月寺報を綴り続けているのは、「親鸞聖人の教えを伝えたい」という一心だけれど、綴りながら思っていることがあります。この行為は、親鸞聖人の名を借りて白山勝久という傲慢をかましている行為であると。だから、親鸞聖人の教えに帰ることを肝に銘じています。

面々の御はからいなり
聖人は流罪で京都から越後に流された後、越後と関東の地で念仏の教えを説き広められ、晩年は京都に帰られました。
親鸞聖人が京都に帰られて後、関東の地では、聖人の教えが歪められ、教えを聞いてきた人びとの中に不安や焦りが広まりました。関東の門弟たちは決死の覚悟で、京都に居る聖人の元を訪ねました。
聖人は、師である法然上人からいただいた教えと、念仏を称えるところに阿弥陀如来がいてくださることを説き聞かせます。そして最後に語ります。

念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなり
(『歎異抄』第2章)

「念仏の教えを信じようとも、また、捨てようとも、あなたがたひとり一人がお決めになることです」と。

命がけで京都まで訪ねてきた方々に、「あなたがお決めなさい」というのは、求められていることに答えていないかのように映るかもしれません。けれど、答えは訪ねて来られたひとり一人の身であり想いのなかにすでに出ています。「ひとり一人の人生という歩みに背景や歴史があり、あなたを形作っています。いま、あなたは南無阿弥陀仏と念仏を称えています。だから大丈夫。阿弥陀如来と共なるあなたに敬意を表します。南無阿弥陀仏」
そう仰っているように聞こえてきます。

 😺 😺 😺

掲示板の人形
今月の人形は、木製のネコの人形です。
両端のネコは、タイに行ったときに買いました😸😺
41194

2024年9月 1日 (日)

2024年9月のことば

9月を迎えました。2024年も3分の2が過ぎてしまいましたね。
9月は秋彼岸、10・11月は報恩講シーズン、12月は歳暮法要・新年準備等々で、2024年はあっという間に過ぎてゆきそうです。

台風10号の猛威・迷走により、私たち人間は振り回されました。自然にはかなわないものです。ご無事でいらっしゃいますか。
先月の投稿で書きましたが、京都での9月1日の講演は中止になりました(なので、只今自坊でブログを書いています)。福山雅治さん、堂本剛さん、ポルノグラフィティさんなどのコンサート等も台風の影響を鑑みて中止になっていますので、私の講演中止もまたやむを得ないことです(などとつぶやいたら、妻と娘から白い目で見られました)。
無事に過ごせることの有り難さ、大切さを感じるところです。

それから、もうひとつ先月の投稿で書きましたが、寺報入稿の件。
9月号は、昨日(8月31日)入稿しました。結局9月1日に印刷された寺報は間に合わないわけですが、今回は遅くなった理由があります。8月下旬に2泊3日の研修会に参加しました。そこでいただいた教えや出会った方々との会話からの気づきがあり、帰宅後に原稿を書き直しました。
研修会でいただいた教え。そこに集う人たちとの会話。研修会や道中での出来事。普段の生活では接し得ない言葉や事柄が、私を刺激します。新たな思い、違う角度からの物の見方、今までの思いをひっくり返されること。特に研修会(教えに聞く会)は、そんなことの連続です。研修会前に書き終えておこうと思って綴った文章など、一度の研修会でぶっ飛んでしまいます。研修会中に「つまんない文章書いてたなぁ」と思い、帰宅して全部削除したうえで書き直しました。って、入稿が遅れた言い訳にしかなりませんが。
今お伝えしたかったことは、教えにふれること、人と出会い話すこと、移動で景色が変わることなどは、机上だけで自分だけで考えた思考を吹き飛ばしてくれます。研修会という特別なことがなくても、実は日々の生活の中にだって私を刺激する出来事は散りばめられています。そのひとつ一つを楽しんで欲しいと思います。
今日(2024年9月1日)は日曜なので、明日2日から始まる学校が多いことと思います。憂鬱な思いをされている方もいることとお察しします。現実につらい出来事があるならば、休むことも逃げることも、生きることです。恥ずかしいことではありません(当時の私の中では、その発想がなかった)。特につらい出来事があるわけではないけど、気持ちが沈んでいるという方には、教えてもらうこと、人の話すこと(無理に会話する必要もないです)、通学路の景色をよく眺めてみること(私は、空を見るのが好きです。でも、気を付けてね)、それらのことから刺激を受けてみてください。こころを閉じているときは刺激もシャットアウトしてしまうけど、自分の気持ちを解放して、外の刺激を入れてみてください。新しい発見、今まで見えていなかったことの知覚、私が私としていることの気づきは、絶対に私を生かすはたらきとなるから。そのことを伝えたかったのです。

それから、今の気持ちを言葉に表わすのって、とても大事です。だから私も書き続けているのかもしれません。

 🐸 🐰 🐸 🐰 🐸

2024年9月のことば
(寺報版はこちら

40297

箸を持ち
茶碗をかかえるほどの面倒もないのに
両手を合わせておがむことは
なかなかむずかしい

迷っているのは
9月、秋のお彼岸を迎えます。お彼岸には大勢の方がお墓参りにみえます。墓前では両手を合わせていらっしゃいます。手を合わせるとき、なにを想っていますか? 
「安らかにお眠りください」「あの世で迷いませんように」。そのような声も聞こえてきます。
はて、先往く方は迷うのでしょうか?
8月、境内の第2掲示板に、次のことばを掲示しました。

 亡き人を案ずる私が、
 亡き人から案ぜられている

先往く方は諸仏となり、私に教えを届けてくださっています。「教えに出会いなさい」「念仏申しなさい」と休む間もなく呼びかけています。先往く方は、安らかに休んでもらう存在でも迷い彷徨う存在でもありません。
私が先往く人のことを想えるのは、先だって呼びかけをいただいているからです。
「先往く人が迷っているのでは?」と思う時とは、実は私自身が深い迷いを彷徨っていることの証です。先往く人のことを想うと同時に、私自身の姿を見つめる時間をいただいています。

この両手の中に
私は、どのような縁があって、今、ここにいるのでしょう。
親の縁、祖父母の縁、曽祖父母の縁…さかのぼればどれだけの人が私の誕生に関わっていることでしょう。当然、血縁に限った話ではありません。私が私となるために、どれだけの人との、いのちとの、事柄との縁があったことでしょう。実際に対面してお世話になった人ばかりではなく、生涯において会うこともない人びととの縁もまた、私であることに欠かすことのできない大切な縁です。
両手を合わせておがむ。私の目の前で合わさっている両の手のなかに、どれだけのいのちとのかかわりがあることでしょう。

「合掌」有り得ないことが起きている事実
合掌は、右手と左手を合わせます。
お釈迦さまが生きられたインド・ネパールでは、右手は清浄を表し、左手は不浄を表します。清浄なるものと不浄なるものは、本来ひとつとなるものではありません。しかし、合掌という所作は、清浄なるものと不浄なるものが合わさっていることを表します。つまり、有り得ないことが起きていることを表しています。
インドやネパールでは、手を合わせて「ナマステ」と挨拶を交わします。
「ナマステ」は、「南無阿弥陀仏」の「南無」の元々の言葉です。「あなたに会えてよかった」「あなたのことを大切に思います」「あなたに会うために、私は生まれてきました」などという意味・想いが込められた言葉です。目の前の人、ひいては私を生かすすべての人びと(いのち)に向けた敬いの気持ちが込められています。

お墓の前やお内仏(お仏壇)の前で、手を合わせて「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えること。そのことは、先往く方のことを想って「私が」なす行為ではありません。私に先立っていのちを尽くして往かれた方があってこそ、今、私は手を合わせることができます。それだけの縁のなかに「私が」いるということです。有り得ないことが、今、私の身に起きているのです。

墓じまい…しまえるものなどない
「墓じまい」が、まるで現代の流行かのように口にされています。
お墓を守る後継ぎがいないという現実的理由はあります。しかし、墓じまいはお墓を片付けるということだけでなく、手を合わせる場所・機会の喪失でもあります。
墓じまいをしても、お内仏の御本尊に手を合わせたりお寺の法話会に通い続けたりする生活が続くことを願いますが、「墓じまいをして気にかかることがひとつ減った」くらいに考える人にとっては、手を合わせる生活もなかなかむずかしくなることでしょう。

また、墓じまいの決まり文句として「子や孫に迷惑をかけたくない」ということを聞きます。
さて、迷惑をかけたくないという子や孫と相談したり気持ちを吐露したりされましたか? 私の経験上、たいてい相談はされていません。そして、実際に相談をされた方の多くは、お墓をのこしておられます。お子さんやお孫さんなどが「私が守るよ」と言ってくれるのです。
「他者(ひと)のためを思いながら、自分の頭だけで考えている思い遣り」は「迷惑」となる場合があります。

そもそも、「墓じまい」という表現が間違っています。まるでいらない物を片付けるかのようなネーミングです。
お墓とは何なのか。どうしてこの石の塊に向かって今まで手を合わせお念仏申してきたのか。何がそうさせてきたのか。キリがないほど人生への問いをいただいていました。「しまう」「片づける」などといった表現が当てはまらないのがお墓です。

さまざまな縁のもよおしによって私が私として、今、ここにいます。手を合わせる、否、手が合わさることは、私の想いなどを遥かに超えた縁のもよおしがあってのことです。手が合わさることをとおして、私が私としてあることを知る。そのことはまた、他者があっての私であることを知ることであり、阿弥陀如来の慈悲をかけられた身であることに目覚めることです。

簡単だけどむずかしい
両手を合わせておがむことはなかなかむずかしい。行為としては難しい所作ではありませんが、そのことの意味や私にまでたどりついた縁のもよおしを想うと、手が合わさることがいかに有り得ないことか、難しいことかが身に沁みてきます。そういう意味では、箸を持つことも茶碗をかかえることも、どれだけ有り難いことが私の身に起こっていることでしょう。
他者(ひと)に出会うということも同様です。会った事実があるから、出会えたことの難しさを気に掛けることは滅多にありませんが、大切に思うあの人と出会えた事実は、どれだけ難しい事柄であったことか。墓前で、お内仏で合わさる手のなかに見いだされる大切なあの人と、会ってはいたけど、本当に会えていたでしょうか。
別れは、出会いの意味を深めていく縁となります。南無阿弥陀仏

 🐰 🐸 🐰 🐸 🐰

掲示板の人形
今月の人形は、鳥獣戯画に描かれているウサギ🐰とカエル🐸の人形です。
寺報の表紙絵を次女に描いてもらっているのですが、楽しい鳥獣戯画の絵を描いていました(ウサギとサルですが)。
ネットで調べたら、鳥獣戯画をモチーフにしたウサギ🐰とカエル🐸の人形があったので即購入しました。
人間の姿を揶揄しているのでしょうが、絵も人形も見ていて楽しくなってきます。

Img142
40290

2024年8月 1日 (木)

2024年8月のことば

8月です。お暑うございます。ご無事でいらっしゃいますか。お気を付けてお過ごしください。

西蓮寺の掲示板は毎月1日に張り替え、寺報も1日に発行しています。
が、ここ2,3年、月末に寺報が完成することはなく、印刷入稿は月が変わってからになっていました。
家庭用プリンターでプリントアウトしているので1日に寺報自体はあるのですが、気持ちとしては印刷されたものをお渡ししたいです。
月内に完成させたい。その気持ちは毎月ありつつも、毎月書けずにきました。
で、7月末、やっと月内に入稿できました。ホッと一息。
すると、月末にやらなければならない作業がサクサク進みました。
あぁ、寺報を月内に完成させると、こんなに楽なんだ!と思い知りました(20数年、ちゃんと完成させてきたのですが…)。
で、今月末も早めに9月号を完成させたいのですが、さてどうなるか。
9月1日に京都でのご法話を頼まれているので、完成・入稿して京都入りしたいです。

 😺 😺 😺
(寺報版はこちら

39318

 

居場所を奪われる
そういう世界を地獄という
        竹中智秀

居場所の喪失
地獄は、いろいろな表現で描かれているけれど、現代社会に引き当てるならば「居場所を奪われている世界」と形容できるのではないだろうか。
「現代とはいかなる時代か」を考えた時、「居場所を喪失している時代ではないか」と問いかけてくれた仲間がいる。
「居場所の喪失」…家族がいて、住む 場所があって、通う学校や職場があって、任されている務めがあって、家族や友人や仲間がいて・・・私が実体として身を置く場所自体は、ある。あるけれど、「ここは私のいるべき場所なのだろうか」「私は何をするために生まれてきたのだろうか」など、精神的な意味での「居場所の喪失」感を多くの人が抱いているのが、現代という時代ではないだろうか。

地獄と極楽
40℃に迫ろうかという猛暑酷暑、ご無事でお過ごしですか。
報道番組の街頭インタビューで、ご婦人が「この暑さ、地獄ですね」と応えていた。共感する方も多いと思いますが、ちょっと面白いことを想いました。
温泉宿に旅に出て、温泉につかったときに「極楽極楽♪」というのはお決まりのセリフ。私たちがつかる温泉の温度は、40℃前後です。
「地獄ですね」と表現された暑さも40℃ほど。同じ40℃程度の温度でも、空間的暑さ(気温)は「地獄」と感じ、温泉は「極楽」に感じる。もしかしたら、「地獄」も「極楽」も環境や状況や境遇は実は同じなのではないか。同じなんだけど、そこにいる人によって「地獄」にもなるし「極楽」にもなる。感覚的表現なので比べるような話ではありませんが、そんなことを想いました。

「極楽極楽♪」な温泉だって、「ずっと入っていなさい!」と言われれば地獄だし、穏やかに温度を上げられてしまえば、ゆで上がってしまう(気づかぬうちにつらい状況に追い詰められてしまう)こともある。
灼熱の地獄に感じるこの夏の暑さだって、もしかしたら慣れて極楽になるときがくるのかもしれません(それはないか)。

長い箸
「地獄」も「極楽」も環境や状況や境遇は同じなのではないかという気付きから、「長い箸」という寓話を思い出しました。

地獄と極楽、両方を見学に出かけた人がいました(寓話ですから)。
先ずは地獄の食卓を見学。地獄だから、大した食べ物もないのだろうと思ったら、食卓には御馳走が並んでいました。にもかかわらず、人びとは空腹でやせ衰え、他者の食べ物を奪おうと殺気立った空気が張り詰めていました。
なぜ御馳走がありながらやせ衰えているのか。ふと見ると、ひとり一人の手元には1mほどのお箸がありました。その長い箸を使い、地獄の人びとは自分で自分の口に運ぼうとして叶わず、他者が箸でつまんだ食べ物を叩き落としています。皆がそういうことをしているので、当然食べ物は口に入りません。殺気立ってくるし、やせ衰えてゆくはずです。
さて、次に極楽に行くと、地獄と全く同じ食卓が用意されていました。そこに集う人びとの顔はとても柔和でふくよかでした。同様に1mほどのお箸が用意されています。極楽の人びとは長い箸を使って、目の前の方の口に食べ物を運んであげます。いただいた方は「ありがとうございます。お返しに何を食べたいですか?」と尋ね、お箸でつまんで食べさせてくれます。皆がそういうことをしているので、顔つきは柔和になり、お腹も満たされてゆきます。

寓話ですから、受け止め方は人それぞれです。
私は、この寓話は、自分本位な人は地獄に堕ち、他者を思い遣る気持ちのある人は極楽に到る…といった因果応報的な話ではないと考えます。
たとえ恵まれた環境であっても、自分本位な思いで生きればそこは地獄にしか感じられないし、他者の存在を認めていれば極楽(身を落ち着かせられる居場所)となる。この寓話から、私はそのようなことを考えます。

はて
今月は、真宗大谷派僧侶の竹中智秀先生(19322006)のことばとして伝わる法語を掲示しました。

 居場所を奪われる
  そういう世界を地獄という

このような法語を前にすると、自分の立場を「居場所を奪われる」方に置きがちです。すると、「私の居場所を奪う憎い奴がいる。だから私の人生は地獄と化している」という受けとめに陥ってしまいます。
法語は、私の思いや立場をひっくり返して受け止めることも大切です。

阿弥陀如来の衆生救済の慈悲心。すべての生きとし生けるものを救いたいという願いは、ひとり一人の身に注がれています。そのことを表現して「いま、ここ、わたし」と教え説くことがあります。
「いま、ここ、わたし」・・・只今、この状況に身を置いている、この私にこそ、阿弥陀如来の慈悲のこころが届いている、と。
なにか善良な特別なことをしたから、心を清らかに保ったから、他者(ひと)のためを思って物事をなしたから・・・その結果として救いを得る、災いの無い生活が訪れるというのではありません。
縁によって生まれ滅するいのち。いま、ここに、わたしが誕生する(居る)ということは、ここに誕生し得ない(居られない)誰かも共に生じることでもあります。居場所をいただいている私でもあり、居場所を奪っている私でもあります。
「だからこの世は地獄だ」などと言おうとしているのではありません。いま、ここに、わたしが居るということは、無数のいのちが共にあることを表してもいます。つまり、数限りないいのちがあってのわたしであり、そのすべてのいのちを救うと誓い願われた阿弥陀如来もそこには見えてきます。
親鸞聖人の教えは、阿弥陀如来の大慈悲心と、人間のもつ悲しみを説いています。
教えをいただき、自分のことだけでなく、他者と共に、阿弥陀と共にあるわたしであると気づいたとき、地獄と表現されるこの娑婆世界も、極楽浄土として生きていけます。
南無阿弥陀仏

 🍧 🍧 🍧

掲示板の人形
8月の掲示板は賑やかです。
平和祈念像(長崎の骨董屋で買いました)と合掌する動物人形
シーサー(沖縄で買いました。色合いに一目ぼれしました)
ヤクルトスワローズのユニフォームを着たリラックマとすみっコぐらし(神宮球場で買いました)393182

2024年7月 2日 (火)

2024年7月のことば

7月を迎えました。
梅雨とはいえ、真夏を思わせる暑さのなかにいます。
6月半ば、西蓮寺山門前に日よけのテントを張りました。
「西蓮寺前バス停」でバス待ちの方にもご利用いただいています。
体調崩さないように気を付けたいものです。
無事に乗り越えましょう‼

 🌞 🌞 🌞

2024年7月のことば
(寺報版はこちら

38251

人間は
自分の心に
自分が縛られている

人間は
つらいとき、悲しいとき、さみしいとき、どうしてこんな思いをしなければいけないのだろうと思うとき…そんなとき、「こころ」も「からだ」も身動きが取れなくなる。なにか、外的要因が私を縛っているように思っていたけれど、自分の心で自分を縛っていたんだ! 自分で自分をがんじがらめにしなくていいんだよ。どうか、自分の心を解放してあげて!
けれど、「自分の心に自分が縛られている」と言われると、自分個人の生き方を言われているかのように受け止めるだろう。自分の心に縛られているのは、誰もが同じ。法語は「人間は」で始まる。人間とは、関係の中を生きている人と人のこと。つまり、個人の生き方ではなく、人間として、人と人として生きる姿を教え説いている。自分の心に自分が縛られている者どうしが、関係のなかを生きている。それが人間。うん、それはなかなか厄介な世界だ。
自分の心に自分が縛られているものどうしが関係を紡ぎながら生きているのだから、「自分が正しい」「自分の考えに合わない者は間違っている」という思考に陥りやすい。そんなことを考えているときに、目を覚まされる「ことば」に出会った。

しかし、実際は違います

トランスの事情をよく知らない人からしてみれば、まるでトランスの側が世の中をひっくり返そうとしているように捉えられることもあります。しかし、実際は違います。平穏な日常をそのままにしておいてくれないのは、偏った先入観でシステムを作ってしまった側なのですから。
『埋没した世界 トランスジェンダーふたりの往復書簡』五月あかり・周司あきら共著(明石書店)

(本の内容紹介より)
「男性」から「女性」に同化していったノンバイナリー/トランスジェンダーのあかりと、「女性」から「男性」に同化していったトランス男性あきらによる往復書簡。エッセイとも解説書とも違った、全く新しいかたちでトランスジェンダーの経験を描き出す。

「多様性を認めよう」という言い方に違和感がある。多数に身を置く者が、少数の思考や嗜好を理解してあげようという上から目線的発言に聞こえるからか。
トランスジェンダーの方々は、最近になって表れたわけではない。また、世の中をひっくり返そうなどとも思っていない。人間の歴史上、そもそも性は多様であり、さまざまな嗜好の人がいる。そのような中、生命の営みは培われてきた。人間の性的嗜好の多様性ではなく、性そのものが多様性をはらんでいる。その認識こそ、多様性を認めることの意味ではないだろうか。

そっちのほうがおかしいじゃないですか

今年のツアーは、(中略)「大量虐殺をやめろ」というプラカードをステージセットのなかに立てたんですよ。

「(政治的、社会的な発言に対して)そんなこと言わないで」とファンの人に言われることもあるし、それで自分たちの音楽が聴きづらくなるのは申し訳ないなという気持ちもあるんですよ。
ただ、社会的な問題や人道的な問題に対して何か言うことで、自分の曲が聴かれなくなるような社会だったら、もうしょうがない。それは受け入れようと思っています。だって「子どもたちの虐殺をやめろ」と 言うことで仕事がなくなったとしたら、そっちのほうがおかしいじゃないですか。

後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION ボーカル&ギター)
朝日新聞に連載しているエッセーをまとめた書籍『朝からロック』を上梓した際のインタビューより
AERA dot.(2023/12/30

芸能人が政治や社会問題について発言すると、「タレントが生意気だ」といった類の批判が飛び交う。発言の内容を吟味することなく、誰が言ったかで賛否が変わる。それって、おかしいじゃないですか。

どうしてなんだろう

「僕は 常々 思ってるんですが…
どうして いじめられてる方が
逃げなきゃならないんでしょう
欧米の一部では
いじめている方を
病んでると判断するそうです
いじめなきゃいられないほど病んでる
だから
隔離してカウンセリングを受けさせて
癒すべきと考える

日本は逆です
いじめられてる子を
なんとかケアしよう
カウンセリングを受けさせよう
逃げる場を与えよう

でも 逃げるのってリスクが大きい
学校にも行けなくなって
損ばかりする

ⅮⅤもそうだけど
どうしてなんだろう
どうして被害者側に逃げさせるんだろう
病んでたり
迷惑だったり
恥ずかしくて
問題があるのは
いじめている方なのに
みんながそういう考え方になればいいなと思う」
『ミステリと言う勿れ』第2巻 田村由美(小学館)

『ミステリと言う勿れ』を読み返していて、主人公 久能整(くのう・ととのう)君のこのセリフが突き刺さった。
「こうあるべき」「それが当然」という思考が、無意識に染みついていた。「何か抜け落ちていることはないだろうか」「違う側面からのぞいてみる」。そんな作業(考え方)をしてみたらどうだろう。
ただし、整君の言うことも、それこそが正しいこととしてしまうと危うさもある。漫画では、整君のひとり語りに対し、「それはそれで別の問題が起きそうだけど」と指摘されてもいる。

「わたし」だけが縛られているのではなく、縛られているものどうしが共に生きている。そんなことを、今月は綴りたかったのです。

 ☔ ☔ ☔

掲示板の人形
サルとライオンとキリン、白磁の人形
白磁の涼やかなフォルムが、少しでも見ている人に涼感を感じていただければ…
とはいえ、暑いものは暑いですね(∀∀^)
38252

2024年6月 5日 (水)

2024年6月のことば

6月を迎えました。
夏の暑さを思わせる陽射しになってきました。
お気を付けて過ごしください。

 🌷 🌷 🌷
2024年6月のことば
(寺報版はこちら

Pxl_20240605_070901987

暗いより明るい方を
遅いより速い方を
静けさよりにぎわいを

いつから片方ばかり
求めるようになってしまったのか
どちらも同じ 大切
           星野富弘

 

笑顔の背景に
明るい人、笑顔を絶やさない人の姿に優しさを感じ、救われることがある。
けれど、笑顔の美しいあの人は、その笑顔の背景にどれだけ大変なことがあったことだろう。
笑顔は、悲しさや淋しさが作り出すもの。暗さと明るさは、あい反する対立概念ではない。暗さがあるから明るさがわかる。明るさに包まれているから暗いなかに身を置ける。明るさは闇をはらみ、闇が深く濃いからこそ明るさが際立つ。暗さのないところには明るさもない。

本当にうれしいときって
忘れられない言葉がある。
「人間って面白いよね。本当にうれしいときって悲しいんだよね。」
ハンセン病元患者の桜井哲夫さんの言葉。2001年5月、ハンセン病国家賠償訴訟で国が控訴を断念した。そのことを契機として、桜井さんは故郷である津軽に里帰りを果たします。
国が控訴を断念して里帰りが奨励されたとはいっても、ほとんどの元患者さんが里帰りを果たせませんでした。元患者さん自身も、その家族も、社会からの偏見や差別に苦しめられてきたから。
そのようななか、桜井さんは実家に住む人びとに迎え入れられ、里帰りの日を迎えるに至りました。津軽が近づいてきたとき、桜井さんがつぶやいたのが先の言葉。
「人間って面白いよね。本当にうれしいときって悲しいんだよね。」
故郷に帰れることは嬉しい。けれど、療養所で共に生きて来た仲間の多くは、帰郷を、家族に会うことを許されないままでいる。顔に笑みを浮かべてはいても、今日この日を迎えるまでのことを思い返すと、悲しみに覆い尽くされている。笑顔の背景に、どれだけ大変なことがあったことだろう。
本当にうれしいとき、そこには悲しみも共にある。さて、目先の喜びにばかり気持ちを奪われ、そうして得た喜びを感じるとき、そこに悲しみもあるだろうか。悲しみを感じつつ喜ぶことがあるだろうか。

川の流れのように
駅のホームに立っているとき、通過する電車の中を眺めてみても、電車の中の様子はほとんどうかがえない。けれど、電車の車窓から外を眺めるときは、景色が、人の顔が、はっきりと認識できる。電車の速度に変わりはないのに、風景は違う。

私たちが口にする速さ遅さは、相対的なものでしかない。ある人にとっては遅く感じても、他の人にとっては遅くは感じない。ある人にとっては速く感じることも、他の人にとっては遅く感じているかもしれない。同じ人にとっても、急いでいるときは速さを求めるし、ゆとりある時は「ゆっくり行こう」なんて感覚になる。
同じ速度に身を置いても、人によって、状況によって、環境によってその感じ方は変わる。一秒、一分、一時間…時の刻みは、誰にとっても同じなのだけれど。

閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声
静けさに身を置いているときに「静かだなぁ」とつぶやくだろうか。静けさは、その静かななかで微かに音がしたとき、「あ、静かだなぁ」と感じる。無音の世界ではなく音のある世界。
静かな環境に身を置きたいときに何らかの音がすると、うるさいと感じる。「うるさいなぁ、これから集中したいのに」。静かでも集中できない私なのに。
曽我量深先生は語られました。我執の感情のままだと、ひとりでいるときは淋しいと感じ、大勢でいるとうるさいといら立つ。けれど、仏法に触れ、お念仏申す者にとっては、ひとりでいるときは静かだなぁと感じられ、大勢でいるときは賑やかだなぁと喜べる、と。

どちらか? どちらも!
人として生を受け、人間を生きるということは、喜びと共に悲しみがある。明るさと共に暗さがある。時流という流れに乗れるときもあれば乗り損ねることもある。ひとりになるときもあれば大勢と共に過ごすこともある。そのとき、淋しいと嘆くのか静かだと感じるのか、うるさいといら立つのか賑やかだとワクワクしてくるのか。
暗いも明るいも、遅いも速いも、静けさもにぎわいも、一方ともう一方というように対立しているものではない。元々ひとつの感情・事柄・事象。すべてはつながっていて、どちらも同じ。それを知ることが大切。

いかに正しいことであっても、そこに固執すれば邪となる。
いかに善いことであっても、それを誇ってしまえば悪となる。
どんなに愛していても、愛すればこそ憎しみへと転化する。

 🌺 🌺 🌺

星野 富弘(ほしの・とみひろ)
1946年群馬県勢多郡東村(現、みどり市)に生まれる。
群馬大学教育学部卒業後、中学校の体育教師となる。クラブ活動指導中、頚椎を損傷し、手足の自由を失う。
口に筆をくわえて文字や絵を描き始めたのをきっかけに創作活動をスタート。ひとつの作品の中に絵と詩が盛り込まれた「詩画」と呼ばれる作品を生み出す。
入院中、キリスト教の洗礼を受ける。
1979年、前橋で最初の作品展を開く。以後、国内外で「花の詩画展」を開く。
1981年、結婚。
1991年、村立 富弘美術館が開館。
2024年4月28日
呼吸不全のため78歳で死去

星野さんの逝去後、本棚の「詩画集」を見返す。読み返すたびに感じ入る作品が変わる不思議。今回は、今月掲示したことばが響いてきた。星野富弘さん、ありがとうございます。

 🐸 🐸 🐸

カエル🐸の人形を飾っています。
暑さで干からびませんように💦
Dsc_7874

2024年5月 4日 (土)

2024年5月のことば

2024年5月を迎えました。
4月29日にお勤めした「西蓮寺永代経法要」にお参りされた皆様、ありがとうございます。

 🐟 🐟 🐟

2024年5月のことば
(寺報版はこちら

Pxl_20240503_011852475

生きるということは、
自分の思い通りになることを
生きるというのではありません。
思い通りにならないということが
はっきりとわかることです。
          祖父江文宏

小さい人
祖父江文宏さんは生涯をとおして子どもたちを守る活動をされました。子どもたちのことをひとりの人間として尊重し、「小さい人」と呼んでいました。
晩年は間質性肺炎を患いました。酸素吸入器を付けながら子どもたちを守り続けました。今月掲示したことばは、亡くなる2カ月ほど前、肺の85%が機能しないなか、同朋大学の新入生研修会で語られたメッセージのなかの一節です。
祖父江さんは、自身の肺呼吸の終焉を感じるなか、ひとつの気づきがあったと語られています。

自分の生きてきた証を考えたとき、はじめは「私という人間はどう生きてきたんだろうか」「私というのは何だったんだろうか」ということを思った。しかし、それは違った。自己と他とを切り離して考えていたけれど、それは間違いだった。他の人、飼っていた犬、感動を受けた花であったり、山であったり、風景であったり、そういう様々なもの、それらを大きくいのちと言うならば、私はそのいのちの関わりの中の私でしかなかったことに気付きました。私は私一人ではなかった。病状が進み、まさに死んでいこうとしているいま、私は目の前にいるあなた一人に出会うことができました。あなたに出会うことによって祖父江という人間がここに生きている証が得られました。
〔参照『悲しみに身を添わせて』祖父江文宏(東本願寺出版)〕

自分の生きて来た証を考えるとき、他と切り離した「私」を思う。そのことは、誰もが考えることではないでしょうか。けれど、人間であるということは、他と切り離された「私」などいないということです。他があるからこそ私があり、私があるからこそ他がある。他とともにある私でした。

「思い通りにならないということ」とは、自分の意のままにならないということではありません。私は、さまざまないのちの関りの中での私であるのに、いのちを自分の理知分別によって支配しようとしていました。けれど、そうではありませんでした。人間の理知分別を超えた大いなるいのちのなかの私であることがはっきりとわかること。そのことが「思い通りにならないということ」が表わしている内容です。祖父江さんは次のように語っています。

小さい頃から皆さん、「人に迷惑をかけるな」と言われてきたことでしょう。しかし、迷惑をかけない生き方はできません。一番大切なことは、人に迷惑をかけている。その自覚です。

思い通りになるのであれば迷惑をかけない生き方も出来るでしょう。けれど、私たちは迷惑をかけ合いながら生きているのです。「思い通りにならないということがはっきりとわかる」からこそ訴えられることだと思います。
「迷惑をかけたくない」という思いはウソ偽りのない気持ちでしょう。けれど、その言葉を口にするとき、「生きるということ」が見えているでしょうか、感じているでしょうか。迷惑をかけているということがはっきりとわかることが、生きているということではないでしょうか。
肺の機能が失われ、いのちの終焉を感じながら、祖父江さんは生きていかれました。

仏法と鉄砲
「生きるということ」について考えるとき、高光大船さん(18791951 真宗大谷派僧侶)の「仏法と鉄砲」の教えが思い出されます。高光さんが、ご門徒の家で勤められる報恩講に出かけ、その家のあんちゃんに声をかけたときのお話です。

(高光)あんちゃんも今日の報恩講に参ってくれるか。ありがとう。

(あん)おらにとって、今日は厄日や。

(高光)なんでや。

(あん)おら今日非番やで、これから映画でも見に行こうかと思っとったら、父ちゃんも母ちゃんも、今日は報恩講さまやで、参ってくれと頼むから、おら仕方なしに居るがや。おらにとって今日は厄日や。

(高光)厄日でもなんでもよい。よう参ってくれた。ところで滅多に会わんのやから、仏法について何か聞いてみんか。

(あん)おら毎朝起きて流しに顔を洗いに出てくると、父ちゃんも母ちゃんもおらの顔を見るなり、仏法聞け、仏法聞けと言う。あの仏法て何や。難しく言われても分からんし、くどくど言われても分からん。一口で仏法て何や。教えて下さんせ。

(高光)仏法は、鉄砲の反対じゃわいの。

(あん)なんや、鉄砲の反対? 鉄砲の反対って何や。

(高光)鉄砲はな、生きとる者をドスーンと殺すのが鉄砲やろが。仏法はな、「死んだ者」を生かすのが仏法や。

(あん)なんじゃ、あの棺桶に入っているのを生かすのが仏法か。

(高光)バカタレ。あれはなきがらや。あれは「死んだ者」じゃないわい。

(あん)そんなら、どんなのを「死んだ者」と言うのや。

(高光)お前さんのようなのを「死んだ者」と言うのや。

(あん)バカにするな。おらは生きとるぞ。

(高光)それは動いとるだけじゃ。生きとるんじゃない。お前さんの商売(国鉄の機関車の運転手)で言えば、機関車に石炭をパクーパクーと放り込んでやると、定められたレールの上をカタコトカタコト走り出す。あれは、動くのであって、生きとるのじゃないわいの。お前さんも三度三度のまんまを口の中へパクーパクーと放り込んでやると、習慣という定められたレールの上をカタコトカタコト走り出す。それは動いてるのであって生きとるんじゃないわいの。

この一言が、あんちゃんの目を覚ましました。この呼びかけのことばに出遇って自分の姿を知三らせてもらい、高光さんについて仏法聴聞の生活を送られました。
〔参照『死すべき身のめざめ』松扉哲雄(法蔵館)〕

「仏法は死んだ者を生かす」。生きているつもりが動いているに過ぎなかった。あんちゃんに限った話ではありません。果たして私は動いているだけなのか、それとも生きていると言えるのか。
南無阿弥陀仏

 

祖父江文宏(そぶえ・ふみひろ)
1940年 名古屋市に生まれる。
真宗大谷派僧侶
児童養護施設 暁学園施設長
1995年 NPO法人「子どもの虐待防止ネットワーク・あいち」設立、代表となる。
親の離婚・失踪・虐待など様々な理由で家族と一緒に生活できない子どもたちを守り続けた。
2002年6月1日、特発性間質性肺炎のため逝去。62歳。

 🐟 🐟 🐟

掲示板の人形
鯉のガラス細工を飾っています。
釣りをするネコの人形と一緒に飾ってみました😸😻
Pxl_20240503_0118524751

Pxl_20240503_011906797

2024年4月 5日 (金)

2024年4月のことば

2024年4月を迎えました
春彼岸の頃から不安定な天気が続きます。お風邪召しませんように👋
今月のことばは、『クジマ歌えば家ほろろ』というマンガに出てきたセリフを掲示しました。読んだその時に「名言だ!」と思いました(妻も思ったそうです)。意見も一致したところで、掲示板に掲示しよう!と思いました。
できないにもかかわらず勝手な行動、口数が多くなることってありません?

 🐧 🐧 🐧

2024年4月のことば
(寺報版はこちら

35319

どうして料理できない
ヒトってできないのに
勝手な行動を
スルノ?
『クジマ歌えば家ほろろ』

そうだなぁ
紺野アキラさん作のマンガ『クジマ歌えば家ほろろ』(小学館発行)。つい笑ってしまう展開が魅力的なマンガです。
今月のことばは、第4巻に出てくるセリフです。マンガの設定やストーリーを知らなくても、このセリフ自体は、「そうだなぁ」と頷きたくなりませんか?

『クジマ歌えば家ほろろ』ストーリー
中学一年生の鴻田新(こうだ・あらた)は、ある日、鳥のような姿のクジマと出会います。新は、お腹を空かせ、日本食を食べたがっているクジマを家に連れてきます。クジマはそのまま鴻田家の居候となってしまいました。

鴻田家は、新と、新の両親と兄の英 (すぐる)の4人家族。英は大学浪人生。家の中の空気がピリピリしていましたが、クジマが一緒に生活をするようになってから、家の中の雰囲気が変わっていきます。

クジマは、ロシアからの渡り鳥。けれど、飛ぶことができないのでロシアから日本へ泳いでやって来ました。ロシア語が流暢で日本語も話せます。特にことわざの勉強が好き。普段は日本語で会話をするのですが、腹が立った時や咄嗟のときにはロシア語が出てしまいます。料理も得意な変わった鳥なのです。

鴻田家の近所には、新の幼馴染の三ツ木真琴(みつき・まこと)が住んでいます。彼女は私立の中学校に進学したため、新とは会う機会が減ってしまっていました。けれど、クジマをきっかけにして、また前みたいに話せるようになりました。

バレンタインデーを前にして、真琴は新に手作りチョコを渡そうと計画します。 でも、ひとりで作っても 渡す勇気はありません。真琴は、クジマと一緒に作り一緒に渡すことを考えました。 クジマと一緒にガトーショコラを作り始めるのですが、手際の良いクジマはどんどん工程を進めていきます。

このままじゃ2人で作ったんじゃなくて、クジマが作ったチョコになってしまう! あせった真琴がレシピ無視の行動をとったものですからクジマは叫びます。

どうして料理できないヒトってできないのに勝手な行動をスルノ?

はい、それが今月掲示したことばでした。

私はどこに立っているのか

MLBやプロ野球が開幕しました。贔屓チームの応援にも熱が入ることでしょう。監督の選手起用や采配、選手の成績に、誰も彼もが言いたい放題です。おそらく、言いたい放題する人以上に、その監督や選手たちの方が野球に詳しく、懸命に取り組んでいると思うのですが。

大河ドラマや朝ドラの検索をかけるせいか、関連するサイトがトップページに上がってきます。辟易とするほどに批判記事が多いです。「脚本がなってない」「役者が下手」「史実と違う」「嫌い」等々。記事(感想)を書くことによって収入を得ている人にとって、誉め称える記事よりも批判記事の方が注目されるので、ネット上では批判記事の方が多くあるように感じます。内容の粗雑なものはあるにしても、ひとつの作品を作るためにどれだけの人が関わっていることか、どれだけの人の想いが詰まっていることか、どれだけの汗水の結晶によるものか。それだけの熱量を注ぎこめる私なのか(熱量だけで評価できるものでないこともわかってはいますが)。

スポーツ観戦やエンターテインメントを例えに出しましたが、そういえば私って、できないのに勝手な行動をスル人だなぁと、思い当たることはありませんか?

今月のことばを前にして、
「どうして料理できないヒトってできないのに勝手な行動をスルノ?」と、
言う方の立場に立ちましたか? 
言われる方の立場に立ちましたか?
どこに立っているかで、ことばの響きや持つ意味は、まったく変わってきます。

是と是
2人で料理を作っていて「どうして勝手な行動をスルノ?」と、言う方と言われる方に分かれるような状況ならば、「すみません」「わかってくれればいいんだよ」で済みますが(済まないこともありますが)、人間(ひと)は、自分の思いや経験を是として生きる者。双方が、自分の方が正しいと勝手な行動をして、「どうして勝手な行動をスルノ?」と相手に言うような生き方をしているのですから厄介なものです。

 🐧 🐧 🐧

掲示板の人形
東本願寺キャラ 鸞恩くん 蓮ちゃん あかほんくん人形を飾っています。

353192

 

2024年3月 5日 (火)

2024年3月のことば

2024年3月を迎えました。
暖かい冬であったように思いますが、ここに来て寒さが身に沁みます。花粉症も本格化してきて、声が出せないときもあります。生きてることを実感する今日この頃です(で、今年の夏も「暑さが堪えます」なんて書くことでしょう)。

 🐶 🐶 🐶

2024年3月のことば

Pxl_20240301_224813644

人生においても、
不安や迷いから抜け出す手がかりは、
ものごとの明るい部分ではなく
陰の中にあるのかもしれない。
            茂木綾子

デッサンをうまく描くこつは、
隔月刊の『暮しの手帖』を読んでいて、「あ、なんだかいいなぁ」と感じる茂木綾子さんの随想に出会いました。今月掲示したことばは、その随想からいただきました。下手な要約をするよりも全文をご紹介します。

ベルリンの美大を受験する下の娘が、 デッサンの描き方を教えてほしいといってきた。描いたものを見ると、モチーフの輪郭ばかりを捉えようとしている。デッサンをうまく描くコツは、光ではなく陰だ。モチーフの陰のかたちを注意深く拾いながら、ていねいに黒い線を積み重ねていく。その結果、自然と立体感が浮かび上がってくるので、光の当たる明るい部分はそのまま残しておけばいい。そう説明しながら実際に鉛筆で線を書き加えてあげる。あっという間にそれらしい絵になっていくのを見て、自分でも陰を見つけながらうれしそうに描きはじめた。人生においても、不安や迷いから抜け出す手がかりは、ものごとの明るい部分ではなく陰の中にあるのかもしれない。その後、念願かなって美大でファッションの勉強を続ける娘が、いまも辛抱強く陰を見つめて、自分らしい人生を描いてくれていたらいいなと思う。
『暮しの手帖』第26号(2023年秋号)連載 ふたつの中心 第10回 陰を描く 
茂木綾子(北海道生まれ。写真家、映像作家)

陰を拾う 
デッサンを描く際、輪郭をハッキリと描いてしまいがちだけれど、実際の事物や生命に、線で描かれるような輪郭などはありません。光の当たる部分と陰があって、その陰影を見て、私たちは事物や生命の姿形を認識しています。明るい方が色が鮮やかに映えるため、そちらにばかり目や意識が行ってしまいますが、姿形をよりハッキリさせているのは、実は陰のおかげなのかもしれません。

「デッサンをうまく描くコツは、光ではなく陰だ。」

このフレーズも含蓄があります。デッサンに限らず、陰のかたちを注意深く拾うということは、物事の本質に近づくことなのかもしれません。

さて、宗教において、その救いや慈悲や加護などを「光」で表現することが多々あります。「光を受けている」「光に包まれている」「光に照らされている」など。「光」に照らされてあるのならば、そこには「陰」も生じているはずです。
宗教において「陰」は、人間の内面の暗さや罪悪性として説かれることが多いように感じます。しかし、その場合、「そういう面もある」と、ほんの一面の事柄として受け止められてしまいます。あるいは、懴悔すべき面、戒めるべき面として説かれ、また、受け止められてしまいます。「光」はポジティブ「陰」はネガティブ、「光」は高貴なもの「陰」は低俗なものであるかのような説かれ方、受け止められ方をしているのではないでしょうか。果たして、「陰」とはそのようなものでしょうか。

陰は、私自身
「陰」が、私の内面の暗さや罪悪性として説かれるだけならば、ほんの一面の事柄、戒めるべき面として捉えることで止まってしまい、自身をより深く見つめるということにまで思い至りません。けれど、「陰」は私そのもの、私自身です。「陰」には、私の一面だけでなく、すべてが映し出されています。内面の暗さや罪悪性だけではなく、明るさや正しさなども「陰」に投影されています。また、私の性格や性分的なところに留まらず、私を私たらしめているすべての縁を「陰」は表しています。「陰」は、ネガティブな面でも戒めるべき面でもありません。

ことばの便宜上、暗さ・明るさ、罪悪性・正しさなどと表現しましたが、ハッキリと線引きできるものでも色分けできるものでもありません。
明るさの背景には悲しみや痛みがあります。暗さを求めるのは明るさに堪えられないしんどさがあるからかもしれません。悪事と感じられる事柄の背景には、そうせざるをえない、そうさせてしまっている、他者(ひと)の善意があります。正しさを誇るとき、その正しさに苦しめられている他者がいます。ひとつひとつの事柄の背景や根っこには、表面に見えるものとはまるで違う一面、無数の縁の結びつきがあります。

そのような「陰」に気づかせてくれるのが「光」です。親鸞聖人自身、「光」によって「陰」を知り、「陰」を見つめることをとおして「光」をより強く感得されました。そのような聖人の教えをいただいている私たちにとって、その「光」とは阿弥陀如来であり、「南無阿弥陀仏」の念仏です。

光によって見い出されるもの
「不安や迷いから抜け出す手がかり」といっても、不安や迷いを無くすための手がかりということではありません。「陰」を見つめることは私自身を知ることとなります。不安や迷いを抱えながら生きる者が私なんだと知ることとなります。
不安や迷いの真っ暗闇の中に身を置いているだけならば、「陰」は生じません。「光」があるからこそ「陰」が浮かび上がってきます。私は今、「陰」に気づき、縁に生きる私であることが見えてきました。「光」が私を照らしているから、私が「光」に照らされているから見えてくるものです。「光」と「陰」は切り離せないもの、  常に共にあるものです。阿弥陀の慈悲の「光」があるからこそ、不安や迷いも抱えている「陰」を知ることができ、「陰」を見つめることをとおして「光」に手が合わさります。
「辛抱強く陰を見つめて、自分らしい 人生を描いて」生きたい。南無阿弥陀仏

 😺 😺 😺

掲示板の人形
2月中、弟が、子どもたちのために合掌している犬の人形を贈ってくれました。
かわいかったので、私も買い足し、掲示板に飾ってしまいました(子どもたちがもらったものなのに)
3月は春彼岸があります。一緒に合掌し、「南無阿弥陀仏」称えましょう。南無阿弥陀仏
それから、3月はひな祭りもありますね。お雛様も飾ってあります。2月から3月にかけてバタバタしていたので、ひな祭りのことを忘れていました。

Pxl_20240301_224820325 Pxl_20240301_224831636

2024年2月15日 (木)

真宗大谷派東京教区「定例法話配信シーズン2」はじまりました!

真宗大谷派東京教区では、慶讃法要事業として「定例法話配信」を行っています。

シーズン1は、2022年8月から2023年8月まで、東京教区内50名の方からご法話をいただきました。

コロナ下、人と人との集まりの場を持てない時期、ご法話の灯を絶やしてはならない!という思いで、法話配信を行うことを決めました。

練馬にあります「真宗会館」に、法話者とスタッフ数名のみが集まり、法話の収録・配信を行いました。

やがて、人の集まれる場が再開し始め、シーズン1の形式での時期は過ぎたと判断しました。

今は、各寺院・各組・教区での聞法の場が戻ってきました。

聞法の現場を大切にしつつ、配信も行えないか。

そんなことを話し合っているうちに、お寺での法話会に出かけて行って、その場での法話を収録・配信させてもらうことに辿り着きました。

2024年2月15日 「定例法話配信シーズン2」の配信が始まります!

4月1日が親鸞聖人の誕生日

4月15日が立教開宗の日であることにちなみ、

毎月1日と15日の2回、午後6時に配信スタートいたします。

ぜひご聴聞ください。

ちなみに、第2回(3月1日配信)は私(西蓮寺副住職)の法話です。

また、第3回 第4回配信の収録会場は、西蓮寺聞法会(2024年1月10日に収録しました)です。

お楽しみに👋

2024年2月 5日 (月)

2024年2月のことば

2024年2月を迎えました。
能登半島地震発生からひと月が経ちました。被災地で身をもって活動されている方々、被災地とは離れた所で日々の生活の中で出来ることを実行に移している方々いらっしゃいます。何もできない苛立ちや焦りを感じている方もいることでしょう。すべては縁であり良い悪いの話ではありません。いろいろ書いていますが、私自身が悶々としているのでしょうね。
そんな中、1月の法話の折に私は「何ができるのか、何をしたらいいのかわからない状況にあって、僧侶として法話を続けること、教えを説き続けることが今できることだと思います」旨、話しました。
1月27・28日、真宗大谷派東京教区報恩講が勤まり、小川一乗先生よりご法話をいただきました。法話中先生は「能登は真宗の篤い地域です。親鸞聖人の教えに生きられたご門徒がたくさんいらっしゃいます。私は信じています。北陸の被災された方々は必ず立ち上がると」旨、語られました。「あぁそうだなぁ、先生にはかなわないなぁ(競っているわけではないけど)」と感じ入りました。教えに生きる人びとの姿を教えていただいた気がします。先生も私も胸のなかにある思いは一緒だと思うのですが、表に出てくることばの重さの違いを感じました。自分の思いや表現の浅さを真宗会館講堂の席で感じながらの聴聞でした。南無阿弥陀仏

2月に入って体調を崩し臥せっていました。ようやく体が動くようになりました。2月の寺報アップが遅くなってしまいました。申し訳ありません。おからだお大事に👋

 🐇 🐇 🐇

2024年2月のことば

Pxl_20240205_011359833

悲しいことに
善いことをしていると思うだけで
口が大きくなってひとを吞み込んでしまう
                平野 修

同じ現実を前にして
2024年1月1日、能登をはじめ北陸の地を大きな揺れが襲いました。被災された方々のために何かできることはないかと、多くの人びとが思い巡らしています。何をしたらいいのか、何ができるのか、今はじっと待つしかないのか…正解のない問題を与えられているかのようです。
このようなもどかしい時間のなかにいると、イライラから他者(ひと)を攻める方に気持ちが行ってしまいます。

余震も続くなか、責任ある地位の方が被災地を視察すれば「あなたが動けば大勢を引き連れて行くことになる。現場に迷惑をかけるだけだ」と叱責され、視察が遅ければ「無責任だ」と叩かれる。

炊き出しに出向けば「現地の状況もわかっていないのに、まだ早すぎる」と言われ、出足が遅いと「お腹を空かせて待っている人たちがいるのに」と言われる。

交通網の危険性が報じられているなか、情報収集に時間をかけていると「実際に行かなければわからない!」と尻を叩かれ、行けば行ったで「状況もわからぬなかで行っても、自身が身動き取れなくなって現地の方々に迷惑をかけてしまう」と怒られる。

新年会を催せば「不謹慎だ」と叱られ、控えれば「被災していない者は、経済を回すことが大事だ」などと理屈を言われる。

「それじゃ、いったいどうしたらいいのさ!」などと叫び出したくもなる・・・けれど、そういえば、同じ気温の中に身を置いていても「暑い」と言う人もいれば「寒い」と言う人もいる。同じボリュームで音楽を聴いていても「うるさい」と言う人もいれば「いい音楽だ」と言う人もいる。同じ光を浴びていても「まぶしい」と言う人もいれば「あったかいね」と言う人もいる。同じ現実を前にして、人と人とはまるで違う思いを抱く。同じ行為でも、自分がなすときは善行であり許される行為、他者が行なえば偽善であり許しがたい行為となりさえする。
叫び出すまでもなく、他者を呑み込みながら生きている世界を生きる私でした。

「これから」は「これまで」という今
復興に向けた「これから」を、多くの人びとが気にかけていることに違いはない。でも、「これから」のことは誰にもわからない。だからこそ不安にもなるし、迷うし、イライラもする。やがて他者にケチをつけ、ののしり、呑み込んでしまう。向いている方向は同じでも、食い違いが生じるフシギ。
「これから」にばかり目が向くけれど、「これまで」があっての今であることを忘れてはいないだろうか。

当たり前の有り難さ
大学箱根駅伝。1月2日、往路優勝を果たした青山学院大学の原晋監督は記者会見で語りました。

「一年間、このために頑張ってきた。学生にありがとうと言いたい。昨日の能登震災で開催できるか分からないなか、多くの被災に遭われている方がいるなか、箱根駅伝ができることに感謝している。魂の込もった頑張りだった」

「これから」どうなるかわからないなか、「これまで」のことが思い返されて出てきた実感のこもった言葉でした。
「これまで」が思い返される中で見えて来る「これから」があります。

大相撲初場所が行われました。大きな被害を受けた石川県穴水町出身の遠藤関は場所前のインタビューで語りました。

「いつものように元気な相撲を取って勇気づけられれば」

「いつものように」が、とても大切なこととして響いてきました。「いつものように」という言葉が出て来るのは、今までいただいてきた縁(応援・協力・支え)を実感しての言葉ではないでしょうか。

今、私があること。その事実がどれだけ有り難いことであったか。今まで当たり前のこととしてきた事柄が、いかに私を私たらしめていたことか。一人の存在の背景に、ひとつの出来事の舞台裏に、どれだけ多くの人びと(いのち)とのつながりがあることか。

「これから」を暗中模索するなか見えてくるのは「これまで」のこと。

「これまで」が見えたときに「これから」への確かな歩みが始まります。南無阿弥陀仏
(寺報の文章、以上)

平野 修(ひらの・おさむ)
1943~1995/石川県生まれ/真宗大谷派僧侶 
今月のことばの出典は不明ですが、かつて金沢の大谷派寺院を訪ねた際、本堂に掲示されていたものをメモしてきました。
(付記)
平野修さんは、住職(父)の、大谷大学での同級生でした。52歳で還浄されました。父と先生の関係を知らなかった私は、外出中に聞いてきた先生の訃報を、帰宅して(私からすると)“情報”として父に話しました。「平野修先生が亡くなられたらしいよ」と。すると、住職はとてもショックを受けていました。友の死ですから当然のことです。学生時代、常に大きなカバンを抱え数冊の本を持ち歩き、とても実直な方であったと、住職(父)は思い出話を聞かせてくれました。
ひとりの人の死を、“情報”として聞く・受け止める・語るのと、“事実”として聞く・受け止める・語るのでは、同じ現実であっても大きな違い(隔たり)があります。その“違い”自体は、関係性や縁によって生じることですから、良い悪いの話ではありません。しかし、起きている現実を“情報”として見聞きするのか、“事実”として見聞きするのか。その姿勢で、受け止め方や生き方は変わってくると思います。
そのようなことを、現在(いま)、思い返しながら実感しています。
24歳の時に平野先生の訃報に触れた私も、いつのまにか先生のその歳になっていました。これまでの生き方を振り返り、これからを想います
南無阿弥陀仏

 🐇 🐇 🐇

掲示板の人形
ウサギの人形を並べました。掲示板を眺める女の子が「〇色の子が好き!」と指さしていました。
掲示板の人形を楽しみにしてくれる方々もいます。その反応が嬉しいです。
Pxl_20240205_011419946 Pxl_20240201_064532634

2024年1月25日 (木)

東京教区報恩講2024

2024年1月27日(土)28日(日)
練馬区谷原にあります真宗会館にて、
東京教区報恩講がお勤めされました。
YouTubeにアーカイブがあります。
ご法話、ぜひ聴聞ください。

2024年1月13日 (土)

「令和6年能登半島地震」について

1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」で被災された方々に対し、お見舞い申し上げます。

いろいろな情報、媒体が混在し、その真実性や取捨選択に迷われている方もいることと思います。

宗派においては、職員が現地に赴き、被災状況を確認していますので、宗派HPの報告記事を共有したいと思います。

令和6年能登半島地震について(真宗大谷派 東本願寺HPより)

2024年1月 1日 (月)

2024年1月のことば

2024年を迎えました
本年もよろしくお願いいたします
このブログを書いているさなか、石川県で震度7の地震がありました。揺れは東京でも感じるほどで、日本海側広域に大津波警報・津波警報が出されています。ご無事を念じるばかりです。

 🐲 🐲 🐲

2024年1月のことば

Pxl_20231231_214125247

龍樹大士 にいでて
 難行易行のみちおしえ
 流転輪回のわれらをば
 弘誓のふねにのせたまう
          親鸞聖人

龍樹大士世にいでて

(原文)
龍樹大士世にいでて
 難行易行のみちおしえ
 流転輪回のわれらをば
 弘誓のふねにのせたまう
   親鸞聖人「高僧和讃(龍樹讃)」

(試訳)
龍樹大士が世に現われて
難行道と易行道の教えを説かれました。
迷いの中を彷徨っている私たちを
阿弥陀如来は慈悲の大船に乗せ、水の道を渡るかのように導いてくださっています、と説き示してくださいました。

難行易行のみち
親鸞聖人が崇敬する七人の僧(七高僧)の第一師である龍樹大士(菩薩)。
龍樹大士は、西暦150年ごろから250年ごろにかけて、南インドで活躍されました。龍樹大士は、浄土真宗だけでなく、中国・日本の多くの仏教諸派において崇敬され、釈尊以後に世に表われた最高の師とされています。『中論』『大智度論』『十住毘婆沙論』など、貴重な著作を遺されました。
その『十住毘婆沙論』に「難行道」「易行道」という、南無阿弥陀仏の念仏と密接に関わる教えが説かれています。「難行道」「易行道」、つまり、仏道を歩むのに「困難な道」と「易しい道」との二つの道があるというのです。
「難行道」は、自分の力をたよりとして険しい陸路を進もうとする、厳しい修行の道をたとえられたもの。一方の「易行道」は、阿弥陀如来の「本願」という船に乗せてもらい、迷い惑いに満ちた世の中を安穏に浄土往生に導かれることをたとえたものです。「南無阿弥陀仏」の念仏を称えることを表わします。
龍樹大士は、難行の陸路は誰もが歩める道ではなく、易行の水道は皆と共に船に乗って渡ることで、誰もが歩める道であると説かれます。 
龍樹大士の「難行道」「易行道」の教えは、親鸞聖人にとって大切な教えとして 響きました。聖人は龍樹大士の教えを「正信偈」に次のように記されています。

(原文)

(書き下し)
難行の陸路、苦しきことを顕示して、
易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。

(試訳)
龍樹大士は、難行の陸路は苦しみの小路であり、誰もが通れる道ではないことを明らかに示され、また、船に乗って水の道を渡ることは孤独ではなく共なるものがいるよろこびの道であることを私たちに伝え、易行の道を歩ませようとしてくださいました。

いつでも、どこでも、だれでも
「易行」というと「簡単な行」と解釈されがちです。「『南無阿弥陀仏』と口にするだけの行なんて簡単すぎる。そんな簡単なことで救われるわけがない」などといった声を聞くこともあります。
「易行」とは、「行い易い行」(おこないやすいぎょう)という意味ではありません。「いつでも、どこでも、だれでもできる行」という意味が内包されています。
龍樹大士も、親鸞聖人も、聖人の師である法然上人も、難行の陸路を歩まれました。極めるほど行に励んだ方々です。けれど、励めば励むほど、突き詰めれば突き詰めるほど、自分の能力の限界と、求めているものの大きさを感じられました。どれだけ厳しい修行をしても救いに到達できない焦り、この歩みでいいのだろうか? という迷いがありました。
修行に専念できる環境・境遇・立場に身を置く者でさえ迷い惑いから抜け出せないのに、いまを懸命に生き、修行をすることもできない人びとは、より仏の救いから遠ざかってしまう。誰もが救われる道があるにちがいない!
自身の救いを求めて始めた行が、いつの頃からか衆生(すべての生きとし生けるもの)の救いへと願いが転換していきました。衆生救済の道を求めるこころから、やがて阿弥陀仏の慈悲の心に触れるに至りました。私が求めるよりも前に、既に阿弥陀の大船に乗っている私でした、と。

難行と易行の道。それらが二股に分かれていて、どちらを選ぶか? という話ではありません。難行の路(みち)は、実は 易行の大道のなかにありました。人間の生活感覚では、困難を乗り越えて得たものに価値を見い出し、易く手に入るものは見下してしまいがちです。しかし、行において(生きるということにおいて)、「いつでも、どこでも、だれでも」手にすることができるという普遍性は、易くありながらとても有り難いものです。それが「南無阿弥陀仏」の念仏です。まだ阿弥陀に出遇(あ)えていない、まだ信じられないなどと思うかもしれませんが、既に阿弥陀の大船に乗っている私です。
南無阿弥陀仏

 🐲 🐲 🐲

掲示板の人形
毎年一月は、十二支の人形を飾っています。
今年は辰年。毎年干支の動物にちなんで、「今年は昇り龍のごとく、上昇気流に乗る年になりますように」などと希望が語られます。そういう心持ちは大切ですが、平穏で安穏な生活が何よりも有り難いことに気付かされます。
南無阿弥陀仏

Pxl_20231231_214224271

«掲示板のことばアーカイブズ(47)

フォト
2025年5月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ